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エキセントリックソリューションズ(株)          代表取締役社長のブログ

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情報のリテラシーについて


切り口を変えてもうひとつ。


このところ


新聞記者さんたちが


いわゆる「オフレコ」と呼ばれている


本音(に近い)というか


愚痴(ガス抜きという意味での)というか


公人と個人のはざまの


人間臭い部分を


いとも簡単にリークして


いやリークを大きく飛び越えて


実名記事にしてしまうという


暗黙のルールを破ることによる


スクープ記事で


現職の大臣さんたちを何人もクビ(更迭や辞任、辞職)に追い込みました。


もうすぐ一年が経過する


東日本大震災のときの


オフィシャルな情報の出し方に


疑問や不信感、不安感をいだいているオーディエンスの


代弁をするかの如くに


ヘンなモードのスイッチが入ってしまっているのか


はたまた


ジャーナリズムという大義名分を振りかざしているのか


気持ちの悪い状態が続いています。


もちろん


国務大臣というポジションは


単なる政局の調整や数合わせで選んでイイわけなど無いはずですが


どうみても


ミスマッチというか


残念な人事も少なくないイメージです。


人間性の問題とか


当選回数などとは


異なるものさし


シンプルに


適性の有無です。


逆に言うと


そんなことぐらいで


この非常時に


国務大臣を辞めなければならないのかってことにもなってしまうのですが


たしかに


場違いで


配慮の欠片もない


言葉を無防備に発信しすぎることは問題です。


案外気が付いていない人も多いのですが


このところ


こころざし半ばで


お辞めになられた大臣さん方々の所属政党の履歴を振り返ってみると


そこに答えみたいなものが見え隠れしています。


長く続いた現最大野党さんを中心とした政権運営のプロセスでは


どんなことをしたって大臣の椅子などとは程遠いポジションにいた人たちが


現政権になってから


青天の霹靂のように


ゆめまぼろしのようなポジションに就任できてしまうわけです。


ウソのような話ですが


調べてみれば


笑ってしまうほどあからさまです。


ですから


有頂天というか


やる気の空回りも含めて


脇が甘くなるわけです。


まぁ、今回は情報のリテラシーがテーマですから話を元に戻しましょう。


そんなこんなで辞めた大臣さんたちと同じくらい


記事にした記者も尊敬に値しません。


それはなぜかというと


発せられた言葉を


文脈から切り離したてみたり


誰が誰に向かって言ったのか?


という関係の深度を無視した批判になっているからなのです。


イケてないゴシップ記事満載の週刊誌の低俗な記事同様


ただの揚げ足とりだということです。


ジャーナリズムの本質とは程遠い行為と言えます。


プロフェッショナルなの?


