美醜。
今、阿刀田さんの「やさしいダンテ 神曲 」を読んでいます。
最後の「天国篇」では、“絵にも描けない”ような
美しい世界を語ってもらえます。
そこに“愛”を象徴する女性として登場する ベアトリーチェ。
ダンテが地獄を見て、煉獄を経て、そのあと天国へ導かれるのは、
このベアトリーチェが、詩人ウェルギリウスに頼んで
ダンテの先導者になってくれたからなのです。
煉獄山の山頂から天界へ昇天して、彼女と再会する
(と、いっても幼い頃に2度出会っているだけ ) のですが、
その美しさの表現がイイです。
顔かたちを描写することなく、
“永遠の淑女”のその美しさが語られます。
このベアトリーチェが、いったい、ぜんたい、
どれだけ美しかったのか気になります (^∇^;) ドンダケー!
先週、アメリーノトン「愛執」を読んでから、
ほとんど記憶の糸も切れ掛かっていたある想い出がよみがえりました。
頼りない記憶もそうやって手繰り寄せると、不思議なものです40年近い
過去のできごとが、リアルに変わってきました。
この本を読まなかったら、こうやってテキストにする以前に記憶を再生す
ることもなかったかも知れません。 ちょっと不思議。
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自宅から小学校までの通学途中に駅はあって、その駅ウラに母の勤める
ニット会社がありました。帰宅時間の早い低学年のころは母を慕ってのこ
とだったのでしょう、その会社へ立ち寄っていました。鍵っ子でもありました
し。帰宅して誰もいない家もイヤだったのでしょうきっと。
色とりどりの毛糸があったり、遊ぶには持って来いの大きな段ボールも自
由にさせてもらえて、大掛かりないろんな工作を楽しんだのを思い出しま
す。会社の皆さんからも、お茶だお菓子だと、かまってもらえて楽しいもの
でした。
母は職場のNさんの性格の良さ、気が効く彼のことを自宅でも褒めていま
した。 「早よぅ、よかお嫁さんが見つかればよかっじゃっどんねぇ... 」
Nさんは当時30歳ぐらい。私は小学校の3年生だったと思います。学校帰
りに道草を喰っていた先でしたから、面識はありましたが、それでも母の勤
める会社にいる個性的なNさん、という認識止まり。
夏休みのある日、母が唐突に「Nさんが海水浴に連れてってくれるってよ」
と言いだします。まぁ、毎日海水パンツ一丁で朝から晩まで遊んでいるよ
うな海っぺりで暮らしていますから、海水浴というのは、イベントにはなり得
ないわけです。そしてもうひとつ、気乗りしない理由も実はありました。
聞けば、電車に乗ってNさんの実家の近くの海水浴場へ連れて行ってくれ
るらしい。わたしの郷里は薩摩半島。地図で見るところの左側の半島。Nさ
んの実家は大隈半島。そう、桜島とつながっている右側のほう。
Nさんが暮らすアパートまで行き、電車に乗って、フェリーに乗っていくわけ
です。行きの電車の中で向かい側に座った女性が、Nさんに話しかけます。
わたしが海に行く軽装でしたから、どこまで泳ぎに行くの、と。わたしは彼女
がNさんに聞きたがっていることがあることを感じていました。
「あなたの顔の左側はどうしてそうなったのか」
( ...やっぱり、このおばさんは聞いてきた )
Nさんは明るく答えます。先天性であることを説明します。女性はそのあと
も直らないのかとか、病院へは行ったのかなど聞いてきたように憶えてい
ます。わたしは子どもゴゴロに、なんて礼儀を知らない失礼な大人だろうと
怒りを覚えました。興味本位で尋ねているのは明らかでしたから。
でも、Nさんは気分を害しているふうもなく、朗らかに応じていました。彼女
は我々より先に降ります。軽い挨拶の最中、そして乗車口に姿が見えなく
なるまで、わたしは彼女を睨みつけてやりました。
Nさんはやさしかった。まるで、若い父親のようにわたしを喜ばせてくれまし
た。オトコ兄弟のいない自分には兄のようにもうつりました。桜島の影響も
