ラフラフ日記

ラフラフ日記

主に音楽について書いてます。

オアシス@東京ドーム(10/26)→宮本浩次@日本武道館(10/27)に行ってきた。

 


 

 

I'm a Rock'n'Roll star(Oasis「Rock 'n' Roll Star」)

 

I AM HERO(宮本浩次「I AM HERO」)

 

やるべきことをやるオアシス。

やりたいことをやる宮本浩次。

どっちもロックだし、オアシスも宮本浩次もどっちも(やるべきこともやりたいことも)やってきたからだろう。

骨の髄までロックンロールに触れることができた二日間だった。

その感動や興奮をすぐにでもブログに書きたかったが、そこからが大変で・・・・・・その話は後で書くとして、まずはライブの話を。

 

 

Oasis Live '25
2025年10月26日(日) 東京ドーム


まず、チケットが取れない。先行とか一般とか追加販売とか全部ダメで、アサヒビールのキャンペーンでチケットが当たるというのでビール買って応募券集めて応募して(その対象のビールも探し回った)。リセールのページを何度もリロードしてはチェックして…。

もうライブまで一ヶ月というところで、「ステージレイアウト確定に伴うチケット追加販売」が告知された。10月3日、先着販売。そこで震える手でスマホを操作しながらなんとかチケットをゲットした。発券するまで(発券しても)なかなか実感がわかなかった。ライブまで一ヶ月切っていた。

私は解散前にオアシスの来日公演を何回か観ているが、チケットが取りづらかったのははじめて観た 1998年の武道館でのライブくらいで、後はすんなりチケット取れたように記憶している。たぶん、2005年に代々木体育館で観たのが最後だ。(その後、2009年にも来日しているが行かなかった)

そして、



これが私がゲットした「注釈付S席」の景色。ノエル側ー!

ライブについては、、、

「オアシス」青春だし、友だちだし、、、

私の青春だかなんだかが成仏したような気がしたし、生まれ変わるとはこういうことかと。

 

バンドの復活で、違和感とか同窓会とかよく言われるけど(私はユニコーン復活時の違和感を思い出した)、私は、やっと、

あるべき姿のオアシス

を観ることができた気がした。オアシスはずっとこうやりたかったんじゃないか。私たちもこんなオアシスがずっと観たかったんじゃないか。

や、わからない。解散前のオアシスこそ本物のオアシスという考えもあるだろう。それもわかる。今(復活後)のオアシスはオアシスじゃないと。けれど私は、オアシスのあるべき姿を観ることができたんだと思った。

それはとても嬉しくて、でもさみしくて、でも嬉しい。

そんなライブだった。

「キャスト・ノー・シャドウ」のとき、人生ままならないことだらけだけど、今この瞬間は胸を張って幸せと言える。そんなことを思って、胸を抱きしめ、抱きしめられる心持ちだった。

LIVE FOREVER!

 

【補足で余談】

 

直前にこの記事を読んで、もう全部わかる、わかりすぎる。オアシスが日本の音楽シーンに与えた影響の大きさがわかりすぎるからぜひ読んでみて欲しい。

 

 

ちなみにこの記事からの流れで、邦楽では「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」や「ホワットエヴァー」方面ばかりに傾いてて、「ワンダーウォール」みたいなヒット曲が思い浮かばないという話を見かけたのだが、浜崎あゆみの「Last Links」が「ワンダーウォール」なのでぜひ聴いてみて欲しい。

 

 

宮本浩次 俺と、友だち
2025年10月27日(月) 日本武道館

 

 

「over the top」からのはじまりがカッコよすぎて、まるでライブハウス武道館! 一人一人席が用意されてるのに、ぎゅうぎゅう詰めで酸素薄い!みたいな。

初っ端から、昨日のオアシスとの違いを見せつけられる。ノエルと宮本浩次は一つ違いで同年代なのに、この違い。動かぬオアシス、動きまくる宮本浩次。

オアシス→宮本浩次と連日で切り替えられるだろうか?と思ってたけど、昨日オアシスを観た後、まったく違う気持ちで観られるから大丈夫だろうと直感したが、その通りだった。

完成に向かうオアシス。破壊からはじめる宮本浩次。

 

凡人-散歩き!

