雑誌「ゲームボーイ」その3 ・ 道場シリーズ
渡辺幸一(血血子)さんが書かれていた、”道場シリーズ”です。
毎回、テレビゲームをネタにしたコラムなんですけど…、イッチャッテルんですよ、内容が。
これは、第五回ですね。”ボンブリス道場”。
ちなみに、左下のイラストは、このコーナーのマスコットキャラ、胎児くん。
そして、これ、”ゲームボーイ”の最終号(1994.8)に載った”サヨナラ道場”。
見開きカラーで、敵のボスキャラ曼荼羅。中央下に、ホルマリン漬けになった”胎児くん”が…。
雑誌「ゲームボーイ」その2 ・ 新・携帯主義革命宣言
新・携帯主義革命宣言。勇ましい題ですけど、携帯ゲームコーナーのことです。
今現在、携帯ゲーム機として、ニンテンドーDSとPSPが発売されていますが、1993年当時、携帯ゲームといえばゲームボーイでした。
当時、任天堂から発売されていた携帯ゲーム機、ゲームボーイは、人気がかなり下火でした。この後、いわゆる”ポケモン”が発売されて、また勢いを取り戻すんですけど、この頃は、もう終わりかけてるハードだ、と言われていました。
ゲームボ-イという雑誌は、他誌であまり注目されていないソフトをよく紹介していたので、この企画は、いかにもゲームボーイらしい企画といえますね。
当時、もう一つ携帯ゲーム機がありまして、セガから発売されていたカラーの携帯ゲーム機、ゲームギアというハードがありました。(ゲームギア、めちゃくちゃ電池を食うんですよ。単三電池を6本使用するんですが、2-3時間しかもたないんですね。セガのゲーム機、メガドライブのACアダプタが使用できたので、専らACアダプタを付けて遊んでいました。中々携帯出来ないという欠点があるんですね 笑)
このゲームギア、セガハードのゲーム専門誌でも、1-2ページくらいしかソフトが紹介されない、という、ゲームマスコミから完全にソッポを向かれていたんですよ。
そこに目をつけたゲームボーイ編集部。さっそく、コーナーが出来ます。
”ゲームギア(GG)分隊”。だんだんページ数も増えてきて、特集を組んだりして、セガとべったり、な関係になってました。
ゲームギアで、セガから「ソニックドリフト」というレースゲームが発売されたんですが、セガの開発チームと、編集部のアニキ倉西さんの対決企画がありました。毎月、タイムを競う、対戦をする、という企画でした。
これは、その企画のページでのアニキ倉西さんの写真。トイレの時間を惜しんで、トイレの中でも「ソニックドリフト」を遊ぶ、という写真です(笑)。
わぁ! 前が見えてますよ! という(笑)。
雑誌「ゲームボーイ」その1 ・ ガバス企画
雑誌「ゲームボーイ」は、1985年~1994年にかけて発刊されていた、テレビゲーム雑誌です。その雑誌の企画のいくつかを紹介します。
注) 私が買っていたのは、1992年~廃刊までの2年ほどなので、それ以前の事については知らないし、紹介しません。
まず、以前書いた”ガバス企画”。
読者ページで、”ガバス”募集の告知がありました。
ガバスというのは、ファミコン雑誌”ファミコン通信”のクーポン券です。雑誌に毎号付いていて、他には読者コーナーにネタが掲載されるともらえるモノです。これを集めて編集部に送ると、送ったポイントに応じて、ゲーム本体やゲームソフトと交換できるというシステムです。
”シャレにならない企画シリーズ!”と書いてあるように、初めはただの冗談だったと思うんですが、数ヶ月(「ゲームボーイ」は月刊誌です)で8500ガバス以上集まったそうです。それで実際に、ゲームボーイ編集部がファミコン通信に集まったガバスを持っていったんですね。
ファミコン通信の方でも、ガバスのシステムが少し変わったので、その告知も兼ねて、その企画が実現したみたいですけど。
これは、ゲームボーイ誌のその記事です。