あるのでしょうか、育った海と異なって砂浜の色が黒かったのが印象的で
した。
地元には無かった、いわゆる「海の家」があって、焼きそばとか、イカ焼きや
カキ氷とかもあって興奮しました。えぇ、もちろんどれも好きなだけ食べさせ
てもらいました。
たくさん泳いで食べて遊んで。帰りの電車は眠たかっただろうと想像します。
それでも、思い出したのは、Nさんが先に席に着いてくれるように意識して彼
と並んで電車に乗ったことです。わたしは、自分がNさんの右側に座る向き
に座席を確保しようと作戦を練っていました。行きの電車のようなことになる
のはごめんだったから。少しでもNさんを目立たないようにしてあげるつもり
でいました。
思い出します。朝のときは、ホントウは一緒に歩きたくなかった。連れだと思
われてくなかったのです。だから手をつないでもらいながらも、気持ちの中
では彼との距離を置いていたのです。でも帰路の道すがらは、横に前に一
緒に歩きました。
帰宅して楽しかったことを母に告げました。でも、電車の中でのできごとは、
話しませんでした。
そして、ずっと誰にも、話してきませんでした。
今、ココにはじめて想い出を再生してみました。 (^∇^)
これからも弾き語るっ♪
弾き語りアレンジしてみました。
ビリーバンバンは「白いブランコ」のデビューが印象に残っています。
世代的に当時(わたしはまだ園児ですけど)を知るリスナーには、
彼らの歌声が聴けるのは、ウレシイことだと思います。
う~ん。
久しぶりに歌うと、思うように声が出ないものです。
ちゃんと大きな声だそぅ。。。
これからまた拙くも、アップさせて頂きます。(´□`。)
Attentat.
読了
アメリー・ノトン 【愛執】
中央公論新社 2005年12月
翻訳 傳田 温
著者のアメリーさんは1967年神戸生まれ。ベルギーの外交官だった父親の
仕事の都合で5歳で日本を離れます。そして23歳で商社に勤め再び日本へ
戻ります。そんな実生活もあって、物語りの中では日本食の話し、MISHIMA
の引用、そして主人公も冬のKANAZAWAへやってきます。市街地の情景描
写も印象的です。
彼が歩けば誰もが振り向き、眉間に皺をよせる 醜い男エピファーヌ。序盤、
エピファーヌが自身の境遇について語るのですが、やはり軽くはないです。
“エレファントマン”を連想していたら作中、主人公も話題にします。
恋焦がれる女性が登場してからは、フツウの恋愛小説。邦題どおり。
(原題「Attentat」は、テロとかクーデターを意味します。こっちがイイな。)
醜悪をウリにメディアを利用していくエピファーヌ自身の立身出世が、彼の
強烈な世界観を語らせませんし、“恋は盲目”状態に至ってはもう普通の男。
終盤、エピファーヌの計画的な行動は、予想だにしなかった恋人の応酬に
よって、結末へ進みます。
どれだけ賛美される美貌の主も、どこかしら自身では納得し得ないパーツが
あったりするものでしょう。自分の容姿にコンプレックスを持たない人間という
のはよっぽど・・・でしょうね。 著者アメリーさん自身、自分の容姿にひどく
コンプレックスをお持ちだったとか。 いえいえなかなか、かわいい方 (^∇^)
“ヒトは見た目が9割り”、第一印象が大切だって言われますが、美形であっ
ても印象のよくないヒトはいます(^▽^;) だから、残り1割りに大事なトコロは
あるんでしょうね、きっと。9割りに問題ないよっ、て方も是非、残す1割りに
ついて考えてみましょう。
面白い本でした (^-^)/
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※以下、恋愛話しからはなれまして、
ハタメ、ナリから得ている相手の印象について。 (^∇^)
齢を重ねるということは、それだけたくさんのヒトと出会ってきていることに
なりますね。若いうちって、外観先行(というかミテクレだけ)で判断してし
まうことが多いのも確かでしょうか。いろんなヒトと出会っていると、相手の
