オアシス@東京ドーム(10/26)→宮本浩次@日本武道館(10/27)に行ってきた。
I'm a Rock'n'Roll star(Oasis「Rock 'n' Roll Star」)
I AM HERO(宮本浩次「I AM HERO」)
やるべきことをやるオアシス。
やりたいことをやる宮本浩次。
どっちもロックだし、オアシスも宮本浩次もどっちも(やるべきこともやりたいことも)やってきたからだろう。
骨の髄までロックンロールに触れることができた二日間だった。
その感動や興奮をすぐにでもブログに書きたかったが、そこからが大変で・・・・・・その話は後で書くとして、まずはライブの話を。
Oasis Live '25
2025年10月26日(日) 東京ドーム
まず、チケットが取れない。先行とか一般とか追加販売とか全部ダメで、アサヒビールのキャンペーンでチケットが当たるというのでビール買って応募券集めて応募して(その対象のビールも探し回った)。リセールのページを何度もリロードしてはチェックして…。
もうライブまで一ヶ月というところで、「ステージレイアウト確定に伴うチケット追加販売」が告知された。10月3日、先着販売。そこで震える手でスマホを操作しながらなんとかチケットをゲットした。発券するまで(発券しても)なかなか実感がわかなかった。ライブまで一ヶ月切っていた。
私は解散前にオアシスの来日公演を何回か観ているが、チケットが取りづらかったのははじめて観た 1998年の武道館でのライブくらいで、後はすんなりチケット取れたように記憶している。たぶん、2005年に代々木体育館で観たのが最後だ。(その後、2009年にも来日しているが行かなかった)
そして、

これが私がゲットした「注釈付S席」の景色。ノエル側ー!
ライブについては、、、
「オアシス」青春だし、友だちだし、、、
私の青春だかなんだかが成仏したような気がしたし、生まれ変わるとはこういうことかと。
バンドの復活で、違和感とか同窓会とかよく言われるけど(私はユニコーン復活時の違和感を思い出した)、私は、やっと、
あるべき姿のオアシス
を観ることができた気がした。オアシスはずっとこうやりたかったんじゃないか。私たちもこんなオアシスがずっと観たかったんじゃないか。
や、わからない。解散前のオアシスこそ本物のオアシスという考えもあるだろう。それもわかる。今(復活後)のオアシスはオアシスじゃないと。けれど私は、オアシスのあるべき姿を観ることができたんだと思った。
それはとても嬉しくて、でもさみしくて、でも嬉しい。
そんなライブだった。
「キャスト・ノー・シャドウ」のとき、人生ままならないことだらけだけど、今この瞬間は胸を張って幸せと言える。そんなことを思って、胸を抱きしめ、抱きしめられる心持ちだった。
LIVE FOREVER!
【補足で余談】
直前にこの記事を読んで、もう全部わかる、わかりすぎる。オアシスが日本の音楽シーンに与えた影響の大きさがわかりすぎるからぜひ読んでみて欲しい。
ちなみにこの記事からの流れで、邦楽では「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」や「ホワットエヴァー」方面ばかりに傾いてて、「ワンダーウォール」みたいなヒット曲が思い浮かばないという話を見かけたのだが、浜崎あゆみの「Last Links」が「ワンダーウォール」なのでぜひ聴いてみて欲しい。
宮本浩次 俺と、友だち
2025年10月27日(月) 日本武道館
「over the top」からのはじまりがカッコよすぎて、まるでライブハウス武道館! 一人一人席が用意されてるのに、ぎゅうぎゅう詰めで酸素薄い!みたいな。
初っ端から、昨日のオアシスとの違いを見せつけられる。ノエルと宮本浩次は一つ違いで同年代なのに、この違い。動かぬオアシス、動きまくる宮本浩次。
オアシス→宮本浩次と連日で切り替えられるだろうか?と思ってたけど、昨日オアシスを観た後、まったく違う気持ちで観られるから大丈夫だろうと直感したが、その通りだった。
完成に向かうオアシス。破壊からはじめる宮本浩次。
凡人-散歩き!
サラリ サラ サラリ!
いやぁ、衝撃だった。
何が衝撃かって、こんなにキラキラして?カラフルで?洗練された?ポップな?明るい凡人で良いのか?と。
洗練やポップは言い過ぎかも知れないけど、照明が明るくて、こんなに照明が派手な凡人聴いたことない! 私はエレカシの無愛想でわかりづらい凡人を愛していたから、違和感や居心地の悪さを確かに感じはしたのだけど、同時に痛快でもあり笑いが込み上げてくるような…なんだこの感じ?
