ラフラフ日記

ラフラフ日記

主に音楽について書いてます。

エレファントカシマシ「~日比谷野音 The Final~ 俺たちの野音」、配信を見た。

あと、兵庫慎司の「日比谷野音が閉まります」前後編をやっと読んだ。後編で、1992年のエレカシ野音について書かれています。

兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』

(第35回)第十八話:日比谷野音が閉まります(前編)
https://lp.p.pia.jp/article/essay/352407/437136/index.html
(第36回)第十八話:日比谷野音が閉まります(後編)
https://lp.p.pia.jp/article/essay/352407/438121/index.html
 

「俺たちの野音」については、感想を前回のブログに書いたが、ライブレポートがアップされた。

 

 

配信を見て、特に付け足せることもない気がするけど、

サポートギターなしのエレファントカシマシ、最高じゃない!?

成ちゃん(高緑成治)のベースがよく聴こえてすっごくかっこいいし、シンプルに削ぎ落とされた、化粧なしのエレファントカシマシって感じ。

配信で顔の表情まで見たら、宮本浩次が爆発できるのはやはりエレファントカシマシじゃないのか?って思った。でも、爆発ばかりしてたら壊れてしまうし、爆発しないでいられるのがソロなのか?とか。

というか、「ズレてる方がいい」→「RAINBOW」→「奴隷天国」→「男は行く」→「ファイティングマン」、やばくない? 限界越えてないこれ?
私よく生きて帰って来られたなぁ。百歳年取って百歳若返った気分だ。

なので、配信は1回しか見れなかった。
 

で、前回、「なぜだか、俺は祈ってゐた。」のときに思ったことを書き忘れてて。

 

この曲は、こう歌い出す。

 

 子供の頃俺は、毎日精一杯生きて、いつの日か誰かの為に
格好よく死にたいと、そればかり思って、涙流してゐた。
涙を流してた。

 

あの日、私はこれを聴いていて、「宮本さん、夢叶えてるじゃん」って思ったんだ。

 

いや、宮本さんは死んでいないし生きているんだけど、「誰かの為に死んでるじゃん」って思ったんだよ。

 

誰かの絶望、痛み、悲しみ、苦しみ、挫折、願い……報われなかった思い、死ねなかった思いの為に、宮本浩次は何度も死んでいる。だからこそ、あんなに壮絶で美しくて激しくて穏やかな歌を歌えているんじゃないかって。

あなたや私の代わりに宮本は死に、そして、生き返る、あなたも私も宮本も。「天才とは、何遍でも死ねる人」という言葉を思い出す。

 

 

 

そんな野音の後は、怒濤のニュースラッシュが続いているわけですけど。

 

 

「俺と、友だち」って何、ヒップホップアーティストみたいなことやるの?ってドキドキしてたんです。

それはジャンル的なことを言ってるんじゃなくて、なんていうか、友達たちと入り乱れて自由にやるっていうかモニョモニョ…って思ってたら、第一弾が発表されて、やっぱりこれだー!こういうことだー!と思いまして(いや、メンバーまでは予想できなかったですけどね)。私が言いたかったのはこれなんですよ!

 

『チーム友達』

 

 

 

(千葉雄喜も北区だし…)

 

ミヤジ、これをやるために事務所独立したのかと思っちゃう。

 

興奮して投稿した X のポストをここにも書いておこう。

 

エレカシしか興味ない人とソロしか興味ない人をがっぷり四つさせてしまう宮本浩次。 

エレカシしか興味ない人にもソロしか興味ない人にも言い訳させない宮本浩次。

 

つまり、私たちももう逃げ場はなくなった。

 

宮本浩次が最新の JAPAN でのインタビューで(未読)、「自由」とか「不自由」とか言ってるみたいで、またこれを思い出した。

 

 

私は、エレカシの魅力は「不自由さ」にあると思っていた。打ち込みに走ろうが、プロデューサーに頼ろうが、宮本のワンマンバンドだと言われようが、そんなことは気にせずに音楽をやっても良いのに、その中で葛藤していたのは誰よりも宮本浩次でありエレファントカシマシであった。それは、「バンド幻想」を捨てなかったからだろう、「バンドの限界」を見つめていたからだろう。エレカシはその「不自由」の先に「自由」を見つけたのだ。

