※今回の記事は妄想の要素が強めです。
「notte stellata 2024」の録画を繰り返し見ていて、改めて思ったこと。
羽生君がそのスケートを通して愛情や希望を届けたい対象というのは、今生きている人たちだけではないのでは、ということ。
このアイスショーは東日本大震災の鎮魂として捧げられるという側面がある。
以前から「天と地のレクイエム」を見る度に思っていたのだけど、このプログラムを見ていると東日本大震災で逝ってしまった魂をすごく身近に感じる。
それは、私にそういう想像力があるとか霊感があるということではなく、羽生君のスケートが見ている先に、逝ってしまった魂たちがいるからだと感じる。
まるで滑っている羽生君の目の前に魂たちがいるかのような、その悲しみに同化するかのような滑りだと思う。
このプログラムを見ていると、生きている私たちと逝ってしまった魂を区別するのではなく、そのどちらにも気持ちが注がれているような気がする。
悲しみに寄り添い、ともに悲しむようなプログラムだけど、その悲しみというのは、逝ってしまった魂の悲しみでもあり、この世に残された人の悲しみでもあるような。
そのどちらにも寄り添うかのような滑り。(「天と地のレクイエム」は特に逝ってしまった魂に強く寄り添っているように感じる)
そして、今回の「notte stellata 2024」の冒頭での羽生君の言葉は、2011年3月11日以降に生まれてきた命にも言及されていた。
その言葉を聞いて感じたのは、新しく生まれてきた命、これから生まれてくる命への思い。
この世界観は「花は咲く」の歌詞にある世界観に通じる。
そこで思い出したのは、糸井さんとの対談での言葉。
「いま、こうやって、
アイスショーとかで自分の物語を綴ったり、
演技を続けたりして、映像を残していくと、
いつか見てもらえる日が来る。
10年後でも、20年後でも、
50年後でも、100年後でもいいので、
そのときに見てくれた人が
「いいね」って思ってくれるようなものを、
胸を張ってつくり続けていきたいなと
ぼくは思っているんです。」
50年後、100年後に見る人というのは、これから生まれてくる人たちのこと。
そういう人たちにも届けたいという思い。
ひょっとしたら羽生君がスケートを通して愛情を届けたい相手というのは、今生きている人たちはもちろんのこと、逝ってしまった人たち、そしてこれから生まれてくる人たちも含まれているのかもしれない。
現在、過去、未来。
生者と死者、そしてまだ生まれていない命。
そこに区別はなく、同じ大切さで存在している。
今年の「notte stellata」を見ていて、そんなことを感じた。