まいちょいす。 -66ページ目

うたってムーン・リバー♪

 先々週のアコギでムーン・リバーに続いて

 懲りずに今週は、歌っておりますっ!





 フリーテンポなのは、潤滑剤が多少、


 効いているもようです (^▽^;)





チワワ1900円





  ちょー特価です。





まいちょいす。








  ものすごーく、お得です。




まいちょいす。










     シャンプー料金です ・・・     (^▽^;) ハンガクダヨ!


「洋子」 Hospitalization life.#3 2/2


事故の日は青森市内まで走りきるつもりで、翌日には弘前へ行く予定

だったことを話した。野辺地の病院では、若い看護師さんでも訛りが

ひどくてなにを話しているのかわからなかったことも。九州だって似た

ようなものでしょ、と笑って切り返された。


十月の半ばで退職したいと願い出たけれど、どうなるかはまだ分から

ないと話してくれた。わたしはこの入院が十二月までかかることを話し

た。だからヨーコちゃんとは会えない。


ココへ来てくれない限りは会えないんだと、 本当は言いたかった。




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まいちょいす。


二輪のオフロードレースに夢中だった。休日は、そういったクローズド
スペースへ連れて行った。房総半島の山の中とか、埼玉の河川敷とか
浦安の鉄鋼団地の空き地とか、文句もいわずに一緒についてきてくれ

ていた。

東京へ出てきてOLになったヨーコちゃんの現実のデートは、オイル臭

くって、うるさくって、トイレも不便で、晴れれば埃っぽくて、降れば降っ

たで泥だらけになる場所だった。



  「ヨーコちゃんさ 休みの日がつまんない

   って言ってるよ わかってんのかな 」



同じ職場の女子にヨーコちゃんの本音を聞かされておどろく。どうして

自分へ話さないで、愚痴のように先輩女子に告げたのか、ということを

くってかかった。彼女はただあやまった。



  「ごめんじゃわからないって、どうして 」


  「・・・富士急連れてってくれたのいつだった?
     一緒に新宿で映画を見たのおぼえてる?
     館山に花摘みいったのはいつ?」


  「はっきり言えばいいじゃないか。ああ、確かに
   今年はまだ一回も、そんなことで出かけてないよな 」


無理やり話しをさせてそんなこと、って言い方はないよと泣かれた。

ヨーコちゃんの気持ちに何一つ気を配っていないことに気付いた。

彼女の気持ちは、まるで泥だらけのチェーンを噛みこんでしまった

スプロケットみたいに動けなくなっていたのに。やっと気付いた。




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彼女が帰ってしまうとバラの花が残った。

もとより色彩に乏しい病院の中にあって、そのバラの赤い色は、病室

をほんとうに無彩色のように感じさせた。そのくらい赤い色が、印象的

だった。



  「かわいいし色っぽいこだよねぇ、シャンくんの彼女?いいよなー」


  「よけいなこと言うんじゃないよぅ、あんたにゃ縁のない話しでしょ 」



天涯孤独を自称する西さんが、松葉杖をついて部屋を出て行きしな、

べたべたと声をかけてきたけれど、山田のおばさんが割って入ってく

れた。ヨーコちゃんと込み入った会話はしなかった。 でも、山田のお

ばさんは、分かったところがあったようで、お陰でその後わたしは、

ヨーコちゃんのことで皆さんから質問をされることはなかった。


ヨーコちゃんがお見舞いにきてくれたのはその日一度きり。




  それきり彼女とは会っていない。





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印象的な出会いなどあると思いますが、

ドラマのような別れ方、激情の別離!(笑) みたいな

ことは、現実にはほとんどおこりません (^∇^)



