浜崎あゆみを語るときに「音楽以外の話題」が多かったとしても、それはいいとして、そんなことで評価が下がるの?と感じてしまうことがある。ツイッターでどうしたこうした、離婚の原因をどう言った云々かんぬん…。それも、ファンじゃない人が言うならまだしも、ファンが言う。まぁ、ファンだから言うんだけど。
そういうことがまったく関係ないとは私も言わないけど、それでファンをやめてしまう(とまではいかなくても)なんてさみしいなぁと思うことがある。
というわけで、第4回まで書いてきましたが、だんだん浜崎あゆみからも音楽からも離れていきそうなので(笑)、今回で終わりにしようと思います。
感情と理屈の話で、「こじらせ女子」という言葉が思い浮かんだ。女子に限らず、感情と理屈がこんがらがってしまったり、履き違えたりすると、「こじらせ」になるのだろうか。
なんてことを考えてたら、「こじらせ女子」の源流はここにあるんじゃないかというのを見つけた。
今回この連載を書いていて、もう一度聴いてみた歌の中に。
“飛交う人の批評に自己実現を図り
戸惑うこれの根源に尋ねる行為を忘れ”
(椎名林檎「同じ夜」)
飛交う人の批評に、自己実現を図り、戸惑う。
これが「こじらせ」の源流ではないかと思った。
そう思ったら、大森靖子が「こじらせ女子」と言われ、椎名林檎からの流れで捉えられたりするのにも合点がいった気がする。
ものすごーーーく省略して言うと、「人の批評を気にする」ということなのかも知れない。それで、こじらせる。
椎名林檎も、それでやめてしまったのか・・・。
そして、冒頭の「それでファンをやめてしまうなんて…」というのにも同じものを感じることがあるというわけだ。
どんな理由であれ、自分にとって大事なことなら仕方がない。
しかし、そうではなくて、知らず知らずのうちに「飛交う人の批評」に影響を受け、時には、先回りして批判している時さえあるような気がする。言われる前に言ってしまえ、と。でも、よく考えたら、誰も言っていないのでは?と思うときもある。「浜崎あゆみは○○だ」といろんなところに書いてあれば、「そうなんだ」と思ってしまうのもあるし、被害者のつもりが加害者になっているというパターンもあると思う。「浜崎あゆみは○○じゃない」と主張することによって、「浜崎あゆみは○○なのか?」「浜崎あゆみは○○と言われてるのか?」ということを逆に広めてたり。
そんなことは有名アーティストなら誰でもあるのだろうし、何の理由もなく批評も生まれないだろうし、批評と無関係になることは不可能だと思うし、そうしたいわけでもないし、まったくそれを気にしなくなってしまえば「盲目」と言われたりするかも知れないし、し、し。
けど、「そんな皆、批判してないかもよ?」とか、あるいは、「もっとリラックスしてネガティビティとつきあおうよ!」とか「楽しもうよ!」ってことなのかも知れない、結局私が(自分に)言いたいのは。。。
この「飛交う人の批評」との距離感によって、特に女性の場合、「不思議ちゃん」(または「こじらせ女子」)になったり「物言わぬタイプ」になったりするのかなぁと思った。(「不思議ちゃん」でも「物言わぬタイプ」でも、他にもいろいろ言い方あるだろうけど)
そして、浜崎あゆみの特別なところは、「不思議ちゃん」でもなければ「物言わぬタイプ」でもないってところにあるかも知れない。
これはさらりと書いてるけど、凄いことなんじゃないかと思ってる。
あゆは、ぶっ飛んでるところがあったり、有名人という意味では普通じゃないとも言えるけど、「不思議ちゃん」という印象はない。だからといって、「物言わぬタイプ」ではない。
大森靖子は「音楽を捨てよ、そして音楽へ」という曲で(『魔法が使えないなら死にたい』収録)、
“音楽は魔法ではない”
と連呼している。それはもう執拗なほどに。
私、思うに、浜崎あゆみとは、「音楽が魔法になり得なかった者たちのための音楽」なのではないかって思うんだよね。
だから、「勝ち組」だの「リア充」だのといった音楽と思われてるかも知れないけど、実はそうじゃないっていう落とし穴があると思うの。
「ロックになれなかった者たちのためのロック」と言ってもいい。
だからさ、「なんちゃってロック」でもいいよもう。
あのポール・マッカートニーでさえ、「偉大なるなんちゃって」なんて言われてるらしいし。でも、ポールがやると「何やってもロック」なんだって。
だから、大森靖子は、椎名林檎からの流れで捉えるのもわかるけど、その先を行ってると思うのね。あゆの歌、最近のライブでも歌ってるらしい。そしたら、なんと、
大森靖子、エイベックスからメジャーデビュー決定
http://natalie.mu/music/news/112095
あゆとレーベルメイトになるじゃんか。こりゃもう期待しちゃうじゃんか。
「音楽を捨てよ、そして音楽へ」は、こう終わる。
“でも、音楽は”
その先に続く言葉を、大森靖子は、そして浜崎あゆみは、きっと持っている。
さあ! 長々と書いてきたけれど、最近のあゆはどんな感じだろう。
最新シングル「Feel the love」
http://youtu.be/vuSEIruqbQg
映画『BUDDHA2 手塚治虫のブッダ―終わりなき旅―』の主題歌「Pray」
http://youtu.be/hirdYu-UO30
m-flo + ayumi hamasaki「My Way」 m-flo の曲にあゆがラップで参加(作詞作曲:m-flo)
http://youtu.be/3gMF1xEGa2o
こないだ部屋を整理してたら、音楽系のフリーペーパーなんかが出てきて、年間ベストとかが載ってたのよ。そしたら、「浜崎あゆみ」がほとんど登場しない。だから、意外に売れてない?とか思っちゃったよ。抹殺されてはいけません(笑)。
いずれにせよ、「あゆがロックじゃなくなった」と思ったとしても、過去を美化するのはイヤですね。現在をおとしめるのもイヤですね。
何でも変化していく。しかし、「変わる」と「替わる」は違うといいます。
替えられずにいるために変わるのか。変わらずにいて替えられるのか。
あゆは前者であると私は思います。
4月8日(明日)で、浜崎あゆみはデビューして 16年になる。
これからどんな音楽を聴かせてくれるのか。
私はワクワクしています。