 

そうか。自由とは、逃げ場がなくなることなのかも知れない。

 

あ!下北沢×エレカシってことで、このときのことを思い出したので読んでくれたら嬉しい。書いといて良かった!って今になって思えたから。

 

エレファントカシマシ「~日比谷野音 The Final~ 俺たちの野音」、行ってきた。

配信はまだ見ていなくて、明日見る予定だけど、見る前に書いておきたかった。

エレファントカシマシ「~日比谷野音 The Final~ 俺たちの野音」
2025年9月28日(日) 日比谷野外大音楽堂

 

 

6年ぶりに入った野音は、6年ぶりだというのに全然そんな感じがしなくて、つい最近も入ったような感覚。それでも、入場できたときは「入れたー!」という感慨があった。



それからはもう着席して、ただ開演を待つばかりだったが、天気も晴れて、少し蒸し暑いけど、最高の野音日よりではないか。

なんの曲が聴きたいとかもはやない。いやむしろ、いつもならコアでレアな曲を聴きたいとか思ったりするけど、「悲しみの果て」や「今宵の月のように」といった代表曲が聴きたい。

私の席は Cブロックで成ちゃん側。

<第一部>


1. 「序曲」夢のちまた


メンバーが登場して、宮本がお辞儀をすると、「「序曲」夢のちまた」がはじまった。メンバーは、4人? サポートギターはいない? キーボードは?

 

忘れるだろう 忘れるだろう
今日一日のできごとなど

 

こんな野音の一日のことも、いづれ忘れてしまうのだろうか。そんなことはないと思っているのに、なんて儚く、でも力強い。

 

ああ 今日も夢か幻か
ああ 夢のちまた

 

もうこの一曲だけで野音のすべてを物語ってるような気がして、これからはじまる夢のような幻のような一夜を予感した。

私、エレファントカシマシというのは現実的なバンドで、厭世じゃなく俗世に生きるバンドだと思っていたけれど、この幻想的な旋律に、いや、現実の方がまやかしで、こっちの方が現実じゃないか?という反転みたいなものを感じた。夢の入り口?

2. 俺の道
3. デーデ
4. 星の砂
5. 太陽ギラギラ


そうやって、ぼーっと覚醒している(ぼーっと覚醒!)と、「俺の道」のイントロがはじまる。そこからは「デーデ」「星の砂」と初期の曲が続き、「太陽ギラギラ」の渾身の

“た、の、し、い、の”

凄かった。まるで、野音の中にいる人でなくて、すぐそこのオフィスビルで働いてる人たちとかに向かって歌っているようだ。私たちエレカシと一緒になって世間に物申してるのかも知れない!

6. お前の夢を見た(ふられた男)
7. ひまつぶし人生

 

そこからまたエピック時代の曲が続き、私は思った。なんてダルいんだ! 重い足を引きずるような、めんどくせいって全力で拒否するような、エレカシってこんなにダルいバンドだったんだ! だけど全力。パワーがありあまる。こんなに全力の「ダルい」を私は知らない。

 

8. 珍奇男

 

そんなダルさから、この曲で一気に元気になった。「珍奇男」で元気になる日がくるとは。

 

9. 昔の侍

 

このときだった。風が吹いてきて、少し涼しくなったのは。宮本も脱いだ黒ジャケットをもう一度着て歌う。

 

さよならさ
我らが青き夢よ
さよならさ
我らが青き日々よ

 

もうまさにこれだった。今みたいにチケットが取りづらくなる前は 2001年から毎年来ていたエレカシの野音。ここに私の「青き夢」であり「青き日々」があったんだ。この日の「さよなら」をかみしめる抱きしめる。

 

10. 東京の空

宮本のギターがかっこいい。そうだ。今回サポートギターはいなく、キーボードに細海魚。私の席からは見づらかったが、細海魚は出たり入ったりしていたようだ。

 

11. 月の夜

 

大好きで大切な曲。これで第一部終了。

 

<第二部>

 

12. 旅立ちの朝

 