サラリ サラ サラリ!

いやぁ、衝撃だった。

何が衝撃かって、こんなにキラキラして?カラフルで?洗練された?ポップな?明るい凡人で良いのか?と。
 

洗練やポップは言い過ぎかも知れないけど、照明が明るくて、こんなに照明が派手な凡人聴いたことない! 私はエレカシの無愛想でわかりづらい凡人を愛していたから、違和感や居心地の悪さを確かに感じはしたのだけど、同時に痛快でもあり笑いが込み上げてくるような…なんだこの感じ?

エレカシの「凡人-散歩き」には、これがわかるかオリャー!みたいなものがあってそこに痺れるけど、この宮本浩次「俺と、友だち」バンド(以下、俺友バンド)の「凡人-散歩き」には、これがわかるかオリャー!みたいなものが、……ん?、ないわけではないなぁ?、あるよなぁ?、全然違ってはいるんだけど、根底にあるものはある?

でも、この凡人には、エレカシの凡人にはない “わかりやすさ” みたいなものはある気がする。「売れる曲と良い曲」で書いた、わかる・わからないの話を思い出した。

(ちなみに前に「凡人-散歩き」について熱~く?書いたので良かったら→ 「おかみさんは南向きに布団干す」

 

「サラリ サラ サラリ」は、流れるように?素晴らしかった。

オアシスも宮本浩次も「ロックバンドってこんなにかっこいいんだぜ!」というのが伝わってくるライブだったが、ひとたびエレカシの曲をやると、エレカシが睨んでるのを感じて、エレカシの凄みも伝わってきた。

俺友バンドがエレカシの曲をやりだすと、エレカシがその演奏をぐっと睨んでるのを感じるというか、ちゃんとやってるか?と見張ってるエレカシの視線を背後に感じてぞくっとした。

エレカシとかソロとかいろいろあるけど、曲の方が選んでるんじゃないか。曲の方がエレカシなりソロなり俺友バンドなりに「やりなさい」と言ってるというか。

 

とにかく、鳴らされる音を私がどう感じるか、それがすべてだ!
 

「It’s only lonely crazy days」と「Hello. I love you」は、エレカシでもまだライブでやってないエレカシの曲をエレカシより先にライブでやっちゃうんだ…という気持ちがなくもないが、この武道館の前に下北沢で開催された俺友バンドの初ライブ(10/8)、そこにトミ(冨永義之)がいたら、また気持ちも違っただろうとも思う。下北沢でその 2曲演奏されたというし。

武道館の前に下北沢でライブがあったこと、そこにトミがいる予定だったこと、忘れない。
とはいえ、エレカシでは今はその 2曲はライブでやらなかった(やれなかった)、そのことも受け止めたい。

 

宮本浩次の新曲「I AM HERO」を聴いて、私は、

 

“悲しみの地平線”

 

に衝撃を受けた。

 

地平線ってことは、果てしないってことだ。果てしない悲しみ。悲しみの向こうに、また、悲しみ。前に、下記ブログでも書いたが、やはり、宮本浩次は「悲しみの人」だと確信した。

(「悲しみの果て」から「悲しみの地平線」へってことでもあるのか)
 

 

が、今回はそこに「愛」が加わった。宮本浩次は「愛と悲しみの人」

 

そして、上記ブログでもう一つ、「野望」についても書いてる。宮本浩次は「野望」を持っているのかどうかについて。

 

それも今回「I AM HERO」ではっきり歌われてる。

 

“俺の野望”

 

ああ、これか、これなのか? この「野望」こそが、宮本浩次を俺友バンドへと突き動かし、エレカシにはなかったものなのか?

