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シェエラザード語った「千一夜物語り」

コルサコフ作曲の交響組曲、シェエラザード。
4つの楽章の第3部「The young prince an
d young princess」
ヴァイオリンのメロディが美しいです。
王妃シェエラザードが千一夜に渡り物語る「アラビアン・ナイト」。






田嶌さんのアレンジは比較的シンプルですが
センス良くてオリジナル感は残っていると思います。

数をこなして上手く弾けるようになりたいなぁ。。。

“カミカゼ”はテロだったのか。

読了
百田尚樹 【永遠の0 (ゼロ)】


まいちょいす。

講談社文庫 2009年7月






初出は太田出版2006年8月の単行本。

文芸エンタメとしてのバランスは良かろうと思います。特攻隊で戦死した

祖父、宮部久蔵について、ジャーナリストの卵である姉と共に当時の祖

父を知る元兵士たちをレポートするというお話し。

戦時中の話しは、宮部小隊長を知る彼ら語り部によって綴られていきま

す。孫の健太郎は、自身と同年代の頃に十死一生の特攻隊に志願した

祖父の心もちに興味を抱いていきます。そんな中で、姉からのアルバイ

ト話しに軽いノリで承諾したはずの佐伯青年は、リアルな戦争体験を聞

き回る中で精神的に成長していきます。




ゼロ戦乗りなのに、「死にたくない」と戦場で言ってしまう宮部に対して
卑怯者、臆病者と謗る元兵士に佐伯青年は凹んでしまいます。おじいち

ゃんのことなんか調べるんじゃなかったと。


取材の順番とか、祖父を知る方たちとの経緯などは、物語りとして狙った
演出を感じられます。それでも語られる部分の大半は史実に元ずくもの

として(うーん、当時の体験談かな)受け入れることができました。



この時期になると戦争ものの出版物が多く出回ります。メディアは当然

ながらビジネスがベースなわけですが、読者の層ってどんななのかなと

思いました。戦争体験者かな、それともわたしのような戦後の世代かな。
それとももっと若い人たちでしょうか。

少なくとも若い人たちには、戦記として読むというよりも、文芸エンタメの
延長線上で読むこともできると思いましたから、是非読んで欲しいもの

だと思います。(息子には文庫本を渡してやりましょう)




感じたのは、作家、百田さんの戦争意識、戦争責任、戦犯に対する考え

方がベースになっていますから、読者は読んだ上で「考えない」といけな

いということですね。

そういう意味で言えば、長編小説のこの一冊で太平洋戦争を理解しては

いけないでしょう。9章のカミカゼアタックを読んでいて特に考えさせられ

ました。百田さんは、新聞記者キャラ、高山に全部背負わせて上手くまと

められているようです。





映画化決定らしいです。

来年の放映予定。


主人公の佐伯健太郎役は、三浦春馬、

姉慶子に吹石一恵、祖父、宮部久蔵役が岡田准一。

公式HPはコンテンツはまだ、人物相関図だけでした。



    「永遠の0」



やっぱり “ありがとう” かな。

ラリー父さん、亡くなりました。


夏休みに帰ってきた息子は残念ながら会えず。



5月のミント母さんに続くので、ちょっと

つらいものはありましたが仕方ありませんね。



17年一緒に暮らすことができました。


まいちょいす。



えぇ、そりゃもー賢い犬でした。



産まれた五頭のうち、長女のランが一番、
お父さん似でしっかりしていましたが。。。




思い出は尽きません。


まいちょいす。


ラリーとの出会いを上回るめぐり合いは

この先にはもう無いだろうと。

なぜかそう納得しています。



劇的(・・・ほどほどに)



びふぉ。


まいちょいす。




あふたぁ。


まいちょいす。



サマーカットもここまでやると、
もとの毛並みに戻るには

一年ぐらいかかるらしいです。


(夏過ぎるって。。。)

