タイ🇹🇭南部のリゾート地ホアヒン。
王様の別荘の隣のビラに2日泊まった。
2日目の朝も6時過ぎからスワイショウ。
タイ🇹🇭は雨季に入っているので、スカッとした青空は見られないけど、今朝は、曇り空の中、海の上を朝日が、光の道を作ってくれた。
海を見ながらのスワイショウ。
その時、ふと思った。
どこでもドアがあったら、どこに行きたいか。
自分は、
「武当山」と言うだろう。
武当山 中国語では、ウーダンシャンと言う。
中国拳法には、様々な種類があるそうだが、その二大潮流は、嵩山少林寺の少林拳と武当山の武当拳と言われている。
数山少林寺は、禅の開祖達磨大師が居られた所で、達磨大師がインドから禅と共に持ち帰られた易筋経が、少林拳の始まりと聞いた事がある。
一方、武当山は、道教・タオの聖地で、道教は、太極拳と密接な関係にある。
武当山には、武当太極拳と言うものもある。
自分は、当時の弟子が、中国のスーパーチャンピオンと武林風と言う大会のメインイベントに抜擢された時に、セコンドとして、中国河南省鄭州市に行った。
その試合の後、折角、中国🇨🇳に来たのだから、と、嵩山少林寺に行かせてもらった。
その時の一番の目的は、武僧の稽古によって凹んだお堂の石畳を見る事だった。
その凹みから、少林拳を感じたかったから。
そして、どこでもドアがあったなら、武当山の頂上にある道教の寺に行って、その雰囲気、氣を感じて見たいと思うのである。
自分の格闘技のキャリアは、大学空手道部から始まった。
所謂、伝統空手である。
沖縄の空手と本土に伝わり、競技化した空手とは、違うと思う。
特に競技になった『形』は、柔らかい動きよりも、直線的な動きが多くなっていると思われる。
それは、自分には、書で言う所の楷書のように感じる。
そして、今、自分の形と呼ぶのに近いものとして、拳舞がある。
それは、一見すると、空手道の形とは似ても似つかないものであろう。
が、
自分にとっては、書の行書や叢書ではないか、と思うのである。
内臓する身体操作は、おそらく違うだろう。
が、
あくまで自分にとっては、楷書である空手から発して、今に至ったと言う意味で行書や叢書なのである。
それに似た、武当山の拳。
その発祥の地の氣を感じてみたい、と思っているのである。
どこでもドア🚪が有ればの話だけど。
そんな事を考えながらスワイショウをしていたらあっと言う間に1時間が過ぎていた。
砂浜を散歩していた会長と娘が、ビラに戻って来た。
初めての家族でのスワイショウ。
海に出来た光の道を眺めながらのスワイショウである。
その後、自分は、拳舞を披露した。
娘は、自分の拳舞を見るのは初めてだったので、少し驚いていたけど、メーファールアン大学で中国文化を学ぶ予定なので、中国拳法の話や禅や道教の話を興味深く聞いていた。