【育児】
過去の日記を読み返すとわかること
ギャン泣きと
自分勝手な別行動
どちらがより迷惑か?
以下、過去日記転載。
先週のリトミック以降、
グズグズグダグダの息子
金・土は、
2連チャンで夜泣きも勃発
今日はと言うと、
夜泣きにはならなかったものの
5時起床
そして、
朝一ウンチョス、
モ~リモリ~
(↑ベネッセのお兄さん風)
さらに、
オムツ交換を断固嫌がる息子と、
朝からバトル勃発
泣いて暴れて大騒ぎの息子を、
足で羽交い絞めにして、
両足を凄い力で掴み、
怒鳴りちらしながら、
どうにか交換完了
ウンチのオムツ交換だけは、
しないわけにもいかないじゃんか、
おとなしく交換させてくれよ
7時半までの間に3回
朝から、
イライラ&グッタリでございます
そして、
8時には、
既に眠そうな人が若干一名。
もう、
いいや、
寝せてしまえ、
起きなかったら
リトミックお休み
と思ったのに、
結局寝ないし。
早めに出発して、
ウロウロ無駄なドライブするも、
結局寝ないし。
という訳で、
今日のリトミックは、
完全あきらめモード。
泣くことを前提に、
背中に
汗とりガーゼを入れ、
お腹にタオルを入れ、
さぼりたい気持ち
(ママの)
を、ぐっと押さえ
参加しました
でも、
フタを開けてみると、
息子くん、
最後まで、
泣かずに参加
達成!
あれれ?
不思議なものです
結果オーライで、
とても望ましい展開でしたが、
ママは、
まるで、
狐につままれたかのような気分
最初のボール遊びも、
お片づけも、
ご挨拶のお歌もノリノリで参加
と、
ここで「あっち」
と言い出し、
「うんこ(抱っこ)」
と要求開始。
しばし、
抱っこで参加しました
でも、
再びボールが出てきて、
少しご機嫌復活。
そこからは、
単独自由行動
をしておりました。
(笑)
みんなが、
糸まきまきのお歌で、
靴をペッタンしている時は、
壁(一面鏡)のところに置いてある、
棒の上を歩くのが楽しい
みたいで、
一度だけ、
一緒に歌って、
一度だけ、
ペッタンして、
その後
ずっと平均台遊びしていました
みんながお製作で、
星型のおもちゃを作っている時は、
クレヨンを出したり、
しまったり、
セロハンテープをいじったり、
人の作ってるものを、
いじったり、
やりたい放題。
しかも、
座っている場所は、
みんなが座ってるシートの
ど真ん中
相変わらず、
ピアノもジャーンと打ち鳴らすし、
資料や教材が入ってるラックは、
勝手に開けようとするし、
みんなは、
ボールで遊んでるのに、
ひとりだけ
タンバリン持ってるし、
かなり
自己中、
とても
マイペース、
まさに
傍若無人。
前は、
なるべくレッスンに、
みんなと一緒に参加させようと、
「あっちで○○してるよ!」
とか、
「ボール楽しいよ!」
とか、
息子を
誘導するのに必死
でした。
(そういえば。)
今は、
全く気にしなくなってしまいました
むしろ、
自分で興味のある物をみつけて、
自分で遊びを探せるのも良い能力。
振り返れば、
ママがそんな風に変わった頃から、
息子も泣かずに、
少しづつ
参加できるようになったのかも?
いつまでも、
「みんなと同じようにできない」
のも困るけど、
自分で考えて、
自分で工夫して、
自分で
物事を楽しくできることも大切。
とりあえず、
今はこのままでいいかな、
と見守ることにします
とにもかくにも、
今日は泣かずに参加記念日
朝のイライラも、
どこかへ消えてしまいました。
この1週間のグズグズグダグダ、
急成長の前兆だったのかもしれないね
転載おわり。
゚*。,。*゚*。,。*゚*。,。*゚*。,。*゚*。,。*゚*。,
わたしは、
いいお母さんを目指し、
「どう思われるか」
「どう評価されるか」を
気にしていた。
そんな、わたしにとって、
かなり
自己中、
とても
マイペース、
まさに
傍若無人。
こんな息子を「放置」、
もとい、
「見守る」ことは
簡単ではなかった。
だって、
みんなが座るシートの真ん中に座る
とか、
ピアノを勝手に打ち鳴らす
とか、
なんて
迷惑な母親!
なんて
無責任な母親!
なんて
図々しい母親!
なんて
自分勝手な母親!
自分で興味のある物をみつけて、
自分で遊びを探せるのも良い能力。
いつまでも、
「みんなと同じようにできない」
のも困るけど、
自分で考えて、
自分で工夫して、
自分で物事を楽しくできることも大切。
自分を正当化するための、
自分を納得させるための、
必死の言い訳だったと思います。
言ってることは、
ある意味正しい。
とっても前向きで、
とっても教科書的。
でも、心から、
そう思えていたかと言えば、
決してそうではなかった。
お外では、
「見守る」
体裁を取り繕っていたけど、
家族だけの場では、
自己中、
マイペース、
傍若無人な行動
を、
ダメだとしていた。
叱ったし、
怒ったし、
無理やりやめさせたりも
していた。
このときから、
10年以上の時を経て、
やっと、
今になって、
「見守る」ということが、
少しは、
できるようになってきたところだ。
では、なぜ、
息子の好きにさせていたか?
それは、ひとえに、
ダメだしして、
泣かせたあげく、
癇癪、
パニック、
ギャン泣き
になることと、
みんなの活動から離れて、
母親付き添いのもと、
別行動をしていること、
どちらが、
よりまわりに迷惑をかけるか?
どちらが「マシ」かと比較したとき、
一番避けるべきことは、
息子をギャン泣きさせて、
耳をつんざくような
騒音をまき散らす。
どうにもならなくなって、
教室の外に出たり、
戻ったりする。
それが、
一番、
レッスン上迷惑になる、
という
わたしの判断から、
息子に、
みんなと同じ
を促すことをやめたのだ。
そして、
息子はそんな矛盾を感じ取る。
この後の、
成長過程におけるしつけ、
集団生活における教育、指導。
自分の行動は同じ。
それなのに、
許されるときと、
許されないときがある。
ゼロか100かでしか、
考えることが難しい息子にとって、
何が悪いことで、
何がいいことなのか、
そういうことが、
息子を混乱させていたと思う。
それでも、
結果だけをみれば、
そのおかげで、
息子は、
定型発達の子と一緒に、
リトミックを楽しむ機会を得た。
その経験、体験は、
確かに、「ある」のだ。
まる。
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