「あきらめ」と「受け入れ」の境目 | 【ココロと友達】大人の自己肯定感を育てる専門家かとちゃん

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パーソナルトレーナー。

 

真理カウンセラーの
かとちゃんです。
 

 

今週の投稿記事の流れで


「あきらめる」と「受け入れる」の

違いがわからない、


と読者さんからご質問をいただいたので

その説明にチャレンジしてみます。


ちょっと長くなりそう。




「もう、しょうがない……」

という言葉、

たぶん誰もが一度は

使ったことありますよね。


でも、心の中では

「ほんとはイヤなんだけどな……」

って思ってる。


これを「あきらめ」と言いますね。


「受け入れ」とはちょっと違う。


あきらめるときの心は、

どこか「被害者モード」です。


現実に押しつぶされて、

「もう抵抗してもムダ」と

力を抜く感じ。


一方で、

「受け入れる」ときの心には、

ちゃんと「意図」があります。


「これは、

 いまの私に必要な体験なんだな」

って、静かにうなずく感じ。


同じ“起きた出来事”を前にしても、

この意識の違いで

現実の捉えられ方がまるで変わるんです。


あきらめには「仕方なく」があり、

受け入れには「選択」がある。


だから、受け入れることは

負けじゃなくて、

自分の手に人生を戻す行為です。




ここでちょっと言葉の話を。

「あきらめる」は


「諦める」と書きますね。

この「諦(てい)」という字は、


実は仏教の

「四諦(したい)」から来ています。

「四つの明らかな真理」という意味です。


つまりもともと「諦める」とは、

「明らかに見る」ということ。


逃げるでも、投げ出すでもなく、


ただ事実を

“ありのままに見る”

ことなんです。




ボクも昔は(今でも笑)、

イヤなことが起きたら


「しょうがない」って

心をパタンと閉じて

ガマンして

その現実に従っていました。


でもそれをやると、

たしかに多少ラクにはなるけど、


同時に

“感じる力”まで

閉じちゃうんですね。


怒りや悲しみを

感じないようにすると、

うれしいとか感動する感情も

同じラインで鈍くなる。


だから、

「感じたくない現実」を

”受け入れる” というのは、


ほんとは

“感じることを取り戻す”こと

でもあるんです。


それができた瞬間、

不思議なことが起こります。


現実は変わっていないのに、

なぜか心が静かになる。


苦しさの中に、

ちょっとした“ぬくもり”を感じる。


それが、

あきらめと受け入れの境目です。




「あきらめ」は他人軸で、

「受け入れ」は自分軸。


「あきらめ」は被害者で

「受け入れ」は当事者。


外からは同じような行動に

見えるかもしれないけれど

内側ではまったく違う。


でもまあ結局のところ、

あきらめても受け入れても、

どっちでもいいんだけどね。


アナタの人生にとって

ラクな方をどうぞ(^ω^)


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