ラフラフ日記

ラフラフ日記

主に音楽について書いてます。

やっとブログ更新できるようになってきたけど、もうずっとライブの記事しか書いてない、それもライブから大分時間経ってたりするし、ということで、ライブ以外の記事も書きたい!

といっても、これも大分前の話になってしまうのですが、今年の 1月、宮本浩次が『news23』に出演しました。「close your eyes」が『news23』のエンディングテーマになって、インタビュー出演だったのですが、そこで「輝き」についての話がありました。録画もしてあるので正確な言葉を確認することもできるのですが、ここでは私の感じたことを書くために記憶で書くと、宮本浩次は「コンビニの店員の笑顔が素敵だったりすると輝きを感じる」というようなことを言っていました。

これは私の思い込みもあるのですが、こういう話のときって、「家族の大切さ」とか「仲間の大切さ」とか言われることが多い気がするんです。それはそれでその通りと思うけど、宮本浩次の答えを待つ短い間、そんな風に答えたらどうしようと思う自分がいるのをほんの少し感じていました。だって、家族や仲間がいない、いないと感じてる人はどうすれば・・・。

去年、紅白出演が決まったとき米津玄師がこんなコメントを投稿しました。

 

 

「誰もが取りこぼされずに済むような世」とはどんな世だろう?と思うのです。

宮本浩次が言った「コンビニの店員の笑顔」なら、誰でも感じられる、誰も取りこぼされない!と言いたいわけではない。たぶん、誰がどんなことを言っても、誰かは取りこぼされる、のだと思う。だからといって私は、「誰もが取りこぼされずに済む世なんて無理だ!」と言いたいわけではない。ただ、誰もが取りこぼされない世界を…と言うときに潜む欺瞞というか(もちろん、米津玄師はそのことにも自覚的だと思う)。

中学時代に聞いた THE BOOM の「気球に乗って」が、今も私の根っこに刺さってるんだと大人になってから感じています。

 

名もなき同胞(とも)が抹殺されて
価値あるブルジョアが生き残るとするなら
真先に死ぬのはこの僕なのさ
僕こそ不必要なものだから

 

真先に取りこぼされるのは自分ではないかという恐怖のような、それでいて “ほこり” のような、思い。
 

そして私は思った、というか、気づいた。

私は、エレファントカシマシや宮本浩次の音楽に「誰も取りこぼさない世界や視線」を感じたのではないか。

さらに私は思い出した。

 

椎名林檎が大好きで浜崎あゆみは大嫌いだった私が、いつしか椎名林檎に「私はそこに入れない(入れてもらえない)」と感じるようになったときのことを(椎名林檎と浜崎あゆみについて (令和元年))。椎名林檎もくるりも歌ってくれなかったことを浜崎あゆみは歌っていたと感じたときのことを(私はこうして浜崎あゆみに出会った)。

 

そのとき私は「椎名林檎にないものがすべて浜崎あゆみにはあった」と書いたのだけど、それは何があったのだろう?とずっと考えていたんです。

金曜に『それSnow Manにやらせて下さい』に浜崎あゆみが出ていて、ほぼはじめてと言っていい、椎名林檎や同期の名前を出して語っていた。私はそれがとても嬉しかったけど、私が前から思っていた「椎名林檎にないものが浜崎あゆみにはあった」とは一体何があったのだろう?と。流行を作ったとか時代を作ったとかではなくて、それはやはり、浜崎あゆみの「音楽」にあったのだと私は思っているし、思いたい。けれど、それをなかなか言葉にできないでいた。
 

それは、浜崎あゆみの「音楽が持っているパワー」、「誰も取りこぼさない世界や視線」を感じさせるパワーだったのではないか。

エレファントカシマシも、宮本浩次も、浜崎あゆみも、そのパワーが他と桁違いで圧倒的だったのではないか。誰も取りこぼさないパワーが。

 

最後に、『news23』のエンディングテーマになった宮本浩次の「close your eyes」を貼りたい。

 

