女性活用で求められている「周囲の理解」

最近、働き方改革という言葉を新聞・雑誌で目にしない日はありません。

特に、企業の取り組みが盛んに取り上げられているのが女性活用。

 

ポイントは、子育てと仕事の両立に悩む女性社員に対する

周囲、特に上司・先輩にあたる中高年男性社員の理解・支援だそうです。

 

短時間勤務や突発的な事情で仕事に穴をあける女性社員に対して、

事情を理解し、周囲の同僚がカバーしてあげようというわけです。

 

本当に求められているのは「理解を踏まえた働き方の改革」

しかし、そうでなくても経営環境が厳しい中、

今までの働き方を変えることなしに、誰かが困っているときは相手の事情をよく理解して、

周りのメンバーが歯を食いしばって頑張りましょう、という考え方で本当にいいのでしょうか?

 

働き方改革の本質は、

グローバル企業に比べて、いつの間にか生産性が低くなってしまっている日本で、

ビジネスパーソン「全員」が、もっと生産性を意識して、

時間・空間を越えた働き方に転換することにあると思います。

 

定時の中できちんと成果が出せるように、もっと仕事の成果を明確にする、

仕事の成果から逆算した計画を立てる、そうしたことをきっちり明文化して伝える、

大事な部分は面と向かって伝える一方で、不要のミーティングは減らし、

可能な作業は在宅等、場所を問わず進められるようにする、 等々、

職場全体の仕事の進め方をいかに生産的なものに変えられるか、

まさに日本のビジネスパーソン全体の「理解」ではなく「行動」が問われていると思います。

「去年と同じように頑張ったのになんで評価が下がるんですか?」

「去年より頑張ったのに、なんで評価は上がらないんですか?」

面談のときにこんな質問が出てくることがあります。

また、こんなことを言われないように、

去年と比較して同じなら同じ評価、頑張っていたら評価を高める、

てなことをする上司の人が多くいます。


しかし、人間としての評価ではなく、

あくまで企業からみた人材に対する評価という基準で考えた場合、

同じことをしてたら同じ評価となるとは限りません。

いや、そうならない可能性の方が高いと言えるでしょう。


企業に対する顧客からの要求レベルは年々上がってきます。

競合他社も切磋琢磨して、よりよい商品・サービスを開発してきます。

去年よりも高いレベルのパフォーマンスを発揮することが

当然のように一人一人の社員に求められているケースの方が圧倒的に多いです。

例えるなら、下りのエスカレーターを頑張ってよじ登るイメージです。


標準評価は、去年以上の頑張りを見せたときに初めてつく、

こういうイメージを評価する人も、そして評価される人もきちんと認識していないと、

評価に対する納得感が醸成されることはないでしょう。





目標管理制度における肝となる目標の設定。

その目標に求められる要件を教科書的に整理しておきます。


よく「SMART」な目標を設定しましょう、と言う説明を評価者研修などではされます。

つまり、

S:Specific 具体的で

M:Measurable 測定可能な

A:Aligned (組織や上司の目標と)整合的な

R:Realistic 現実的な成長度合いの

T:Time-bound 期限が明確な

目標を設定しましょう。というもので、この存在は相当有名なものです。


しかし、これって英語がすっと思い出しやすい5つの単語でない上、

細かいバージョン違いとして、

例えば、AがAchievable(達成可能な)、RがRelated(上位目標と関連した)と

上記のAとRの意味が逆になっているものなどがあり、結構迷わしいです。


これだったら日本語で、

①上位目標と整合した

②現実的なストレッチ目標を

③評価者と被評価者の認識に齟齬ができないよう5W1Hを意識して
 具体的に設定しましょう

と覚えた方がよっぽどすっとくるのではないでしょうか。

とずっと私は思っています。
「公平な評価を行うために、

 客観的で誰がつけても評価がブレない評価制度を作ってください!」

こんなオーダーを聞くことがあります。


残念ながら、とひとまず言っておきますが、

そんな評価制度はありえません。


「営業なんて数値で評価するから客観的で公平。

 研究開発とか、間接部門の評価は難しいよね。」

なんて意見も聞きますが、実は数値にできてしまう営業部門の方が

同じ1億円の売り上げでも既存客なのか、新規顧客なのか、

