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模型による城郭の復元

紙を使い、往時の城をできる限り正確に再現しようと思っています。
主に建築を主体とした城郭模型の制作記です。

法勝寺八角九重塔の模型を製作しています。

 

 

法勝寺は平安時代末期に京都に建てられたお寺です。

現在の京都市動物園近辺にありました。

 

法勝寺八角九重塔は法勝寺に建てられた塔です。

八角形で九重という日本では珍しい形式になっていることと、高さ81mという極めて高い塔であることが特徴です。

 

この塔は、平安時代末期に建てられました。創建時の塔は鎌倉時代の初めに焼失してしまいますが、すぐに再建されています。再建の塔は室町時代の初めに焼失しています。

塔の本体がなくなった後は、基壇の高まりだけが残っていたようです。ただ、この基壇の高まりも戦後に失われてしまいます。

現在は、京都市動物園の敷地になって、観覧車が建っています。

 

今回の模型は創建時の法勝寺八角九重塔を意図しています。

 

制作にあたっては、下記の論考を参考にしました。

冨島義幸、「法勝寺八角九重塔の復元について」(『京都市内遺跡発掘調査報告 平成22年度』、京都市文化市民局、2011年、194-209頁)

 

現在は彩色をしています。

彦根城天守の模型です。

縮尺は1/300です。

 

天守の姿は現在のものを参考にしています。

天守の周辺については、御城内御絵図をもとに、江戸時代の様子を再現しています。

 

 

平側の立面です。

 

 

御殿から見た天守です。

 

天守が主役の模型なので、御殿や櫓は適宜省略しています。

 

本丸からの様子です。

 

門の細部の様子です。

石段などは現状を参考にしています。

 

 

 

一円硬貨と比較してみた様子です。

 

屋根の様子です。

 

 

以上、彦根城天守の模型でした。

彦根城天守の白模型の写真です。

塗装前の段階で、造形が完成した時点のものです。

 

 

石垣以外はすべて紙でできています。縮尺は1/300です。

厚紙、画用紙、コピー用紙などを使っています。

 

 

厚紙で地形を作っています。石垣は、スチレンボードを貼り重ねて、石を彫刻しています。

 

建物は、厚紙で芯となる箱を作った後、画用紙で作った壁面を貼り付けています。屋根は、厚紙と画用紙を重ねた上で、丸瓦と垂木の紙を貼り付けて、本体に接着しています。

最後に木工用ボンドを水で薄めたものを染み込ませることで造形を固めていす。

 

 

高麗門脇の櫓台には、平櫓が建っていたようです。しかし、模型で再現すると途中で切れてしまうので、平面表示だけとして、立体的に再現しないことにしました。

 

 

御殿の建物も、それとわかるよう雨落溝を作りましたが、建物自体は省略しました。

 

 

天守は破風が多くて大変でした。

 

土台裏側の様子です。格子状に厚紙を組んでいます。スチレンボードなどを積層するよりも、紙で作った方がより正確な地形を作り出せるので、すべて紙で組みました。

真ん中の斜めの長方形が天守台に相当するものです。

 

以上、彦根城天守の白い模型でした。

水戸城大手門の模型です。

縮尺は1/150です。

 

水戸城大手門は2020年春に復元されました。

復元された門の写真をみて、古写真に写る水戸城大手門となんとなく何かが違うような気がしていました。この違和感について、もっと深く考えてみたいと思ったので、模型を作ることにしました。

 

色々と思うことがあって、模型を作ってみましたが、結果的に古写真とは似ても似つかぬものになってしまいました。模型において、1階の高さをもう少し高くして、2階の高さを低くくすると古写真の様子に近づくと思います。

 

参考までに、復元された門の写真と模型の比較です。

 

当然のことですが、復元された方がより正確だと思います。

ただ、復元建物は屋根の反りがもう少しきつくてもよかったかと思います。

古写真の大手門は屋根がある程度反っているようにみえますが、復元建物は屋根が突っ張っているように見えます。

模型ではその反動で反りがややきつくなってしまいました。

 

