ラフラフ日記

ラフラフ日記

主に音楽について書いてます。

約4ヶ月ぶりの更新になってしまいました。

 

これが終わったらブログ再開しようと思ってたら、これがなかなか終わらず、いつまで経っても再開できずに、むしろブログやってた方が良いんじゃないか?と思い、再開することにしました。

 

今はもう 8月で、前回エレカシ新春ライブの記事を(4月に)書いてから更新してないから、書いてないライブも溜まっていて、でもそれは書かなくても良いんじゃないかとも思ったのですが、リハビリがてら(?)書いていこうと思い。なので、全部を書くというよりかは、書いておこうと思うことだけ書いていくというような、ライブレポでもなんでもない、そういう感じになります。いつもそうかも知れませんが…。

 

まずは、

 

ap bank fes '25 at TOKYO DOME ~社会と暮らしと音楽と~
2025年2月16日(日) 東京ドーム

 

 

東京ドームで歌う宮本浩次を観てみたい!その一心で。

 

といっても、その思いは宮本浩次がソロ活動をする前からあったから、東京ドームでライブするエレファントカシマシを観てみたいということになるが、実際にそれが観たいかどうかということよりも、東京ドームでライブするくらいのスケールがエレカシにはあるのにとか、東京ドームでライブするあのバンドとかあのバンドくらいエレカシにもスケールがあるのにとか、そういう思い。

 

宮本浩次は Bank Band のゲストアーティストとして最後に登場し、観客はほぼ総立ちになった。私は驚き、でもそうだよなと思った。それまでいろんなアーティストを観てきて、どのアーティストも良かったけど、この人にしか沸かせないものがあるんだと感じた。ワンマンやフェスでは気づきづらいことに気づかせてくれた。

 

宮本浩次はエレカシの「今宵の月のように」と「悲しみの果て」を歌い、ソロの「冬の花」と「ハレルヤ」を歌った。エレカシの 2曲ではドン!ドン!と響いてそれだけで届いてくる感じで、ソロの 2曲でドームの屋根を突き破っていっちゃうかと思った。ドームで屋根の存在を感じたのははじめてかも知れない。

 

宮本浩次の好きなところは、椎名林檎のライブのときにも思ったけど、どんなに凄いアーティストと共演しても、目の前のお客さんに向かって歌ってくるところで。そんなこと当たり前かも知れないけど、これがなかなか、目の前のお客さんに向かい続けるっていうのは…。伊達に「エビバデ!」って叫んでるんじゃないんだ。

 

ただ、この日は、それだけじゃなく、東京ドームという建物にも対峙しているように見えた。屋根を見据え、会場全体を把握するような、そして、会場の向こう、会場にいない人たちにも届くように歌っているような。空に向かって歌っているような。声が屋根を突き破っていっちゃうように思えたのもそのためかも知れない。

 

「バンドは山に勝たなければいけない」とはこういうことか。そこにいる観客だけに歌っていない。

 

東京ドームのおかげで、宮本浩次のスケールのデカさを体感できた。

 

そして私は、宮本浩次がソロ活動をする前から「エレカシには東京ドームでライブするスケールがあるのに」と思っていたわけだから、この日宮本浩次がエレカシの曲を歌ったら「なんでエレカシじゃないんだ」みたいな複雑な気持ちになるのかと思ったら、不思議なくらいなかった。

エレカシで立ってるのと同義に思えたというか、いや同義ではないんだろうけど、エレカシも立てることが証明されたような、エレカシも立ってると思えたというか。

 

こういう形でエレファントカシマシが伝わることもあるんだ。

 

Bank Band のゲストという形も良かったのかも知れない。

 

宮本浩次がソロをやってて良かった。

 

それと!

 

宮本浩次と櫻井和寿が歌う「東京協奏曲」、生で聴けて本っっ当に良かった!