何か色々やってますけど(笑)、結局、ゲームボーイ本体(ゲーム機の方)1台と、ファミコン通信ステッカー10枚と交換して、それを読者プレゼントしたんですね。
ファミコン通信の方でも、掲載されて(こっちは、カラーで)、
上の画像の1コマ目、ゲームボーイ編集部のスタッフなんですが、画像をクリックして大きくしても、字がよく見えないので紹介します。左から、出光国王さん(ホモキャラ、ホントはどうなのか知らないですよ 笑)、大栗さん(読者コーナー担当)、アニキ倉西さん(バイセクシャル・キャラ、ホントはどうなのか知らないですよ 再笑)。
ヒゲ眼鏡の人は、浜村弘一さん(ファミコン通信編集長。現在エンターブレイン社長)。
ゲームボーイスタッフ、散々な扱いですけどね(笑)
雑誌「ゲームボーイ」と、アニキ倉西。
学生時代の一時期、テレビゲームにはまっていました。高校、大学にかけて、友人にテレビゲーム好きが多かったからですけどね。
テレビゲームが好きとなると、当然、ゲーム雑誌も読むわけです。ただ、軍資金が少ない学生時代、雑誌を購入するとなると、何らかの付加価値がついてるのしか買いませんよね。
それらのゲーム雑誌の中で、一番くだらなかったのが「ゲームボーイ」というゲーム雑誌でした。
これは、1994年8月号です。
「ゲームボーイ」という誌名ですが、1989年に任天堂から発売された、携帯ゲーム機”ゲームボーイ”とは関係なく、その4年前、1985年に創刊されたテレビゲーム雑誌です。任天堂のゲームボーイの方が、名前は後から付いたんですね。
この雑誌、普通にゲーム情報も載ってるんですけど、何か他のゲーム誌と変わってるんですよ。”笑い”があふれているというか。真面目なゲーム記事の合い間に、バカをやってる編集者/ライターの文章があって。
あと、この雑誌、他ゲーム誌であまり取り上げてない、有名ゲーム(ドラクエとか、ファイナルファンタジーとか)の陰に隠れて紹介されない面白いゲームをメインで紹介していたので、この雑誌だけ読むと、当時の雰囲気が分からないかもしれませんね。普通、他のゲーム誌なら、十数ページで特集を組むようなドラクエや、ファイナルファンタジーの記事が、1ページ、下手すると数行しか載ってない、なんて事もありましたし。
ゲーム雑誌の中であまり売れてなかった(ホントなのかどうかは、知らないですけどね(笑)雑誌の中でよく言われてました)からなのか、色々変わった企画が多くて。
例えば当時、ゲーム雑誌”ファミコン通信”に、毎号、”ガバス”というクーポン券が付いていたんですね。読者コーナーに投稿しても”ガバス”は、貰えましたけど。この券を集めて”ファミコン通信”編集部へ送ると、その送ったポイントでゲーム機やソフトと交換できる、というもの。
この”ガバス”を「ゲームボーイ」読者から募集して、「ゲームボーイ」編集部に送られてきた大量の”ガバス”を、実際に”ファミコン通信”編集部へ持って行って、交換した賞品を読者プレゼントする、とか(笑)。
でも、この雑誌、今はもうありません(1994年に廃刊)。私は、毎月買ってました。読者コーナーにネタを送っていたくらい好きでした(4コマ漫画とか)。
この雑誌のキャッチフレーズが、”自称ゲーム誌界のポル・ポト派”でしたから(笑)。
この雑誌の編集者でライターだった、アニキ倉西さんという方がすごくて。
当時、彼は20代半ばだったと思うんですけど、この雑誌の中では、バイセクシャルのキャラで(笑)。ホントはどうなのか知りませんよ(笑)雑誌の中では、です。
この雑誌ではアニキ倉西さんのキャラが際立ってて、彼の雑誌、みたいな感じでしたね。
私、”この雑誌「ゲームボーイ」”と、”アニキ倉西”さんが好きだったんでしょうね。この雑誌の廃刊後は、テレビゲームをあまり遊ばなくなってしまいました。ちょうど、プレステが出るちょっと前で、スーパーファミコンが衰退していくのと同時に、テレビゲームで遊ばなくなった感じですね。
