私のブログは、
約9年前に…
風邪すらひかない
超健康なサーファー旦那が
悪性脳腫瘍グレード4
神経膠芽腫を
発症した時からを書いています。
大切な人を亡くし…、
絶望感に襲われ、
「人生終わった」と感じ、
自死まで考えていた絶望未亡人が…
どうやって生きてきたのかを
赤裸々に綴っている…、
『30代絶望未亡人
這い上がり物語』です。
初めから読んでくださる方はこちらから…
↓
33歳旦那の病気、発症!
↓
病名が判明しました
↓
2歳と5歳のワンオペ育児をしながら…
↓
旦那の脳腫瘍が再発しました
↓
そして…
↓
旦那を失う前にも…
↓
これの続きです
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旦那は…
本当に沢山の方々に愛されていました
山奥の、広いお寺の敷地内が、
旦那のために来てくださった方々で、いっぱいになっていました
100台ある駐車場はすぐに満車となり…、
駐車場に並ぶ車の列ができていました。
(お待たせして申し訳ない…)
電車の駅などない、
山奥のお寺では、
見たことのない光景でした
(住職も、「こんなの初めてだ」とおっしゃっていました)
そして…、
そんなに大勢の方が来てくださり、
駐車場も、受付も、
大変な状況になっていたのに…
それを全て、
テキパキと対応してくださったのも…、
すべて、
旦那の仲間たちや、
会社の先輩方、
サーフィン仲間の皆様でした
私がお願いをする前に…、
会社の先輩
「受付は任せてください!」
野球部OB
「駐車場の整備は、
野球部OBでやるよ!」
と…
声をかけてくださったのです
本当にありがたいことです
今だからこそ、
わかってきました
それは当たり前なことではない!
と…。
旦那だから、
あんなに沢山の方が来てくださり、助けてくださる方も、
沢山、いてくれたのだと
旦那は…、
本当に沢山の人に、
愛されていた凄い人だったんだなぁー
旦那は生前、
旦那
「結構俺、
モテたんだぞ〜」
な〜んて言っていたけれど…、
本当にそうだったんだなぁ〜
って言うのが…、
お通夜の光景を見て、
わかりましたよ
そんな沢山の方々が来てくださったお通夜も…
無事に終わり…
落ち着いた頃には、
夜も更けていました
明日も、
このままこのお寺で告別式を
行うため…、
旦那はお寺にお泊り
私は娘たちと、
お寺に泊まろうとしたら…
またまた友人たちに、
助けていただきました
しかも…、
私のうちには、
私の親友が泊まってくれることになり…
旦那は、旦那の親友たちに…
私は、私の親友に…
支えていただいた、
忘れられない、
旦那の肉体がある最期の夜に
なりました
つづきます