ハルマゲドンを知っておるか。

読了

町田康【夫婦茶碗】
まいちょいす。


新潮社 2001年4月





町田さん本調子、読後感想もなにもいりません。
パンクロックままの文学、ここにあり。



「夫婦茶碗」。
バカボンのパパとママを連想。
妻の甲斐甲斐しさが作品のビートに独特のノリを醸します。


「人間の屑」。
突拍子も無い人生なのになぜか気持ちは和んでしまう。
町田さんはきっと猫好きなんだな。



このノリは、町田さんの作品でしか味わえない。


ブックカバー

ショルダーバックの中身を整理する

インナーバック買いました。



まいちょいす。


所持品が定位置に収まっていると

とっても便利ですね。




ところで、ロフトみたいなお店に行くと

ユニークなグッズが目に付いて

ついつい予定外のものも買ってしまったり。





・・・ブックカバー買いました。




まいちょいす。


文庫本サイズ。

ポリエステル繊維質の生地。





開くとこんな。



まいちょいす。


ちょっと変なデザインなんですね。。。





まいちょいす。



通勤電車で使います。



ケン坊が帰ってきた。


それはちょっと不思議で、うれしくもあった出来事。



先の一月に死んでしまったチワワの次男坊ケン。ケンと出会ったんだという少年が現れました。


長男のリュウはおっかさんミントに毛並みが似ていて、こんな猛暑の季節はちょっとつらいわけです。そんなことで短くカットしてもらおうと、ご近所にあるお店に予約して連れて行きました。




不思議な出来事はその日の夕方、リュウを迎えに行くときにおこりました。



お隣のAさん宅には娘さんがいらして結婚され、埼玉で暮らされていたのですが、仕事の都合で、千葉に家族で戻って来られています。たまたま我が家と逆になる並びで、Aさん宅の隣の方が自宅を暫く空ける都合があってその家を借りて暮らしているのです。


週末のその日もこの夏のお楽しみということで、Aさん宅の駐車スペースには、ビニール製のファミリープール登場。お孫さん二人、4歳のお兄ちゃんと2歳の妹さんが水遊びです。おばあちゃんは日傘で待機。カットを終えたリュウを迎えに行くために、通りをまだらに濡らしているAさん宅の前を通り過ぎます。挨拶をして行き過ぎると、お兄ちゃんとおばあちゃんの会話が聞こえてきました。



 「わんちゃん、オサンポだねぇ」


 「えっ、わんちゃんはいなかったでしょ?」


 「 ・・・ 」



そう、おばあちゃんの言うとおり。

迎えに行くリュウはもちろん、ラリー父さんも、サクラも、パルマも一緒ではありません。ただ、リュウのためにリードは手に握ってはいます。リードを見て犬の散歩を連想しているのかしら。でも束ねて持っていますから、まずリードを手にしていることは分からないはずなのですが。



涼しげな六分刈りで、すっかり小熊然たるリュウを抱えて帰るころには、Aさん宅のプールも店じまい中。お兄ちゃんにたずねてみました。おにいちゃんはちょっと怪訝な表情。だって彼にとっては改めて聞きなおされること自体、理解できなかったわけで。ちなみに、彼はまだ我が家のチワワ連とは会ってはいません。 小熊カットのリュウが初対面なのです。



 「さっき、わんちゃんがいた?」


 「うん、いっしょにお散歩してたよ」


 「どんなわんちゃんだったの?」


 「んとね、白くてね、茶色のわんちゃん」



  ( ・・・ケンだ、ケンボーだ! )




散歩が大好きだったケン坊。

兄貴のリュウのカット具合が気になったのかしら。きっと一緒にカットハウスまでついて来てくれたんだね、と納得しました。うれしくてうれしくて思わずニヤついてしまいました。そうかそーか!ケン坊、一緒に散歩に出歩いてるんだねぇ。 


ケン坊、月命日の翌日のお話しです。


まいちょいす。




夏休み・夏祭りⅡ

江東区亀戸の小さな小さな公園。


帰宅時間には、まだにぎやかでした (^∇^)



まいちょいす。


まいちょいす。


郷里の盆踊りも久しく、懐かしいばかり。



地元の“さのさ”


中学校ではみんな、踊りました。 







  百万の

  敵に卑怯は とらねども

  串木野港の 別れには

  思わず知らず 胸せまり

  男涙を ついほろり



  もう泣くな

  出船の時に泣かれては

  船を見送るそなたより

  港出て行くこの僕は

  まだまだ辛いことばかり



  今出船

  汽笛鳴らして旗振り交わし

  しばしの別れを惜しみつつ

  船は出て行く海原へ

  ご無事で大漁祈ります



  落ちぶれて

  袖に涙のかかるとき

  人の心の奥ぞ知る

  朝日を拝む人あれど

  夕日を拝む人はない



  義理も捨て

  人情も捨てて世も捨てて

  親兄弟も捨てたのに

  捨てられないのが主一人

  もとは他人でありながら




  我が恋は

  玄界灘よりまだまだ深い

  いつもあなたにあおあおと

  岸うつ波の身のつらさ

  岸に砕ける主の胸




  夕空の

  月星ながめてほろりと涙

  あの星あたりが主の船

  とびたつほどに思えども

  海をへだててままならぬ




  やるせなや

  泣いて泣かせてかたせ波

  串木野乙女の純情を

  沖のかもめにことづけて

  主さんのもとへ届けたい




  身はここに

  心はあなたの膝元へ

  たとえ幾月はなれても

  松のみどりは変われども

  私の心は変わりゃせぬ




  近ければ

  顔見て笑う節もある

  遠けりゃ空見て泣くばかり

  落ちる涙を溜め置いて

  主へ文書くすずり水







               ※ しゃんはい選歌 (^∇^)