 

この「野望」こそ、宮本浩次がエレカシに持ち込みたくなかった(持ち込めなかった)ものなのか?

 

「俺と、友だち」始動を知ったとき、そこにトミの名前があることを知ったとき、私は、その手があったか!と思ってしまった。それは、ここで書いてたようなことに対して。

 

 

まぁとにかく、宮本浩次は「昇る太陽」で余裕を感じるまでになってたし(あくまで私感)、武道館でソロというのも新鮮だった。武道館というとエレカシと結びつきが強いから、「昇る太陽」で武道館の日の丸を見ながら、ああ、これはソロなんだ…って。

 

「冬の花」は特に、奥野真哉のキーボードやアレンジで、小林武史がいるときとの違いを感じた。

 

最後が「First Love」だったのは、これが俺友バンド(とお客さんと)のファーストライブ(ラブ)だからってのもあったのかな、なんて。

あ!「First Love」で、キタダマキのベースに Syrup16g を感じたんだ!

 

……といろいろと書いてきたけど、オアシス→宮本浩次と観て、「バンド幻想を超えた先に」でオアシスの歌詞(のある部分を宮本浩次が好きだと言っていたこと)を書いてたよなぁと思い出して運命めいたものを感じてみたり。

 

 

そして、もうここまでで長くなってしまったけど、ライブの後、そこからが大変だったと書いたのは、まず、仕事が決まりました!

 

長かったー。どんなに楽しいことがあっても、心にはいつも暗く重いものがある日々で。ブログが滞ったりしてたのも、そういうのがあって。でも、やっと、決まった。

 

そしたら、やっと決まって仕事がはじまるというのに、体調を崩してしまって。

 

今やっと回復してきたところです。

 

健康第一ですね!

 

もうすぐ仕事がはじまるけれど、オアシスと宮本浩次のロックを胸に歩いて行きたいです。

エレファントカシマシ「~日比谷野音 The Final~ 俺たちの野音」、配信を見た。

あと、兵庫慎司の「日比谷野音が閉まります」前後編をやっと読んだ。後編で、1992年のエレカシ野音について書かれています。

兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』

(第35回)第十八話:日比谷野音が閉まります(前編)
https://lp.p.pia.jp/article/essay/352407/437136/index.html
(第36回)第十八話:日比谷野音が閉まります(後編)
https://lp.p.pia.jp/article/essay/352407/438121/index.html
 

「俺たちの野音」については、感想を前回のブログに書いたが、ライブレポートがアップされた。

 

 

配信を見て、特に付け足せることもない気がするけど、

サポートギターなしのエレファントカシマシ、最高じゃない!?

成ちゃん(高緑成治)のベースがよく聴こえてすっごくかっこいいし、シンプルに削ぎ落とされた、化粧なしのエレファントカシマシって感じ。

配信で顔の表情まで見たら、宮本浩次が爆発できるのはやはりエレファントカシマシじゃないのか?って思った。でも、爆発ばかりしてたら壊れてしまうし、爆発しないでいられるのがソロなのか?とか。

というか、「ズレてる方がいい」→「RAINBOW」→「奴隷天国」→「男は行く」→「ファイティングマン」、やばくない? 限界越えてないこれ?
私よく生きて帰って来られたなぁ。百歳年取って百歳若返った気分だ。

なので、配信は1回しか見れなかった。
 

で、前回、「なぜだか、俺は祈ってゐた。」のときに思ったことを書き忘れてて。

 

この曲は、こう歌い出す。

 

 子供の頃俺は、毎日精一杯生きて、いつの日か誰かの為に
格好よく死にたいと、そればかり思って、涙流してゐた。
涙を流してた。

 

あの日、私はこれを聴いていて、「宮本さん、夢叶えてるじゃん」って思ったんだ。

 

いや、宮本さんは死んでいないし生きているんだけど、「誰かの為に死んでるじゃん」って思ったんだよ。

 