自己表現に寛容になれます(笑) その分、理解に及ばないヒトと出会うと
興味が先にいってしまって困りますが。(このヒトは何を考えてるん?と)
でも基準の出処がどこ?と考えてしまいました。わかっているじゃなくて、
ただテキトーになってるだけかも。本来の第一印象が、第二、第三印象に
なっている現代も、あるかなぁ。 自分自身、それなりに値踏みできている
つもりですが。
レートが割に合っているどうかは、別。 (^▽^;)
愛猫その名はオシマンベ。
読了
三谷幸喜 【三谷幸喜のありふれた生活⑨】 さらば友よ
朝日新聞出版 2011年4月 第1刷
三谷さんの “ありふれた生活” シリーズも次は、いよいよ二桁突入!(^∇^)
この最新刊のあと、離婚されているので(残念なぁ、)、プライベートの部分、
・・・というか、ほぼ70%ぐらいはプライベートのような、ブログのような、内容
なのですけれど、記念すべき刊はちょっと遅れたりするのでしょうかしら。
本業の舞台の方は、ブロードウェイで初公演という「TALK LIKE SINGING」の
お話しでいっぱい。主演された香取慎吾さんにゾッコンのようですね (笑)
自宅では、愛猫オシマンベ、愛称おっしーとの死別にまつわってのお話しが
多くあります。奥さまの連れ猫で、自分よりも、彼女とおっしーの付き合いの
ほうが長かったのだそうです。
巻末に昨年4月に放送された世にも奇妙な話し、「台詞の神様」シナリオ付き。
ご自分の作品を自身で演じてらっしゃったのですね。知らなかったです。
この番組がスキで是非、参加したかったとのこと (^∇^)
劇作家がホテルに缶詰となって、創作に没頭するのですが煮詰まってしまう。
その“作品中”でヒロイン演じるは、柴崎コウさん。
で、この「台詞の神様」に出てくるメイド役がその、柴崎コウさん。
作 家 「だ、だれかに似てるって、言われませんか?」
メイド 「・・・柴崎、コウ?」 γ(▽´ )ツ
オチは、まぁ、ありがちかな、とも思いましたけれど面白そうなので “見たい”。
世にも奇妙な話し、ってTUTAYAでもレンタルできるのかしら。
さらには、「三谷家フォトアルバム」が見開きのおまけ付きです!かわいー猫
たちが紹介されています。せっかくだから刷りを分けてでも、カラーで載せて
ほしかったー (^▽^;)
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今回のサブタイ、「さらば友よ」。 う~ん、まさかとは思いますが、
次は、「さらば妻よ」 なんて。 そこまで自虐ネタにはならないと
思うのですけど。 (´□`。)
わがはからいにあらず。
五木寛之 【他力】
講談社 2011年3月 18版
初出は1998年。当時読みましたが文庫本で再読です。
3.11から日を追うごと読みたい気持ちが募っていました。
やっぱり読んでよかったーです (^∇^)v
書かれた当時を思えば文字通り、世紀末の様。 阪神・淡路大震災、
地下鉄サリン事件、酒鬼薔薇少年事件。そして十数年を経て、あらため
て読むと今、このときのために書かれたのではないか!と思える文章と
随所で出会えます。
他力本願は、“ひとまかせ”的な解釈が通ってしまっていると、私も思う
のです。 (五木さんは他力本願と区別すべく“本願他力”とされます)
「人事を尽くして、天命を待つ」 これを勝手に解釈するとおっしゃいます。
「人事を尽くすは、これ天命なり」 だと。
自分がとか、努力によってとか、運も任せてとか、そんな諸々すべてが
天命。そう考えると、息むようなコトだって肩の力がスッと抜けていく気が
します。どんな結果であっても受け入れられそうに感じます。
この世に生を享けたこと、老いることのゼッタイ、病いとともの人生、そし
て日々に向うのは死。泣きながら生まれてくる我々は、何一つ持つことな
くひとり死にゆくと。あきらかに“生老病死”は、我がモノではないでしょう。
悲観して暗くなっている場合じゃありまっせん!