 

それと、『それSnow Manにやらせて下さい』、TVer で見られるのでぜひ見てほしい。あゆの口から椎名林檎や宇多田ヒカル、安室奈美恵や MISIA の話、そして、11月に宮本浩次が『SONGS』に出たときに話してた「皆が喜ぶものか熱いものか」に通じる話もあゆはしてるから。

 

『それSnow Manにやらせて下さい』 TVer はこちら→

https://tver.jp/episodes/epkkm7uc3s?p=7204

THE LATHUMS
2025年10月14日(火) SPACE ODD

 

 

ザ・ラサムズ(という読み方でいいのか)の初来日公演。

 

ザ・ラサムズは 2018年にイギリス・ウィガンで結成された 4人組ロック・バンドで、ザ・スミスやアークティック・モンキーズから影響を受けた正統派の UKギター・ロックを奏でる。

ここより → https://guitarmagazine.jp/news/2025-0709-thelathums/

 

会場の SPACE ODD に来るのは 2回目で、キャスト以来なのだけど、ラサムズを聴いたときキャストやラーズを思い出したし、何より、オアシス来日を目前にしてラサムズを観られるのはなんだか嬉しい。彼らが結成されたイギリスのウィガンはグレーター・マンチェスターにある町で、マンチェスターとリヴァプールの中間あたりだとか。

 

会場に入ると早速、ビートルズがかかるし、ティアーズ・フォー・フィアーズ、ブラー、イーグルス、そして、ラーズがかかってテンションが上がる。特にラーズは嬉しかった。ボーカルの声とか、ラサムズにはラーズから受け継いでるもの大きい気がするから。

 

ボーカルは腹にずしんと響いてくるし、ギターもベースもドラムも客席に向かってパワーを放出してて、バンドはこうでなくっちゃ!と思った。

 

そのとき私は、先月のエレカシ野音を思い出していた。エレカシはいつだって最高、最高なんだけど、石くんも成ちゃんもミヤジに向かってじゃなくて、もっとこう客席に向かってパワーを放出してくれても…いや、してるのか、あれが良いのか…とか考えてしまった。成ちゃんは弾いてるだけで放出してるし、でも石くんはミヤジに促されなくてももっと前に…とか。

 

とにかく、ラサムズ良かった!

 

「Artificial Screens」はブルージーにギターが炸裂してて吃驚した。こんな曲だったのかと。

 

音がでかい!

 

誰かも言ってたけど、The 1979 とは違うイギリスのロックの魅力。

 

オアシスの前に観れて良かった!

 

しかも初来日。初来日公演を観られるのって嬉しい。

 

2月の ap bank fes の記事を書いてから、次に 9月の「俺たちの野音」のことを書いてますが、その間に行ったライブのことをメモ程度に書いておきたいと思います。(本当は熱く長く書きたかった)

 

3~8月の分。半年分!

 

 

チャラン・ポ・ランタン めでたいライブ!
2025年3月7日(金) 東京キネマ倶楽部


「めでたいライブ!」って何がめでたいのかわかってなかったけど、でもいつもチャラン・ポ・ランタンのライブはめでたいもんね?と思っていたら、後に、小春さんが結婚して、離婚して、再婚して、妊娠して、出産していたことがわかり……。

めでたいライブというだけあって、音がきらきらしてて、めでたかった。登場の仕方(七福神)もあり、神々しくも感じたし、有難く感じた。

「旅立讃歌」を聴いて、この曲はチャランポが事務所独立したときの曲だけど、チャランポだって今は違うステップにいるわけで、それを何度も歌うということは、人は何度でも旅立てるということなんだと思った。

 

ライブ前の「もう手切れ金!とかアベックむかつく!とかの曲聴けないのかなぁ」という私の会話を聞いてたんじゃないかという小春さんの MC(笑)。

でもきっと、そういうことじゃないよね。うまく言えないけど、チャラン・ポ・ランタンが売っていたのは不幸ではない、それをこれから証明しに行ける!