※内容はリアルですが、必要と思う箇所は変えています。





「洋子」 Hospitalization life.#3 1/2

夜の七時が近づくと、東尾さんがなかなか奥さんの手を離さなくな
る時間。入院して一週間もすぎるとそんな病室の一日もだいたい

把握できるようになった。
わたしと向かいの東尾さんのベッドが出入り口に一番近いので、

あまりに東尾さんが駄々をこねて、手を離さないでいると、東尾さん
の奥さんは左手はドアノブ、右手はだんなさんの手という、ちょっと

辛い状態になってしまう。 コルコバードのキリスト像みたいに。



その晩は、東尾さんの奥さんが帰ろうとドアを開けた病室の前に

見舞い客がいたらしく、ドアを押さえて迎え入れようとしていた。


まいちょいす。



入れ替わりに入ってきたのはヨーコちゃんだった。
六つのベッドを奥から眺めて、けっきょく一番近いベッドに私を見つ

けたときの彼女の表情は、安堵と困っているのが入り混じっていて、

本当に泣き笑いの顔でちょっとおかしかった。


付き添い介護のために九州から上京してくれていたわたしの母親

に歩み寄ると会釈をしてフルネームで自己紹介をした。そして同じ

勤め先の後輩であると付け加えながら、抱えていたお見舞いの花

を母に渡した。母は、活けてくるからね、とテレビの際にあったナデ

シコを挿してある花瓶をもって、さっさと病室から出て行った。



  「ごめんね 」


ヨーコちゃんは、わたしの旅先での交通事故に直接かかわってい

なかったから、普通に考えると謝るような理由はなかった。まして
言ってしまえば、そのときすでに付き合ってはいなかったし、そん
な間柄なら一週間も空けないで、入院してすぐに会いに来てくれて
いただろうし。


 でも、東北ツーリングのもうひとつの「目的」を知っていたのは、
 ほかでもない彼女だけだったわけで。



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春先から二人きりでいるときの空気が、なんとなく息苦しくなって

いったのは自分のせいだったと思う。

東京の生活に疲れたという理由は、寮生活の中で先輩との仲た

がいもあったようだけれど、そんな彼女の悩みや、気持ちをくんで

あげられなかった私の気配りのなさがあったから。

それにお互いに本当に理解しあっているという、自信もなかった

はずで、二人の満ち足りない時間だけが、どんどん嵩を増してい

った。



 「とりあえず夏休みに弘前に帰って家族と話してくるわ 」


 「分かった。じゃ、あとから俺はバイクで行くから 」


ヨーコちゃんは会社を辞めて青森に帰ると話してくれた。つまりは
別れ話しの最終章、というところなのだけれど、それを冗談めかし

てわたしはこたえてしまう。 (なんて未練がましくも幼い... )

笑っただけで返事をしなかった彼女が、その話しをどこまで信用

していたかはわからなかった。




結局、思いは遂げられなかった。
でも、このツーリングで本当にヨーコちゃんの実家へ行き着くつも

りだったのかは、自分でもよく分からない。
弘前まで行った、という事実をつくっておきたかっただけだったか

も知れないと、入院生活がはじまって思っていた。





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バイクルートは東北道を盛岡でおりて、

岩手の浄土ヶ浜を走り、青森には八戸から入りました。

「戸来館」という旅館に飛び込みで一泊。

大きな木造の三階建て。

折り返しの階段が建物の中央に設えてあって

オープンフロアを襖で仕切る部屋割りになっていて驚きました。

木製の窓枠は全部が二重になっていたり映画のセットみたい。


お腹がすいていたこともあってか、豪華ではなかったけれど
夕飯がものすごーく、美味しかったのを思い出します。 (^∇^)



※内容はリアルですが、必要と思う箇所は変えています



「渓谷写真の紙袋」 Hospitalization life.#2


   「ホリグチさんとおっしゃる方がみえていますが」


総務部の中田さんから内線電話をもらってもすぐに来客“ホリグチさん”
をイメージできなかった。エレベータでカウントダウンされるオレンジ色

の数字を眺めていて思い出した。同じ病室で右手の複雑骨折で入院し
ていたあの“堀口さん”だ。

歳は四十代半ば。左の眼球にも怪我の後があってよくしゃべる人。今ま
で自分が出会ったことのないタイプで、ひどく狡猾な雰囲気があった。

「おぅ!」と上げた堀口さんの右手には、まだ包帯が巻かれていて夕刻
の西陽を照り返すバス通りをバックに、その包帯の白が印象的だった。



   「元気そうだねぇ、もう膝の具合もよさそうだし」


病院を見舞ってから二月も過ぎてはいなかったのに、堀口さんの話し

っぷりは、数年も会っていないようなモノ言いだった。退院されたことを
知らなかったことを告げると、今病院を出てきたところだと堀口さんは
言った。どこかの渓谷の写真が全面に印刷された手提げ袋が、自動

ドアの右脇の大理石の壁に寄り掛けてあった。旅先の旅館で手に入る

ような大きな紙袋で、病室でもその紙袋からいろいろなものを取り出し

ていたのを思い出した。



  「もう自主退院さ。ひでえ会社さ、俺なんか使い捨てだ

   とでも思ってやがんだよ。・・・でさ、シャンくんさ、
   少しお金貸してくんないかなぁ 」



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約三ヶ月入院した総合病院は、勤め先のビルとは目と鼻の先で、総務