比較的売りやすいお客さんなのか、難しいお客さんなのか、

などなど、数字の裏にある文脈が、数値で書きされてしまうので、

却って難しいケースの方が多いです。


人間が人間を評価する行為。

これは結局、主観的なものにしかなりえないのです。

評価制度は、それを前提にしつつ、会社としては評価者間の評価項目のブレや、

レベル感の甘辛といった「主観」をなるべくブレがないように近づけていくしかありません。


そんなことなら評価なんてしなけりゃいい。

という意見も聞こえてきそうです。


しかし、評価制度は一人ひとりに点数をつけたら終わり、というものではなく、

なにができて、なにができなかったから、その評価になったのか、

では、次に何をしていけばよいのか、といった人と組織の成長サイクルに

不可欠な営みとして存在しているのです。

評価制度を設計するとき、

「絶対評価と相対評価のどちらがいいんでしょうか?」

という質問を受けることがあります。


評価制度は、そこで決まる評語(評価ランク・評価レベル・・・)が

報酬や昇格など、人件費アップに直結する要素に影響するため、

原資コントロールを簡単にするための相対評価ありきで、

「分布比率を何パーセントずつにしよう?」

「分布をかける母集団をどうする?」

などど、相対評価を前提として制度の設計をぐんぐん進めるケースが見られます。


もちろん、評語をどのように処遇に結び付けるのかは、

人事制度全体の設計からすれば極めて重要で絶対に軽視してはいけない論点です。

しかしながら、逆の言い方をすれば、それは評価制度と報酬制度・等級制度の

インターフェースをどうとっていくかという議論にすぎません。


評価制度だけの世界で捉えるならば、

「一人ひとりの社員が、会社として望ましいパフォーマンスをどの程度発揮したかを測る」

という観点が極めて重要な論点になります。


そして、「誰かと比べて」ではなく、「一人ひとり」の社員を見る以上、

評価制度だけの観点で言えば、絶対評価をきちんと行うことが大原則になるのです。


評価制度のとっかかりは絶対評価から始まる。

当たり前のようですが、見逃されがちな議論なので敢えて強調させて頂きます。
多くの会社の管理職には「人材育成」「部下育成」といった評価項目が入っています。

しかし、その項目を実運用の中で上司の方がどのように評価しているかというと、

「あいつは面倒見がいい」とか

「勉強会(たぶん1回か2回)をやったから」

などというお気軽な理由で高く評価をつけているケースが散見されます。

おそらく、日々組織の成果を出せとプレッシャーをかけている手前、

それに部下育成に多少でも時間を使っていれば十分やってくれている

と上司の方が考えているものが反映されているのでしょう。


しかしながら、経営層の方にお話を聞くと、上司たちはもっと人材育成をしてほしいと

望んでいることも事実です。

常に会社の成長を志向する経営者から見れば、常に自社の人材に物足りなさを感じるのは当たり前。

そのギャップを埋めるために人材育成を重要視するのも必然でしょう。


一方、部下育成を評価項目のうちのたった1項目に設定して、

あとは現場の評価にお任せとしているなら、

これは経営の考えと評価制度にギャップがあると言えるでしょう。


部下育成がうまくいく評価制度は今後も考えていくとして、

制度設計の方向性として、以下の二つみたいな考え方もあると思います。

①人材育成に関する評価項目を複数設定する

②人材育成に関する評価項目は1つのまま、しかし、この評価をつけるときに、

 別の情報もインプットした上でつけるようにする。

 ⇒多面評価結果、アンケート・・・


日本企業の人材育成の質・量の不足は極めて深刻だと捉えていますので、

今後も考えていきたいと思います。


評価項目にはどのような項目を盛り込むか、について考えたいと思います。

まず、入口として考えるべきは、完璧な人間像を評価項目にすべきか、

ということです。

どんな会社でも通用しそうな素晴らしい人間像を反映したMECEな評価項目体系、

人間を公平に評価するためには、このような評価体系こそ望ましい、と

考えているケースは多いです。


しかしながら、これは間違いです。


会社の評価制度は、会社のパフォーマンスを高めるためにあるべきで、

人間として素晴らしいか否かを評価するものではありません。

もちろん、ビジネスを行うために、マネジメントを行うために、定跡となる

評価項目はあるでしょう。