 

「ただそれだけ」しびれた。


ayumi hamasaki ASIA TOUR 2025 A I am ayu -ep.Ⅱ-
2025年4月8日(火) LaLaアリーナ TOKYO-BAY


↑タワーレコード ららぽーとTOKYO-BAY店 のこれ、嬉しかったなぁ。

 

アジアツアー「I am ayu -ep.Ⅱ-」の初日。この日のライブについて熱く長く語りたいけど、一言だけ言うなら、

 

浜崎あゆみはスーパーロックボーカリストだった。

 

これに尽きる。インスタにはもうちょっと書いたのだけど、決してノスタルジーではない、今を生きてるロックだった。だって、私はちゃんと傷ついたから。傷ついたし、苦しんだし、笑ったし、励まされた。

今どき、「共に傷つこう」と歌ってくれる歌手、なかなかいない気がする。傷つくのは怖い。けど、「共に傷つこう」は「共に笑おう」であり「共に生きよう」だと全身全霊で伝えてくれた。

 

「talkin' 2 myself」のアウトロがすっごくカッコ良くて、そこであゆが(多分)こう叫んだ。

 

“believe in yourself. believe in yourself.
because you have a voice, you have a heart”

 

あと、あゆが「TA!」って呼びかけて(TA=ファンクラブの名称でありファンの愛称のようなもの)、その後に、「TAじゃないけど今日からTAになるみんな!」って呼びかけてて可愛かった。

 

 

高円寺びっくり大道芸2025
2025年4月27日(日)

 

ブログには書いてなかったけど、1月に「さいたま新都心大道芸フェスティバル」にも行って、そこでゼロコに心掴まれた。高円寺では、そのゼロコと、SUKE3&SYU、チャラン・ポ・ランタンを観ることができた。加納真実も少しだけ。

 

街や景色も楽しめるし、大道芸は機会があれば行きたい。

 

 

大森靖子 「自由字架 2025」
2025年5月9日(金)1stステージ ビルボードライブ東京

 

憧れのビルボード。はじめてだったけど、靖子ちゃんのライブだと思ったら安心感があった。靖子ちゃん、軽やかで美しかった。改めて、すごい曲ばかりだし、良い曲ばかり。歌は共感できるかどうかではなく、共感できるかどうかとは別のところで反応しているんだと思った。

 

 

チャラン・ポ・ランタン presents 「春のブタ音楽祭2025 ~空き地deランタンサーカス~」
2025年5月18日(日) 下北線路街空き地

 

 

今回は初チャランポの友達とも行けて嬉しかったし、楽しかったなあ。

 

 

宮本浩次 Birthday Concert 最高の日、最高の時
2025年6月12日(木) ぴあアリーナMM

 

入場時に、腕に巻き付けるライトが配られて、え?え?とドキドキした。テイラーの影響か!とも思ってテンション上がった。

 

ひえー!歌うまい!と心の中で悲鳴あげてた。

 

見て!宮本浩次のこのインスタ!

 

 

 

チャラン・ポ・ランタン RANTAN-CIRCUS 2025
2025年6月29日(日) Club eX

 

昨年に続いて、今年も素晴らしかった。いや、昨年素晴らしかったから今年はどうだろうと思っていたら超えてきた、って方が正しいか。

 

「ページをめくって」はもともと自分にとっても特別な歌だったけど、この日の「ページをめくって」は、一瞬何が起こったのかわからなくて、頭でそれが「ページをめくって」だとわかるより先に私の中の何かが反応した。脳の処理より早く、これは私のためのイントロだ!と確かに鳴り響いた。数秒の出来事なのに、スローモーションのように感じられた。

このときの私がページをめくらざるを得ない、でもなかなかページがめくれない、そんなときだからより響いたのかも知れない。こんな風に、私のために鳴り響いた!と思う瞬間はなかなかなくて。これは、私のページをめくる音だったのかも。震える瞬間だった。

 