誰かの絶望、痛み、悲しみ、苦しみ、挫折、願い……報われなかった思い、死ねなかった思いの為に、宮本浩次は何度も死んでいる。だからこそ、あんなに壮絶で美しくて激しくて穏やかな歌を歌えているんじゃないかって。

あなたや私の代わりに宮本は死に、そして、生き返る、あなたも私も宮本も。「天才とは、何遍でも死ねる人」という言葉を思い出す。

 

 

 

そんな野音の後は、怒濤のニュースラッシュが続いているわけですけど。

 

 

「俺と、友だち」って何、ヒップホップアーティストみたいなことやるの?ってドキドキしてたんです。

それはジャンル的なことを言ってるんじゃなくて、なんていうか、友達たちと入り乱れて自由にやるっていうかモニョモニョ…って思ってたら、第一弾が発表されて、やっぱりこれだー!こういうことだー!と思いまして(いや、メンバーまでは予想できなかったですけどね)。私が言いたかったのはこれなんですよ!

 

『チーム友達』

 

 

 

(千葉雄喜も北区だし…)

 

ミヤジ、これをやるために事務所独立したのかと思っちゃう。

 

興奮して投稿した X のポストをここにも書いておこう。

 

エレカシしか興味ない人とソロしか興味ない人をがっぷり四つさせてしまう宮本浩次。 

エレカシしか興味ない人にもソロしか興味ない人にも言い訳させない宮本浩次。

 

つまり、私たちももう逃げ場はなくなった。

 

宮本浩次が最新の JAPAN でのインタビューで(未読)、「自由」とか「不自由」とか言ってるみたいで、またこれを思い出した。

 

 

私は、エレカシの魅力は「不自由さ」にあると思っていた。打ち込みに走ろうが、プロデューサーに頼ろうが、宮本のワンマンバンドだと言われようが、そんなことは気にせずに音楽をやっても良いのに、その中で葛藤していたのは誰よりも宮本浩次でありエレファントカシマシであった。それは、「バンド幻想」を捨てなかったからだろう、「バンドの限界」を見つめていたからだろう。エレカシはその「不自由」の先に「自由」を見つけたのだ。

 

そうか。自由とは、逃げ場がなくなることなのかも知れない。

 

あ!下北沢×エレカシってことで、このときのことを思い出したので読んでくれたら嬉しい。書いといて良かった!って今になって思えたから。

 

エレファントカシマシ「~日比谷野音 The Final~ 俺たちの野音」、行ってきた。

配信はまだ見ていなくて、明日見る予定だけど、見る前に書いておきたかった。

エレファントカシマシ「~日比谷野音 The Final~ 俺たちの野音」
2025年9月28日(日) 日比谷野外大音楽堂

 

 

6年ぶりに入った野音は、6年ぶりだというのに全然そんな感じがしなくて、つい最近も入ったような感覚。それでも、入場できたときは「入れたー!」という感慨があった。



それからはもう着席して、ただ開演を待つばかりだったが、天気も晴れて、少し蒸し暑いけど、最高の野音日よりではないか。

なんの曲が聴きたいとかもはやない。いやむしろ、いつもならコアでレアな曲を聴きたいとか思ったりするけど、「悲しみの果て」や「今宵の月のように」といった代表曲が聴きたい。

私の席は Cブロックで成ちゃん側。

<第一部>


1. 「序曲」夢のちまた


メンバーが登場して、宮本がお辞儀をすると、「「序曲」夢のちまた」がはじまった。メンバーは、4人? サポートギターはいない? キーボードは?

 

忘れるだろう 忘れるだろう
今日一日のできごとなど

 

こんな野音の一日のことも、いづれ忘れてしまうのだろうか。そんなことはないと思っているのに、なんて儚く、でも力強い。

 

ああ 今日も夢か幻か
ああ 夢のちまた

 

もうこの一曲だけで野音のすべてを物語ってるような気がして、これからはじまる夢のような幻のような一夜を予感した。

私、エレファントカシマシというのは現実的なバンドで、厭世じゃなく俗世に生きるバンドだと思っていたけれど、この幻想的な旋律に、いや、現実の方がまやかしで、こっちの方が現実じゃないか?という反転みたいなものを感じた。夢の入り口?