最近、何気なく、”アニキ倉西”でネット検索してみたんですね。一つだけヒットして、3年前に書かれた記事で、”某雑誌の編集長に昇進した”というのが出てきて、エッと、驚いて。
慌てて、本名の”倉西誠一”で検索すると、たくさんヒットして。今、「電撃プレイステーション」というゲーム雑誌の編集長をやられてるんですね。ここ7-8年くらい、またテレビゲームを遊びだしたんですけど、任天堂関連の雑誌はたまに見るんですが、プレステ関連のゲーム雑誌は、全然見なかったので、知りませんでした。
何かうれしいですね。
雑誌「ゲームボーイ」に載ってた、15年位前のアニキ倉西さん(左)。
今のアニキ倉西さん。あんまり変わってないなぁ。
ゲーム&ウォッチ
任天堂が、1980年から発売していた、携帯ゲーム機の”ゲーム&ウォッチ”についてです。
”ああっ!! ” のおふるさんのところで話してたんですけど、ゲーム&ウォッチが懐かしいな、と。
確か、押入れに入れてたな、と探してみると、いくつか出てきました。
上の赤いのが、「オクトパス」です。海へ潜り、大ダコの足から逃れて、大ダコの真下にある、宝物を取って船へ戻る、ゲーム。
下の緑のモノが、「ドンキーコングJR.」。ドンキーコングの3作目です。マリオに捕まったドンキーコングを、息子のJR.が助けに行くんですね。カラスや罠が襲ってくるのを避けて、コングがいる檻の前に吊り下がっている鍵を取って、檻の錠を開けて、助けるゲーム。
ゲーム&ウォッチというのは、とにかく、シンプルなんですね。当時の技術では、複雑にも出来なかったんでしょうけど。
シンプルだけど、面白いんですね。当時、ビデオゲームといえば、ゲームセンターにインベーダーゲームがあるくらいで、家庭用のゲームなんて、めちゃくちゃドットが大きい、ゲームのキャラクターは、ドット(点)一つ、みたいなものがあるくらいで。
大ブームで、任天堂以外からも同じようなのがいっぱい発売されていました。
前に紹介した、「リズム天国 」のプロデューサーの坂本勇賀さんの、任天堂に入ってからの初仕事が、「ドンキーコングJR.」のロゴと、罠のデザインだったそうです。
左側のものが、「ピンボール」です。このゲーム、上下、画面が2つあるんですね。
2画面ということで、ニンテンドーDSと並べてみました。よく似てますよね。同じ会社だから、当たり前なのかもしれませんね。
以前紹介した「メイド・イン・ワリオ 」の開発者、清武博二さんの、任天堂入社後の、初仕事が、このピンボールのデザインだったそうです。
ゲーム&ウォッチの液晶は、シャープが生産していました。大ヒットしたので、生産が追いつかないくらいだったそうです。ゲーム&ウォッチのあと、1983年に、任天堂はファミリーコンピュータを発売しますが、そのCPUは、エプソンに依頼しています。シャープは家電メーカーですから、CPUも製作しています。しかし、ゲーム&ウォッチの液晶の生産で大変だから、シャープにCPUを発注するのをやめたそうなんですね。
その代わり、シャープは、その後、ファミコンとディスクシステムの合体機「ツイン・ファミコン」を発売しています。このとき、シャープは、「ファミコン」という名称を意匠登録しました。
この頃、ゲーム雑誌「ファミリーコンピュータ・マガジン」が創刊されていますが、当初は、「ファミコン・マガジン」という誌名にしたかったそうです。でも、シャープが”ファミコン”の意匠を取っていたので使えず、「ファミリーコンピュータ・マガジン」と誌名を変更したそうです。
その後、シャープは、権利を返上したので、ゲーム雑誌名ですが「ファミコン通信」など、”ファミコン”という名称を使えるようになりました。