「ページをめくって」 → https://youtu.be/Cf-BlUoNeD4?si=IeMwWYjxBnYwFt1f

 

後から、小春さんの息子のこと、Mito の曲について知ることになるけど、このランタンサーカスで歌われた新曲「Mito」の映像を貼っておきたい。

 

 

同じくランタンサーカスで歌われたもう一つの新曲「VIVA!生きる」。

 

 

Mito の曲について。(小春さんの note より)

 

 

 

ayumi hamasaki ASIA TOUR 2025 A I am ayu -ep.Ⅱ-
2025年7月24日(木) TACHIKAWA STAGE GARDEN

 

立川、すごいアートでお洒落なエリアができてた。

 

LaLaアリーナから続いてるアジアツアー「I am ayu -ep.Ⅱ-」、この日はホール。ホールならではの近さを感じながら、改めてハード&タフなセットリストを受け止める。

 

 

Billie Eilish HIT ME HARD AND SOFT:TOUR
2025年8月17日(日) さいたまスーパーアリーナ

 

直前にオープニングアクトが発表され、私が行く日は藤井風って!(前日は YOASOBI )

 

↑藤井風

 

藤井風、ファニーだったなぁ。好きになっちゃいました。

Hachikō、もしかして日本のライブで初披露? 聴けて嬉しー!

 

↑ビリー・アイリッシュ

 

前回の来日公演より親密に感じられた。

低音が地を這うようなのに、天にも昇るような気持ちにもなるし。

歌うまいー! 「THE GREATEST」とか昇天しそうに。

 

 

と、半年分、一気に書いてしまいました。

そして、9月にエレカシ野音、10月にオアシスと宮本浩次に行ったのですが、10月にもう一つ行ったのですよね。それについてはまた別記事で書ければと思います。

オアシス@東京ドーム(10/26)→宮本浩次@日本武道館(10/27)に行ってきた。

 


 

 

I'm a Rock'n'Roll star(Oasis「Rock 'n' Roll Star」)

 

I AM HERO(宮本浩次「I AM HERO」)

 

やるべきことをやるオアシス。

やりたいことをやる宮本浩次。

どっちもロックだし、オアシスも宮本浩次もどっちも(やるべきこともやりたいことも)やってきたからだろう。

骨の髄までロックンロールに触れることができた二日間だった。

その感動や興奮をすぐにでもブログに書きたかったが、そこからが大変で・・・・・・その話は後で書くとして、まずはライブの話を。

 

 

Oasis Live '25
2025年10月26日(日) 東京ドーム


まず、チケットが取れない。先行とか一般とか追加販売とか全部ダメで、アサヒビールのキャンペーンでチケットが当たるというのでビール買って応募券集めて応募して(その対象のビールも探し回った)。リセールのページを何度もリロードしてはチェックして…。

もうライブまで一ヶ月というところで、「ステージレイアウト確定に伴うチケット追加販売」が告知された。10月3日、先着販売。そこで震える手でスマホを操作しながらなんとかチケットをゲットした。発券するまで(発券しても)なかなか実感がわかなかった。ライブまで一ヶ月切っていた。

私は解散前にオアシスの来日公演を何回か観ているが、チケットが取りづらかったのははじめて観た 1998年の武道館でのライブくらいで、後はすんなりチケット取れたように記憶している。たぶん、2005年に代々木体育館で観たのが最後だ。(その後、2009年にも来日しているが行かなかった)

そして、



これが私がゲットした「注釈付S席」の景色。ノエル側ー!