2. 俺の道
3. デーデ
4. 星の砂
5. 太陽ギラギラ


そうやって、ぼーっと覚醒している(ぼーっと覚醒!)と、「俺の道」のイントロがはじまる。そこからは「デーデ」「星の砂」と初期の曲が続き、「太陽ギラギラ」の渾身の

“た、の、し、い、の”

凄かった。まるで、野音の中にいる人でなくて、すぐそこのオフィスビルで働いてる人たちとかに向かって歌っているようだ。私たちエレカシと一緒になって世間に物申してるのかも知れない!

6. お前の夢を見た(ふられた男)
7. ひまつぶし人生

 

そこからまたエピック時代の曲が続き、私は思った。なんてダルいんだ! 重い足を引きずるような、めんどくせいって全力で拒否するような、エレカシってこんなにダルいバンドだったんだ! だけど全力。パワーがありあまる。こんなに全力の「ダルい」を私は知らない。

 

8. 珍奇男

 

そんなダルさから、この曲で一気に元気になった。「珍奇男」で元気になる日がくるとは。

 

9. 昔の侍

 

このときだった。風が吹いてきて、少し涼しくなったのは。宮本も脱いだ黒ジャケットをもう一度着て歌う。

 

さよならさ
我らが青き夢よ
さよならさ
我らが青き日々よ

 

もうまさにこれだった。今みたいにチケットが取りづらくなる前は 2001年から毎年来ていたエレカシの野音。ここに私の「青き夢」であり「青き日々」があったんだ。この日の「さよなら」をかみしめる抱きしめる。

 

10. 東京の空

宮本のギターがかっこいい。そうだ。今回サポートギターはいなく、キーボードに細海魚。私の席からは見づらかったが、細海魚は出たり入ったりしていたようだ。

 

11. 月の夜

 

大好きで大切な曲。これで第一部終了。

 

<第二部>

 

12. 旅立ちの朝

 

6年前、2019年のときにこの曲で昇天したことを思い出す。

このときに、今までエレカシのライブ一緒に行った人やエレカシを通して知り合った人、会ったことはないけどネットでやりとりしてるエレカシファンの人、そういう人たちを思った。そういう人たち一人一人にエレカシとの思い出、エレカシへの思いがある。それが刻まれた場所、野音。

そうか。これは「エレカシの野音」ではなくて、「俺たちの野音」なんだ…。

 

空に向かって放たれた歌がそれを私に教えてくれた。

 

ここからはもう、一気に行く。(ライブが一気に行ったという意味ではなく、私が書けそうもないので一気に…という意味)

 

13. 友達がいるのさ
14. 悲しみの果て
15. なぜだか、俺は祈ってゐた。
16. 星の降るような夜に
17. 今宵の月のように
18. yes. I. do
19. so many people
20. 笑顔の未来へ
21. ズレてる方がいい
22. RAINBOW
23. 奴隷天国
24. 男は行く
25. ファイティングマン

 

一曲目「「序曲」夢のちまた」が野音のすべてを物語ってるようと書いたけど、一曲一曲すべてがそうなんだもん。すごいよね。

 

「最後の野音」って思ってるからか、エレカシには「さよなら」の歌が多いと思った。

 

この 3代目の野音は最後と思うと寂しいけど、最後まで来られたということでもあり、エレファントカシマシが(そして、俺たちが)3代目野音より長生きできたということでもあるじゃないか!