しかし、評価項目に本質的に求められるのはメッセージ性です。


当社は現在このような状況にあり、将来こういう方向性を目指している。

それを実現するにあたって、自社の人材をみると、

この点はよいものの、この点は今後強化する必要がある。

しからば、これまでの良さをよりドライブする評価項目はこれこれで、

今後強化すべきポイントについては、これこれで評価する。

今後強化すべきポイントについてはこれまで重要視してこなかったので、

評価者研修でも重点的に伝えていくし、日々の業務の中でも本人・上司が

しっかり意識して高めるようにしてほしい。


こんなストーリー仕立てで、新しい評価項目に込めたメッセージを語れるか否か、

これが「自分たちの会社に合った」評価項目を作れているかどうかを検証する観点です。

久しぶりのブログですが、ちょっと評価制度設計について考えてみたく。

評価項目に沿った評価を行っていて、
それを昇給や昇格といった重要な処遇の
コンポーネントにひもづける形にしている
企業は非常に多くあります。


その項目は様々で、コンピテンシーを標榜していたり、
コンピテンシー・能力・情意の3段階構成になっていたり、
自社のバリュー(価値観)を項目にしていたりします。


内容については、別で触れるとして、
一目見て、対象が総合職正社員なのに12~20項目と
多めの項目数を設定している評価制度はイマイチだなと思います。


業務のほとんどをマニュアルや決まったことをやる仕事であれば、
詳細な評価項目の設計は可能です。
しかしながら、マニュアルを超えた役割を期待される多くの正社員に対しては、
評価項目はある程度抽象化されたものにせざるを得ません。


また、評価者が使いこなせるかという観点からも項目数が多いのは感心しません。
その評価項目で評価する、というだけではなく、その評価項目を使って部下の
育成をはかることまでできてこそ、評価制度運用となるわけで、
項目数が多くなればなるほど、使いこなすのが難しくなるからです。

経験則的に言えば、項目数的には5~7項目くらいが望ましいと思います。




人事側が「あれが抜けているんじゃないか」と責められるのを回避するために、
あれもこれもとアリバイ作りのように項目を詰め込んでしまうと項目数は増えていく一方です。
そもそも、当社の人材にどのようなパフォーマンスを発揮してほしいのか、
ここを突き詰めていくことが評価項目数を増やさないポイントになるのです。


ようやく決まりましたね。

これまでの経緯を考えると仕方ないと思います。監督やコーチと選手の一体感が全然感じられない上に、それがどんどん悪化してきたような印象。
逆に今までよく意思決定を遅らせたもんだな、とさえ思います。

サッカーの監督論なんかをみると、戦術家としての要素と、モチベーターとしての要素が問われています。

野球でも戦術家として野村監督やら、森監督やらが、モチベーターとしてはスタイルはバラバラになりますが、星野監督の選手だけでなくその家族まで含めた気遣いや長嶋監督のカリスマ性による動機づけがクローズアップされたりしてきました。

もちろん外野の意見ではありますが、真弓監督はそのどちらの要素でも価値を出せていなかったような印象で、辞任は必然の帰結だったんじゃないでしょうか。

こっからはさらに外野の意見になりますが、戦術家と似て非なる存在として、技術論に長けた人が存在するんじゃないかと思います。

こういう人は、解説者やコーチ向きではあるものの、チームのトップ、リーダー向きではありません。

真弓監督はそこに分類される人だったんじゃないかと思ったりします。

そう考えると、いい解説してるから監督になって欲しい、みたいな願望は大きなリスクをはらんでいるんじゃないかと思います。






昨日行きつけのバーの隣の席に座ったマダム二人組。

片方のよくしゃべるマダムが、夫婦で四国一周旅行をした話を延々している。

マダム:「香川のうどんは最高! 四国1周回って、最後にもう一回行っちゃった!」

マダム:「高知は○○がすっごいよかった!」
※○○は聞きとれず。

さあ、そろそろ我が故郷の出番かと待っていたら、

案の定、

マダム:「愛媛は、、、」


マダム:「、、、」


マダム:「、、、、、、」


マダム:「、、、、、、、、、」


マダム:「なんも思い出がない。」


と痛烈な感想。結局何にもないんかいっ!
と心でツッコミながら、かといって、これといったものがないのも事実。

思わぬところで、愛媛の惨めさを覚える日になりました。

ま、何にも触れられなかった徳島よりはマシか。