病院が患者の受け入れを拒否するたらい回しで、妊婦が亡くなったと想ったら、今度は未熟児が犠牲になった。受け入れが法に触れる(または拒否が法的に問題ない)のであれば、法規を変えて、受け入れより拒否のほうが重い罰則を受けるようにすればいい。
飲酒運轉とひき逃げの関係を観ればわかる(ひき逃げは断じて逃げられないようだ)。
江戸時代には麻酔のもとになる薬草が麻薬と同じように禁止されていたようで、医者が違法を承知で人助けのために使う展開が時代劇のTBS『大岡越前』とフジテレビ『銭形平次』にあった。

社会全体が子供を守る心構えはあるか
受け入れ拒否をした病院は、その未熟児の命をどうしたら助けることができるか、何も考えなかった。
こうなると、社会全体が出産を子供を望んでいない、子供を助けようとしていないように想えてくる。

病院がどこも満床で医者が当てにならない以上、各人が医者の代わりに医学を学んで、できるだけ、自分や家族の治療をすべきであろう。
江戸時代を描いたドラマでは産婆さんがいて、出産のときは自宅に産室を設け、家のご婦人が集まって手傳った。医者が治療するときは周りの人間が患者を抑えるなど、補助した。
むしろ、江戸時代に戻ったほうがましであろう。
いわゆる「赤ちゃんポスト」があるだけ、今のほうがましである。車のハンドルを握る人は、子供が周りのどこにいるか確認し、周圍では子供が車に近寄らないよう、押さえておく必要がある。
└→交通事故を防ぐにはどうするか

少子化については何が問題か曖昧I
病院がどこでも満床であれば、患者が余っているのだから、人口が減れば満床でなくなる可能性がある(医者も同じ割合で減ると同じことだが)。
また、企業が人員削減をして内定取り消しをしている以上、これも人間が余っていることを意味する。
そうなると、社会全体が人間を拒否しているわけだから、子供を産まない、あるいはそもそも結婚をしないという選擇肢は環境への適応である。
妊娠や出産をしても、今の日本には病院がないのと同じだからだ。

日本の人口はロシアより少し少ないくらいで、人口密度は世界的に多い。
日本の人口が減っていくとしたら、それは多すぎたのが元に戻るだけの話である。

以前、視聴者を辯護する番組で「子供を産まない女性を辯護する」というのがあった。
そこでは「地球上に人間が増えて地球環境が問題になると、人間が自動的に(無意識のうちに)出産を抑制する」というもので、科学的には疑問の余地があるが、少子化が必ずしも悪ではないことを意味する。
└→少子化は地球環境を守る本能である

少なくとも今の社会は少子化を嘆くと言いながら、やっていることは少子化を望んでいるとしか想えない。

「少子化で社会の活力が失われる」というのもまったく曖昧で、少子化を嘆く理由にならない。何がどうなれば「活力」があると言えるのか定義がないし、そんなもの、単なる気の持ちようである。それなら日本より人口の少ない国には「活力」がないのだろうか。そんなことはなかろう。

少子化については何が問題か曖昧II
以前、大前研一が雑誌で「少子化の本質は結婚件数の減少だ」ということを書いていた。結婚した家庭では、2人、3人の子供を産んでいる場合が多く、結婚しない人が増えたので少子化が問題になっているだけの話。すると、「結婚した夫婦の多くが子供を1人しか産めない」ことを大前提にした政府の対応は間違っていることになる。
「男女平等」など嘘ばかりで、男は仕事をしていても正規社員でないと、まず、結婚ができない。非正規社員では子孫を残す以前に結婚どころではない。
つまり、企業が学生の内定を取り消すことが少子化の原因である。言い換えると、企業が生き残りのために人員削減をするのは、社会全体が「人はいらない」と言っているのと同じで、むしろ、人口を増やさないほうが人類のためである。
内定取り消しがある以上、日本の労働力は不足どころか、まだ過剰と判断していい。

中国では一人っ子政策を実施しており、社会全体がその子供を守る考えがないので、学校を「おから工事」で作る。自然災害から子供を守る考えがない。日本では企業や行政、民衆全体が最初から子供を拒否している。

現在、地球規模では「いかに人口増加を抑制するか」が最大のテーマになっている。日本で少子化を問題視するのは日本という国だけを見た視野の狭い考えだ。

厚労相だった柳澤某が「女性は子供を産む機械」だと言ったことから考えると、「少子化を嘆く人は労働力を機械の部品と見ているのだろう」と想えてくる。もし、政府が人間でなく機械を望むのであれば、ロボットを増産し、それに介護でも助産でもさせればいい。
人間は機械を作れるが、人間を産む機械は存在しない。

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2008年12/3