ライブについては、、、

「オアシス」青春だし、友だちだし、、、

私の青春だかなんだかが成仏したような気がしたし、生まれ変わるとはこういうことかと。

 

バンドの復活で、違和感とか同窓会とかよく言われるけど(私はユニコーン復活時の違和感を思い出した)、私は、やっと、

あるべき姿のオアシス

を観ることができた気がした。オアシスはずっとこうやりたかったんじゃないか。私たちもこんなオアシスがずっと観たかったんじゃないか。

や、わからない。解散前のオアシスこそ本物のオアシスという考えもあるだろう。それもわかる。今(復活後)のオアシスはオアシスじゃないと。けれど私は、オアシスのあるべき姿を観ることができたんだと思った。

それはとても嬉しくて、でもさみしくて、でも嬉しい。

そんなライブだった。

「キャスト・ノー・シャドウ」のとき、人生ままならないことだらけだけど、今この瞬間は胸を張って幸せと言える。そんなことを思って、胸を抱きしめ、抱きしめられる心持ちだった。

LIVE FOREVER!

 

【補足で余談】

 

直前にこの記事を読んで、もう全部わかる、わかりすぎる。オアシスが日本の音楽シーンに与えた影響の大きさがわかりすぎるからぜひ読んでみて欲しい。

 

 

ちなみにこの記事からの流れで、邦楽では「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」や「ホワットエヴァー」方面ばかりに傾いてて、「ワンダーウォール」みたいなヒット曲が思い浮かばないという話を見かけたのだが、浜崎あゆみの「Last Links」が「ワンダーウォール」なのでぜひ聴いてみて欲しい。

 

 

宮本浩次 俺と、友だち
2025年10月27日(月) 日本武道館

 

 

「over the top」からのはじまりがカッコよすぎて、まるでライブハウス武道館! 一人一人席が用意されてるのに、ぎゅうぎゅう詰めで酸素薄い!みたいな。

初っ端から、昨日のオアシスとの違いを見せつけられる。ノエルと宮本浩次は一つ違いで同年代なのに、この違い。動かぬオアシス、動きまくる宮本浩次。

オアシス→宮本浩次と連日で切り替えられるだろうか?と思ってたけど、昨日オアシスを観た後、まったく違う気持ちで観られるから大丈夫だろうと直感したが、その通りだった。

完成に向かうオアシス。破壊からはじめる宮本浩次。

 

凡人-散歩き!

サラリ サラ サラリ!

いやぁ、衝撃だった。

何が衝撃かって、こんなにキラキラして?カラフルで?洗練された?ポップな?明るい凡人で良いのか?と。
 

洗練やポップは言い過ぎかも知れないけど、照明が明るくて、こんなに照明が派手な凡人聴いたことない! 私はエレカシの無愛想でわかりづらい凡人を愛していたから、違和感や居心地の悪さを確かに感じはしたのだけど、同時に痛快でもあり笑いが込み上げてくるような…なんだこの感じ?

エレカシの「凡人-散歩き」には、これがわかるかオリャー!みたいなものがあってそこに痺れるけど、この宮本浩次「俺と、友だち」バンド(以下、俺友バンド)の「凡人-散歩き」には、これがわかるかオリャー!みたいなものが、……ん?、ないわけではないなぁ?、あるよなぁ?、全然違ってはいるんだけど、根底にあるものはある?

でも、この凡人には、エレカシの凡人にはない “わかりやすさ” みたいなものはある気がする。「売れる曲と良い曲」で書いた、わかる・わからないの話を思い出した。

(ちなみに前に「凡人-散歩き」について熱~く?書いたので良かったら→ 「おかみさんは南向きに布団干す」

 

「サラリ サラ サラリ」は、流れるように?素晴らしかった。

オアシスも宮本浩次も「ロックバンドってこんなにかっこいいんだぜ!」というのが伝わってくるライブだったが、ひとたびエレカシの曲をやると、エレカシが睨んでるのを感じて、エレカシの凄みも伝わってきた。

俺友バンドがエレカシの曲をやりだすと、エレカシがその演奏をぐっと睨んでるのを感じるというか、ちゃんとやってるか?と見張ってるエレカシの視線を背後に感じてぞくっとした。

エレカシとかソロとかいろいろあるけど、曲の方が選んでるんじゃないか。曲の方がエレカシなりソロなり俺友バンドなりに「やりなさい」と言ってるというか。

 

とにかく、鳴らされる音を私がどう感じるか、それがすべてだ!
 