夏休み・夏祭り

江東区亀戸の小さな小さな公園。


あすとあさっての準備のようです。



まいちょいす。



日本国中、これから夏祭りシーズン。




福島の原町(今は南相馬市)で、

幼かった頃の息子と夜店を歩いたのを思い出します。




もちろん生まれ故郷の鹿児島も。



高台の公園では大きなやぐらが組まれていた。

予行練習もまた楽しかった。

(地元の人ばかりの本番なのに笑)


漁師さんの休閑期、初夏の頃は「漁願相撲」があった。
力自慢の男たちが本気で取り組む相撲はカッコよかったー。


「十五夜の綱引き」もあったね。
夜遊びも大目にみてもらえる唯一のイベントで楽しかった。


そうそう「祇園祭」も。地元では“おぎおんさあ”と呼んでいた。
祇園山車が飾られて綺麗だった。

はじめた生で見た芸能人は、克美しげるさんだった。

“おぎおんさあ”で設えた商店街の特設ステージ。


  「光るぅ海 光るおー空 光ぃかる大地♪」って歌ってた。



こうやって思い返すと、

九州の片田舎なのに、イベントってけっして

少なくは無かったんだなぁって、あらためて思いました。





今年も暑い夏のようです (^▽^;)


皆さまも地元の夏祭り、楽しんでくださいませ ♪



けだし幸せそして絶望的に不幸

読了
辺見 庸【死と滅亡のパンセ】

まいちょいす。

毎日新聞社 2012年4月





望郷。
育ったふるさとの景観というのは、辺見さんおっしゃるように血肉をはぐく
んでくれたところなわけで、もしもわたしの郷里が津波に飲み込まれたと
したら(原発だってあるし)立ち直るために相当な時間が必要になると思
うのです。



あれこれ考えさせられました。
帰宅時にJRから私鉄へ乗り継ぐにあたり、どうにも読み終わらせたくて
SUBWAYでアイスコーヒーを頂きました。


駅前独特の喧騒には、ストリートパフォーマンスのギターと歌声が混ざっ

ていて。暫くすると、単気筒のバイクの煩い排気音が混ざり合ってきて。

それは読み続けているうちに、何時の間にか打ち上げ花火の破裂音に

変わっていました。


地元の花火大会?

大きな公園や河川敷きは近くは無いので、東京湾のほうかな。ネズミの
いる夢の国も遠くはないんですけど 笑 BGMの花火の音は銃撃や爆
弾の炸裂音に聞こえてきました。リアルな砲撃音は知りませんが、耳障
りなことこの上無し。



 平和なんだなぁ。



東日本大震災。一年半も経とうというのに未だ行方不明者。
行方って、この地上世界のどこを指すんだろうか。



WWⅡの頃の戦犯、反戦、そして戦詩、ファシズムとの引き合いが多く
あります。原爆投下だけにしても、数十万人が亡くなっている。辺見さん
あらためて愕然。9.11のあと脳溢血で倒れ半身麻痺の障害を負って
らっしゃる辺見さんは、3.11の前、1,2月に朝日ジャーナルに黙示録
めいたエッセイを書かれていて、その内なる予感は(標なき終わりへの
未来論-生きのびることと死ぬること)で脱稿時のままに掲載されてい
ます。30年後をイメージされてのことだったらしいのですが、あまりの
一致に気味の悪い。SFめいた日常描写はそこだけなら空絵ごととも取
れますが、こうやって当時の改稿無し全文を読まされると。。。




生きていることと死ぬこと。人命の尊厳とか言う前に(および語る者へ)
ただ生きているというシンプルの極を“ナマコ”で語り合うイスラエル生
まれの詩人で演奏家のキリヤット氏との対談(破滅の渚のナマコたち-
亡命と転向と詩)が面白かった。最後まで読んで尚、面白みが増したと
いうところです。



ペーパーメディアだけに及ばず、テレビで晒して
肉声で語ってもらうまではいきませんか、辺見さん。