今の復元大手門は、白木のまばゆさが目に付いて、軽々とした印象を受けてしまいます。もう少し時間が建てば、木の色も落ち着いて、古写真に写るどっしりとした風格に近くなるかと思います。

 

 

製作途中の塗装前の写真です。

建物はすべて紙で作っています。

所々に普通紙や厚紙も使っていますが、大部分が画用紙です。

 

 

以下完成写真です。

 

城内側です。

 

復元建物に従い、城内側は窓なしの壁面にしてみましたが、実際のところはどうなのでしょうか。

 

参考までに、復元された大手門の城内側です。

 

門扉の裏側です。

 

古写真では大屋根の丸瓦の列数も鮮明に写っていましたので、その数に合わせて丸瓦を入れました。重箱の隅をつつくようで品がありませんが、復元建物と1本違いでした。

また、蓑甲部分について古写真をみると、下り棟と掛瓦との間に下りの丸瓦が2列あるようにみえたので、そのように作ってみました。

 

見上げと瓦塀です。

瓦塀は、出土した遺構と、古写真にかすかに写るものを参考にしています。

瓦と瓦の隙間の壁は、復元では白漆喰になっていますが、白に塗ると浮ついた感じになってしまったので、色味をやや茶色系にしました。

 

今の復元瓦塀は、昔の瓦塀の遺構保護のために、一回り大きなものになっています。

この模型では、出土した瓦塀に近い寸法で作りました。

 

正面からの見上げです。

復元された大手門は正面の1階壁と2階壁を同じ位置に立ち上げています。一方で、模型では2階をやや前方に張り出させることで、門直上の石落としを作ってみました。

 

大手門の古写真のうち正面からみた古写真をみると、2階屋根の軒の出とくらべて、1階屋根の軒の出は短いことがわかります。しかし、斜め方向からの写真をみると、2階の屋根の庇の影よりも、1階屋根の庇の影のほうが大きいように見えます。したがって、2階壁面は前方に張り出していたのではないかと思った次第です。

 

 

門扉です。

門扉は塗装した上で、カッターや針で木目などを彫りつけています。質感を出すために、やや強調しています。門扉の板の枚数は古写真を参考にしましたが、はっきりと読み取ることができなかったため、実物は違っていたかもしれません。

 

夕景です。

 

 

模型全体です。

 

以上、水戸城大手門の模型でした。

岡山城天守の模型です。

昭和初年の頃を想定しています。

 

スケールは1/300です。

 

岡山城天守はその形の面白さと古写真の美しさから、前々から作ってみたいと思っていた建築でした。

特に、古写真に写る岡山城天守は、きわめて気品があり、美しさがにじみ出ているような建築だと思います。

 

 

制作過程の写真です。

 

まずは、芯となる箱を組み上げたところです。

 

組み上げたところです。

石垣以外はすべて紙で作っています。

この段階では、塩蔵も含めて、すべての部品を接着しています。

 

 

色を塗って完成です。

 

 

岡山城天守の図面としては戦前の実測図がありますが、写真と比較してみると、何となく雰囲気が異なるようです。

古写真をみてみると、おそらく、屋根の反りや野小屋の有無、直下の屋根の高さなどが見た目の差異に影響しているようです。

したがって、基本的には実測図を基に造形することとしましたが、古写真の様子から、屋根の反り、最上階屋根の野小屋、4階入母屋屋根の大棟の高さなどを調節して作ることとしました。

 

 

 

 

写真だと見えづらいですが、戦前期の様子を再現するため、最上階は突き上げ戸にしています。

 

西側からです。古写真でも見ることができます。

 

塩蔵です。

 

北面からの見上げです。

 

こちらは、模型ならではのカットです。

 

桁行と梁行で様子がかなり異なります。

まるで熊本城天守のようです。

 

夕景です。

 

 

以上、岡山城天守の模型でした。

ご無沙汰しています。

 

