努力しても報われないことを悲観し続けた、日々。~家庭内暴力編~ | 「自分も子どもも愛せるママになれる」新宿御苑前子育て相談室

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子どもの拒食症・家庭内暴力を乗り越えた、ベテラン塾講師が、お子さんもお母さん自身も愛せるようになる、スキンシップ&子育ての秘訣をお伝えしています。責める子育てから、子どもを認められる子育てに変わっていけます。

● 努力しても報われないことを悲観し続けた、日々。~家庭内暴力編~

【前回】私の態度が、娘と息子の溝を作ってしまった。

こんにちは、仲村ゆりかです。

娘は、相変わらずお弁当を持っていかない生活が続いていました。

でも、見た目は健康そのものでした。(生理が戻っていないこと以外は、異常はありませんでした。)

息子も、自分のするべきことは、私が何も言わなくてもやってくれていました。

私は、慣れない塾の仕事に苦戦しながらも、やりがいを感じていました。



娘のことで、外部との関わりが出来なかった私にとって、社会に認めてもらえるという仕事は、喜びであり、生きる活力になりました。

とは言え、娘は相変わらず終電帰り・・・。

心が穏やかになることはありませんでした。

本音を言えば、あの時は子どもたちの顔を見ているより、仕事に行っている方が楽だったようにも思います。

それでも、拒食症の時の修羅場に比べれば、どんなこともマシだと思えました。

3人の生活リズムも出来てきたとき、未曾有の東日本大震災が起きました。

私の家や地域は、大きな被害はありませんでした。

が、余震が続き、物資が不足して、この先どうなるのか?不安でいっぱいでした。

子供たちを守らないといけない!

あのときは、大手のスーパーから食品が消えました。

これは、現実に起きていることなのか?

今の時代に、こんなことがあるのか?

と、今まで見た事のない光景に、唖然としました。

そんな時、息子がボックスティッシュを持って帰ってきました。

その時、トイレットペーパーやティッシュペーパーが手に入らず(私が)困っていたことを、息子は見ていたんですね。

息子は、出先の薬局の店先で、数量限定で売っていたのを見つけて買ってきたようでした。

息子は、たくさんの人がいる中で、ボックスティッシュをゲットするまでの様子を、何だか楽しそうに話してくれました。(笑)

いつも、感情をあらわにしない息子の表情を見ながら、とても愉快になり、笑いながら聞いていました。

何も考えていない。

何も聞いていないように見えても、息子は家庭の中の状況を把握していたくれていたことが、私は嬉しかったですね。

全て一人で抱え込んでいた私は、(無意識に)子供達を頼っていたように思います。

震災後は計画停電とか、不自由な生活もありましたが、湯たんぽに毛布を掛けて即席のコタツを作り、3人で入りながら色々話もしました。

震災で大きな被害を受けた方々には申し訳ないのですが、あの出来事で、子供達と心の距離が少しだけ縮まったような気がして、これを機に子供達とも仲良くなれるかも・・・。

そんな期待が膨れあがっていきました。

そして、何よりも娘が生きていること、息子が無事にいることに、言葉にできない気持ちでいっぱいになりましたね。

毎日余震があり、その度にドキドキしていましたが、私の地域は、段々落ち着きを取り戻していきました。

そんな時、私の父親が倒れたと連絡が来ました。

余震がある中、子どもたちを置いて、私は急いで帰省しました。

震災のショック、子どもたちを関東に残していることが気がかりで、私の頭の中は飽和状態でした。

そんな状態であるという事は、周りには分かりません。

母親は、いつものように自分の意見だけを私に押し付けてきました。

父を心配をする気持ちより、母親と関わることの不快感の方が上回っていくことが私には分かりました。

疲れている私には、母親の容赦ない攻撃的な言葉は、私をズタズタにしました。

今思えば、母親も父親が倒れて、気持ちを整理が出来ず、将来の不安を抱えてパニックになっていたのだとは思います。

でも、心の余裕もなく、母に対して嫌悪感のある私にとっては、そんなにアッサリ納得いかない所が、私と母親との確執の深さなのです。

体力的にもですが、私の心の疲労感は半端ないものでした。

「幸せになりたい!」と頑張っても頑張っても、押し寄せてくるのは良くない出来事ばかり・・・。

「努力って、報われない人もいるんだ」と悲観的な言葉が私を支配し始めました。

この先私は、どんなに頑張っても幸せになれないのかもしれない・・・。

「こんなに頑張っているのに、何で?私だけ?」

そんな言葉を心の中でよく叫んでいました。

私の心は固まっていました。

あの頃の私は、目に見えていることは理解できているようで、全く思考がついていっていない、脳が死んでいるような感じでした。

「何も考えずここからいなくなったら、楽になれるのかな~?」

「もう、何もしたくない!」

父親のことは心配でしたが、(私の頭の中は)そんなことばかりを考えていました。

子供のことが心配で、父親のことは母親や兄にお願いして私は関東に戻ってきました。

子供たちは、何もなく過ごしていたようで、ホッとしました。

その反面「何で全部一人でやらないといけないか?」と思いが体の奥から込み上げてきて、涙が止まりませんでした。

このころの私は、子供達を守るというより、自分を保つことに必死だったような気がします。

それでも、神様は私に次の試練を与えました。

続きは、次回です。


★息子の家庭内暴力に至るまでの家庭内環境&私の心の葛藤については、コチラをご覧ください。

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