 

野音のライブは独特で、普段は、エレカシの音楽が自分の中に入ってくるのだとしたら、野音だと、エレカシの音楽の中に自分が入っていくような。

今日も、だんだん暗くなっていく空、曲間の虫の声、風、町の灯りや物音、いろいろなものを感じさせてくれた。

 

なんだか凄くて、今もあの場所でエレカシの歌が鳴り響いているように思える。昨日の今日だからってのもあるけど、あそこに刻まれたエレカシの歌と演奏は、たとえ建物とか景色が変わっても、あそこに行けば聴こえてくるんじゃないか。

 

<アンコール>

 

26. 涙
27. 待つ男

 

「涙」を歌う前、宮本さんが話してくれた。

 

正確じゃないけど、正確なのは配信で確認するとして、

 

「40年前、野音で歌ったら気持ち良く歌えて、それだけだったんだけど、皆が特別に思ってくれて、野音の最後にエレファントカシマシでって、最高のライブをすることができた。本当にありがとう」

 

というようなことを伝えてくれた。

 

印象的だったのは、(野音のライブを)「当たり前に思ってたんだけど」という言葉。野音だけが特別じゃなくて、当たり前にどのライブも大事にやっていたということだろうけど、「当たり前」にあると思っていた野音も今日が最後なんだと思ってじーんとした。

 

最近こそチケット取れなくなったけど、いやチケット取れる取れないに関わらず、野音は「当たり前」にあると思っていたもの。

 

だからこそ私も、6年ぶりに入ったのにそんな感じがしなかったんだと思うし。だから宮本さんも、そんな野音を特別というより「当たり前」に思っていたというのがなんか嬉しい。

 

けれど、当たり前ではないんだ。

 

これって、エレカシにも言えるよね。宮本さんにとって当たり前にいる 3人も、当たり前ではない。4人それぞれがそう感じているだろうか。

 

私の席からは細海さんの姿が確認しづらかったけど、最後はエレカシの 4人だけになっていた。

 

ライブ途中、佐久間さんとか蔦谷さんとか金原さんとか思い出したりしたんだよね。曲の中に彼らも生きてるから。

 

だけど、最後は誰もいなくなって、エレカシの 4人だけになった。

 

最後に残ったのはエレカシの 4人。

 

 

ライブが終わって、すべてが夢だったような気もするけれど、夢にしては強烈だし、私ほんとうに観たんだよね。ありがとう野音。ありがとうエレファントカシマシ。最後は 4人きりになって。

エレカシの野音だったけれど、俺たちの野音だったよ。

 

またブログ更新できてませんが、これだけは書いておかないとと思って。

エレファントカシマシ「~日比谷野音 The Final~ 俺たちの野音」
2025年9月28日(日)
日比谷野外大音楽堂

チケット取れました。

「当選」の文字を見たとき、震えました。

2019年ぶりです。(2019年 → エレファントカシマシ 30年目の野音 )

その間、他のライブも観てないから、6年ぶりに中に入る。

 

日比谷野音、最終公演はエレファントカシマシ
https://www.47news.jp/13103339.html

 

野音は、建て替え工事のため、今年10月から使用が中止され、解体されるという。

今は 3代目の野音だそうだが、私にとってはじめての野音はエレカシで、最後の野音(3代目)もエレカシになる。

「俺たちの野音」

これ以上今はなんの言葉も出てきそうにないが、行ってきます。

 

 

 

 
 
 

↑2022年9月に行ったときの野音。(ライブやってない時)

約4ヶ月ぶりの更新になってしまいました。

 

これが終わったらブログ再開しようと思ってたら、これがなかなか終わらず、いつまで経っても再開できずに、むしろブログやってた方が良いんじゃないか?と思い、再開することにしました。

 

今はもう 8月で、前回エレカシ新春ライブの記事を(4月に)書いてから更新してないから、書いてないライブも溜まっていて、でもそれは書かなくても良いんじゃないかとも思ったのですが、リハビリがてら(?)書いていこうと思い。なので、全部を書くというよりかは、書いておこうと思うことだけ書いていくというような、ライブレポでもなんでもない、そういう感じになります。いつもそうかも知れませんが…。