「小倉城本丸御殿の壁」の記事を最後に、記事の更新を長らく中断したままとなっていました。

小倉城の模型製作そのものも中断しており、小倉城本丸御殿はいまだ未完成となっています。

 

 

現在は下の写真のようなものを作っています。

全体を出すほどの勇気と覚悟がないので、一部分だけの写真です。

かなり適当に作図しています。

 

 

今後も、気が向いたら更新していこうと思っております。

小倉城本丸御殿の壁を作りました。

少しずつ進めています。

 

小倉城本丸御殿は平面図しか残っていないので、立面は想像で作ります。

 

作る過程で様々な疑問がでてきます。

・柱の間隔が1間よりも大きいところでは、どのように建具が収まっていたのか?

・雨戸や戸袋はどのような構造になっているのか?

・石垣に面したところはどのような壁になるのか?

・能舞台はどのような構造になっているのか?

・台所の窓はもっと増やしたほうがいいのかな?

などなど、たくさんです。

それぞれ、名古屋城本丸御殿や二条城二の丸御殿、復元された佐賀城本丸御殿、熊本城本丸御殿などの建物も参考にして、曲りなりにも自分の中で答えを出して作っています。

 

特に能舞台はどのようにするか、とても悩みました。

小倉城本丸御殿の能舞台はきわめて特徴的な能舞台で、類似例を探そうにも、そんなものは存在しない(ようにみえる)からです。

ここは、模型を作る前から、よくわからない箇所でした。

考えても答えが出ないので、なんとなく、それらしくつくることにしました。

 

 

小倉城本丸御殿は、本丸御殿の中で最も格式の高い殿舎が石垣に面して建てられています。

似ているというわけではないですが、なんとなく豊臣期大坂城の千畳敷を連想させるものがあります。

 

 

能舞台です。

 

玄関とか松ノ間とかのあたりです。

面白いところに玄関があります。

 

中奥部分の中庭です。

 

台所です。

 

塗装しました。

 

 

土台にのせてみたところです。

 

次は屋根を作ります。

 

 

小倉城本丸御殿を作っています。

 

まずは、平面図を印刷します。

図面は以前からCADで作成していたので、それを印刷しました。

 

そして、厚紙に図を転写しました。

簡単な形状の建物だと、針で穴をあけて転写するのですが。本丸御殿は複雑に入り組んでいるので、図面の裏側を鉛筆で黒色に塗り、カーボン用紙のようにしてから、上から図面をなぞって転写しています。

芯となる箱に壁のパーツを貼っていくので、図面よりも一回り小さくしておきます。

 

切り出したところです。

南側は石垣上に建っているので、微調整をして合わせます。

 

 

小倉城本丸御殿は、表御殿の部分が少し高く、中奥の部分が少し低くなっていたようなので、中奥部分に厚紙を積み重ねて、表御殿の地面と同じ高さにしています。

 

主要な殿舎から壁を立てていきます。

 

建物の格に応じて壁の高さを変えています。

 

強度を出すために中に仕切りを入れています。

壁はすべて厚紙2枚重ねにして、かなり過剰に補強しています。

 

ふたをしたところです。

 

廊下や下屋などの建物を作ったところです。

 

小屋組を作ります。

 

全部できたところです。

 

これで芯ができました。

 

次は壁を作ります。

 

自分は、お城のどの部分が一番好きか、と言われたら、間違いなく「天守」と答えます。

 

お城が好きなのも、天守が格好良いからです。

 

ただ、天守が恰好良いなんて言っていると、小倉城再建天守みたいに史実に忠実ではなくても格好よくする方向に向かっていく気がして、あまり恰好がよいといってはいけないような感じがします。

 

 

さて、その天守についてですが、年末年始にかけて、小倉城天守の模型を作っていました。本当は、もっと早く記事にしてもよかったのですが、あともうちょっときりがよいところで、、、なんて思っていたら、とうとう、完成してから書くことになりました。

 

 

小倉城天守の模型です。

 

 

制作過程です。

 

まず、図面を用意しました。図面は中村泰朗先生の復元図を使わせていただきました。

図面を1/500に縮小印刷します。

 