6年前、2019年のときにこの曲で昇天したことを思い出す。

このときに、今までエレカシのライブ一緒に行った人やエレカシを通して知り合った人、会ったことはないけどネットでやりとりしてるエレカシファンの人、そういう人たちを思った。そういう人たち一人一人にエレカシとの思い出、エレカシへの思いがある。それが刻まれた場所、野音。

そうか。これは「エレカシの野音」ではなくて、「俺たちの野音」なんだ…。

 

空に向かって放たれた歌がそれを私に教えてくれた。

 

ここからはもう、一気に行く。(ライブが一気に行ったという意味ではなく、私が書けそうもないので一気に…という意味)

 

13. 友達がいるのさ
14. 悲しみの果て
15. なぜだか、俺は祈ってゐた。
16. 星の降るような夜に
17. 今宵の月のように
18. yes. I. do
19. so many people
20. 笑顔の未来へ
21. ズレてる方がいい
22. RAINBOW
23. 奴隷天国
24. 男は行く
25. ファイティングマン

 

一曲目「「序曲」夢のちまた」が野音のすべてを物語ってるようと書いたけど、一曲一曲すべてがそうなんだもん。すごいよね。

 

「最後の野音」って思ってるからか、エレカシには「さよなら」の歌が多いと思った。

 

この 3代目の野音は最後と思うと寂しいけど、最後まで来られたということでもあり、エレファントカシマシが(そして、俺たちが)3代目野音より長生きできたということでもあるじゃないか!

 

野音のライブは独特で、普段は、エレカシの音楽が自分の中に入ってくるのだとしたら、野音だと、エレカシの音楽の中に自分が入っていくような。

今日も、だんだん暗くなっていく空、曲間の虫の声、風、町の灯りや物音、いろいろなものを感じさせてくれた。

 

なんだか凄くて、今もあの場所でエレカシの歌が鳴り響いているように思える。昨日の今日だからってのもあるけど、あそこに刻まれたエレカシの歌と演奏は、たとえ建物とか景色が変わっても、あそこに行けば聴こえてくるんじゃないか。

 

<アンコール>

 

26. 涙
27. 待つ男

 

「涙」を歌う前、宮本さんが話してくれた。

 

正確じゃないけど、正確なのは配信で確認するとして、

 

「40年前、野音で歌ったら気持ち良く歌えて、それだけだったんだけど、皆が特別に思ってくれて、野音の最後にエレファントカシマシでって、最高のライブをすることができた。本当にありがとう」

 

というようなことを伝えてくれた。

 

印象的だったのは、(野音のライブを)「当たり前に思ってたんだけど」という言葉。野音だけが特別じゃなくて、当たり前にどのライブも大事にやっていたということだろうけど、「当たり前」にあると思っていた野音も今日が最後なんだと思ってじーんとした。

 

最近こそチケット取れなくなったけど、いやチケット取れる取れないに関わらず、野音は「当たり前」にあると思っていたもの。

 

だからこそ私も、6年ぶりに入ったのにそんな感じがしなかったんだと思うし。だから宮本さんも、そんな野音を特別というより「当たり前」に思っていたというのがなんか嬉しい。

 

けれど、当たり前ではないんだ。

 

これって、エレカシにも言えるよね。宮本さんにとって当たり前にいる 3人も、当たり前ではない。4人それぞれがそう感じているだろうか。

 

私の席からは細海さんの姿が確認しづらかったけど、最後はエレカシの 4人だけになっていた。

 

ライブ途中、佐久間さんとか蔦谷さんとか金原さんとか思い出したりしたんだよね。曲の中に彼らも生きてるから。

 

だけど、最後は誰もいなくなって、エレカシの 4人だけになった。

 

最後に残ったのはエレカシの 4人。

 

 

ライブが終わって、すべてが夢だったような気もするけれど、夢にしては強烈だし、私ほんとうに観たんだよね。ありがとう野音。ありがとうエレファントカシマシ。最後は 4人きりになって。

エレカシの野音だったけれど、俺たちの野音だったよ。

 

