星野仙一がドラフトで指名されたのは1968年秋、星飛雄馬が大リーグボール1号を武器に、日本シリーズで阪急を倒し、カージナルスのオズマと闘った時期。
星野仙一のプロデビューは1969年、飛雄馬が日高美奈死去のショックで出遅れ、大リーグボール1号を復活させ、オズマに打たれた時期であった。当時の中日の投手は小野、正一小川健太郎など。
 
水島新司の「野球狂の詩」で、中日時代の星野仙一が「故意落球」をしたのは、文庫5巻「監督はつらいよ」であった。「ドカベン」の少年チャンピオンコミックス29巻、明訓と信濃川高校の試合で、山田太郎は小さいキャッチャーフライをワンバウンドで捕り、本塁を踏んで三塁走者をフォースアウトにした。
 
 
 
 
 
1975年
大洋の左門豊作が伴宙太に貸した「左門メモ」にあったデータ。

中日・星野仙(一)のナックル
広島・外木場のシュート
阪神・古沢のスライダー
ヤクルト・松岡のスライダー

"ビッグ"ビル・サンダーがこれらを再現し、飛雄馬の打撃練習に応用。
 
>星野氏は巨人戦は歴代6位タイの35勝。沢村賞を受賞した74年には巨人のV10を阻止した、王氏にとってはいわば宿敵。
 

星野仙一さんが亡くなりました。1973年巨人V9、74年中日セリーグVの時期、星野氏は中日の投手として活躍していたようです。75年当時、左門メモにも外木場とともに星野仙一投手の名がありました。91年の「よみがえれ侍」で番場蛮の甥が落合と対戦した時、中日は星野監督、巨人は藤田監督の時代でした。

午後4:37 · 2018年1月11日

 

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