「母国語」そして「30年」 | 木漏れ日の海

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フィギュアスケートの羽生選手を応援しています。
プログラムの感想を中心に語ります。

GQの感想を少し書いてみたい。

(売り物の雑誌なので、あまりネタバレにならないように)

 

「氷上は僕にとって母国語」

 

そう。本当にそうだよねと、強く納得。

 

「思い」や「表現」というのは、言葉にならない部分が多い。

 

私は文章をメインとするコンテンツ制作の仕事をしている。

文章がメインであっても、それでも言葉にならない部分がすごく多いと感じている。

 

「これを伝えたい」「こういうふうに伝えたい」という思いはあるけど、それをそのまま言葉にすると、押しつけがましくなって、コンテンツとして成立しない。

 

なので、実際に言葉にするのではなく、構成や全体の流れ、入れ込む事例などによって、伝えたいことを表現していく。

 

小説や随筆でも「行間を読む」という言葉があるけど、まさにそう。

 

例え文章表現であっても、ストレートにすべてが言葉になっているわけではない。

書いてある言葉の後ろには何倍もの思いがあって、それを読み取る、感じるというのも読書のうち。

 

文章であってもそうなのだから、絵画や音楽、舞踏というのは、言葉で説明するのではなく、表現そのものから感じて読み取るのみ。

 

そういう意味で、羽生君が言う「氷上は僕にとって母国語」というのは、本当にそのとおりだと思う。

 

「母国語」というのは、最も自由に表現できて雄弁なもの。

羽生君にとっては、それがスケート。

 

スケートに、思い、経験、哲学、思想、気持ち、感情など、全てがこめられている。

 

そして、「30年」。

 

今回、この言葉を聞くことができて、驚くと同時に嬉しかった。

 

フィギュアスケートは肉体的な負担が大きいから、どうしても期間が短いのではないかと思い込んでいた。

 

ところが、羽生君はこれから30年先まで滑ることを視野に入れているという。

 

最近、バレリーナの森下洋子さんの本を読んだ。

森下さんは75歳になる今も、現役のプリマドンナとして舞台に立っている。

舞踏歴は、なんと72年。

 

バレエを深く愛し、バレエとともにある。

 

そんな森下さんの言葉と存在が羽生君に重なると、勝手に思っていた。

 

そんな中で聞けた「30年」という言葉。

 

羽生君もスケートを深く愛し、スケートとともにある。

それだけ大きなものを見させてもらっているのだなと、改めて思った。