MGM 社がアーサー・フリードの製作指揮の下、総力を結集して1945年に撮った『ジーグフェルド・フォリーズ(Ziegfeld Follies)」は、7人の監督(※1)とオールスターキャストによる豪華ミュージカル・バラエティですが、ミュージカル映画ファンにはフレッド・アステアとジーン・ケリーが現役ダンサー時代に共演した唯一の作品として、知られている作品ではないかと思います。

1907年のブロードウェイ・ショーを当時のMGMスター達で再現することを目指した映画であることから、踊りや歌以外にもミュージカル・ファンにはお馴染みのレッド・スケルトンやキーナン・ウィンのコントや話芸も盛り込まれたオムニバス形式の映画になっております。

フレッド・アステアは名ダンサーのシド・チャリシー、アーサー・フリード推しのルシル·ブレマーを相手にダンスを披露しますが、刮目すべきはチャイナ・ドレスでルシル·ブラマーと「ライムハウス・ブルース」をバックに踊る暗黒街のシーンではないかと思います。

ここでは、シュルレアリスム絵画の様なメイクを施したフレッド・アステアによる夢想的なシーンで、マーティン・デニーや細野晴臣が好んだエキゾティックなアレンジが施された音楽に合わせてダンスが繰り広げられます。

あと、エスター・ウイリアムズの水中バレエが長いソロで愉しめたり、ジャズ映画の名作『Stormy Weather 』(監督:アンドリュー・L・ストーン  1943)のプリマドンナであるレナ・ホーンの歌唱、MGM の歌姫キャスリン・グレイソンの歌唱場面では、巨大な泡からサンドロ・ボッティチェッリやアレクサンドル・カバネルが描いたが如きヴィーナスの誕生場面を思わせる幻想的な映像が続きます。

先般、この作品を観て感銘を受けたこととしては、「インタビュー」と題されたセットでジュディ・ガーランドが6人のインタビュアーと繰り広げる長科白の場面で、バックのコード進行に乗って語りが次第にレスタティーヴォやラップの様に変化して行き、ラストには歌と踊りのミュージカル・ナンバーとしてエンディングを迎える展開です。

しかしながら、この映画の白眉は、ほば衆目一致でフレッド・アステアとジーン・ケリーが「The Babbitt and the Bromide」(作詞:アイラ・ガーシュウィン、作曲:ジョージ・ガーシュウィン)で繰り広げるダンス共演ではないかと考えますが、叱責覚悟の拙い喩えで恐縮ですが、ミュージカル好きの自分には双葉山と大鵬の一番が実現したかの様に思える時があります(※2)。

冒頭の1907年のブロードウェイ·ショーを再現した人形アニメーションから夢の世界が繰り広げられる、これぞエンターテイメントとも言うべきMGM製ミュー ジカル・ヴァラエティとして好きな作品です。

 

(※1)MGMを中心としたミュージカルを数多く手掛けた7人の監督:ロイ・デル・ルース、ロバート・ルイス、ヴィンセント·ミネリ、 メリル・バイ、ショージ・ シドニー、チャールズ・ウォルタース、ルミュエル·エアーズ。

  

(※2)フレッド·アステアの伝記には、 二人はストーリーのある通常のミュージカル映画で共演することを望んでいたけれどもスケジュールが合わなかったとのフレッド・ アステアの言葉や、この映画の「The Babbitt and the Bromide」におけるダンス・スタイルの相違による不得手な部分が、第三者には自分が劣っている様に映ってしまうのではないかと心配していたことをジーン・ケリーがヴィンセント·ミネリに語っていたことが記されています。Bob Thomas 「Astaire  The Man, The Dancer」1984.,St. Martin’s Press Inc.,NYC,Chanpter 5

 

§『ジーグフェルド・フォリーズ』

フレッド・アステアとシド・チャリシー↑

往年のショウを再現する人形アニメーション↑

シド・チャリシーとフレッド・アステア↑

エスター・ウイリアムズの水中バレエ↑

フレッド・アステアとルシル·ブレマー↑

レナ・ホーン↑

フレッド・アステア↑

ルシル·ブレマーとフレッド・アステア↑

ジュディ・ガーランド↑

ジュディ・ガーランド↑

ジュディ・ガーランド↑

ジーン・ケリーとフレッド・アステア↑

ジーン・ケリーとフレッド・アステア↑

フレッド・アステアとジーン・ケリー↑