部で世話を焼いてくれたのが、寮長だった先輩だったこともあって会社

からよく様子を見にきてくれていた。

製造部の本社会議の時には、新人研修のときにお世話になった人たち

が来てくれたり、地域の秋祭りのときは技術部の先輩たちがパッチ穿き

に袢纏姿でどやどやとやって来てくれたりもした。

だから、わたしの勤め先とか、仕事の内容とか生活圏は、病室のみな

さんには、おのずと知れていた。



まいちょいす。




   「退院してから会うようなことは止したがいいからね」


林くんのお母さんと山田のおばさんには、よく同じことを言われていた。

腕から固定していた堀口さんの矯正器具が外される頃は、季節も夏の

終わりになっていた。ベッドからの拘束がなくなると、堀口さんはよく病

院から抜け出していた。


病院の中に漂う日本酒の匂いは、それはもう、あきらかに分かりやすく

て、看護師さんたちに詰め寄られて、いくら白を切ったところで吐く息は

自明。ベッドにもぐりこんでしまい、堀口さんは、誰へともなく文句を言っ

ていた。別の日には、江戸川競艇場までタクシーで往復して、一儲けし

たという。退院したら一緒に行こうと誘われた。


一度は病室で山田のおばさんではなくて、ベッドの上から大工の山さん
が直接、堀口さんへまじめに忠告した。
労災保険で会社に迷惑も掛けているんじゃないか、入院している間ぐら
いちゃんとしろ、退院してからの金を残しておけ、という話しだった。
山さんは、堀口さんが事故をおこした会社には戻れないことを知ってい
た。堀口さんは、はいはい、承知しましたぁと言い、そのあとは自分から
話題をテレビ番組に変えてしまった。



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週末が給料日の財布には、千円札が2枚、五千円札が1枚。寮暮らし

だから生活費全般込みの所持金だった。

(今のようにコンビニ銀行なかったし)



五千円を出すと、すっと両目が細まった。本当はもっと入用だったろ

うと思った。けれども、こちらも飲まず食わずでいるわけにもいかない。
悪いけどこっちは今晩のメシ代だからと財布の中身を広げて見せた。
受け取った堀口さんは、左手だけで器用に札をたたむと胸ポケットに

入れた。


   「 今度、返しにくっからさ 」


お金を受け取ったあとは、そのひと言だけを言い残すと紙袋を拾い上

げ通りへ出て行ってしまった。


エレベーターを待っていると、総務の伊藤課長が並んだ。ホリグチと

いう人とはどんな関係なのかと問われた。(あっ今お金を渡したところ

を見られていたんだ)と気が付いた。ざっと病院での関係を説明する

と返してもらえるつもりでいるのか、とすぐにまた問われた。本心から

もう返ってこなくてもいいと思って渡したのだと答えた。


  「 じゃ、返してやる、と言われても会わないね?」


   ( えっ?返してくれるんなら... )


わたしは、怪訝な顔をしたのだと思う。

伊藤課長は、三つ目の質問のわたしからの答えを待たずに続けた。


  「 重ねてまたせびられるぞ。会っちゃいけない 」



伊藤課長の詮索どおり、堀口さんは借りた金を返すから会おうと電話

で誘ってきた。貸したつもりはないからもう返さないで良いことを伝え、

会うつもりもないことを伝えた。最後になったその電話で、堀口さんは

あの後も会社に来ていたことを知った。




   あの渓谷写真の大きな紙袋を

   堀口さんはあれからどれくらい

   使い続けたのだろう。






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後日、中田さんから “ホリグチ”と言う来客がわたしあてにあっ