「It’s only lonely crazy days」と「Hello. I love you」は、エレカシでもまだライブでやってないエレカシの曲をエレカシより先にライブでやっちゃうんだ…という気持ちがなくもないが、この武道館の前に下北沢で開催された俺友バンドの初ライブ(10/8)、そこにトミ(冨永義之)がいたら、また気持ちも違っただろうとも思う。下北沢でその 2曲演奏されたというし。

武道館の前に下北沢でライブがあったこと、そこにトミがいる予定だったこと、忘れない。
とはいえ、エレカシでは今はその 2曲はライブでやらなかった(やれなかった)、そのことも受け止めたい。

 

宮本浩次の新曲「I AM HERO」を聴いて、私は、

 

“悲しみの地平線”

 

に衝撃を受けた。

 

地平線ってことは、果てしないってことだ。果てしない悲しみ。悲しみの向こうに、また、悲しみ。前に、下記ブログでも書いたが、やはり、宮本浩次は「悲しみの人」だと確信した。

(「悲しみの果て」から「悲しみの地平線」へってことでもあるのか)
 

 

が、今回はそこに「愛」が加わった。宮本浩次は「愛と悲しみの人」

 

そして、上記ブログでもう一つ、「野望」についても書いてる。宮本浩次は「野望」を持っているのかどうかについて。

 

それも今回「I AM HERO」ではっきり歌われてる。

 

“俺の野望”

 

ああ、これか、これなのか? この「野望」こそが、宮本浩次を俺友バンドへと突き動かし、エレカシにはなかったものなのか?

 

この「野望」こそ、宮本浩次がエレカシに持ち込みたくなかった(持ち込めなかった)ものなのか?

 

「俺と、友だち」始動を知ったとき、そこにトミの名前があることを知ったとき、私は、その手があったか!と思ってしまった。それは、ここで書いてたようなことに対して。

 

 

まぁとにかく、宮本浩次は「昇る太陽」で余裕を感じるまでになってたし(あくまで私感)、武道館でソロというのも新鮮だった。武道館というとエレカシと結びつきが強いから、「昇る太陽」で武道館の日の丸を見ながら、ああ、これはソロなんだ…って。

 

「冬の花」は特に、奥野真哉のキーボードやアレンジで、小林武史がいるときとの違いを感じた。

 

最後が「First Love」だったのは、これが俺友バンド(とお客さんと)のファーストライブ(ラブ)だからってのもあったのかな、なんて。

あ!「First Love」で、キタダマキのベースに Syrup16g を感じたんだ!

 

……といろいろと書いてきたけど、オアシス→宮本浩次と観て、「バンド幻想を超えた先に」でオアシスの歌詞(のある部分を宮本浩次が好きだと言っていたこと)を書いてたよなぁと思い出して運命めいたものを感じてみたり。

 

 

そして、もうここまでで長くなってしまったけど、ライブの後、そこからが大変だったと書いたのは、まず、仕事が決まりました!

 

長かったー。どんなに楽しいことがあっても、心にはいつも暗く重いものがある日々で。ブログが滞ったりしてたのも、そういうのがあって。でも、やっと、決まった。

 

そしたら、やっと決まって仕事がはじまるというのに、体調を崩してしまって。

 

今やっと回復してきたところです。

 

健康第一ですね!

 

もうすぐ仕事がはじまるけれど、オアシスと宮本浩次のロックを胸に歩いて行きたいです。

エレファントカシマシ「~日比谷野音 The Final~ 俺たちの野音」、配信を見た。

あと、兵庫慎司の「日比谷野音が閉まります」前後編をやっと読んだ。後編で、1992年のエレカシ野音について書かれています。

兵庫慎司の『思い出話を始めたらおしまい』

(第35回)第十八話:日比谷野音が閉まります(前編)
https://lp.p.pia.jp/article/essay/352407/437136/index.html
(第36回)第十八話:日比谷野音が閉まります(後編)
https://lp.p.pia.jp/article/essay/352407/438121/index.html
 

「俺たちの野音」については、感想を前回のブログに書いたが、ライブレポートがアップされた。

 

 

配信を見て、特に付け足せることもない気がするけど、

サポートギターなしのエレファントカシマシ、最高じゃない!?