まずは、芯となる箱を作りました。

設計図を見ながら、厚紙で箱組していくだけです。

後で壁を貼り付けていくので、壁の厚みの分を考慮して、1.5mmくらい一回り小さめに作ります。

中には、厚紙でたくさん仕切りを入れて、強度を出しています。

 

 

壁を作っているところです。

 壁は画用紙を二枚重ねて作ります。外側の画用紙には、窓部分に四角い穴をあけて、狭間の穴を抜きます。内側の画用紙には、縦格子を作っておきます。そして、2枚を貼り合わせて、芯に貼りつけていきます。

 

 この時点では、まだ気づいていないのですが、1階北側の壁(写真で見ると右側)を上下逆さまに貼り付けてしまっています。塗装しているときにようやく気が付いたので、狭間を埋めて、しかるべき位置にまた穴をあけました。

 

 

1階を支える腕木です。

天守台の形は、ひし形なので、模型の天守台もひし形にしています。

天守台の形状に合わせて厚紙に作図した後、厚紙から腕木部分を切り出しています。

本当は、こんなに張り出してはいないはずなのですが、どこかで数値を間違えたのか、やけに大きくなってしまいました。

 

小屋組みを作ったところです。

小屋組みといっても、ただの三角形の厚紙です。

 

 写真をみるとよくわかると思いますが、最上階は廻縁として作っています。小倉城天守というと、「唐造り(唐作)」などといって、最上階である5階が4階よりも張り出している構造が有名です。すでに指摘されていることですが、僕は、この唐造りという構造は廻縁を室内化したもので、小倉城天守の創建時もしくは計画時は廻縁だったと考えています。

 今回の小倉城天守の模型は、雨戸を開けている状態にしようと思っているので、内側の壁も作っているというわけなのです。

 

屋根を作っている最中です。

瓦は、両面テープを貼った紙を細く切ったものを貼り付けています。

1間につき6本くらい入れています。

 

小天守の芯です。

石垣が微妙に曲がっていいるので、建物も曲がっています。

 

実際の写真です。

少し曲がっているのがわかります。僕はこういった歪みとかが好きなのです。

 

 

壁と小屋組みを作りました。

 

内側です。

 

 

 

すべての屋根ができたところです。

 

垂木を作ります。

垂木は、0.5mm角のプラ棒を使います。1間に4本の間隔で入れています。1間おきに接着した後、その半分、そのまた半分とつけていきます。

軒裏に直につけるのは困難なので、普通紙に等間隔に貼り付けたものを切り出して作ります。

 

切り出して合わせているところです。

彫刻刀の平刀を使って切り出します。

 

軒裏ができたところです。

この模型では、出桁造りにしています。軒を1間出したので、それを支えるために、出桁造りのほうがよいのかなと思ったので、出桁造りにしました。

 

最後に棟を作りました。いつもは、なんとなく大きめで作ることが多かったのですが、今回は、本物を参考にして、かなり小さめにしました。

 

これで天守の造形ができました。

以下白模型の写真です。

 

 今回の模型では、復元図より軒を深く出して、ほんの少しだけ反りを強めにしてみました。軒を深く出したのは、最上階の軒の出の寸法だけ、「御城廻書付略之」という文書に記載があったので、下の階もそれに倣うことにしたのです。前述しましたが、軒は1間ほど出しています。

 

舟入からの写真です。

 

大手先門上空からです。

 

北側です。

 

模型は、塗装の前に、木工用ボンドを水で薄めたものをたっぷりと塗布しています。そうすることで、カチカチに固めることができます。鯱や鳥衾なんかは、とても細い部分なので、紙がペラペラになってしまいますが、この処理をすることで、きちんと形が保持していくことができます。

 

塗装です。

 

下塗りをしたところです。

 

屋根瓦の塗装です。

まずは、下塗りの色の上に、ランダムに色をのせていきます。

少し濃い色や少し茶を混ぜたりしています。

 