行ってきてすぐのインスタ → https://www.instagram.com/p/DGVHLo0PSiB/


全アーティスト観て、全アーティストそれぞれ良かった。Salyu の歌声も聴けた。


東京QQQ のパフォーマンス、QQQ(サンキュー)デパート最上階の「迷子」で自分のことを言われたとどきっとしてしまった。超メジャーなアーティストたちの中で、「生きて!」という切実な生きる力のメッセージ受け取って、刺さった。

メンバーの中に宇多田ヒカルとコラボしたアオイヤマダもいたと後で知ったし、あゆとも関わりある Oi-chan が関わってると知れて嬉しかった。


桜井さんが KAN の話をしてくれて、KAN の歌(50年後も)を歌ってくれたのは嬉しかったなぁ。



エレファントカシマシ 「新春ライブ 2025」
2025年1月3日(金)4日(土) 日本武道館

 

 

行ってきてすぐのブログにも(そこに貼ったインスタにも)書いた通り、「これがロックだった」と思い出すようなライブだった。私にとってのロック、私の思うロック、25年前、私はこのロックに出会ったんだ。それがずっと、今も、続いてる。

 

初日を観て、「これでエレファントカシマシとソロ(宮本浩次)が完全に分離した」と思った。バンドにはソロを、ソロにはバンドを持ち込ませないような雰囲気。でも大丈夫、ソロというスペースも私にはできたから(※1)、これからはバンドとは別でソロと向き合って行くことができるだろう。(※1:ソロ5周年ツアーのとき、自分の中に新たなスペースを感じた)

 

しかし、バンドとソロの分離を感じながらも、4人がまた「エレファントカシマシ」に出会っているようにも感じられた。『Wake Up』(2018年)でエレファントカシマシとの決別があったと宮本は語っていたけど、4人が再びエレファントカシマシに出会った!とも感じた。

 

最近というかここ数年、エレファントカシマシというコップがあったら、そのコップは水一杯溢れそうだったのに、その水が減っている? つまり、また注げそうになっている? そういう余白を私は感じた。

 

凄いのに、宮本浩次に余裕を感じた。冷静に見えたところも。

 

3000人限定の武道館ってこんな感じだったのかなと思う瞬間があった。


あの曲とかあの曲とか、、、。

例えば、す~ごくわかりやすく言うと、無職の歌を歌ったって、お前は稼げてるじゃん!ってなると思うんだよ。宮本浩次が今、“あわれなる珍奇男” って歌ったって、全然あわれじゃないじゃん!って。でも、エレカシの場合、それがものすごい説得力を持って放って伝わってくる。

 

これがロックだったよなぁ。

 

成ちゃんのベース、かっこいいぃーーー!

 

2日間観終わって、凄まじかった。

 

ソロも十分素晴らしいけど、こんなに胸が焦げ付くのはなかった。でも、ソロが必要なことも十分理解した。

 

ライブ全部素晴らしかったけど、「yes. I. do」から最後の曲までが凄かった。

 

「愛すべき今日」、すっごく嬉しかった!

 

大空に吸い込まれて君にさへ届かないどころじゃなかった。歌が大空になって、私の胸をいっぱいにした。胸がいっぱいすぎて、窒息しそうなほど、生きているのを感じた。

 

“この空にもう一度 愛のうた 唄おう”

 

歌が大空なら、バンドは大地。

 

そういえば、1曲目は「大地のシンフォニー」だった。大地からはじまって大空まできたような、そんな凄いライブだった。

 

からの、“貴様らに聞かせる歌などなくなった” の「男は行く」。痺れた。固まった。

 

からの、「待つ男」。

 

この世のすべてを飲み尽くし吐き尽くし世界を変えてしまうような・・・

 

こうして私の 2025年ははじまった。

ayumi hamasaki COUNTDOWN LIVE 2024-2025 A ~I am ayu~
2024年12月30日(月) 国立代々木競技場第一体育館

 

 

あれから 3ヶ月半、4月8日のライブに行ってきた状態で(凄かった!)、カウントダウンライブの記事を書くという。もう何から書いたらいいのやら、いろいろと混ざってしまいそうだし。

 

行ってきてすぐ年末年始に感じた「本物」のことという記事は書いてて、それ以上のことを書けるとは思ってないけど、熱いライブだった。


すぐ側の NHKホールでは紅白歌合戦が行われ、音楽関係の話題やトピック、チャートやニュースなどを横目に、もう浜崎あゆみは世間の流れとは関係ない存在になってしまったのかなぁ?とか思うときもあったけど、違った。先の記事でも書いた通り、

 

ここが世界のど真ん中

 

って本気で思った。流行り廃りじゃないというか。なんというか、

 

真っ赤に燃えていた

 

