☆ベリーってこんなに凄いんです☆
第6章 錬金術と錬丹術
ベリーの凄さを伝えるのに、
まさかの、
『錬金術』と『錬丹術』!?って思われるかもしれませんが、これね、私のなかではめちゃくちゃ面白いんです🎵
でも、もしかしたら、初めてこの言葉を耳にするかたもいらっしゃるかもしれませんが、
科学の元祖の偉人、『ヘルメス』をご存じなら少し話しはわかると思いますが、科学的な内容の記事にしたいわけではなくて、あくまでも、ベリーダンスの凄さを書いていきます。
まず、わたしはベリーをやりはじめ、體で縦軸と横軸に氣付き、『中心点』の凄さに氣付きました。
その中心点が丹田とはまだ知らぬ頃、ベリーの動きをしながら、必ず縦軸と横軸を感じていて、そうすると、勝手に中心点に意識が向くのですよね。
その意識の中で體を動かすだけなのですが、中心点を必ずとらえながら動かしていくこと、この、単純なこの意識が、體の不思議な感覚をどんどん強くさせていったんだと、今になってわかります。
中心点を感じながら、そこから縦横それぞれに円を描く。
中心点を感じながら、そこから縦横斜めそれぞれに八の字を描く。
円が繋がり螺旋になり、
円が繋がり無限大♾️になり、
円が繋がりフラワーオブライフになる。
背骨に振動が伝わりリズムを刻む。
意識的に中心点に圧を集めるときもあれば、
円を描く意識のなかで、體の力が抜けるとさらに中心点の意識が強くなる。
そんなふうにベリーで體を動かしながら、縦横中心点の意識が必ずそこにありました。
頭の中は真っ白で、全集中という感じです。
思考はもちろんありません。
ただ、體の意識のみ。
思考が一切なくなる状態にもちろんなるんですが、『無』なんですよね。
でも、體の意識はあるんです。
レッスンするとこんな状態になるので、いつも頭はスッキリしてました。
あるときは、レッスン中、いつも通り音楽をかけながらレッスンをしていて、
いつものように鏡をみながら、動きます。
突然、『はっっっ!』と氣付きました。
あれ?私、今どうしてたやろ?
完全に記憶がないのです。
もしかしたら0.1秒くらい?、もしかしたら数秒だったかもしれません。
でも、普通に動き続けています。
寝落ちってしますよね。
あっ!と氣付いたら寝てた。みたいな感じです。
でも、寝てないんですよ。
ちゃんと動き続けているんです。
でも、記憶がないのです。そんな瞬間も経験しました。
もしかしたら、『空っぽ』の、『空』だったのかもしれないなと、今おもいます。
そんなふうに、體の、縦横中心点の意識を持つと、そんな状態になるのです。
これが、丹田なんですよね。
そして、それだけではありません。
レッスンをするたびに、
生徒さんの心が、どっしりと安心して生きるようなマインドになっていくのも感じましたし、一番感じたのはだれでもない、わたし自身です。
いつも、『どしっっ』と構えることができました。
女性は感情的だから揺れやすいかとおもいます。
でも、ベリーをやればやるだけ、
心は常に、『どっしり』としていくのがわかりました。
何か感情的なことがあってもその感情を学び変えていけたり、
状況は変わらなくても、本当の意味で学びに変えると、自分のもつ感情が転換されるのも感じました。
無理矢理良いふうに考えよう、ではなく、
学びに変えたら自然と感情が転換されるのです。
これを、知りました。
丹田は、心を強くしますよね。
どっしりした心を育むのです。
ここまではよく言われている話ですが、それだけではなくて、
学びに変えると、感情が転換される。と、今、書きましたね。
丹田は、心を強くする、だけでなく、
転換するちからがあるのです。
それが、内なる『錬金術』なのです。
わたしはそれを勝手に、『錬丹術』とよんでいます。
錬金術は、物質を変化させるんです。
イエスキリストは、お水をワインに変えました。
これは、『錬金術』です。
イエスキリストは、神様のことだけでなく、四大元素、科学も学び、ありとあらゆる学びをしています。
そのひとつが、『錬金術』です。
錬金術というと、銅を金に変えるとか、物質から物質に変えることを指しますが、
内的錬金術、と言うのは、感情を転換させるんです。
そして、チベットの密教のハート瞑想があります。
これも錬金術です。
世界中の悲しみや苦しみや穢れを、自分のなかに取り入れるのです。
そして、それを愛に転換させて、また世界に戻すのです。
穢れを、自分の體のなかにいれ、
それを転換させて、愛として出していく。
、、、世界中の穢れを自分の體のなかにいれます、なんて言霊でいえますか?
これは、中丹田で錬金術をしていますが、
これは、本氣じゃないとできない行為ですね。
でも、このハート瞑想は、本当に素晴らしくて、
これが、私の原点というか、
一番自分の生き方に近いものだなと思っています。
本氣で、世界中の悲しみや苦しみ穢れを體(ハートチャクラ)に取り込もうと思うと、勝手に、中丹田(ハートチャクラ)で愛に変換されるんです。
これは、意識的じゃなく、勝手に。
だから、神様の愛にふれるから、号泣するんです。 涙が止まらなくなる。
世界のために、悲しみや苦しみ穢れを自分の中に入れてしまおうとする世界にたいしての私の愛が、神様に届き、意図せずとも勝手に愛に変換される、
これが神様の真意、のような氣がするからです。
これが、錬金術なんです。
丹田を使って、錬金術をするんです。
丹田を使う錬金術は、神様の意識に近づくような氣さえします。
一般的に、錬金術は、金に変換させることですね。
それだけ、金に力があるとされていたからでしょう。
そして、わたしはこの錬金術に氣付いたとき、あることにも氣づいていきました。
銅を金に変える錬金術があり、
昔から、皇帝や聖なる存在は、不老不死に取り組んで行くのです。
丹田、深いです。
いい加減、第6章長すぎますね。
いったん終わります!
第7章へつづく。