成ちゃん(高緑成治)のベースがよく聴こえてすっごくかっこいいし、シンプルに削ぎ落とされた、化粧なしのエレファントカシマシって感じ。

配信で顔の表情まで見たら、宮本浩次が爆発できるのはやはりエレファントカシマシじゃないのか?って思った。でも、爆発ばかりしてたら壊れてしまうし、爆発しないでいられるのがソロなのか?とか。

というか、「ズレてる方がいい」→「RAINBOW」→「奴隷天国」→「男は行く」→「ファイティングマン」、やばくない? 限界越えてないこれ?
私よく生きて帰って来られたなぁ。百歳年取って百歳若返った気分だ。

なので、配信は1回しか見れなかった。
 

で、前回、「なぜだか、俺は祈ってゐた。」のときに思ったことを書き忘れてて。

 

この曲は、こう歌い出す。

 

 子供の頃俺は、毎日精一杯生きて、いつの日か誰かの為に
格好よく死にたいと、そればかり思って、涙流してゐた。
涙を流してた。

 

あの日、私はこれを聴いていて、「宮本さん、夢叶えてるじゃん」って思ったんだ。

 

いや、宮本さんは死んでいないし生きているんだけど、「誰かの為に死んでるじゃん」って思ったんだよ。

 

誰かの絶望、痛み、悲しみ、苦しみ、挫折、願い……報われなかった思い、死ねなかった思いの為に、宮本浩次は何度も死んでいる。だからこそ、あんなに壮絶で美しくて激しくて穏やかな歌を歌えているんじゃないかって。

あなたや私の代わりに宮本は死に、そして、生き返る、あなたも私も宮本も。「天才とは、何遍でも死ねる人」という言葉を思い出す。

 

 

 

そんな野音の後は、怒濤のニュースラッシュが続いているわけですけど。

 

 

「俺と、友だち」って何、ヒップホップアーティストみたいなことやるの?ってドキドキしてたんです。

それはジャンル的なことを言ってるんじゃなくて、なんていうか、友達たちと入り乱れて自由にやるっていうかモニョモニョ…って思ってたら、第一弾が発表されて、やっぱりこれだー!こういうことだー!と思いまして(いや、メンバーまでは予想できなかったですけどね)。私が言いたかったのはこれなんですよ!

 

『チーム友達』

 

 

 

(千葉雄喜も北区だし…)

 

ミヤジ、これをやるために事務所独立したのかと思っちゃう。

 

興奮して投稿した X のポストをここにも書いておこう。

 

エレカシしか興味ない人とソロしか興味ない人をがっぷり四つさせてしまう宮本浩次。 

エレカシしか興味ない人にもソロしか興味ない人にも言い訳させない宮本浩次。

 

つまり、私たちももう逃げ場はなくなった。

 

宮本浩次が最新の JAPAN でのインタビューで(未読)、「自由」とか「不自由」とか言ってるみたいで、またこれを思い出した。

 

 

私は、エレカシの魅力は「不自由さ」にあると思っていた。打ち込みに走ろうが、プロデューサーに頼ろうが、宮本のワンマンバンドだと言われようが、そんなことは気にせずに音楽をやっても良いのに、その中で葛藤していたのは誰よりも宮本浩次でありエレファントカシマシであった。それは、「バンド幻想」を捨てなかったからだろう、「バンドの限界」を見つめていたからだろう。エレカシはその「不自由」の先に「自由」を見つけたのだ。

 

そうか。自由とは、逃げ場がなくなることなのかも知れない。

 

あ!下北沢×エレカシってことで、このときのことを思い出したので読んでくれたら嬉しい。書いといて良かった!って今になって思えたから。