そんな低レベルな、いわば言葉狩りは


権力チェックとは違うのではないですかと思うわけです。


もしも


ルールがおかしなものなのであれば


その点は、見直すべきでしょう。



誰だって


自分の口から出たほんの一言だけを


切り取られて


取り上げられて


イヤな思いをした経験はあるでしょう。


前後関係や


話の流れや経緯をわかって欲しいと言っても


あとの祭り


そうやって


既成事実を作られてしまう。



情報を発信する側


情報を伝達する側


情報を受け取る側



もっと



言葉を



大切にしたいものです。



今日も


他人様の言葉を


ただただ


垂れ流しにしていないでしょうか。


酷いことを


感情の赴くままに


発してしまいませんでしたか。




自分の言葉




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ずいぶん前のことになりますが


「カレログ」というケイタイのアプリケーションが話題というか問題になりました。


付き合っている相手のことをケイタイを通じて管理(その延長線上にはコントロールまで)してしまいましょうという、半分冗談のウケ狙いのようなアプリケーションでした。


すぐにこれは冗談のレベルではないと気付いた人たちが告発をして


たしか、国会でも取り上げられることとなって


一応、それ自体は世の中から消えたことになっています。


この一連の事件の本当のコワさ、問題の重要さが


意外と伝えられていないし


当然理解もされていないことが恐ろしいことだと思っています。


情報のリテラシーについてこのブログでも何度か書いてきましたが


何気なく


簡単に


無料で


いまもダウンロードされているアプリケーションについて


どれくらい理解をして


特に子どもたちが


ダウンロードボタンをカチカチッとクリックしてしまっているのでしょうか。


「カレログ」のアプリサイズは、たったの127KBです。


これがコワさの正体です。


これと同じファンクションをゲームアプリなどに仕込まれたら


「電話番号」「行動履歴」「通話履歴」「起動履歴」「アプリ一覧」「バッテリーレベル」などが


すべて筒抜け


になるということです。


最近、口コミサイトに対する、なりすまし投稿などの行動をステルスマーケティングなどという言葉で表現していますが


本当のステルス機能はこうやって巧妙に


すでに自分の、家族のケイタイデンワの中で


いまも活動しているのです。


アプリダウンロード時の使用する機能の許可リストをどの程度チェックしていますか。


それくらい感覚が甘いのですから


ましてや子どものアクションについて管理などできるはずがありません。


無料だからとか


無料が当たり前


みたいな感覚が


もちろんそれすら「Free」というマーケティングの手法の中で踊らされている事に気が付かないで


油断をしてはいけないのということです。


同じように


「スマホで撮った室内の写真をブログにアップしたら位置情報を第三者に知られた」


ブログに掲載した写真のデータに緯度経度が載っていたため


ネット上の地図から所在地が分かってしまうみたいな。


使い方を誤らなければとても便利な機能(スマホの衛星利用測位システム(GPS)機能。位置情報の設定を切れば非表示にできる。)も

知らないと意図せず情報をさらしてしまうことになるわけです。



子どもたちを守るのは


大人の役目だと思っています。


もちろんすべてを手取り足取り


転ばぬ先の杖ばかりでは


挑戦も経験も失敗も痛みを感じることも


反省することも


成長することもできなくなることは言うまでもありません。


いろいろな要因があって


環境の変化のスピードが速くて


大人が


自分のものさしの目盛のアジャストができなくなっています。




「おとうさん、(おかあさん)このアプリ無料だからダウンロードしてもイイよね。」




さて


どうしましょうか。




危機管理の本質。



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「知らない。」


というのは


そう認めることは


簡単だけれど


プライドやら


タイミングやら


そのときの立ち位置など


様々な要因が絡み合うと


すごく難しいものになってしまいます。


そして


瞬時の判断を誤ると


ダサい


知ったかぶり


に成り下がってしまいます。


こいつの誘惑は


強力です。


かといって


なんでもかんでも


「知らない。」ということになってしまっては


その場所にいることが


ミスマッチであるか


ただの勉強不足とも認識されてしまいます。


たまに


「この人、なんでも知っているなぁ。」と感じる人に出会うことがあったりします。


このような人は


ほとんどが


たとえ上手だったりします。


実は


自分の得意なフィールドから逸脱することはしないように


自分の守備範囲の中で


目の前の人のニーズに合わせて


自らの知識を


たとえ話として


アウトプットできる人です。


当然、得意分野ですから話にも説得力があります。


さまざまな情報の組み合わせだったとしても


自分の言葉で話すことができますから


言葉にチカラがあります。


しかし


実は


ここで


「なんちゃってさん」は馬脚をあらわしています。


言葉巧みに


ときにヒソヒソ


ときに選挙演説のように雄弁に


しかし


落ち着いて


よ~く聞いてみると