その後、ほとんど黒に近い鼠色を水で薄め、全体に塗ってスミ入れをします。こうすることで、瓦の凹んでいる部分に絵具が残り、陰影が強調されます。

 

スミ入れで終えようと思ったのですが、少し汚し過ぎた感じだったので、軽くドライブラシをして落ち着かせました。

 

いい感じです。

 

5階廻縁の高欄を作ります。

細く切った紙を格子に貼り合わせて切り出します。

犬山城天守などの現存天守の高欄を見ると、部材がとても細く、軽快な印象を与えてくれます。ただ、模型では、細さにも限度があるので、どうしても本物より太くて大きくなりがちです。高欄が大きいと見た目がとても悪くなるので、本物と同じように、できるだけ小さく、シャープになるように作りました。

 

高欄を廻縁に貼り付けたところです。

自分の中では、結構うまくいきました。シャープさを最優先に持ってきたので、そのかわり、強度は全然考えていません。

 

突上げ戸を作ります。写真は1階ができたところです。

突上げ戸は、突上げる棒まで作りました。今まで省略することがほとんどだったのですが、この小倉城天守の模型については手抜きは絶対にしないと誓ったので、今回は作ることにしました。普通紙を細く切って貼り付けていくのですが、結構疲れます。

 

これで、小倉城創建時天守模型の完成です。

すなわち、創建時、または計画時の最上階が廻縁構造の様子です。

以下、色々なところから写真を撮ってみました。

 

以上、創建時天守の模型でした。

 

とはいっても、今回の模型は、唐造りに改修されている時のものなので、最上階を雨戸に改造します。

 

天守がある近世城郭の模型の場合、どんな模型であったとしても、一番見られる場所は天守の最上階です。たとえ、お城の全体を再現しているような巨大な模型でも、やっぱり、人は皆、天守の最上階を凝視しているように思えます。天守の最上階の如何で、その模型の印象が変わってしまうといっても過言ではないと思います。

ですので、天守の最上階はとても重要なのです。よって、最上階は特別に精魂込めて作ります。

 

雨戸を作ったところです。

雨戸の裏側までは筆が回らないので、最初から茶色になっている紙を使っています。

 

塗装したところです。

 

これで、小倉城天守の模型の完成です。

 

以上、小倉城天守の模型でした。

次は、本丸御殿を作ります。

 今日は、小倉城再建天守の面白いところについて記事を書いてみたいと思います。

 

小倉城再建天守です。

 

 去年は、小倉城再建天守の破風について、絶対に取った方がよいと思っていましたが、今は、別に破風をとらなくてもいいんじゃないかなと思います。

 あの建物は、もちろん、本来の意味での小倉城ではないのかもしれませんが、あれはあれで、「本物」なのかな、なんて思っています。

 ただ、破風が取れるならば、反対はしないかもしれません。

 

 

 再建天守と昔の天守の異なるところは、以前、ブログに書きました。こちらはその時の記事です。

 

 今回は、再建天守の面白いところについて話してみたいと思います、再建天守もなかなか面白い建物で、見る価値が無いと切り捨てるのはもったいないです。(自分も以前はそう思っていましたが...)

 

 

 では早速行ってみましょう。

 

その1  屋根の隅がずれている

 

 もう一度再建天守の写真をみてみましょう。

5階、3階、2階の屋根の隅は、きれいにそろっていますが、1階の屋根の隅だけ、右にずれています。

 

こちらの写真がわかりやすいと思います。

2階より上はきれいに揃っているのに対し、1階の屋根だけ右側にずれています。

 

 これは、天守台が歪んでいるからです。小倉城の天守1階の大きさは、15間程×13間程なのですが、天守台は、ぴったり15間×13間に作られていません。再建天守の1階は天守台にあわせた形状になっているので、天守台の歪みがそのまま、こうしたズレとなって、建物に表れているのです。

 

 

