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木漏れ日の海

フィギュアスケートの羽生選手を応援しています。
プログラムの感想を中心に語ります。

CSで放送された「RE_PRAY 舞台裏SP」を見た。

 

3時間という時間をかけて、たっぷりと放送された。

すごい情報量だったけど、とにかく初見の感想を書いてみたい。

 

佐賀公演の会場での練習風景があった。

「鶏と蛇と豚」

MIKIKO先生とマイク越しで、動きについて相談する。

 

「鶏と蛇と豚」は、埼玉から佐賀までの間に格段にブラッシュアップされたと思っていたけど、本番会場でも磨かれていたとは驚いた。

 

てっきり、ブラッシュアップは、公演の間の練習期間に行われたと思っていたので。

 

本番会場での練習というのは、本番直前ではあるけど、MIKIKO先生に直接見てもらってアドバイスをもらえる貴重な機会なのだろう。

その機会を逃さずにブラッシュアップしようとする姿勢がすごいと思った。

 

「RE_PRAY」の前半部分は、横浜公演でのスケートが映された。

 

「Hope&Legacy」と「阿修羅ちゃん」が続けて放送された。

こうして続けて見ると、その世界観の違い、羽生君の表情の違いに驚く。

 

羽生君のスケートの何が人を惹きつけるのか。

その答えは100ほどあるだろうけど、その大きな要因の1つとして、プログラム世界に入り込むところがあると思う。

 

よく「憑依」と言われる、この凄み。

どうすればこんなことが可能なのか、いつも理解の範囲を超える。

 

「ど」がつくほど真剣にやっているからといっても、自分のなかでは説明がつかない。

たぐいまれなる表現者の器だと思う。

 

今回、前半と後半の間にどうしているのかが、少しだけ明かされた。

なんと、ほとんど休憩をとらずに体を動かしている。

休んでしまうと、もう体が動かなくなるのだという。

 

前半ですでに酷使しているので、体は本能的に休息を欲する。

そこを、ある意味、だますというか叱咤激励して、後半の、あの素晴らしいパフォーマンスにつなげる。

さりげなく明かされたけど、とてつもない。

 

そして、今回の放送の個人的な白眉は、宮城初日の「破滅への使者」だった。

現地で見た方たちの感想で「すごかった」というのはSNSで見ていたけど、まさに。

 

完璧一歩手前の横浜初日、完璧な横浜最終日、最後に構成を上げた宮城最終日がすでに放送されている。

 

それでも、宮城初日はその上をいくすごさ。

 

全てのジャンプが美しく決まるだけではなく、余裕がある。

プログラムへの入り込み方も一番かもしれない。

 

この宮城初日が、「破滅への使者」の完成形だったように思える。

その完成度たるや、なんだかすさまじい。

 

ここまで完成した姿を見れるというのは、同じプログラムを数か月かけて滑りこんでいくツアーの醍醐味だと思う。

 

「祈り」について。

羽生君の言葉。

「基本的に僕のスケートというものが、基本は常に、どこかしらに『祈り』が存在しているのかなと思って。そういう意味で純粋にテーマを『祈り』というものに振り切っちゃったという感じがしています」

 

ひょっとしたら、この部分が、自分が羽生君のスケートに惹きつけられてやまない一番の理由かもしれないと思った。

 

あと、勝手に思っていることを1つ。

「Quadruple Axel 2024羽生結弦SPECIAL」の表紙が解禁されたけど、この羽生君の表情がとてもいいなと思っていて。

自信と確信に満ちた、明るい表情。

 

羽生君は写真に撮られるとき、漫然と撮られるということが無い。

必ず、その時に表現したい世界や気持ちを出してくる。

 

この写真がいつ撮られたものかは分からないけど、この表情は、「RE_PRAY」を満足いくものとして滑りきることができたことの表れかなと勝手に思っている。

 

「RE_PRAY」のツアーを通して、素晴らしいスケートを見せてもらえた。

最大限の感謝を込めて。

GQの感想を少し書いてみたい。

(売り物の雑誌なので、あまりネタバレにならないように)

 

「氷上は僕にとって母国語」

 

そう。本当にそうだよねと、強く納得。

 

「思い」や「表現」というのは、言葉にならない部分が多い。

 

私は文章をメインとするコンテンツ制作の仕事をしている。

文章がメインであっても、それでも言葉にならない部分がすごく多いと感じている。

 