私は “すごいもの” を見ているんだという実感に震えた。

 

冒頭から、アジアツアーを実演してきた浜崎あゆみ一座の気迫をびんびんに感じる。

 

アジアツアー、上海メルセデス・ベンツアリーナでは、テイラー・スウィフト、アリアナ・グランデ、ブルーノ・マーズ、ジャスティン・ビーバーなどの記録を超え、海外アーティストの歴代観客動員数を更新したのだとか。

 

“アジアの歌姫”浜崎あゆみ、中国・上海でテイラー・スウィフト超えの観客動員数を記録

https://natalie.mu/music/news/598513

 

確かにそういう情報は頭に入ってたけど、それはあくまで情報で、情報ではなく実感として目の前に迫ってきた。

 

あまりこういうことを言うのは好きではないし、本物とか偽物とかあるの?って思ってるけど、今回ばかりは思った。“本物だ” って。そういうことを考えて意識して思ったのではなく、気がついたら、“本物だ” ってつぶやいてたような。

 

わぁ!あゆだ!本物だ!実在してるんだ!っていう意味の本物ではなくて、歌う存在としての本物。

 

そりゃ歌うわって思ったというか。あゆはなぜ歌い続けるんだろうっていったら、本物だからだ!みたいな。

 

歌い続けるから本物なのではなく、本物だから歌い続ける。「本物になる」のではなく、「もともと本物」。

 

歌うしかないじゃん、みたいな?

 

もうこのライブ記事はここで終わりでもいいのだが(時間も経ってるし)、翌日の大晦日に「Dearest」であった音響トラブルについて書いておきたい。「Dearest」であゆのマイクが入らなくなってしまったのだ。そのときの様子(動画)があゆのインスタにアップされているので見て欲しい。

 

 

音響トラブルに気づいたお客さんたちが一斉に歌い出す。私も生中継で見ていた。

 

すごく感動したけれど、ちょっと考えてみた。

 

これがエレカシなら、音響トラブルに気づいた瞬間、演奏をやり直すんじゃないかって。もちろん、時と場合によるし、あゆの場合はカウントダウンも控えているし、この演出だから止められないというのはあるだろう。あゆだって、場合によってはやり直すこともあるだろう。

 

だがここでは、演奏を止めてやり直したりはしなかった(できなかった)。そこで、浜崎あゆみのライブにおいて優先されるものは何なんだろう?と考えてみたのだ。

 

エレカシならやり直すとして、それは、「歌と演奏を聴かせる」ことが最優先だからだろう。

 

では、あゆは? 「歌と演奏を聴かせる」ことが最優先なんじゃないの? 「歌と演奏を聴かせる」より優先することがあるの?――と。

 

いや、あゆだって、「歌と演奏を聴かせる」ことが最優先には違いない。今回はそれよりも「演出」を優先したのか? 確かに、神輿に乗ったあの状態でやり直してしまえば、興ざめしてしまうだろう。しかしそれは、「演出」を優先したというよりも、「止められない時間の流れ」を優先したのだと思った。そして、この「止められない時間の流れ」というものは「歌と演奏を聴かせる」ということと密接に関わっている。

 

そこに「止められない時間の流れ」があるからこそ、歌と演奏が生きてくる、歌と演奏が生まれる。そういうことを思った。

 

えっっっと何が言いたいのかというと、その「止められない時間の流れ」に「音楽」を感じたんだよ!

 

話を自分が行ったライブの話に戻すと、「SURREAL」の、

 

“私は私のままで立ってるよ”

 

がものすっごい響いた。何度も聴いてるはずの歌なのに、叫びに聞こえたし、私も叫んでた。叫び合ってた。あれは何だったのだろう。

 

アンコールは撮影OK だったので撮ってみた。

 

ゲストに浦田直也登場!

