エレファントカシマシ 30年目の野音 | ラフラフ日記

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主に音楽について書いてます。

エレカシ 30年目の野音、日比谷野外大音楽堂 2019 に行ってきた。

1日目は、外聴きで。
2日目は、中で。

私が中に入ることができた 2日目は、最初から最後まで雨が降っていた。


エレファントカシマシ 日比谷野外大音楽堂 2019
2019年7月7日(日) 日比谷野外大音楽堂




いやもう素晴らしかった。

エピック時代から「月の夜」などで弾いていた、細海魚。
ポニーキャニオン時代、エレカシの名前がお茶の間に知れ渡った「悲しみの果て」や「四月の風」や「今宵の月のように」を一緒に作った、土方隆行。
ユニバーサルに移籍してから「笑顔の未来へ」をはじめ「翳りゆく部屋」や「ハナウタ~遠い昔からの物語~」などをプロデュースし、ライブでもキーボードを弾いていた、「俺たちの明日」以降を共に歩んだとも言える蔦谷好位置。
もう 12年近くになるか、サポートギターのヒラマミキオ。
ストリングスといったらの金原千恵子。
同じくストリングスといったらの笠原あやの。

昔からの仲間や久しぶりに再会する仲間や今の仲間が集まって、その中心にエレカシがいて。

30周年を祝うことがやっと野音でもできたというか、30周年をやっと自分たちのものとして描くことができたような。

それでいて、俯瞰しているようでもあって。

エレカシ=己(おのれ)のものという感じではなく、何か新しい距離感が生まれているのを感じた。


いや今回は、私はまったくまともなことを書ける気がしない。

というのも、野音ではじめての「A席」だったのだ。

端っこだったけれど。

だから、蔦谷さんとのやりとりとか、金原さんや笠原さんとのやりとりとか、すべて見えてしまった。

だからもう、まともなことなんか書ける気がしない。

しかしそれでも、いや、その席だからこそか、バンドに今までと違う空気が流れているのを感じた。

前に、笑い合いながら楽しそうに演奏する他のバンドを見ながら友達と「エレカシってこういうのないね」と笑いながら話したことがあった。そういうやりとりをエレカシに求めるか否かの前に、想像ができなかった。それがエレカシの良さであるとどこかで思っていたんだと思う。

しかしこの日は、笑い合いながら演奏するとまではいかなくとも、石くんの顔がやけにすっきりとしていて清々しく、時おり明るい笑みが見られるような、そんな顔に見えた。石くんってこんなにやさしい顔をしてたんだ! 成ちゃんも、ミヤジの MC にふふふと笑みがこぼれたり、のびのびと演奏しているように見えた。ああ、成ちゃんってこんなにマイペースだったんだ? トミは、よく見えなかったけど、「明日への記憶」のドラムとか凄かったし、もうトミだった。
なんか、メンバーの笑顔や素顔が見られた気がしちゃったんだよなぁ。

何か、何か、新しいエレカシの足音がその向こうから聴こえてきそうだった。

そして、宮本さんの笑顔。

もう、宮本浩次の笑顔をこれでもかと見てしまった。

蔦谷さんが出てきたときの蔦谷さんに向ける笑顔。(まだ紹介する前)

金原さんや笠原さんに向ける笑顔。

なんて笑顔なんだろう。

もう、まともなことを書ける気がしない。


それでも目の前の光景を書こうとしてみれば、「こうして部屋で寝転んでるとまるで死ぬのを待ってるみたい」で、雨で水浸しのステージなのに、膝をつき、手をつき、ステージの水たまりに濡れる宮本浩次の手、その上に降り注ぐ雨、、、立ち上がり、膝の部分がしっかりと濡れている黒のズボン、、、そういったことがまるでスローモーションのように。。。

「RAINBOW」のある瞬間なんて、宮本浩次の指先から直接生命力を注入されるかのようだった。あの眼光、、、

こんなことを書いていいのかわからない! けれど、けれど、


セットリストは、ユニバーサル期とポニーキャニオン期の曲が多く、EMI期とエピック期の曲は少なかった。特にエピック期は 3曲だけだった。

エレカシの野音といえば、普段のツアーではあまり聴けない、特にエピック期の曲を多くやり、ファンもそれを期待するというようなものだったと思う。

それが今回は、エピック期の曲は 3曲だけ。ゲストがいたからとも考えられるけど、そのためにゲストを呼んだとも考えられる。

1日目の外聴きの時点では、がっかりとまではいかないけれども、ああそうなのかぁみたいな気持ちだった……ってそんなことなかったじゃん私!
まず 1曲目が「シグナル」なのに感動して、「彼女は買い物の帰り道」とか「明日への記憶」をひさしぶりに聴けたことに感動して、2日目しか来れない友達は「彼女は買い物の帰り道」聴きたがっていたし、明日も同じセットリストでやってくれー!って思ってたじゃん。
自分の気持ちを書き換えてはいけない。
思い入れがある「武蔵野」が聴けたことも嬉しかったし、「愛の夢をくれ」なんて “うおー!『愛と夢』の曲じゃん!” って思ったじゃん。(『愛と夢』=私がはじめて買ったエレカシの CD)

そして、3曲だけであっても、いやだからこそなのか、「月の夜」に込められた魂よ!

そう私は、明日も同じセットリストでやってくれ!って思いながら帰宅したじゃないか。
(大体、ファンもエピック期の曲を期待するはずだという思い込みはどこからくるのか)

そして迎えた次の日、「so many people」が増えただけであとは同じセットリストだった。(アンコールの曲順は違った)

ってちょっと待って! 「so many people」が増えただけって、「so many people」って、私がはじめて行った野音で生きる力をもらったと言える曲だよー!

なんてことはない、エピック期の曲が 3曲だけであっても、私は大喜びしていたのだった。


わからない、まだわからないけれども、私はやっとエピック時代から解放されたかも知れない。

ポニーキャニオン時代にエレカシを知り、EMI時代からライブに行きだした私だけど、エレカシはエピック時代こそが素晴らしいんだという、言ってみればエピックコンプレックスからやっと解放されたかも知れない。
(EMI時代からライブに行きだした私が、なぜエピック時代こそが素晴らしいと思ってしまうのか)

なんだか、2001年にはじめて野音に行ってから今までの自分がすべて肯定されたような気がしてしまった。

本当は、レコード会社で分けること自体がおかしいのかも知れない。エレカシの歴史にとっては全部つながってることなのだから。

これからはエピック期の曲も今までと違って聴こえてくるかも知れない。

そして逆に、先月あった宮本浩次のソロライブでは、エピック期の曲が多かったことも見落とせないだろう。

なんだなんだ。何がはじまっているんだ!?


とにかくもうまともなことは書けなく、目の前の光景に、もう無理!これ以上はない!って思う瞬間が何度も訪れながらのライブで、「旅立ちの朝」の、

“いつもと変わらぬ

そっら~~あ~あ~あ~あ~あああ”


ってところで昇天しそうになった。

いや、実際私は昇天したのかも知れない。

けれど私はまだ生きている。

なんてこったい。

それはどうしてなんだ?

“橋を渡り山を越えて今 俺よ もう一度起て”

“最高の笑いと夢 胸に抱き俺は行く”










以下にセットリスト&ライブレポート&写真あり。