ルイ・マルが脚本を書き、監督した『さよなら子供たち』(1987)は、ルイ・マルがドイツ占領下にあった1944年前後のフランスの寄宿舎生活を描いた自伝的作品として、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞しております。
遠くで聞こえる爆音以外は銃声も大人の暴力も描かれない戦争映画ですが、少年の眼に映った大戦の事実を少年の友情と別離と共に描いたセミ・ドキュメンタリー抒情詩として、観る者の心を揺り動かす作品ではないかと思います。
ガスパール・マネッス(役名:ジュリアン・カンタン)がクリスマス休暇を終えてカトリック学校の寄宿舎に戻ると、校長のフィリップ・モリエ=ジュヌー(役名:ジャン神 父)が連れてきた3人の転校生の一人であるラファエル・フェジト(役名:ジャン・ボネ)が、ガスバール・マネッスのクラスに編入されます。
自分がクラスで一番の優等生だと自負していたガスパール・マネッスは、数学の才能に秀でたラファエル・フェジトが現れたことで、彼に強い関心を抱きますが、或る日ラファエル・フェジトが寝室でヘブライ語の祈りを密かに捧げている姿を知ってから、彼が校長によって匿われているユダヤ教徒のジャン・キッベルシュタインであることを知ります。
素性を知っていることをガスパール・マネッスがラファエル・フェジトに伝えたことで諍いが生じますが、授業で行われた野外の宝探しゲームで二人だけが取り残されたことをきっかけに、彼等の問に親密な絆が生まれます。
ガスパール・マネッスは母親のフランシーヌ・ラセットに頼んで、親の面会日に一人で過ごすラファエル·フェジトを一緒にレストランに連れ行く様に頼みます。
多くの人で販わうレストランで食事しているところにフランス人の民兵団が現れ、長年の得意客であるユダヤ教徒の老紳士に店を出る様に命じますが、民兵団に愉しい食事を邪魔されたドイツ兵によって、民兵団の方こそ店を出て行く様に命じられます。
ドイツ軍の戦況が悪化し始めた1944年の1月、学校の食糧を闇市で売りさばいていたことが発覚したことで馘首されたことを根に持ったコック補佐のフランソワ・ネグレ(役名:ジョセフ)は、フィリップ・モリエ=ジュヌー校長がユダヤ教徒を匿っていることを密告してしまいます。
踏み込んできたゲシュタポの監視の下で荷物をまとめていたラファエル·フェジトは、傍らで見守っていたガスパール・マネッスに大切にしていた自分の書籍の束を渡しますが、ガスパール·マネッスは返礼として二人で密かに読み耽った「千一夜物語」を二人の想い出として渡します。
ガスバール・マネッスは運行されて行く校長と3人の生徒の姿を無言で見送りますが、最後にガスバール・マネッスが演じたジュリアン・カンタンの40年後の声として、連れ去られた4人のその後と「…自分が亡くなるその日まで、あの1月の朝の全ての秒を覚えているだろう…」とのナレーションが流れます。
少年の友情と別離が抒情的に綴られたこのセミ・ドキュメンタリー作品では、通常の戦争映画とは違い、外出禁止時間帯に道に迷ったガスパール・マネッスとラファエル・フェジトを見付けたドイツ兵が、身の危険を感じて逃げたラファエル・フェジトを疑おうともせず軍用車で寄宿舎まで送り届けたり(※)、同胞に無慈悲なフランス民兵団の野暮な振舞を嗜めたりするドイツ兵士の姿が描かれています。
あと、ガスパール・マネッスがラファエル・フェジトに興味を抱くきっかけの一つとして、彼がフランツ・シューベルトの「楽興の時」第2曲を見事に弾きこなす場面とその滲み込む様な旋律はフランスの美しい自然描写と共に、この映画の低く立ち込める哀しさと抒情性を効果的に際立たせているのではないかと考えます。
芸術家ルイ・マルの少年期の眼を通して見た占領下のフランスの日々が、104分の映像として擬似体験可能な、これからも観続けて行きたい作品です。
PS 映画の中でラファエル・フェジトとガスパール・マ ネッスがブギー・ウギー・ピアノを連弾で弾くシーンがありますが、ジョン・ハモンド主催のカーネギー・ホールで開催された「フロム・スピリチュアル・トゥ・スイング」でブギー・ウギー・ピアノが初めて一般に紹介されたのが1938年であったことを考えると、その5年後には既にフランスでブギー・ウギーが普及していたことが描かれております。
(※)ドイツ兵は「自分もカトリック教徒です」と言って、穏やかな声で二人を校長に引き渡します。
§『さよなら子供たち』
ラファエル・フェジト、ガスパール・マネッス↑
ラファエル・フェジト(左)↑
ラファエル・フェジト(右から2人目)、ガスパール・マネッス(右)↑
ドイツ兵に追い出されるフランス民兵↑
『チャップリンの移民』(1917)の鑑賞シーン↑
ラファエル・フェジト、ガスパール・マネッス↑
ガスパール・マネッス、ラファエル・フェジト↑
ラファエル・フェジト↑
ガスパール・マネッス↑