またブログ更新できてませんが、これだけは書いておかないとと思って。

エレファントカシマシ「~日比谷野音 The Final~ 俺たちの野音」
2025年9月28日(日)
日比谷野外大音楽堂

チケット取れました。

「当選」の文字を見たとき、震えました。

2019年ぶりです。(2019年 → エレファントカシマシ 30年目の野音 )

その間、他のライブも観てないから、6年ぶりに中に入る。

 

日比谷野音、最終公演はエレファントカシマシ
https://www.47news.jp/13103339.html

 

野音は、建て替え工事のため、今年10月から使用が中止され、解体されるという。

今は 3代目の野音だそうだが、私にとってはじめての野音はエレカシで、最後の野音(3代目)もエレカシになる。

「俺たちの野音」

これ以上今はなんの言葉も出てきそうにないが、行ってきます。

 

 

 

 
 
 

↑2022年9月に行ったときの野音。(ライブやってない時)

約4ヶ月ぶりの更新になってしまいました。

 

これが終わったらブログ再開しようと思ってたら、これがなかなか終わらず、いつまで経っても再開できずに、むしろブログやってた方が良いんじゃないか?と思い、再開することにしました。

 

今はもう 8月で、前回エレカシ新春ライブの記事を(4月に)書いてから更新してないから、書いてないライブも溜まっていて、でもそれは書かなくても良いんじゃないかとも思ったのですが、リハビリがてら(?)書いていこうと思い。なので、全部を書くというよりかは、書いておこうと思うことだけ書いていくというような、ライブレポでもなんでもない、そういう感じになります。いつもそうかも知れませんが…。

 

まずは、

 

ap bank fes '25 at TOKYO DOME ~社会と暮らしと音楽と~
2025年2月16日(日) 東京ドーム

 

 

東京ドームで歌う宮本浩次を観てみたい!その一心で。

 

といっても、その思いは宮本浩次がソロ活動をする前からあったから、東京ドームでライブするエレファントカシマシを観てみたいということになるが、実際にそれが観たいかどうかということよりも、東京ドームでライブするくらいのスケールがエレカシにはあるのにとか、東京ドームでライブするあのバンドとかあのバンドくらいエレカシにもスケールがあるのにとか、そういう思い。

 

宮本浩次は Bank Band のゲストアーティストとして最後に登場し、観客はほぼ総立ちになった。私は驚き、でもそうだよなと思った。それまでいろんなアーティストを観てきて、どのアーティストも良かったけど、この人にしか沸かせないものがあるんだと感じた。ワンマンやフェスでは気づきづらいことに気づかせてくれた。

 

宮本浩次はエレカシの「今宵の月のように」と「悲しみの果て」を歌い、ソロの「冬の花」と「ハレルヤ」を歌った。エレカシの 2曲ではドン!ドン!と響いてそれだけで届いてくる感じで、ソロの 2曲でドームの屋根を突き破っていっちゃうかと思った。ドームで屋根の存在を感じたのははじめてかも知れない。

 

宮本浩次の好きなところは、椎名林檎のライブのときにも思ったけど、どんなに凄いアーティストと共演しても、目の前のお客さんに向かって歌ってくるところで。そんなこと当たり前かも知れないけど、これがなかなか、目の前のお客さんに向かい続けるっていうのは…。伊達に「エビバデ!」って叫んでるんじゃないんだ。

 

ただ、この日は、それだけじゃなく、東京ドームという建物にも対峙しているように見えた。屋根を見据え、会場全体を把握するような、そして、会場の向こう、会場にいない人たちにも届くように歌っているような。空に向かって歌っているような。声が屋根を突き破っていっちゃうように思えたのもそのためかも知れない。

 

「バンドは山に勝たなければいけない」とはこういうことか。そこにいる観客だけに歌っていない。

 

東京ドームのおかげで、宮本浩次のスケールのデカさを体感できた。

 

そして私は、宮本浩次がソロ活動をする前から「エレカシには東京ドームでライブするスケールがあるのに」と思っていたわけだから、この日宮本浩次がエレカシの曲を歌ったら「なんでエレカシじゃないんだ」みたいな複雑な気持ちになるのかと思ったら、不思議なくらいなかった。

エレカシで立ってるのと同義に思えたというか、いや同義ではないんだろうけど、エレカシも立てることが証明されたような、エレカシも立ってると思えたというか。

 

こういう形でエレファントカシマシが伝わることもあるんだ。

 

Bank Band のゲストという形も良かったのかも知れない。

 

宮本浩次がソロをやってて良かった。

 

それと!