 

 

今回、朝ドラ『おむすび』や FNS歌謡祭を見て、チケット買って、あゆのライブに行った人もいたみたいだ。

 

そんな中、とても嬉しく素晴らしい記事を見つけたのでシェアさせて下さい。ぜひ読んで欲しい。

 

 

貫き闘ってきた人でなければ放てない強さ、人が人の力でつくりあげるエンタテインメント・ショー、自分の足で泥臭く歩み続けてきたアーティストだからこそつくりあげることが出来るもの……嬉しい言葉がたくさん! 嬉しいだけじゃなく、鋭くて、本当にその通りで。

 

その中の、あゆは「SEASONS」を昇華させたという話。そこで私は、自分が中島みゆき「時代」のカバーを聴いたときのことを思い出した。

 

 

私は、上記の記事の方とは違って、「SEASONS」のころはファンではなかったし、きっと呑気に聴いていた(上記の方は当時「SEASONS」を呑気に聴けなかったという)。それどころか、絶望をファッション化するな!と思っていた。そんな私があゆを好きになって、「時代」のカバーを聴いて、形は違っても時を経て上記の方と同じように、私も「SEASONS」の昇華を感じることができたのかも知れない。

 

まさに、「巡り巡って」響いたのだ。

 

******

 

そして、カウントダウンライブの記事に書くのは大分時差があってなんですが、

 

今日からドラマ『続・続・最後から二番目の恋』がスタートですね! 主題歌は、浜崎あゆみの新曲「mimosa」!(3期連続!)

 

その MV がさきほど 19時に解禁された。

 

 

ドラマといえば、『人事の人見』は宮本浩次の新曲「Today -胸いっぱいの愛を-」が主題歌ですね! どちらもフジテレビで、月9が浜崎あゆみ、火9が宮本浩次なんて、なんて春だ!

 

4月8日のあゆのライブ、ABEMA で 17日まで配信中です! → https://abe.ma/3EnNojm

昨年のことだけど、しれっと書いてます(笑)。読んでくれる方、ありがとうございます!

 

チャラン・ポ・ランタン ツアー2024「メイド・イン・ガレージシャンソンショー」
2024年12月23日(月) duo MUSIC EXCHANGE

 

チャラン・ポ・ランタン(チャランポ)とガレージシャンソンショー(ガレシャン)のツアー。

 

「私たちは、ガレシャンの背中を見て育ちました。」

 

(チャラン・ポ・ランタンツアー2024 告知より)

 

 

昨年の桑山さん(桑山哲也)とのライブに続いて、楽しかった!

 

チャランポとガレシャンの共演は 2013年に一度観てるのだけど(私がガレシャンを観るのもそのときぶり!)、そのときより、ずっとチャラン・ポ・ランタンが大人になってた。

 

11年前の共演が、憧れの師匠と共演!で目がハートマークになっていたのだとしたら、今回は、憧れはそのままに、チャランポがしっかりガレシャンと向かい合ってて、二組によるケミストリーが起こってたと思う。色気が漂ってた!

11年前はももちゃんが笑い転げて歌えなくなってしまったりしてたけど、今回は動じずに歌ってたもの。

 

2013年の共演のときのブログ(写真あり)

チャラン・ポ・ランタン presents 『つがいの悲喜劇』


前は交互に出てきて最後にコラボという形で、コラボ以外はお互いがお互いのステージを邪魔しないようにしてた感じだったけど、今回はライブハウスという密な会場がそうさせたのもあるだろうけど、ずっと 4人が同じステージにいたというか、ずっとお互いの存在や気配を感じてた。

まさに「この 4人じゃなきゃ作れないショー」で、それは、お互いを邪魔しないようにしなくても、がちっと向き合っても、チャラン・ポ・ランタンがチャラン・ポ・ランタンとして立っていられるようになったからだと! もう大分前からそうなってたと思うけど、こうしてガレシャンと立つと改めて感じる。

 

ガレシャンのアルバム『異父母兄弟 異父母姉妹』にチャランポがぞれぞれ参加した「憂いの窓辺」(もも)、「自堕落論」(小春)も聴けた。

「自堕落論」の小春さんのボーカル好きだから嬉しい。じだらっく! こういうやけっぱちだけど力強くて、怖いけどチャーミングなボーカル本当うまい~。

「憂いの窓辺」は、チャランポでは聴いたことのないももちゃんの裏声にぞくっとした。

 

佐藤さん(佐藤芳明)と小春さんの 2人きりの演奏は、二人のレッスンの場面を想像して、垣間見るようだった。そう、佐藤さんは小春さんの師匠なのです。

 

そして、この日発表になった、「第75回NHK紅白歌合戦」にももちゃん出演のニュース!

 

一緒にお祝いできて、喜ぶことができて、嬉しかった。

 

ももちゃん「やったーーー!」って。良いね!

