私のブログは、
約9年前に…
風邪すらひかない
超健康なサーファー旦那が
悪性脳腫瘍グレード4
神経膠芽腫を
発症した時からを書いています。
大切な人を亡くし…、
絶望感に襲われ、
「人生終わった」と感じ、
自死まで考えていた絶望未亡人が…
どうやって生きてきたのかを
赤裸々に綴っている…、
『30代絶望未亡人
這い上がり物語』です。
初めから読んでくださる方はこちらから…
↓
33歳旦那の病気、発症!
↓
病名が判明しました
↓
2歳と5歳のワンオペ育児をしながら…
↓
旦那の脳腫瘍が再発しました
↓
そして…8年前、
↓
旦那を失う前にも…
↓
これの続きです
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旦那は…
沢山の仲間や先輩に見送られ、
そして、
囲まれて…、
天国に旅立っていったのだと思います
悪性脳腫瘍という、
性格や理解力まで
変えて、
奪ってしまうような病気から
解放されて…、
病気をする前の、
旦那らしく、
明るくはつらつと…、
過ごしているに、
違いありません。
私は…、
正直、旦那が亡くなって…
ホッとした気持ちもありました
その時は、
決して
口には出来ませんでしたが
「あぁ、
これでもう、
旦那が苦しまなくて済む」
「旦那の苦しみは、
ようやく終わった」
「毎日の病院通いの
必要がなくなり…、
子ども達を、
遊びに連れて行ってあげられる」
そんな気持ちで…、
安堵感も感じたのでした
ただ…、
旦那の実家は田舎なので…
四十九日までは、
誰が弔問に来てくださるか
わからないから、
家を絶対に、
留守にはしてはいけない!
という風習があり…、
私は、
義母が仕事に行っている
月曜日から土曜日までは、
毎日子どもを
幼稚園と小学校に送ってから
車で1時間かけて、
義母の家に通い、
幼稚園のお迎えギリギリまで、
義母の家で、
留守番をしていました。
今考えると…、
結構、大変だったのでは⁉️
とも思いますが、
あの時は…、
「旦那に会いに行ってくる」
「旦那のそばにいられる」
「旦那と対話してくる」
そんな感覚だったので…、
まったく苦痛ではなかったのですが…
や…やはりね、
義母との接し方に…、
苦しみましたね…はい…
とにかく…、
怖かった
自分を守ってくれる旦那はもう
居ないわけで…
私の味方は、
1人も居ない世界
その恐怖の中にある、
愛する人のお骨に…、
私は毎日、
会いに行っていました
今、冷静に考えると…、
普通は、
自分の元に
お骨を置けたんだよね
もっと旦那と…そばに居られたのに…
あの時は、
義母に従うことが、
正しいと思っていました
洗脳…?!
パワハラ?!
だよね…
旦那の骨と私と猫。
そんな3人の時間を、
共に過ごしていました
つづきます