 

まずは、

 

ap bank fes '25 at TOKYO DOME ~社会と暮らしと音楽と~
2025年2月16日(日) 東京ドーム

 

 

東京ドームで歌う宮本浩次を観てみたい!その一心で。

 

といっても、その思いは宮本浩次がソロ活動をする前からあったから、東京ドームでライブするエレファントカシマシを観てみたいということになるが、実際にそれが観たいかどうかということよりも、東京ドームでライブするくらいのスケールがエレカシにはあるのにとか、東京ドームでライブするあのバンドとかあのバンドくらいエレカシにもスケールがあるのにとか、そういう思い。

 

宮本浩次は Bank Band のゲストアーティストとして最後に登場し、観客はほぼ総立ちになった。私は驚き、でもそうだよなと思った。それまでいろんなアーティストを観てきて、どのアーティストも良かったけど、この人にしか沸かせないものがあるんだと感じた。ワンマンやフェスでは気づきづらいことに気づかせてくれた。

 

宮本浩次はエレカシの「今宵の月のように」と「悲しみの果て」を歌い、ソロの「冬の花」と「ハレルヤ」を歌った。エレカシの 2曲ではドン!ドン!と響いてそれだけで届いてくる感じで、ソロの 2曲でドームの屋根を突き破っていっちゃうかと思った。ドームで屋根の存在を感じたのははじめてかも知れない。

 

宮本浩次の好きなところは、椎名林檎のライブのときにも思ったけど、どんなに凄いアーティストと共演しても、目の前のお客さんに向かって歌ってくるところで。そんなこと当たり前かも知れないけど、これがなかなか、目の前のお客さんに向かい続けるっていうのは…。伊達に「エビバデ!」って叫んでるんじゃないんだ。

 

ただ、この日は、それだけじゃなく、東京ドームという建物にも対峙しているように見えた。屋根を見据え、会場全体を把握するような、そして、会場の向こう、会場にいない人たちにも届くように歌っているような。空に向かって歌っているような。声が屋根を突き破っていっちゃうように思えたのもそのためかも知れない。

 

「バンドは山に勝たなければいけない」とはこういうことか。そこにいる観客だけに歌っていない。

 

東京ドームのおかげで、宮本浩次のスケールのデカさを体感できた。

 

そして私は、宮本浩次がソロ活動をする前から「エレカシには東京ドームでライブするスケールがあるのに」と思っていたわけだから、この日宮本浩次がエレカシの曲を歌ったら「なんでエレカシじゃないんだ」みたいな複雑な気持ちになるのかと思ったら、不思議なくらいなかった。

エレカシで立ってるのと同義に思えたというか、いや同義ではないんだろうけど、エレカシも立てることが証明されたような、エレカシも立ってると思えたというか。

 

こういう形でエレファントカシマシが伝わることもあるんだ。

 

Bank Band のゲストという形も良かったのかも知れない。

 

宮本浩次がソロをやってて良かった。

 

それと!

 

宮本浩次と櫻井和寿が歌う「東京協奏曲」、生で聴けて本っっ当に良かった!


行ってきてすぐのインスタ → https://www.instagram.com/p/DGVHLo0PSiB/


全アーティスト観て、全アーティストそれぞれ良かった。Salyu の歌声も聴けた。


東京QQQ のパフォーマンス、QQQ(サンキュー)デパート最上階の「迷子」で自分のことを言われたとどきっとしてしまった。超メジャーなアーティストたちの中で、「生きて!」という切実な生きる力のメッセージ受け取って、刺さった。

メンバーの中に宇多田ヒカルとコラボしたアオイヤマダもいたと後で知ったし、あゆとも関わりある Oi-chan が関わってると知れて嬉しかった。


桜井さんが KAN の話をしてくれて、KAN の歌(50年後も)を歌ってくれたのは嬉しかったなぁ。