これは先日、女郎蜘蛛さんが「お好きでしたら…」と、オススメして下さった本で📚
(ありがとうございました😆💕)、
ちょうど先日読んでた📗落日のボスフォラスと重なり、またそれに続く⚔️第一次世界大戦から第二次世界大戦まで
100年前、世界の🌍大きな混乱期が舞台で、読みながら凄く感動しました✨📗キラキラ

📘📗上下巻でP.800を越える大作でハッ
(それも、字がぎっしりガーン)、
これも図書館で借りたのですが、集中して読みたくて、再度借りてまた読み直しました💦

この本の著者🖋️ケニーゼ・ムラト(Kenize Mourad)さんはジャーナリストですが、なんと、
🇹🇷スルタン ムラト5世の曾孫にあたり、つまり母親は皇女👸
そして父親は、🇮🇳インド北部の🤴藩王(マハラジャ)という高貴な血統の方で、
その母親『👸皇女セルマ』の足跡を辿り取材して書き上げた物語です。

こう書くと🕌宮廷物語のようですが、
👑ムラト5世(セルマの祖父)の在位は、歴代スルタンの中でも最短のたった3ヶ月でガーン
その後即位した弟👑アブデルハミトに、チュラーン宮殿に幽閉されハッ生涯28年一度も🕌宮殿から出られないままゲッソリ亡くなりました⚰️


ムラトの娘でセルマの母、👸ハディージェは、幽閉された宮殿の中で育ち、物語の主人公👸セルマもここで生まれ育ちました。

そして、叔父の👑アブドゥルハミトが亡くな
ったものの、銃第一次大戦の敗北、領土縮小…
歴史は🇹🇷共和国へと大きく動いた時で、今度はオスマン帝国崩壊し、スルタン制は廃止🚫

陛下👑ヴァヒデッディンは夜逃げするようにイギリスへ亡命DASH!
残る皇族は、国籍も財産を没収され、国外退去となり、それぞれの地へ散らばり🇬🇧🇫🇷🇪🇬🇧🇬
セルマ一家は🇱🇧レバノンへ亡命しました。

まだ🇫🇷フランス領の🇱🇧レバノンでは、宮殿暮らしから一転、細々とした貧困生活になり、
オスマン帝国を敵視した📜世界史の授業が行われるフランス人学校へ通うことに…
でも友人も出来、恋愛もし、自由を謳歌し青春を過ごし

その後、🖼️肖像画だけのお見合いで
🕌ムガール帝国の末裔🇮🇳インドのバダルプルの🤴藩王(マハラジャ)に嫁いだものの、
当時宗主国だった🇬🇧イギリスとの関係、
それにムスリムとヒンドゥーとの確執🛐、
またカースト強い、インド文化に苦しみ……

出産の為🇫🇷フランスへ渡るも、今度は第二次世界対戦に入り⚔️、
🇩🇪ドイツがパリに侵攻してくると、🇬🇧イギリス人(当時インドは植民地だったので)パスポートのセルマは敵国となり🗡️、
身を隠しながら安宿を転々とし、インドからの送金も途絶え、困窮のなかパリで必死に生きようとするセルマ……

という、🇹🇷トルコ、🇱🇧レバノン、🇮🇳インド、🇫🇷フランスを舞台に、
正に激動の時代に、常に自分が何人であるか?世の中の矛盾に葛藤し、波乱万丈では片付けられない女性の物語です。

セルマの祖父👑祖父のムラト5世については、
元々聡明で教養もあり、叔父のアブドゥルアジズとヨーロッパにも行き、好感ある人物だったらしいですが、
そのうち、その叔父から危険人物ということで
ずっと「鳥籠(ハーレム)」の厳重な監視下の監禁生活で36歳まで育った為、精神を蝕われ

即位もたった3ヶ月で、その後もまた28年間、宮殿に幽閉されたという、悲劇の人生なので、どの本も脇役ショボーン……

先月購入した📘【オスマン帝国】(小笠原弘幸)に載っていたこの写真なんて↓
弟👳アブドゥルハミドの写真と間違えたそうですムカムカ

これは 📗初版が 2018年12月25日 
私が買った📘再販が 2019年 1月15日
なので、かなり売れているようですが、校正はしないのかしら?!

ネットニュースとじゃなくてプロが書いた本📗なのに……ムカムカ

🤴遺族が知ったら「極東の日本には🗾、トルコ専門家はいないの?」と悲しみそう……ショボーン

この時代は、
アブデュルメジト一世、
アブデュルアジズ
アブデュルメジト二世
アブデュルハミド二世……

と、(本によって「ドゥル、ドュル等」カタカナ表記が違うこともりますが、)
【落日のボスフォラス】読んでた時も、「アブドュル………」が多くて強烈で💦

名前も短く、人生の殆どを軟禁されていたムラトは「写真も無いし、可哀想な人……」と思いましたが、私もブログで
これは🐦「鳥籠」育ちの歴代🤴スルタンの悲哀というか、ボスフォラスの物語?!」