 

椎名林檎ともも「ほぼ水の泡」で紅白出演。

椎名林檎『放生会』の共演者でいえば、新しい学校のリーダーズだって、のっち(Perfume)だって、AI だって、いたわけでしょ? そこで、ももちゃんなわけだから。

でも、ももちゃんに大物歌手のような風格を感じたあの日から、紅白の大舞台で歌うところを想像してたよ!

 

でも、その話のときに、「ほぼ水の泡」ではアコーディオンを佐藤さんが弾いてて MV にも出てるんだけど(だから紅白でも佐藤さんが弾くんだと思ってた)、その佐藤さんが、

 

「(アコーディオンを弾くのが)なんで小春じゃないんだよ!ってみんな思ってるよ」

 

って言ったんだよ。

「そんなことないよ」と小春さん言ったけど、佐藤さん重ねて、「思ってんだよ!」って言ったの。

 

私それにぐっときてしまった。なんで小春じゃないんだよ!って一番強く思ってるのは佐藤さんかも知れない。

ももちゃんの紅白出場はめでたいし、本当に嬉しいけど、私もその気持ちを忘れないようにしようと思った。

 

紅白には、佐藤さん出ていなかったと思う。

 

そして紅白のとき、小春さんの方ではこんなことがあったとは…。

(ここだけの話、私これエレカシ新春に行く前に見てしまって、思い出し笑いしそうになってヤバかったです)

 

 

 

ライブ前に入った「名曲喫茶ライオン」。宇多田ヒカルもお気に入りだとか。

楽しい時間はあっちゅう間~~~! Electricity かなにか!

書いてないライブが溜まっていて、結構前の話になってしまうけど、書いていきます~。前の話なので、ライブレポートというより、それにまつわる話みたいになってしまうと思いますが。

 

浅井健一 OVER HEAD POP TOUR
2024年11月22日(金) EX THEATER ROPPONGI

 

前からじわじわとベンジー(浅井健一)のライブに行きたくなってきてたのだけど、2024年7月にブランキー(BLANKEY JET CITY)の曲がサブスク解禁され、ラストワンマンライブ『LAST DANCE』の映像がプレミア公開され、それを見て、いよいよ決定的にベンジーに会いに行きたくなった。行かなければと思った。
2021年6月に AJICO でベンジーを見てはいるけど、フルでベンジーが歌うのを観たくなったし、ベンジーの歌に触れたくなった。私は特に、SHERBETS のライブに行きたかったのだけど。一番ライブ観てるのも、思い入れがあるのも、SHERBETS だしね。

それで、2021年6月の AJICO は別とすると、私が最後にベンジーを観たのはいつなんだろう? もしかして、2004年7月の『0724 YAMABIKARI』? 東京事変、フジファブリック、エレファントカシマシ、JUDE が出演した神戸の真夏の夜の夢。ええ? それぶり? 20年ぶり?

 

 

というわけで、浅井健一のライブに行ってきた。SHERBETS、JUDE、AJICO は行ったことあるけど、ソロ名義ははじめて。

ちなみに、私がはじめてベンジーを生で見たのはブランキーの『LAST DANCE』なのだ!

 

ライブがはじまってすぐ、自分の中で「地殻変動」が起こってるのを感じた。と同時に、ああこういうことか!と、自分が求めてるものを感知した。

 

少し前に「2000年代 Jポップ・ベスト・ソングス100」を考えたり、振り返ったりしてる中で気づいたことがあって、それは、あゆ(浜崎あゆみ)を好きになってから聴かなくなってしまった音楽があるなってこと。私があゆを好きだと自覚したのは 2004年ごろで、そのころから聴かなくなってしまった音楽がある。

それは、浜崎あゆみショックというか、(あゆを)嫌いだったのが好きになったわけだから、それを噛み砕くのに必死で。まぁ、それくらい浜崎あゆみに夢中になったから、置いて行かざるを得ない音楽があったということだ。

今になってそのことに気がついて、最近また LOVE PSYCHEDELICO を聴いてやっぱり良いなと思ったり、あのころから聴かなくなってしまったけど、好きじゃなくなったんじゃなくて、好きだけどどうしても置いて行かざるを得なかったんだと。

 