明日にまた陽が昇るのなら、明日を精いっぱい生きましょう。そして、もしも
もしも、陽が昇らないのだとするなら、今日を精いっぱい生きときましょう。
そういうお話し (^-^)/
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理解に及ばないところが昔あったのですが、今回もやはり、ありました。
読みが足らんのでしょうね、きっと (^▽^;)
日報提出は翌日始業前までですっ。
「・・・以内ではないといけないと、」
う~ん。渡したデータに対して容量の制限を受けてしまった報告文。
30過ぎ既婚者の電子日報でした。
イケナイは、イケ・ルの未然に否定のナイがくっついているわけで、
ナイは、“○○ナル”って動詞から活用が出てきてもらわないといけ
ないのですが、まず、現代のフツウの暮らしの中で考える必要は
ないですね。・・・ただ、しゃべる感覚で文を綴っているだけ。
最近の“イケテル”とか、“イケテナイ”とかが、及んでいるのかなぁ
と考えさせられました。これからやり直して応じるという未然なわけ
で、フツウに書けば、
「・・・以内でなければならないと、」
※「なくてはならない」でもいいですね
はい、すごく責任感のある、やります!という表現になりました(笑)
しゃべり言葉の揺らぎが、ビジネスライクでなければならない文章
に影響を及ぼしています。気にもかけずどんどん綴ってしまうので
す。もとよりペンで書くという作業が減っていて、文作というよりも、
しゃべる勢いでキー入力していますから、文章への変換、読み直し
という作業が明らかに欠如してきているように感じます。
もうひとつは、稟議書や定期的なメール発信の文面も定型化して
職場内の誰がメッセージしても、同じ文章になるようにしている弊害。
要所のテキストと日付を変えるだけで、イッパシの書類が完成する
合理性は時短に役立つ反面、どう書けばもっとイイ文章になるか?
とか、もっと説得できるか?みたいなことを考える機会も一緒に失っ
ているみたいです。
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あとはやっぱり読書じゃないかなぁ。
活字を追う、良い文章を読む。
(読んだ先には感動もありぃの♪)
・・・などと、能書きをたれつつ、ブログはしゃべるがごとく、
趣くままにカキコしておりますがっ。 (^▽^;)
んまかぁ!(It is delicious!)
ららぽーとTOKYO-BAY には、九州各県と沖縄の特産品を扱う
お店(これっと九州 沖縄)がありまして、時間に余裕があると、
ナツカシイ食材に出会いに店内を物色したりしています。
先の週末はこんなものをば。。。
九州人ならきっとご存知、アベックラーメン ♪
そうめんのようなストレート麺、トリガラとトンコツがベストマッチのスープ。
おいしさに惹かれて、というよりもナツカシさのあまり、というところです。
そしてお醤油も。
鹿児島のお醤油の特別さは、やみつきになる他県の方が
多くいらっしゃることから、お察しください (^∇^)v
いまでこそ慣れてしまいましたが、東京でおさしみを食べたときの
お醤油のしょっぱさに驚いたのは、いまだに記憶してるほどです。
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「ららぽーと」は、豊洲や、柏の葉、新三郷にも行きますが、
ここ「ららぽーとTOKYO-BAY」を一番利用します。
基本、ららぽーとといえば、ふなばし。
北館の屋上には、フットサルのコートと並んでドッグランも
小さいながらあって、我が家のチワワ連も
メンバーをとっかえひっかえよく遊びに出かけます。
さすがに真夏は厳しいですが、これからまた利用しましょうね (^-^)/
いえもんの♪
久石譲さんの「オリエンタル・ウィンド」
そこのメロディを演ってみました。
ちょっとパロディっぽくなっていますが、
オリジナルは壮大な楽曲です。