 

宮本浩次と櫻井和寿が歌う「東京協奏曲」、生で聴けて本っっ当に良かった!


行ってきてすぐのインスタ → https://www.instagram.com/p/DGVHLo0PSiB/


全アーティスト観て、全アーティストそれぞれ良かった。Salyu の歌声も聴けた。


東京QQQ のパフォーマンス、QQQ(サンキュー)デパート最上階の「迷子」で自分のことを言われたとどきっとしてしまった。超メジャーなアーティストたちの中で、「生きて!」という切実な生きる力のメッセージ受け取って、刺さった。

メンバーの中に宇多田ヒカルとコラボしたアオイヤマダもいたと後で知ったし、あゆとも関わりある Oi-chan が関わってると知れて嬉しかった。


桜井さんが KAN の話をしてくれて、KAN の歌(50年後も)を歌ってくれたのは嬉しかったなぁ。



エレファントカシマシ 「新春ライブ 2025」
2025年1月3日(金)4日(土) 日本武道館

 

 

行ってきてすぐのブログにも(そこに貼ったインスタにも)書いた通り、「これがロックだった」と思い出すようなライブだった。私にとってのロック、私の思うロック、25年前、私はこのロックに出会ったんだ。それがずっと、今も、続いてる。

 

初日を観て、「これでエレファントカシマシとソロ(宮本浩次)が完全に分離した」と思った。バンドにはソロを、ソロにはバンドを持ち込ませないような雰囲気。でも大丈夫、ソロというスペースも私にはできたから(※1)、これからはバンドとは別でソロと向き合って行くことができるだろう。(※1:ソロ5周年ツアーのとき、自分の中に新たなスペースを感じた)

 

しかし、バンドとソロの分離を感じながらも、4人がまた「エレファントカシマシ」に出会っているようにも感じられた。『Wake Up』(2018年)でエレファントカシマシとの決別があったと宮本は語っていたけど、4人が再びエレファントカシマシに出会った!とも感じた。

 

最近というかここ数年、エレファントカシマシというコップがあったら、そのコップは水一杯溢れそうだったのに、その水が減っている? つまり、また注げそうになっている? そういう余白を私は感じた。

 

凄いのに、宮本浩次に余裕を感じた。冷静に見えたところも。

 

3000人限定の武道館ってこんな感じだったのかなと思う瞬間があった。


あの曲とかあの曲とか、、、。

例えば、す~ごくわかりやすく言うと、無職の歌を歌ったって、お前は稼げてるじゃん!ってなると思うんだよ。宮本浩次が今、“あわれなる珍奇男” って歌ったって、全然あわれじゃないじゃん!って。でも、エレカシの場合、それがものすごい説得力を持って放って伝わってくる。

 

これがロックだったよなぁ。

 

成ちゃんのベース、かっこいいぃーーー!

 

2日間観終わって、凄まじかった。

 

ソロも十分素晴らしいけど、こんなに胸が焦げ付くのはなかった。でも、ソロが必要なことも十分理解した。

 

ライブ全部素晴らしかったけど、「yes. I. do」から最後の曲までが凄かった。

 

「愛すべき今日」、すっごく嬉しかった!

 

大空に吸い込まれて君にさへ届かないどころじゃなかった。歌が大空になって、私の胸をいっぱいにした。胸がいっぱいすぎて、窒息しそうなほど、生きているのを感じた。

 

“この空にもう一度 愛のうた 唄おう”

 

歌が大空なら、バンドは大地。

 

そういえば、1曲目は「大地のシンフォニー」だった。大地からはじまって大空まできたような、そんな凄いライブだった。

 

からの、“貴様らに聞かせる歌などなくなった” の「男は行く」。痺れた。固まった。

 

からの、「待つ男」。

 

この世のすべてを飲み尽くし吐き尽くし世界を変えてしまうような・・・

 

こうして私の 2025年ははじまった。