死後の世界「死の使い」


43 天に届く祈り。コチラ
44 自他の違い無し。コチラ
45 魂の喜びも様々。コチラ





オランウータン、何と可愛いーっ💕
美しく澄んだ瞳を見るだけで泣けてくるっ!
飼うというより一緒に暮らしたいっ無理
やろけどっ笑。
むっちゃ賢いから
子守り 
🦎ハチュ&ニャン守り🐈
 くらいしてくれそうーっ!🦎🐈

動物は 何でも そのまんまでホーンマに
可愛いのぉ💕ラブ



彼らは生まれて死ぬまで 全てがパーフェクト
存在であるっ!💯💮
邪な心が皆無やから魂を進化させる必要は
無く、周囲から(人間からしか無いが)
の悪に染まることも無い、何と強く美しい
魂やろうっ!🌈✨

世界中の動植物が幸せな生を全うできる
ことを心の底から願うっ!

そう思うと、邪と善の両方の心を持って
生まれる人間はホンマに罪な存在。
それのどちらをどのように、どれだけ成長
させるか?を問われながら生きるしかない。


一点の曇りも無い穢れ無い人生を送り、そして
終えることは 、幼児の段階で植物人間に
なるまたは、天国に還る運命に見舞われるか
ないとほぼ不可能。

そうかと言うて、幼な子(でなくても我が子)
が亡くなるということは、
親心を持つごく普通のにとっては地獄の
苦しみやし、正直 我が子が真っ黒に穢れた
人間であろうとも 長く生きて欲しいと思うの
本音やろう、アタクシは絶対そうです。

我が子が真っ黒になるような素地を作った
責めは自分に多々・もしくは全て
あるのでは?と考えるし、そしたら その黒い
穢れの重さを一緒に背負いたくも思うし、
その分ちょっとでも楽に生を生きて欲しい。


そう思うと自分であれ子であれ、穢れという
恥を取り繕ろおうがそのまんまであろうが、
身体に引っ付けて生きるのが人の姿。


自分も含めて黒歴史が1つも無い人なんて
皆無、邪心あればこそ人間 とも言える、
あーやだやだっ穢らわしく恥ずかしいっ!

せめてこれ以上穢れぬよう、ほんの少しでも
美しく生きれるよう何とか努力しつつ、

死の巡り
来るまで生きな しゃーないです。


死期って自分では選べへんのよね、
自分の生や命であるはずやのにっ!

いくら本気で死のうと思ってビルから飛び降り
ようと毒を呷ろうとその巡りでなかったら、
幸か不幸か生き永らえてしまう。

死ねへんっつうことは、もしどんなに苦しくて
死にたくても、残念ながら?嬉しいことに? 

もっと生きよっ!

命じられてることなんですね。

生きたい人はそれで良いけども、心の底から
死にたい人にとっては地獄かも知れません。





そやから 本気で死にたくて自死を完遂した
人は、御本人の意識で言うと

無事に死ぬことができた

になるんやと思います。

アタクシの逢った 亡くなった人たち全て、
そういった達成感をお持ちでした。
そこに 死に至るまでのプロセス の違いは
全く無い、その後に残る心持ちには若干
相違ありやけども。



自死希望者でなくても、平均寿命を何年も
通り越した超御高齢者にとって死は
身近であるからか、

「こないだ同世代の◯◯はん がコロっ!と
逝かはってねぇ、ホンマ羨ましいわぁ。
私もあんな風に上手ぁいこと死ぬこと
できるんやろかぁ、、、?」

というような言葉を幾度か聴いたことがある。

いやもう、死という巡りに対して達観して
はるというか、少し不安が入り混じりつつ
心待ちにしてはる というか、、、
何とも形容し難い
( 軽佻浮薄ではない 別の、深い意味を
持ちつつの) 軽さ を、その方たちの言葉
から感じ取ります。


その軽さを解りやすく表現するならば
執着の無さです。執着という心の状態
を考えた時にあるハズの、湿気と重さが
皆無に近いから。

ただそうなるまでには気の遠くなる年月や、
数多の艱難辛苦などが重ねられてるワケで。

だからこその 深い軽さやったんやなと、
その後の「今」なって思う。





 

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