タイ南部のリゾート地ホアヒンから更に車で1時間半程南下した。
目指すは、プラチュアップキリカン。
ホアヒンもプラチュアップキリカン県にあるのだが、プラチュアップキリカン県のプラチュアップキリカン市とでも言うのだろうか。
そのプラチュアップキリカンに何をしに来たのか、と言うと、日本料理店『富士山』に昼ご飯を食べに来たのである。
この『富士山』について知ったのは、そこのオーナーのブログから。
食い倒れの街、大阪出身の自分としては、プラチュアップキリカンの海で獲れた魚🐟、特にマグロが氣になってしょうがなかった。
又、オーナーの優しい人柄が溢れている文章や、同じ歳の娘を持つ事、そして、ムエタイ好きと言うのも氣になっていた。
今回の旅行は、会長と娘の親子水入らずの旅行で、宿泊費は会長が持つ、と言う事なので、自分の行きたい所よりも、会長と娘の行きたい所が優先である。
だから、ホアヒンまでは行けても、その南にあるプラチュアップキリカンまで、ましてや自分の行きたい所に、行けるとは思ってもいなかった。
が、
ホアヒンに着いて早々、会長が
「あんた、プラチュアップキリカンの友達に会いに行きたいんと違うん。わたしら、ホアヒンに居るから、あんただけ行って来たら。」と言った。
美味しいものは、一人で食べるより、皆んなで食べた方が良い、が、自分のモットー。
行くなら一緒に、と、言う事で、ホアヒンのビラに二泊した後に、予定を延長してプラチュアップキリカンに行く事になった。
Googleナビで検索したら、所要時間1時間40分。お昼の営業時間に間に合うようにして、出発である。
タイ南部の道は、チェンマイやチェンライの山岳地帯の道とは明らかに違う。
兎に角、直線道路が多い。又、車から見える景色、特に、木がタイ北部とは違った。
パームやしは、北部では余りないし、山の木々は、タイ北部の山の木より、高さが低く感じられた。
プラチュアップキリカンに到着。
田舎の漁師町と言った雰囲気だけど、町の規模はそこそこありそうだ。
丘の上に立派な寺。
これ日本🇯🇵なら、あの様な丘の上には、お城が建っているやろな、と。
この雰囲気、日本🇯🇵の徳島の日和佐に似てる。
地方の城下町と言った雰囲気。
人は、それほど多いとは感じ無かったが、路上駐車をしている車が多かったので、歩いている人の数は少ないけど、働いている人は多くて、活気のある町なんだろう、と、感じた。
南北に走る町のメインストリート沿いに、『富士山』はあった。
路上駐車出来るスペースを探す為、町を車でウロウロした。
プラチュアップキリカンは、南北に走るメインロードに並行して、海岸沿いにも道がある。
海岸通りにある家は、昔ながらの家が沢山あり、観光地と言うより漁師町の雰囲気を醸し出していた。
路上駐車出来るスペースを探したお陰で、町の姿を感じる事が出来た。
『富士山』は、チェンマイでも最近見られるような作りの店で、テーブル席と畳席に分かれていた。
自分達は、テーブル席に。
店員がメニューを持って来てくれた。
メニューを見て、驚いた。
品数が多い。
店員が、
「今日は、地魚は残念ながら有りません。だから、このメニューとこのメニューはないのですが、おすすめは、この品です。」と、丁寧に説明してくれた。
何か、ちょっと違うぞ。
別の店員が、入り口の暖簾に皺が入っているのに気づき、それを伸ばしに行った。
従業員の、この店に対する誇りと愛情を感じた。
生の魚が食べれない会長と娘は、店員に、何かおすすめの焼き魚はないか、と聞いていた。
自分は、オーナーのブログで見た、地元の海で獲れたマグロがお目当てだったけど、地魚がない、と言う事なので、これは、神さんが、又、来い、と言ったはる、と考えて、別のもので、チェンマイでは食べれないものを探した。
会長と娘は、焼き魚の定食。自分は、海老フライを注文した。
山岳少数民族リス族である会長と娘は、豚や鶏は食べても、魚は余り食べない方である。
ましてや海の魚は、ほとんど知らない。
彼女達は、最初、焼き魚を一人前だけ注文していたが、口にした途端、もう一人前!と言っていた。
チェンマイで食べる魚とは全然違う。
故郷大阪の近く、和歌山の海辺で食べた浜焼きを思い出した。
そして、海老フライ🍤。
これが、又、普通ではなかった。
ころもがクルクル渦を巻いている。このころもは、トルコから取り寄せたころもだとか。トルコでは、お菓子に使われているのをオーナーがアレンジして、海老フライ🍤に使っていると言う。
ころもにも驚いたけど、一口食べた時の、エビの甘さ。この甘さは、感動ものである。
「なんじゃ、これは?」と、思わず叫んでいた。
店員に、
「オーナーは居ますか?」と、聞いた。
「オーナーは、買い物に行っていて、暫くしたら戻って来ます。」と言った。
一見すると、失礼ながら、タイ🇹🇭の田舎町の何の変哲もない日本食屋さんなんだけど、完全に、只者では無かった。
