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木漏れ日の海

フィギュアスケートの羽生選手を応援しています。
プログラムの感想を中心に語ります。

「RE_PRAY」宮城公演・最終日の録画を見た(今日で3回目)。

 

つくづく思ったのは、「RE_PRAY」で滑られるプログラムは1つ1つが独自の世界観を持つということ。

 

「同じようなプログラム」というのが全くない。

それぞれのプログラムが明確に違う。

 

だから1つの公演で12ものプログラムを滑っても成り立つのだ。

 

「いつか終わる夢」にいたっては、「originai」と「re」がほぼ同じ振付(最後のポーズは違う)。

それにも関わらず、全く違う世界観を持つ。

 

以前も書いたけれど、「RE_PRAY」で滑られるプログラムたちは、おそらく、全てが羽生君の明確な意思によって作られたプログラムだと思う。

 

競技時代、「SEIMEI」や「天と地のレクイエム」あたりから、プログラムづくりにあたって、羽生君の「こういうコンセプトでつくりたい」という意思が反映されているように思う。

 

今回の「RE_PRAY」で披露されたプログラムたちは、それ以降につくられたもの。

すなわち羽生君のコンセプトが反映されているプログラムたち。

 

なぜ、こんなにも違うプログラムをつくることができるのだろう。(そして、そのどれもが素晴らしい)

 

羽生君に関しては、すごすぎて、自分からはミステリアスに思える部分が多々あるのだけど、これもその1つ。

 

1人の人間が、こんなにも多彩なプログラムを滑ることができる。

 

ファンの間でよく言われることだけど、例えば「阿修羅ちゃん」と「春よ、来い」を滑っているのが同じ人だとは思えない。

 

表情、雰囲気、たたずまいが全く違う。

ただ、そうでありつつ、一本、芯が通っているようにも思える。

同じ人だとは思えないけれど、それと同時に、別人だとも思えないという、不思議な現象。

 

この間、夢を見た。

夢のなかで、誰かが羽生君のスケートについて、「プログラムへの入り込み方が謎」といった内容の発言をした。

 

それに対する自分のセリフを、すごくはっきりと覚えている。

 

「羽生君はプログラムを演じているのじゃない。プログラムを生きているんだよ」

 

本当のところは羽生君にしか分からないけれど、自分は(勝手に)こういうふうに解釈しているのだなと気付いた。

 

話が少し変な方向に行ったけれど、とにかく、羽生君の多彩なプログラム世界に魅了されている。

「RE_PRAY」宮城公演が終わって、1シーズンが終わったような気持ちになった。

 

プロ2年目のシーズン。

そこでのスケートの進化、プログラムの充実は素晴らしかった。

 

最近、夜に時間があるときは「RE_PRAY」を、あまり時間がないときは「Danny Boy」を見るのが習慣になっている。

 

「Danny Boy」を見ていてつくづく思うのは、羽生君のスケートの自由自在さ。

 

これだけの技術力と表現力があれば、氷上でどんな表現でもできるように思えてくる。

 

プロになって、その豊かな発想力が、新たなスケートの世界を拓いた。

 

そういう意味では、氷上の羽生君は、誰よりも自由に表現ができる人なのだと思う。

 

その発想力、その技術力、その熱量でもって、思うがままに表現できる。

それだけのものを、今までの努力と挑戦によって積み上げてきた。

 

プロになって、大きな世界の中で自由にはばたく。

そんな姿を見させてもらった「RE_PRAY」ツアーだった。

「RE_PRAY」宮城・最終日をCS放送で見た。

 

リアタイはできなかったので、録画したうえで情報を遮断して、夜中に見た。

この見かたは、競技時代と一緒。

「破滅への使者」があることによって、競技時代さながらの緊張感で「RE_PRAY」を見た。

 

まず最初の「いつか終わる夢」。

 

この時点で、羽生君の充実が伝わってきた。

 

確かなスケーティングと、内面の充実。

なにか大きなものに包まれている安心感。

 

利府に集結したファンの愛情もそうだし、地元の人たちもそう。

そして、仙台・宮城という土地の力。

そういった、様々なものに包まれた安心感というのを、今日の公演を通して感じた。

 

そして、羽生君の気力も充実していたように思う。

 

「鶏と蛇と豚」

「阿修羅ちゃん」

「Megalovania」

 

と続いていくプログラムの随所で、「より良いものに」という執念を感じた。

その一方で、余白や余裕のある滑り。

 

執念と余裕が同居していた。

 

そしていよいよ、6分間練習が始まる。

 

初日の疲れがあるはずだけど、コンディションは良いように見える。

 

軸の細いジャンプが決まる。

 

いよいよ「破滅への使者」が始まった。

 

今日もジャンプが次々と決まっていく。

 

終盤の5連続ジャンプもばっちり。

 

そしてびっくりしたのが、最後の3Aに3回転ジャンプをつけたこと。

ここは、単独の3Aのはず。

 

そこにさらに3回転ジャンプをつけた。

 

これは、初日を上回るという執念なのだろうか。

 

実は、佐賀初日でも最後の3Aの後にジャンプをつけていた。

あのときは、最後の3Aが2回転のようなアンダーローテになった(抜けたのかも)。

 

そうしたら、その後、とっさにジャンプを追加したのだ。

少しでも良くする、上げる、という羽生君のアスリート魂を感じた場面だった。

 