と書いただけで、ムラト5世の名前は言及してませんでした(笑)💦


しかし、ムラト5世を幽閉した、冷酷で残忍な怪物?の👑アブドゥルハミドですが、
ムラトの娘ハディージェも、弟達に

「もしあなた達が上に立つことがあれば、叔父を手本にしなさい」
みたいなことを言っていたので、オスマン帝国とトルコ建国の狭間で領土がどんどん奪われ、大変だった近代、優れたスルタンだったんだと思います。

現に彼が主役の
トルコドラマ📺【帝都・アブデュルハミド(Payitaht Abdülhamid)】もトルコでヒットしたようで(凄く見たいうずまきハッ)

「皇族の末裔に、トルコの市民権を!」と外務省か何処かが声を挙げていると、渋澤幸子さんの過去のブログでも読みました。
(……渋澤さんのブログに「イイネ👍」を押したくて、goo ID 登録したのに、何度トライしても何故か上手く反映されないもやもや)

あと「落日のボスフォラス」のあとがきでも、

「トルコの大地震の時に、🇬🇧イギリス在住のスルタンの末裔が、✨💍✨宝石を売り飛ばし寄付したニュースを目にした」
と、ありましたし

他にも、ムラト5世やアブドゥルハミドの子孫の方のニュース等も、🔍探すと色々出て来たので、
誰が誰なのか辿ろうと試みましたが、似た名前が多く混乱し、全然進まないので諦めました…

というか、ムラト5世の話はまだ序の口で💦
このくらいで切り上げますナイフ

何せ長い物語でタラー、この後
🇱🇧レバノン、🇮🇳インド、🇫🇷フランスの舞台が続くので
印象的だったものを取り上げてみると……


🇹🇷トルコ建国の父 ムスタファ・ケマルが、
パシャ時代は「黄金の薔薇🌹」と呼ばれていたことハッ

北キプロスでも、至るところ北キプロスの🚩国旗(?)の隣には必ず、トルコの国旗🇹🇷と
アタチュルクの🗿銅像がありましたが↓
写真は白黒しか無かった時代なのでカメラ写真は黒髪だし(笑)
私のイメージでは、南欧の男性は、赤ちゃん👶の時は金髪👱でも、だんだん鳶色…というか、黒髪になる👱‍♂️→🧔
と思っていたので、その歳で金髪というのが驚きでした。
(生まれは🇬🇷テッサロニキ(現ギリシャ)で、🇦🇱アルバニア系?)

あと、ハディージェが生活費の為に宝石を✨💍✨📿✨
🇦🇲アルメニア人の宝石商に度々売却していましたが、
それで思い出したのが、四半世紀前(笑)ワーホリで滞在していた、移民大国🇦🇺シドニーです🌏

まず🇱🇧レバノン
20年以上前ですが、レバノン移民が凄く多くて、🥙ケバブ屋と言えば、🇱🇧レバノン人経営ばかりでバーベキュー左バーベキュー真ん中バーベキュー右
私の中では、ケバブと言えばトルコでなく、レバノン(笑)
アラブ料理もレバノン料理だと思ってたし
5年前の🇦🇪ドバイでも🥙ケバブはレバノン料理店で食べたし🍖
スーパーで🛒買ってきた🍯ハルヴァも🇱🇧レバニーズスイーツ表記のもの(笑)

そして私の働いていた宝石赤宝石白宝石紫宝石店でも🇱🇧レバノン人がいました。

それと🇦🇲アルメニア人 
一人は、ダイアモンド💎セット💍を専門とした🇦🇲アルメニア人の職人で、
雑用係の私は、頻繁に彼の所に、宝石を届けたり、取りに行ったりしていてランニングDASH!
「メルハバ!…ナサスン?」等、いくつかトルコ語を教えてもらいました。

そしてもう一組は、親子3人で小~さい宝石店を経営していた🇦🇲アルメニア人家族です👨‍👦‍👦
私のボス(ギリシャ人)とも仲良かったので、私も御使いに行かされたりしていました。

店名が「Jordans」でしたが、🇯🇴ヨルダン系アルメニア人だったのかしら…?

でも考えてみたら、私の働いていた宝石店は、🇬🇷ギリシャ、🇦🇲アルメニア、🇱🇧レバノン……
彼らの祖父母はみんな🇹🇷オスマン帝国の国民で、
たった100年前のセルマの時代は、まだもしかしてイスタンブールで宝石紫宝石白宝石ブルー宝石赤宝石緑宝石商を営んでいたのかも?!
と、思いましたひらめき電球

もしかしたら、彼らもそんな話をしてくれていたかもしれませんが、当時は英語下手だったので、私がわからなかっただけかも?🤷‍♀️
……っていうか、今は下手どころか、更に殆ど🔠話せないけど……ガクリ

あ~、本の内容はまだ前半だけど、こんなに長くなってしまいました💦

🇮🇳インド編は一番長く、P.300位あったので、この編はまた別の機会に語れたらと思います

とにかく、話が纏まりませんでしたが、🇹🇷オスマン帝国や🇮🇳インドに興味ある方にもオススメの本です📚