質問と答えがかみ合っていないことがほとんどだったりするのです。


このときの受け答えの


演出に


「へ~、この人すごい。」などと感心して


特に


悩んでいる時や


心が痛んでいる時に


たまたま、ほんとうに偶然、ドンピシャなことを言われたりしてしまうと


というか


依存することによる安心感という感覚に陥ってしまっていると


もう


マインドコントロールのスイッチオンです。


「すごい。」などと感じた時こそ


その時点での自分のコンディションやポジションに目を向けなければ


簡単にだまされることになります。


ここで特に気を付けなければならないことは


金銭的なロスを避けることはもちろんのこと


数値に変換しづらい

たいせつな時間を奪われているという部分です。


毎日さまざまな方々のブログを読ませていただいていますが


そのような傾向のある人は


「変化する」といことを曲解していて


自分に都合よく解釈していて


ひたすらブレまくっていきます。


そして


「ありゃりゃ、またイイように利用されちゃってる。」


っていう状況を驀進している自分に気がつくことができなくなっていたりします。


信頼とか


信用とか


仲間とか


自らのものさしに


いま現在どのような目盛が刻まれているのか


見直してみることをする


余裕や


アソビを


持っていなければ


ギブアンドテイクではない状況から抜け出せません。


アクションを起こすことは決して悪いことではないです。


ただし


それがお金を稼ぎ出す「仕事」というフィールドでの事だったら


何かを生み出さなければ


そのアクションは意味がないことです。


あなたが、情報収集という大義名分のもとに


パソコンに向かって必死にしている検索は


薄ら気持ちの悪い社交辞令のやり取りは


ただの現実逃避


自己満足ではないですか。


さびしさや不安を


紛らわす


サークル活動みたいなことになっていませんか。


利用する人


利用される人々


あ、それから


一度、変なスイッチが入ってしまうと


なかなかそのスイッチをオフにすることは


自分ではできません。




今朝起きてから


いつも通り


パソコン開いて


いつも通り


時間を浪費していませんか。


最近、新聞読んだり


本を読んだりしてますか。



何のために


いま


時間を使っていますか。


誰のために。




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本や新聞を読んだり


人と会って、話しをしたときに


少し後になってから


自分のアンテナに引っかかったキーワードやセンテンスを


メモやノートに書き記します。


これは習慣として身についています。


スマホなどのメモ機能も悪くないのですが


やっぱり手書きにこだわったりしています。


記された文字の様子で


そのときのシチュエーションが思い出されたりします。


即時ではないところに意味があって


記憶力がどうこうとか


ボケ防止とかに役立つかどうかってことはその手の専門家さんにお任せすることにして


「おやっ」とか


「お~」とか


「なんだそりゃ。」みたいな


自分のものさしに与える


インパクトの強さや


その文章や画像に反応したときの


自らの状態を


メモに書き落とすというアクションによって


再現できるかどうかという検証も兼ねていたりします。


そのメモの中には


自らのオリジナルも含まれていたりするので


前後関係や


流れなど


読み返すと


おもしろかったりもします。



メモをパラパラと読み返していると


そのページで目が留まります。


そこには


こんなことが書いてありました。



「はずかしくて。」の恥ずかしいというのは、実はなんとも無いこと。


そういう意味では、「こわくて。」の怖いも同じかもしれない。


今までの人生に中で、自分がやったことのないことをやるときにとか


何かにチャレンジしてみようとするときに湧き起ってくる


単なるシグナルだから。


「恥ずかい。」とか「怖い。」というのは、ただそれだけのことで


何の害もないことなのだ。


そうすると


「はずかしいからできない。」とか「こわいからできない。」というコトバがおかしな言い回しであることに気が付く。


「はずかしい。」「こわい」は、過去の経験から生み出される感じ方である。


「やるのか。」「やらないのか。」は、自分の意思で行動を選べるかどうかなのだ。



残念ながら、出典の記載がなかったりするので


引用なのか、自分が思いついたことなのかはわからないのですが


何度読み返しても


妙に納得してしまうのです。


もちろん


経験からくる、感覚というのは


学習機能や反省などの源ですから、これはこれで大事なことでしょう。


「恥ずかしい。」や「怖い。」も人それぞれで、ぼくも含めて、ほぼ、みんなが持っている感覚ですから否定することはありません。


ただし


「感覚」と「意思」を並べて使おうとすると


そのほとんどが


単なる


言い訳


になっちゃってたりするんです。




今日、このパターンが何度、口から発せられましたか。


このパターンで、文章を書いてしまいませんでしたか。




あ、そうそう


「めんどくさいからやらない。」ってのは


論外ですから。




意思表示


ちゃんとしてますか。




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オルタナティブ(オルターナティブ alternative)というコトバがあります。