エレカシの「凡人-散歩き」には、これがわかるかオリャー!みたいなものがあってそこに痺れるけど、この宮本浩次「俺と、友だち」バンド(以下、俺友バンド)の「凡人-散歩き」には、これがわかるかオリャー!みたいなものが、……ん?、ないわけではないなぁ?、あるよなぁ?、全然違ってはいるんだけど、根底にあるものはある?
でも、この凡人には、エレカシの凡人にはない “わかりやすさ” みたいなものはある気がする。「売れる曲と良い曲」で書いた、わかる・わからないの話を思い出した。
(ちなみに前に「凡人-散歩き」について熱~く?書いたので良かったら→ 「おかみさんは南向きに布団干す」)
「サラリ サラ サラリ」は、流れるように?素晴らしかった。
オアシスも宮本浩次も「ロックバンドってこんなにかっこいいんだぜ!」というのが伝わってくるライブだったが、ひとたびエレカシの曲をやると、エレカシが睨んでるのを感じて、エレカシの凄みも伝わってきた。
俺友バンドがエレカシの曲をやりだすと、エレカシがその演奏をぐっと睨んでるのを感じるというか、ちゃんとやってるか?と見張ってるエレカシの視線を背後に感じてぞくっとした。
エレカシとかソロとかいろいろあるけど、曲の方が選んでるんじゃないか。曲の方がエレカシなりソロなり俺友バンドなりに「やりなさい」と言ってるというか。
とにかく、鳴らされる音を私がどう感じるか、それがすべてだ!
「It’s only lonely crazy days」と「Hello. I love you」は、エレカシでもまだライブでやってないエレカシの曲をエレカシより先にライブでやっちゃうんだ…という気持ちがなくもないが、この武道館の前に下北沢で開催された俺友バンドの初ライブ(10/8)、そこにトミ(冨永義之)がいたら、また気持ちも違っただろうとも思う。下北沢でその 2曲演奏されたというし。
武道館の前に下北沢でライブがあったこと、そこにトミがいる予定だったこと、忘れない。
とはいえ、エレカシでは今はその 2曲はライブでやらなかった(やれなかった)、そのことも受け止めたい。
宮本浩次の新曲「I AM HERO」を聴いて、私は、
“悲しみの地平線”
に衝撃を受けた。
地平線ってことは、果てしないってことだ。果てしない悲しみ。悲しみの向こうに、また、悲しみ。前に、下記ブログでも書いたが、やはり、宮本浩次は「悲しみの人」だと確信した。
(「悲しみの果て」から「悲しみの地平線」へってことでもあるのか)
が、今回はそこに「愛」が加わった。宮本浩次は「愛と悲しみの人」。
そして、上記ブログでもう一つ、「野望」についても書いてる。宮本浩次は「野望」を持っているのかどうかについて。
それも今回「I AM HERO」ではっきり歌われてる。
“俺の野望”
ああ、これか、これなのか? この「野望」こそが、宮本浩次を俺友バンドへと突き動かし、エレカシにはなかったものなのか?
この「野望」こそ、宮本浩次がエレカシに持ち込みたくなかった(持ち込めなかった)ものなのか?
「俺と、友だち」始動を知ったとき、そこにトミの名前があることを知ったとき、私は、その手があったか!と思ってしまった。それは、ここで書いてたようなことに対して。
まぁとにかく、宮本浩次は「昇る太陽」で余裕を感じるまでになってたし(あくまで私感)、武道館でソロというのも新鮮だった。武道館というとエレカシと結びつきが強いから、「昇る太陽」で武道館の日の丸を見ながら、ああ、これはソロなんだ…って。
「冬の花」は特に、奥野真哉のキーボードやアレンジで、小林武史がいるときとの違いを感じた。
最後が「First Love」だったのは、これが俺友バンド(とお客さんと)のファーストライブ(ラブ)だからってのもあったのかな、なんて。
あ!「First Love」で、キタダマキのベースに Syrup16g を感じたんだ!
……といろいろと書いてきたけど、オアシス→宮本浩次と観て、「バンド幻想を超えた先に」でオアシスの歌詞(のある部分を宮本浩次が好きだと言っていたこと)を書いてたよなぁと思い出して運命めいたものを感じてみたり。
そして、もうここまでで長くなってしまったけど、ライブの後、そこからが大変だったと書いたのは、まず、仕事が決まりました!
長かったー。どんなに楽しいことがあっても、心にはいつも暗く重いものがある日々で。ブログが滞ったりしてたのも、そういうのがあって。でも、やっと、決まった。
そしたら、やっと決まって仕事がはじまるというのに、体調を崩してしまって。
今やっと回復してきたところです。
健康第一ですね!
もうすぐ仕事がはじまるけれど、オアシスと宮本浩次のロックを胸に歩いて行きたいです。