ても不在だと伝えて、追い返すようにと伊藤課長からの指示が

受付女子全員にあったことを教えてもらいました。


※内容はリアルですが、必要と思う箇所は変えています




「自慢の奥さん」 Hospitalization life.#1


向かいのベッドの東尾さんの自慢は、奥さんだった。


奥さんとの別れ際には、いつも手を握って目を見つめ合っていた。

毎回、最後には東尾さんの細った手だけが、ベッドからぬっと出た

まま空に残ってしまっていて、その手が弱々しくおろされるのを毎日
みるのはちょっと辛かった。


体調からくる腰の痛みがひどいらしく、わたしが入院した初めから、
検診で体位を変えさせられるたびに声を出して苦しがっていた。



 「東尾さんの奥さんって美人だよねぇ 」

 「やっぱりコンテストで優勝した人って違うわよぅ 」


埼玉某市のミスコンで優勝したという経歴の奥さんの話しをすると
東尾さんは満面の笑みを浮かべた。病人を絵に描いたように血色

が悪くて土色の顔だったけれど、そう聞くと本当に嬉しがっていて
まるで子どもの様な笑顔になった。


だから、ことさら看護師さんや、隣のベッドでヘルニアの二度目の
手術になった大工の夫に付き添う、山田のおばさんたちが、毎日

のように東尾夫人を褒め称えていたのだった。
ハッキリそう気付いたのは、相部屋のみなさんより先に退院して、
二度目に病室を見舞ったときだったけれど。



まいちょいす。


病院の規則正しい生活環境のおかげで、退院するころのわたしは
リハビリ中の手首と膝を除けばもう120%まっとうな健康を手にい

れていた。しかし、その三月のあいだに東尾さんは、どんどんやせ

細っていって自力では動けなくなりはじめていた。


排便臭をちょっと気にしながらも、「北海道の紅葉がもう見ごろにな

る季節になったんだなぁ」と、季節感をスッカリ無くしてしまっていた

わたしがそうやってテレビのニュースを見ていたのは、退院の日程

もだいたい決まっていたころだったと思う。




松葉杖なしで病室の皆さんを二回目に見舞ったのは、年が変わっ

てからだった。わたしの使っていたベッドも、その向かいのベッドも

新しい患者さんに変わっていた。
そして東尾さんが亡くなったことを山田のおばさんから聞いた。
自分から世間ばなしをはじめるような人ではなかったので、入院中
も彼との特別な出来事はなかったけれど、東尾さんの奥さんのこと
は、そのあともしばらく気がかりだった。



いや今でも、入院中の出来事を手繰ると、二人がつなぎあう手と、
東尾さんの自慢だった、奥さんの悲しい顔が思い出させる。





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病院は「人生の縮図」なんだって、だれかが言っていました。

バイク事故で入院していたあのころを思い出すと、

そのとおりだよなぁと思い知ります。いろんなことがありました。


今は個人情報やらなんやかやで、患者同士の交流も

希薄なのかも知れませんね。二十数年前の当時を思い出すと、

なんて家族的だったかと思います。


※内容はリアルですが、必要と思う箇所は変えています。



水木さんからおみやげ。


まいちょいす。



いえ、うそでした。。。


境港が実家のスタッフから連休のお土産  笑




「悪魔くん」は多くは単行本ですが、

少年マガジンで読んだこともちょっと憶えています。


水木しげるさんの「墓場鬼太郎」は文庫の復刻版で蔵本。
読むのも、手元に置いておくのも漫画は少ないのですが、

そのうちのシリーズ漫画。



     「 墓場鬼太郎公式サイト 」




ちなみに、京極夏彦さんは、

水木しげるの弟子を名乗るほどの傾倒ぶり。

小説のそこここに系譜を感じられることもあるように思えたり 笑



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せっかくの三連休でしたが、
家事雑用のタグイですっかり主夫っぽく、過ごしました。



チワワズは5頭ともシャンプーしましたー。


本格的に半そでワイシャツ、パンツも夏物にそっくり衣装替え。
全部洗い直して、調子に乗って、ノリ付けして干しまくったら、

・・・ 大変なことになりました   (^▽^;)


夏です浴衣姿。

水戸街道(国道6号線)をのぼって、

お花茶屋を過ぎて、荒川を渡る

新四つ木橋のところからの東京スカイツリー。


まいちょいす。


だぶん、3kmぐらいの距離。    (街路灯がジャマでしたね ... 笑)





あいかわらず、生長はちょっと、停滞気味です。


このあと、ちょうどスカイツリーを

左にみあげるところで

言問橋を渡って右折して、言問通りに出ます。


そして、入谷で左折。

昭和通りに出て、首都高速の上野線、高架下を走っていくと

JR上野駅に着きます。


目的地の「こんぱまる」は、その200mぐらい手前の

テナントビルの2階です。


鳥たちの餌を買いに。

かわいいインコ、個性的な鳥もいっぱいいました♪





それにしても、車を走らせていて

浴衣姿の女性がよく目に付いた日でした。


あちらこちらで、イベントとかあるのかなと思いましたが

夏のお出かけだから浴衣で、なんてのがいいですけどね。





   東京は、天気よろしい連休のようです。


TUMABIKI_S#3

plot S#3.[漆黒堂] ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



引き戸にはめ殺された硝子は 平滑度が低くひどくいびつだった。
しかし見事に磨かれていて 西陽に右半身を照らされた健次郎は
だらし無くネクタイを緩めた自分と向かいあった。顎を左右に突き