そういう中に「浅井健一の音楽」もあるんじゃないか。いやむしろ、ベンジーの音楽こそ「聴かなくなってしまった音楽」のラスボス的存在ではないか。

ベンジーの場合、エレカシ(エレファントカシマシ)の存在も大きい気がするけど。前に書いた通り、私はサリンジャー(浅井健一)ではなくドストエフスキー(宮本浩次)を選んだのではないかというのがあるし。

 

とにかく、「好きだけど置いてきた音楽」を取り戻す。

それがここ最近(数年)の私が求めていることなんじゃないか。

だから、ベンジーのライブに行きたくなったんじゃないか。

 

そうして、ライブがはじまると、「好きだけど置いてきた音楽」が「今好きな音楽」に揺さぶりをかけてきて、自分の中で「地殻変動」が起こっているのを感じたのだ。

自分の中の音楽地図がもう一度書き直されていくみたいな。

 

ベンジー、かっこよかった。

 

これはもしかしたら今だから気づいたことかも知れないけど、ベンジーの音楽や存在に触れると元気になるなって。

 

ブランキーとか SHERBETS とか、その音楽に触れるのは、傷つきに行ってたようなところがあるというか、そのナイフに刺されに行ってるくらいなものだったけど、けど、そうじゃなくて、元気になってたんだ?みたいな。これは 20年越しだから発見したことかも知れない。

 

ベースの宇野剛史がベンジーのことをこう言った。

 

「日本でファンタジーを歌えるのはこの人しかいない!」

 

私、それだ!って思っちゃって。ブランキーも SHERBETS も「ファンタジー」かも知れない。

 

ベンジーのファンタジーが私を元気にするんだ!って気づいちゃって。

 

ファンタジーって言ったって、ベンジーのファンタジーはリアルよりリアルだったりするし。

 

ある曲で、“宝物はお前のその笑顔なんだ” って歌ってて、どきっとした。私が好きなアーティストってみんなそういうこと歌ってない?

 

それは JUDE「宇宙的迷子」という曲で、

 

“忘れるなよ 目に見えるものが全てじゃない”

 

という歌詞と

 

“忘れるなよ 目に見えるものが全てなんだ”

 

という歌詞が出てくる。

 

これをどちらも書けて歌えるのが浅井健一だとえらく感動してしまった。

 

ブランキーの曲も聴けて、やはり、宮本浩次がソロでエレカシの曲をやるのとは違うなと思った。

 

どう違うのかというと、ブランキーの方は、ブランキーの方があくまで完成形で、それはベンジーがどんな形でやろうと崩れない。ブランキーが完成形として不動にあって、その上で、今ベンジーが演奏し歌うブランキーの曲を聴いているという感じ。それでいてソロっぽさはそんなになく、かといって不完全なブランキーという感じでもなく、フレッシュ。

 

エレカシは、エレカシの方も完成形ではなく、宮本ソロと一緒にエレカシも、常に変化してるというか。ソロにはソロっぽさがあり、エレカシにはエレカシしかないものがある。

 

どちらの曲も色褪せないけど、動かない色褪せなさ(ブランキー)と動く色褪せなさ(エレカシ)みたいな?

 

これはやはり、解散してるバンドと解散してないバンドとの違いかなぁ。

 

それと、浅井健一(ブランキー)と宮本浩次(エレカシ)という別れ道で、私がエレカシを選んだのは、エレカシは一緒に歳を取ってくれる感じがしたからなんだと思った。

ブランキーは、ピーターパンのように歳を取らない感じがしたのかなぁ?

 

ブランキーと同じ 3人編成で聴けたのも良かった。ベースの宇野剛史とドラムの小林瞳は若いのかな? ベンジーと同年代じゃなくて、若い人とやるの良いなぁって思ったし、何よりかっこ良かった。

 

この日がベンジー 50代最後のライブだったらしい!

 

「赤いちゃんちゃんこなんか着ないよ」ってベンジー笑いながら言ってた。

 

ダジャレ募集してて、すごいの言った人いたんだけど、なんだったっけ、「浅井健一、朝、意見、一致」だったっけ。

 

 

 

それで私は、「好きだけど置いてきた音楽」を取り戻せたのだろうか。ただ、ベンジーの音楽を必要としたから、ライブに行ったんだろうなとは思った。