「これを伝えたい」「こういうふうに伝えたい」という思いはあるけど、それをそのまま言葉にすると、押しつけがましくなって、コンテンツとして成立しない。

 

なので、実際に言葉にするのではなく、構成や全体の流れ、入れ込む事例などによって、伝えたいことを表現していく。

 

小説や随筆でも「行間を読む」という言葉があるけど、まさにそう。

 

例え文章表現であっても、ストレートにすべてが言葉になっているわけではない。

書いてある言葉の後ろには何倍もの思いがあって、それを読み取る、感じるというのも読書のうち。

 

文章であってもそうなのだから、絵画や音楽、舞踏というのは、言葉で説明するのではなく、表現そのものから感じて読み取るのみ。

 

そういう意味で、羽生君が言う「氷上は僕にとって母国語」というのは、本当にそのとおりだと思う。

 

「母国語」というのは、最も自由に表現できて雄弁なもの。

羽生君にとっては、それがスケート。

 

スケートに、思い、経験、哲学、思想、気持ち、感情など、全てがこめられている。

 

そして、「30年」。

 

今回、この言葉を聞くことができて、驚くと同時に嬉しかった。

 

フィギュアスケートは肉体的な負担が大きいから、どうしても期間が短いのではないかと思い込んでいた。

 

ところが、羽生君はこれから30年先まで滑ることを視野に入れているという。

 

最近、バレリーナの森下洋子さんの本を読んだ。

森下さんは75歳になる今も、現役のプリマドンナとして舞台に立っている。

舞踏歴は、なんと72年。

 

バレエを深く愛し、バレエとともにある。

 

そんな森下さんの言葉と存在が羽生君に重なると、勝手に思っていた。

 

そんな中で聞けた「30年」という言葉。

 

羽生君もスケートを深く愛し、スケートとともにある。

それだけ大きなものを見させてもらっているのだなと、改めて思った。

眠る前に「Danny Boy」を見ることが多い。

 

何度見ても、心が震えるプログラム。

 

技術的にも内面的にも非常に完成されたプログラムだと思うのだけど、先日放送された「nottes tellata」舞台裏での姿を見て、その理由の一端が垣間見えた。

 

「nottes tellata」では3本のプログラムを滑ったのだけど、1本を滑り終える度に、次のプログラムまでの時間に強度が高めのトレーニングをする。

 

そうすることによって、1日に3本のプログラムをベストな状態で滑ることができるのだという。

 

「Danny Boy」を見ていると、そのトレーニングの様子が脳裏をよぎる。

 

この極度に美しい、完成されたスケートの裏には、本番の合間をぬった、あの厳しいトレーニングがあったのだと。

 

そして、テレビには映らないところでの、日々の厳しいトレーニングがあることが、まざまざと思い浮かぶ。

 

羽生君のスケートを見ていると、その技術と心根の美しさに魅了されるのだけど、それは決して「なんとなく」で生まれるものではないことを突き付けられる。

 

その「美」には、それだけの理由・鍛錬・思考があるのだということが。


 

最近、羽生君のアーティストぶりがすごくて、芸術関係の本に興味を持つようになった。

 

そこで、手あたり次第に、興味を持った芸術分野の本を読んでいる。

葛飾北斎、バレリーナの森下洋子さん、バイオリニストのパガニーニ、指揮者のカラヤン、仏師の円空などなど。

 

その一環として、恩田陸さんがバレエを題材にして書いた小説「spring(スプリング)」を読んだ。

「これは羽生君に通じるなあ」などと、勝手にひとりごちながら。

 

そんななかで、印象的な言葉があった。

(以下、引用)

 

「卓越した音楽家やダンサーとそうでない者の違いは、一音、一動作に込められた情報量の圧倒的な違いだ。彼らの音や動きには、単なる比喩でなくそのアーティストの内包する哲学や宇宙が凝縮されている」

 

まさに、羽生君のスケートがそう。

 

そこに込められたものが圧倒的なので、何度も何度も見る。

そして、何度見ても心が震えるし、発見がある。

 

MIKIKO先生が「RE_PRAY」に寄せた言葉が浮かんでくる。

 

「"羽生結弦"の表現に触れられることは、きっとこの時代を頑張って生きている私たちへのご褒美です。」

 

本当にそうだと、しみじみとかみしめる。

「nottes tellata」舞台裏を見た。

 

そして、またまた、驚いた。

 

今年も「notte stellata」では3本のプログラムを滑ったのだけど、なんと、そのプログラムの合間に厳しいトレーニングをしていたという。

 