出し その人相が変幻するのをながめた。

背後の通りを過ぎる 中年女性が映り込んでくる。引き戸の桟を

映り渡るタイミングで小肥りの女性のウエストは手首ほどまで捩

られ顔面は陥没した。いびつな板硝子は映り込むすべてを異空

間の情景へと変えていたのだった。


軒が深く窓の無い店内には 日没まじかの斜陽さえ射してこない。

店内を覗くと 軒の陰りに映る健次郎の顔は 黒く塗りけされた。

ほの暗い白熱球に照らされギターは確かに健次郎を待っていた。


出入り口が何処であるのかわからなかった。営業中も入口は常に

閉じられていて 開放されていた時を知らなかったし まして接客し

ている場に出くわしたこともない。思えば店主の顔さえ知りはしな

かったのだった。とりあえず建て付けが一番外側の引き戸をそれ

と見定めて手をかける。


 「ごめんください」


後ろ手に閉じた引き戸は 思いのほか滑りが良くぴしゃりと音を

たてた。ヒト呼吸おいてさらに声をかけてみる。


 「こんにちは」


奥をのぞき 居間に続いているとおぼしきアガリを確認する。店の

中に人影は見当たらなかった。今度は身体の向きを改めてぐるり

とながめた。通路を振り返ると入口の敷居の下から通りの地面が

覗き見えている。この時代に三和土は土間になっているのだった。


健次郎は土の感覚を確かめるように爪先に幾分力を込めて踵を

返した。店の中が涼しいのは湿気をおびた土のせいだろうか。
樟脳に香の薫 土くれの臭いも混ざり合い 古い禅寺にでも居る

気持ちになっていた。


奥行きは五 六間ほどで間口の倍もないであろう。店の中を縦に仕

切る向きに井桁に 板を組み合わせただけの陳列棚は 天井まで

つっかえている。質草にしてはあまりに古びた品々が多い。

まるで骨董屋のさまだと健次郎は思った。棚には裏板がないため

表口から見るよりも店内は思いのほか見通しはよかった。


壁には甲羅をニス光りさせた海亀が張りついている。命の抜けた

頭は ぬめりさえ思わせるのに 涙で潤んでいたはずの眼球の回り

は かさぶたのようだ。その“死に亀”の左側にあのギターはあった。


シェイプの優しいガットギターだ。収集家とまでは言えないにしろ

五 六本のギターを所有してきた健次郎にも メーカーは特定でき

なかった。サウンドホールを飾るロゼットの雰囲気は ドイツ製を

思わせるも 個人創作のルシアメイドであろうぐらいしか判断でき

なかった。レーベルを読みとろうと ネックに手を伸ばした。


  「 弾いて 聴かせて くれん かね 」


人の気を感じない空間で 突然に声をかけられると言うのは時に

背筋が凍る。健次郎は 伸ばしていた右手をおもわず引っ込め

退いた勢いのままに振りかえった。


声の主は見当たらなかった。座敷への境界をはさむ暖簾にも

風を妊んだ様子はない。ソイツはきっと 健次郎が敷居をまたぐ

前から この店のどこかに潜んでいたはずなのだ。


 『パタタ パタン パタン』  店の前の通りをチェーンの緩んだ

自転車がペダルの回転にノイズを同期させて煩く通り過ぎてい

った。静けさが戻っても声はしない。空耳だったろうか。

改めて店の中をゆっくりと見まわす。 (声の主は どこだ…) 


目を凝らした。視界のほぼすべては陳列棚だ。グリッドの舛を

潰すように棚板の商品を左上から追っていく。二段目の 龍を

透かし彫った置物から折りかえして 三段目の白磁器の花瓶を

数え始める。 


そして 四段目の端には“男の首”があった。





TUMABIKI_S#1~2

plot S#1.[嘘] ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



午後一番に鳴ったのは 束田健次郎のデスクの電話だった。
始業のベルに合わせて回りの社員がするように身近な蛍光灯に
ぶら下がる点灯紐を引きながら 健次郎は片手で受話器を取った。