この外国語由来のカタカナは


日本語に翻訳されると


「二者択一」がもっとも近いらしいのですが


転じて


「複数の選択肢がある。」というニュアンスを含んで使われていることが多いです。


「代替案」が


あるのか無いのか


ということです。


むかしから


誰かが何かを提案すると


「反対!反対!」と


まるで予定調和のようなパフォーマンスを繰りひろげてきた


この国の政治家と呼ばれる方々は


そのポジションが


与党であった時のことはすっかり忘却の彼方に放り投げ


野党になった途端に


それこそすっかり野党になりきって


やっぱり


「反対!反対!話し合いには応じません。」と


時間と税金の無駄遣いに躍起になっています。


これだけ情報の伝達のスピードと拡散が早いのですから


少し前だったら


表に出なかったような事実も


あっさりとその本性を現して


お化けの正体は、「ただのウドの大木でした。」みたいなことが頻発どころか


当たり前のことになりました。


社会保障・年金の話も同じです。


現最大野党さん方が「100年安心。」という素敵な(笑)キャッチフレーズで


試算し運用してきた国民から預り


割ってはいけない陶器でできたブタの貯金箱を


国民から徴収した大切なお金のギッシリ詰まった貯金箱を


何年か前に全体が壊れないように工夫するふりをして


巧妙に穴をあけて


手を突っ込んで


お金をつかみ出して


何だか知らないというか、何でこんな人口の自治体にこんなキャパと豪華設備の保養センターが必要なの?みたいな建造物をジャブジャブ建てたのです。


それが、ほんの一部の地域の建設業者さんに、ほんの少しの利益を享受しただけで


ほぼ赤字で運営できなくなって


二束三文で、民間に売却されたことを


ぼくたちは知っています。


それも踏まえた上で、


現政権与党さんは、これまでの失策に文句など付けることなく


新たなる提案をしているわけです。


反対することは悪いことでは無いと思いますが


とにかく


代替案が


全くと言っていいほど見えてきません。


震災の対応のような


普段とは異なる状況のときですら


政策ではなく


政局のことばかり。


そうなると


国民であるぼくらの興味はどこに向かうのかというと


それ以外の選択肢にアンテナが伸びるわけです。


もう、言うまでもなく


そのアンテナのほとんどは


関西発の


「維新」さんへ向くのです。


その会派の方針が明確に打ち出される前に


3,000人もの人が


勉強会への参加エントリーをしてしまうなど


ちょっと気持ちがよくない流れになってしまっています。


またまた政治のことを引き合いにして長い前フリをしてしまいましたが


いろいろなことに気づいて


問題意識を持つことは


会社でも学校でも


どんなコミュニティに所属していようが


たいせつなことだと思いますし、


そうであることが望ましいと思っています。


そんなときにこそ


わけのわからない不安感を


「反対する。」という思考に単純に置き換えるだけではなくて


オルタナティブを意識して


代替案を持つように


レッスンしていきたいものです。


その代替案の質は


最初はどうでもイイんです。


それが


ものさしの目盛に刻まれることが


大切なのです。




原子力発電所の稼働を反対することは悪くはないですが


即効性のある


代替案を聞いたことがありません。


それではまるで


おもちゃ売り場で駄々をこねている


お子ちゃまと


いっしょじゃないでしょうか。





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会社のホームページをリニューアルしました。

http://www.eccentricsolutions.jp/