今日は、それまでほぼ完璧だったので、リカバリーというよりは、ブラッシュアップ。

これこそが、オリンピック王者の本能なのかもしれない。

 

そして後半が始まる。

 

「いつか終わる夢;RE」

大切に、慈しむかのように滑られる。

 

「天と地のレクイエム」

ついに、この場所でこのプログラムが滑られるときがきた。

まるでこの場所で滑られるのを待っていたかのようだった。

 

そして、最後のプログラム、「春よ、来い」。

この滑りからも充実を感じた。

 

横浜最終日のときは、「RE_PRAY」が終わってしまうことが、どうしようもなく寂しかったけど、不思議と宮城最終日では、寂しいと思わなかった。

 

なんとなく、おさまるべきところにおさまったような感じがして。

埼玉、佐賀、横浜ときて、この宮城で最終日を迎えることが、とても自然な流れのように感じた。

 

そして、「終わり」とともに、今日は「始まり」を強く感じた。

羽生君から伝わってくる充実が、そう感じさせたのかもしれない。

 

「RE_PRAY」ツアーを通して、確固たるものをつかみ取った。

それを手に、ともに歩んでいく。

そんなイメージ。

 

宮城で最終日を迎えることができて、本当によかった。

そして、新たなスタートを、この地からきる。

 

すごく、前途に開けたものを感じることができる「RE_PRAY」宮城・最終日だった。

「RE_PRAY」宮城公演の初日が終わった。

 

現地組の方々のレポによると、「破滅への使者」をはじめ、すべてのジャンプがパーフェクトだったとのこと。

そしてプログラムもブラッシュアップされていたと。

 

なんてこと。

本当に、すごい人のファンになったものだと、またまた思った。

 

羽生君のスケートを見る度に「今が一番うまい」を感じ続けてきたけど、羽生君のやることを見聞きするたびに、「今が一番すごい」を実感する。

すごさを更新し続ける人。

 

「RE_PRAY」は、初の単独ツアーだった。

 

埼玉に始まり、佐賀、横浜ときて、今回の宮城が凱旋公演であり、最後の地。

これまでに7回の公演を重ねてきた。

 

その1つ1つが、それぞれに違う魅力を持ち、大切なもの。

 

こうしてツアーとして公演を重ねることの素晴らしさを実感した。

1つ1つの公演に、その時の全てが注ぎこまれて、素晴らしいスケートとして具現化する。

 

「RE_PRAY」は1回の公演を見るだけでも、人生の旅路をたどったような気分になるけど、このツアーそのものも人生の旅路だったのかもしれない。

 

ツアーの間にも色々なことがあって、いわれのない逆風が吹き荒れたけれども、その逆風の中でも、羽生君は強さと美しさを失わなかった。

 

失うどころか、そのスケートは、より強く美しくなった。

 

「RE_PRAY」も、残すは最終日のみ。

宮城の地で幸せに包まれることを祈っている。

4月1日は、ヘルシンキワールドで「Hope & Legacy」が滑られた日。

 

今日はネットのあちこちで「Hope & Legacy」の話題があがっていた。

 

2017年4月1日。

あの頃は忙しくて、どうしてもリアタイできなかった。

 

放送を録画しておいて、情報を遮断。

夜中にドキドキしながら録画を見た。

 

ショートプログラム5位から臨んだフリー。

 

リアルタイムではないけれど、祈りながら見ていた。

 

プログラムが始まって、冒頭の4Loが決まる。

次の4Sも完璧。

 

そして後半の4回転2本に向かう。

 

4S-3Tという高難度コンボがきれいに決まる。

そして4本目の4Tも。

 

でもまだ3Aが2本残っている。

 

3A-2T 

3A-1Eu-3S

 

3Aからのコンボが2本とも決まる。

そして最後の3Lzまで完璧。

 

今見返しても、すごいジャンプ構成。

高難度ジャンプしかないので、全く息をつく暇がない。

 

見ているだけなのに、息をつめて見入る。

 

そして、この時の「Hope & Legacy」は、これだけ難しいジャンプ構成なのに、演技全体が流れるようになめらか。

 

力みもよどみもなく、するすると自然な流れにのってプログラムが紡がれていく。

 

まるで、こうなるのがあらかじめ決まっていたかのよう。

 

水が高いところから低いところへ流れるように、川が山から海へ下るように、自然界の定められた法則にピタッとはまるかのように滑られた。

 

この自然にピタッとおさまる感じが、「Hope & Legacy」というプログラムが持つ個性。

 

自然界の流れに身をまかせる。

あるがままの自然の摂理。

 

そういう、プログラムが持つ世界観が、ヘルシンキで完璧な形で現れたのだと思う。

 

羽生君のプログラムは、1つ1つが本当に個性的。

そのプログラム独自の世界観を持つ。

 

同じ完璧な演技でも、プログラムによって現れる世界が違う。

 

そして、そのプログラムが持つ世界が現れる瞬間が奇跡だとしたら、何度も何度も奇跡を見せてもらっている。

 

それは競技時代もそうだし、プロになってからもそう。

 

全身全霊のスケートによって、唯一無二のプログラム世界が立ち現れる。

 

私たちは何度も何度も、そういう瞬間を見てきたし、これからも見せてもらうことができる。

 

積み重ねてきた奇跡。

これからも積み重なっていく奇跡。

 

それこそが羽生君のスケートなのだろう。