美に不思議の美なし | 木漏れ日の海

木漏れ日の海

フィギュアスケートの羽生選手を応援しています。
プログラムの感想を中心に語ります。

眠る前に「Danny Boy」を見ることが多い。

 

何度見ても、心が震えるプログラム。

 

技術的にも内面的にも非常に完成されたプログラムだと思うのだけど、先日放送された「nottes tellata」舞台裏での姿を見て、その理由の一端が垣間見えた。

 

「nottes tellata」では3本のプログラムを滑ったのだけど、1本を滑り終える度に、次のプログラムまでの時間に強度が高めのトレーニングをする。

 

そうすることによって、1日に3本のプログラムをベストな状態で滑ることができるのだという。

 

「Danny Boy」を見ていると、そのトレーニングの様子が脳裏をよぎる。

 

この極度に美しい、完成されたスケートの裏には、本番の合間をぬった、あの厳しいトレーニングがあったのだと。

 

そして、テレビには映らないところでの、日々の厳しいトレーニングがあることが、まざまざと思い浮かぶ。

 

羽生君のスケートを見ていると、その技術と心根の美しさに魅了されるのだけど、それは決して「なんとなく」で生まれるものではないことを突き付けられる。

 

その「美」には、それだけの理由・鍛錬・思考があるのだということが。


 

最近、羽生君のアーティストぶりがすごくて、芸術関係の本に興味を持つようになった。

 

そこで、手あたり次第に、興味を持った芸術分野の本を読んでいる。

葛飾北斎、バレリーナの森下洋子さん、バイオリニストのパガニーニ、指揮者のカラヤン、仏師の円空などなど。

 

その一環として、恩田陸さんがバレエを題材にして書いた小説「spring(スプリング)」を読んだ。

「これは羽生君に通じるなあ」などと、勝手にひとりごちながら。

 

そんななかで、印象的な言葉があった。

(以下、引用)

 

「卓越した音楽家やダンサーとそうでない者の違いは、一音、一動作に込められた情報量の圧倒的な違いだ。彼らの音や動きには、単なる比喩でなくそのアーティストの内包する哲学や宇宙が凝縮されている」

 

まさに、羽生君のスケートがそう。

 

そこに込められたものが圧倒的なので、何度も何度も見る。

そして、何度見ても心が震えるし、発見がある。

 

MIKIKO先生が「RE_PRAY」に寄せた言葉が浮かんでくる。

 

「"羽生結弦"の表現に触れられることは、きっとこの時代を頑張って生きている私たちへのご褒美です。」

 

本当にそうだと、しみじみとかみしめる。