ざっくり台湾紀行⑤〜太魯閣渓谷にて、思う | マロウの徒然日記

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ガーデニング記録を中心に、日々の暮らしをつれづれなるままに・・・

台湾での最後の寄港地は、
花蓮です。

寄港地を地図で見ると、
北側の基隆
南の高雄
そして、東部の花蓮

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さつまいものような形をした台湾ですが、
南北に山脈が連なっているのがわかります。
この山脈には、3000メートル以上の富士山級の山が10以上もあって、東西の行き来を阻んできたそうです。

台湾新幹線が通る西側は、立地的に発展しやすかったのでしょう。
険しい山々のある東側は自然の残るところが多いようです。


花蓮近郊は大理石が採れるので、
空港はすべて大理石作りだそうですが、
花蓮港は、今回停泊した港の中では、
一番野趣的なというか、素朴な港でした。

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これは市街地をバスで走ってるときに見たものですが、
丸い玉は、もちろん大理石。
水の勢いでこの大理石の玉が回転しています。
けっこうな大きさでしたよ。
直径が1メートルぐらいあったんじゃないかな。


ここでの観光は、
台湾随一の景勝地と言われる
太魯閣(タロコ)渓谷

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渓谷の入り口は

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太魯閣渓谷東西横貫公路ゲート

先ほども書いたように、
南北にある高い山脈のために、
東西の行き来は、長い間陸路ではなく船を使わねばなりませんでした。
そこで、東西を結ぶ道路を作ろうということで、
何と、シャベルやツルハシ片手に
手作業でトンネルを掘ったらしいのです。
完成は1960年というから、55年ほど前ですか。
その時代の台湾にあっては、
大掛かりな重機も入らなかったんでしょうね。

ところが、
花蓮という町、とても地震が多い町で、
この渓谷も、崩れた所がたくさん見られました。

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落石も頻繁で、観光に来ていた人も何人も負傷しているとか。
公路建設中も、作業員の犠牲者が
212人もいたというのです。

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そこで
彼らの霊を祀るために建てられたのが、
長春祠(チャンチュンツー)
ちょっとモダンな感じの建物ですね。
中を見学するには、時間がありませんでしたが、崖っぷちに立つ祠で、
あそこからの眺めはきっと素晴らしいでしょう。


この渓谷の見どころは、何キロもの曲がりくねった公路の所々にあるので、時間があれば、ゆっくり歩いたり車を止めたりしながら見学するのがいいと思います。

そうできないのが、バスツアーの悲しいところ。
ほんまに、ざっくりやなあ、と思いながら休憩場所に。
かなり山の上まで登ってきましたよ。
ガイドさん曰く
「マイナスイオンめちゃ、いぱい。
私.ここに来たら、必ず体操するよ。」
うん、確かに空気はキレイ照れ

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花蓮は、原住民族が一番多く住んでいる地域でもあり、
小さな民族資料館も併設されていました。
(工事中で、入れなかった笑い泣き)

いろんな部族の人たちが、それぞれの文化を守りながら暮らしていると聞くと、
あまり、利便性ばかりを追うような開発は避けて、文化を大切にしてほしいなあと思います。

台湾の原住民では、私は
「高砂族」という部族を聞いたことがあるのですが、
翌日のディナーの時、一緒のテーブルのご夫婦が、高砂族の舞踊を見て来たと聞いて、あ、そっちのツアーの方が良かったなあなんて、密かに思った次第ですてへぺろ

私が高砂族について、初めて知ったのは、
大阪の民族博物館に行ったときです。
まだ学生の頃でした。

敵の首を狩るという習わしがあり、
その干からびた頭蓋骨を、腰からぶら下げていると記述があったような…。
その写真を見た記憶があるんだけど、写真だったのか、記述からの私の妄想なのか不確かです。
でも、あまりにもショッキングで、その当時は何という蛮族だと思ったのですが、
後から、
第二次大戦では、高砂義勇隊という日本軍の指揮下に配属される兵士に、たくさんの人が志願して、日本のため誠心誠意戦ったことを知りました。
もともと、台湾島の原住民だったのが、清朝配下時代には、山地に追いやられて憂き目にあいましたが、
日本の統治下になってからは、この高砂族の村々にも学校教育などを施され、日本への感謝が忠義になったのだと何かの書物で読みました。

太魯閣渓谷の高い山々、切り立った崖などを見ると、山岳民族である高砂族のことを思い浮かべます。

足早に見学するツアーでしたが、
日本に来たことがあるガイドさんが、
漏らした言葉が印象的でした。
「この渓谷も、紅葉があれば、もっともっとキレイよ。
でも残念ながら、台湾紅葉ないよ。一年中緑のままね。」

そうか…。
確かに。
我々日本人は、四季のある国で、
山の風景では、錦織りなす紅葉を愛でるのを、当然のように期待しているんだと。

でも太魯閣渓谷には、
景色だけではない台湾の人々の苦労や願いが残されていましたよ。ニコニコ