コードの響きはイイ感じです。
・・・ありがとうございましたっ! (^▽^;)
書かなかったか、書けなかったか。
読了
アゴタ・クリストフ 【文盲】
訳 堀茂樹
白水社 2006年2月
新しい作品を待ち望まれながら、残念ながら先月に他界されました。
スイスにそのまま永住されていたのですね。75歳。
戦争体験を元にした兄弟のストーリー「悪童日記」は、邦訳も話題になっ
て読んでいます。
本書は自叙伝。となるとやっぱり戦争の時代。自国の内乱、ソ連の圧政
にジャーナリストの夫は危険なわけで。ハンガリーからスイスに亡命し、
文筆家として認められるまでの半生が綴られています。
就学前から新聞を「読める」女の子。祖父はそんな自慢の孫娘を近所に
連れ回って得意なわけです。反面、読むことしかしない怠け者という、
ありがちな嫉妬、悪判も連れ帰ってしまっていました。
それは、冒頭で本人が語るところで、テキストなら何でもとにかく読んだ
らしい。書くことは二の次。そして戦争のはて、拒み続ける他国の言葉。
アゴタさんの場合、そんなところで言葉への執着がふつうの作家とちょっ
と違ったのだろうと思います。
亡命後にフランス語の作品で出世するわけですが、豊かといえない日々
の暮らしを支えるためではなかったんです。工場の単純作業をこなし、
帰宅すれば家事に追われ、子どもを育てながらの日々を消化するような
暮らしを続けるわけです。仕事場では、トイレ休憩の一服のタバコを楽し
みに。生きるためにコミニュケーションに必要だから、フランス語を工場
の仲間から教わるのですが、彼女は執拗に読むことと、綴ることは拒み
続けます。
幼い頃の読むことに楽しみを覚えた時代を経て、異国への亡命後に「敵
国語」によって物語りを綴り始めるという人生の二極。「書かなければな
らなかった」的なところに、どうにも悲壮感にじむ作家の天命みたいな部
分を感じてしまいました (´□`。)
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戦争を背景とした物語りというのは、中世とか近代とかまわずいつの時代
にも文学的評価を伴ってメッセージ性の高い作品がいっぱいありますね。
果てしない殺し合いの先に幸せを得られるなんてことを信じる愚かさ。
異分子排除のプログラムは、ヒトが生きるうえでゼッタイ、必要なのかなぁ
(´□`。)
Thomas Fischer & New Orleans Jazz All Stars.
昨日、18:15の浅草。
浅草公会堂は、そのむかし都内に住んでいたころ、知り合いのギター弾き
がステージに立ちました。ナターシャーの曲、マンドリンと二人だけのちょっ
とさびしい編成で、陽のあたる道を演奏したのを憶えています。
いちおう、出演者がステージに立つ前の、前セツでしたからね。
こみち姉さん、ケータイでパチリ(笑)
トーマス・フィッシャーとニューオリンズジャズオールスターズ。
日本人のバンドは、薗田憲一とデキシーキングス。デキシーランド
のりのりの演奏でした。
トーマスさんたちは、スタンダード曲中心に楽しい演奏でした♪
高齢のメンバーが多いようでしたが、いえいえなかなか!
ヨランダさん、歌上手かったー。
ジャズシンガーの歌声に、節回しに、久しぶりにうっとり (^∇^)
日本びいきのトーマスさんたちは、今の日本を憂いていると。浅草
の次は、郡山へチャリティー公演に向かわれるそうです。ノリノリの
明るい楽しい曲で、被災地のみなさんたちへ、きっと、元気をわけて
きてくださるものと思います。
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山門を横切るあたりでケータイに 「今どこ?」
もう切り上げるから飲もう!との姉貴からのお誘い。
今年は“デキシーキングス”。去年は“デキシーセインツ”だったから、
バンド名を間違わないように慎重になったよ~と笑っておりました (^▽^;)