映像で見る限り、負荷が高めのトレーニングに見える。

そして、取り組む姿勢が真剣そのもの。

 

いつも、羽生君のスケートの舞台裏が放送されると、驚かされる。

そんなに厳しくトレーニングをしているのかと。

 

もちろん、あの素晴らしいスケートの裏には厳しいトレーニングがあることを予想しているけど、いつも、その予想をはるかに上回っているのだ。

 

見に行く観客にとっては一期一会。

そのことをこんなにも汲み取って、最高のものを見せようとするとは、なんというプロ意識。

 

羽生君は競技時代から、エキシやアイスショーでのプロ意識が高かった。

いつも全身全霊で、その時々の最高のものを見せてくれていた。

 

それを踏まえたうえで、それでも思うのは、プロ意識もまた、進化しているということ。

 

プロになってからは、ますます、「見てもらう」「魅せる」という意識が高くなっている。

 

「何のために滑るのか」という問いかけと、それに対する答えもまた、深くなっているように思える。

 

それが1つ1つのプログラムに現れている。

 

技術、表現、演出、思考。

 

あらゆる面において、常に上を目指す。

それが羽生君のスケートなのだと、改めて突き付けられた。

「RE_PRAY」横浜初日のCS放送を見た。

 

この日は現地だったので、約2カ月ぶりの再会に感無量。

 

現地では自分史上最も近い席だったこともあって、とにかく羽生君のスケートの美しさに圧倒された。

 

そのスケートには、無駄な力が全く入っていなくて、シュルシュルと滑っていく。

 

力強さと繊細さ、軽やかさと存在感を兼ね備えた羽生君のスケートのすごさが、ダイレクトに伝わってきた。

 

生で見た羽生君は、とにかく綺麗で、そのキラキラとした残像が今も残っている。

 

そして2カ月ぶりに、今度は放送で、そのスケートを見た。

 

まず伝わってくるのは、フィジカルの充実ぶり。

滑りや動きにキレがある。

 

そして、現地で受けた印象と違わぬことが確認できた。

 

「鶏と蛇と豚」は繊細に作り上げられていて、その完成度の高さに驚いたけど、放送で見ても、やはり同じ印象。

 

そして6分間練習。

現地で見たときは、動きに全く無駄がなく、「破滅への使者」を完璧に滑りきることに照準があわせられていると思ったけど、これも同じ印象。

 

6分間練習の時からジャンプが高くて、きれい。

 

そこからいよいよ「破滅への使者」が始まる。

 

ジャンプが決まる度に、会場のボルテージがあがっていく。

 

5連続ジャンプの最後でステップアウト気味になって、少しくやしそうに見えたのも、放送で見ても、そうだった。

そしてフィニッシュの時の会場の熱気。

 

拍手がなかなか鳴りやまなかった。

その素晴らしい演技に、いつまでも拍手をしていたかった。

 

そして、後半。

 

ここからがまた、キラキラと美しかった。

 

「いつか終わる夢;RE」

「天と地のレクイエム」

「あの夏へ」

 

プログラム世界に没入し、ひたすら見つめていた。

 

そして、最後のプログラム、「春よ、来い」。

この日は、とりわけ慈愛を感じる滑りだった。

 

MCでもリラックスして話してくれているのが放送で表情を見て分かったので、嬉しかった。

 

そして、「SEIMEI」。

 

この日は、平昌オリンピックで「SEIMEI」を滑って2連覇を決めた記念の日。

会場のファンもみんな知っているようで、とりわけ盛り上がった。

この記念日をみんなでお祝いできたような気持ちになって、嬉しかった。

 

横浜初日は、最終日とはまた違う良さがあった。

1つとして同じ公演は、ない。

 

改めて、「RE_PRAY」ツアーの成功をしみじみとかみしめている。

 

プロ2年目にして、こんなにすごい展開があるとは、思ってもみなかった。

羽生君のスケートは、さらに大きく飛躍した。

 

「RE_PRAY」ツアーを個人的妄想で振り返ると、こんな感じかなと思う。

 

期待と不安と悲しみと成功、多くのものが入り混じった埼玉。

 

再生の佐賀。

 

確信の横浜。

 

充実の宮城。

 

宮城最終日には、この先に広がる、大きくて明るい世界が垣間見えながら、「RE_PRAY」ツアーが終了した。

 

まだ見ぬ世界へ、ともに前へ。

 

そんな決意とともに、「RE_PRAY」ツアーが幕を下ろした。