架電は国際造園の阪崎からのクレームだった。A海浜公園のフェ

ンス基礎ブロックの納品数が合わない 分納のオーダーが違って

いる 週明けに予定するフェンスの現場受け入れがこれではでき

ない すぐに何とかしろと言うのだ。発注の変更について 言った言

わないの水掛け論になるや収拾はつかない。

人として云々とまで散々である。


 「メール受信をいつも待っていられるような
  仕事ですんでいるのはお前ぐらいだろうが!」


殴りつけるように切られた受話器から聞こえる発信音になんとか
宥めすかされながら コイツと会わないですむなら 今のこの仕事を
やめてもいいとまで思う健次郎だった。


自分は貸し方だと 健次郎は確信していた。先月と同じと言う訂正の

電話に応じて 手配ぎりぎりのところで発注書を改めることができた

のだ。電話での商談後に念のため伝票をPDFで添付してメールまで

送ってやったのは 昨日の正午前の話しである。そこまでのフォロー

の何処に非があると言うのだ。

確かに暮れの件名では こちらに否もあるトラブルを起こしていた。

坂崎の主張したように当時 確かに数量まで前後させるとは彼は

言わなかった。しかしそれでも 後先の納入分を間違ったのは 重ね

てのせわしい日程訂正が原因だったと 健次郎は今でも思っている。

菓子折りを持って納品先の郡山まで謝罪に出向いているのだ。
仕事始めからでかまわなかったのに わざわざ東京から と 先さん

には同情までされた。今回は明らかに言い掛かりに等しいクレーム

なのだ。

前回の一件が 阪崎の思うように転がらなかったことが面白くない ... 

きっとそういうことだったのだと 健次郎は考えていた。




結局 創備コンクリートの回答は無碍も無く 束田健次郎の希望は

叶えられなかった。しかし A海浜公園の週明けからのフェンス設置

の工期は 相当の前倒しがおこなわれこと。またそのもともとの提案

は国際造園側からあったことを知ったのだった。




 「了解。束田は先週の土日も無かったんだよな。
  まぁ ゆっくり休んでくれ。じゃな」


部長は詮索もせず直帰を認めてくれた。健次郎が国際造園を出て

すぐに報告をしなかったのは 日暮里の駅から連絡している辻褄が

欲しかったからで 通勤駅の国分寺の構内放送を部長に聞かせる

わけにはいかなかった。

まだ四時半を少し過ぎたあたりだったが 打つ手もないままで何の

弁解ができようか というのが本音であった。


今日だけは嘘をついてでも 仕事から離れたかった。





plot S#2.[出会い] ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



自宅では然したる用事もなかった。
日頃は午前様も珍しくもなく 九時前にでも帰ろうものなら家内は

驚いて目を丸くするぐらいだ。じゃあ待ちわびてくれているのかと

言うのは本当ではない。
陽の昇っているうちに突然帰ってみると 間男の一人にも出くわす

なんてことはないだろうかと コンコースが夕陽に照りかえる駅構

内を見慣れない景色と感じながら 他愛も無くそう思ったりした。



健次郎は駅前の商店街から 路地を一本分けた立ち飲み屋の角

から左に折れて わざわざ自宅を遠のける帰路をたどった。

場末の昭和のかおるスナックを 三軒ほど過ごすと「質」と書かれ

た縦板を麻紐で軒下の雨樋からぶら下げた漆黒堂がある。

四枚の引き違い戸から覗くその店の壁には 無造作に立て掛けら

れたギターがある。あるはずだった。それは二週間前の休日に

パチンコの帰りに偶然覗き見たギターだった。



「まだあの店にあるのなら手に入れる定めにあると思うんだ」


狭い辻に置かれた「案山子」と書かれた看板の陰で魚のアラを

ねぶる黒猫に話しかけた。


  “わがんんねぇ えよおぅ... ”


はみながら警戒してなく黒猫の声を 健次郎はそう 聞いた。


健次郎は運命じみたことを考えていたが それは裏付けのない

勝算のようなものだ。独身時代に同じような場当たりで GIBSON

のパーラーギターを手に入れている。売り手と買い手が 戦前モ

デルの価値を認め合うまでもなく商談を決してしまったオールド

ギターを涼しい顔で値切った。五千円で持ち帰った。


切れたままの一弦は チューナのポストにむしり取り損ねたまま

赤錆をまぶし 半分欠け落ちた三弦のペグと競うように 希少価値

を否定しているのだった。

保管が悪かったせいで塗装は酷いものだったが 目立ったヒッテ

ィングはなく 造作にやわな不具合も無かった。手入れをしながら

一年ほど手元に置き 専門の楽器店へ持ち込んだ。

二十万でさばいた。


だからもし まだあの店にあのギターがあるのなら 手に入れる

運命にあるのだと健次郎は考えていた。