畳の席やテーブル席は、ほぼ埋まっていた。
又、お客さんも、地元からだけでなく、遠くバンコクから来られているグループもあった。
オーナーが戻って来られた。
自分は、ブログのメッセージでやり取りをした事はあるけど、お会いするのは初めて。
オーナーのブログは、フォローさせてもらっていて、オーナーも自分のブログをフォローしてくれている。
実際にお会いした第一印象は、ガッチリした方であるな、と。
漁師町に居られるだけあって、漁師のような身体と言うんだろうか。
自分は、生まれは大阪郊外の箕面。
修験道の開祖役行者縁の地で、山がすぐそこにあり、子供の頃から海よりも山に縁が深い。
だから、山や田んぼで働く人は見ても、漁師さんとは縁のない世界だった。
オーナーが、この海辺の漁師町に店を構えられているのは、やはり、山よりも海が好きな方なんだろう。
山の民よりも、海の民と言った雰囲気の方だった。
オーナーは、
「折角来て頂いたのですが、満月の日には大きな船が出なくて、又、雨で波が高い事もあり、地元の魚がない状態です。」と言われた。
又、自分達が注文した品を見て、これも、これも、評判の高いものです、と、説明してくれた。
そして、オーナーは、
「一つ質問かあるのですが、ブログの中で紹介されているスワイショウを長時間やるって、どう言う意味があるのでしょうか。」と、言われた。
「今、時間ありますか?スワイショウだけで無く、今日は、オーナーに、イス軸法を体験してもらえたら、と、チェンマイから来ました。」と、言った。
オーナーは、
「今、お客さんが居られて、バタバタしておりますので、お客さんが引けるまで、料理を楽しんで行って下さい。」と、言われた。
オーナーを見ると、笑顔で、各席を回られて、お客さんと話をされていた。
もの凄い気遣いの出来る方。
お客さんが、喜んでいるかどうかを第一にされている方である。
会長は、タイ🇹🇭南部に行くといつも北タイの人々との違いを、
「南の人は、なぜ、微笑まない。」と、言っている。
チェンマイやチェンライの人々は、目があっただけで微笑んでくれる。
タイ🇹🇭の事を、『微笑みの国』と言う人がいるけど、それは、北タイには当てはまるけど、南タイには当てはまらないのではないか、と言う位、北タイと南タイの人は違うように感じる。
今回も、ホテルやレストランなどの従業員と接する機会は多々あったが、そう感じたのである。
しかし、
この『富士山』のオーナーは違った。
各テーブルを周りながら、全てのお客さんに声をかけ、その顔は、まさに『微笑みの国』なのである。
会長は、
「最初、ヤクザのような怖い人かと思ったけど、お客さんと話されている時の笑顔を見て、安心した。ホアヒンに来てから、あの人だけが、北タイで良く見る笑顔をされていた。」
オーナーが笑顔で接遇されるからこそ、周りが笑顔になるのでは。
オーナーが自分達のテーブルに来られて、
「たった今、この魚が上がって、今、こちらに向かってます。1時間前まで海で泳いでいた新鮮な魚です。刺身でどうぞ召し上がって下さい。」と、写真を見せて、言われた。
地魚の刺身を諦めていたので、何と幸運な事だろう。
そして、
タイでこんなに旨い刺身を食べれるとは思ってなかった。
会長も娘も、生の魚は食べないのだけど、自分があまりにも美味そうに食べていたので、一口頂戴とばかりに口に入れた。
『美味しい。これ今までのと違う。生臭くない。全然違う。これが刺身なの。」と、言った。
昼の営業終了時間が近づいて、お客さんが引けて来た所で、オーナーにイス軸法を体験してもらった。
筋肉の可動範囲が変わる。
身体のまとまりが出来る。
オーナーは、感覚の鋭い方で、自らの身体に起きた変化に直ぐ氣がつかれた。
体軸の無い状態と有る状態。
有る状態から無い状態になった時に、体軸の有る状態が少し残っているとか。
最初から否定から入る人や、感覚が鋭くない人の中には、明らかに変化が起きているのに、それを認めなかったり、感じ無かったりする人もいる。
又、イス軸法のイスに座って立つだけの動作を簡単なものと思って、自分は出来ていると、思い込んでしまう人もいる。
オーナーは、イス軸法による身体の変化だけでなく、その難しさも直感されたようである。
体軸のある状態で立つ事がベースで、そこに身体操作を乗せて行く。
「目からウロコでした。人体の不思議を感じました。」と、言われた。
今回の旅では、タイ北部のチェンマイから中部バンコク郊外のノンタブリー、そして、タイ南部のプラチュアップキリカンとイス軸法を指導させてもらった。
イス軸法で行くマレー半島の旅。
イス軸法が取り持つ縁である。
次にプラチュアップキリカンに行く時には、地魚のマグロと、オーナーのイス軸法の進捗具合を楽しみにして、行かせてもらいたい。
素晴らしい方との出会いだった。