その2  1階が曲がっている 

小倉城天守の1階は、内側に向かって、カーブを描いています。

つまり、糸巻型に歪んでいるのです。これも、天守台がゆがんでいるからです。

和取り工法ともされる技術のようなので、歪んでいるという言い方は的を得ていないかもしれません。

 

簡単な図にするとこのようになります。(少し歪みを誇張しています)

1階壁面が内側に向かって曲がり、なおかつ菱形になっています。

 

 

その3 1階屋根がねじれている

 

この写真をみるとわかるかもしれませんが、1階屋根がねじれています。

注意深くみると、2階の窓に対して、1階の窓が少し斜めになっていることがわかるかと思います。

 

屋根がねじれているのも、これも天守台の歪みからです。

2階と1階との間は、端のほうは広いのですが、真ん中に向かってだんだんと狭くなっていくので、屋根をねじらないと収めることができないのです。

 

 

その4 最上階に船肘木がある。

 

これは、注意深く見ないと、なかなかわかりません。

最上階の様子です。

 最上階が唐造りになって少し張り出していますが、上の方の、垂木と黒い壁の間にある小さな壁をみてみると、なんと、柱形を見せる造りになっていて、船肘木があります。

 

上の写真を拡大した様子です。柱形を見せる造りで、船肘木があることがわかります。

この小さな壁は、4階の壁と大きさが一致しているとみせかけて、実は一致していないという面白い壁でもあります。

 

 

 

その5、窓が開けられない (ようにみえる)

 

この再建天守、実は窓が開けられない欠陥建築なのです。

というのは、あくまで、木造に置き換えたらという話であります。

 

この再建天守は窓が土戸になっています。

普通の土戸は、柱と柱の間において、半分を窓にして、残りの半分は戸を開けるときのためのスペースにしておきます。つまり、土戸を開けるときは、壁になっている側に引くかたちになります。

 

では、再建天守をみてみましょう。

 窓は、一見すると、1間の窓になっているように見えますが、真ん中に太い材が入っていて、真ん中は柱になっていることがわかります。ところが、窓の両脇には出桁の腕木があって、どうやら柱で挟まれているように見えます。

 

 熊本城天守のように、腕木と柱の位置があわないということもあるのかもしれませんが、腕木の上を注意深く見てみると、ちゃんと梁の断面がつきでており、ここに柱があるということを示しています。

 

腕木の上に梁の頭が突き出しています。

 

入母屋破風の部分は、柱形を見せる様式になっているので、窓が柱に挟まれている様子がよくわかります。

 つまり、小倉城再建天守の窓は、半間幅の窓が柱に挟まれていて、土戸の開けようがないのです。開けようにもどこにも引くところはなく、まさにはめ殺しになっています。

 

模式図です。上が普通の土戸で、下が小倉城再建天守の窓です。

 

 最初に述べたように、これはあくまでも、この再建天守が木造だったらという話です。実際の再建天守は鉄筋コンクリートなので、窓は自在に開け閉めすることができます。

 

ちなみに、昔の天守の窓は、突上窓でした。

 

 

その6 鯱

 

鯱については、よく知られています。

なんともいえない表情です。

なぜに、こんな顔になってしまったのでしょうかね...。

 

 

 

 

最後に、せっかくなので、再建天守の色々な写真を並べてみたいと思います。

 

まずは、春の再建天守です。

 

次に夏の再建天守です。

 

秋の再建天守です。

 

冬の再建天守です。

 

2016年のプロジェクションマッピングの時の再建天守です。

 

ライトアップされた再建天守です。

 

堀底から見上げた再建天守です。

 

リバーウォーク北九州、小倉DCタワーと再建天守です。

自分の中では、もう見慣れた光景になっています。

景観について言われることもありますが、どちらも、立派な近代建築です。左側の石垣は現存石垣です。

 

ちなみに、それらの建物を消してみた様子です。ペイントで編集しています。

実に爽快です。

 

 

市役所からみた再建天守です。

市役所の一番上の階は、展望室になっていて、誰でも入れることができます。平日に行かれた方はぜひ入ってみてください。

 

 

以上、再建天守の面白いところでした。