ニーチェの馬
前衛映画が“非商業主義,物語の否定,映像の表現の純化等”を指すとすると
2011年のタル・ベーラ監督作品「ニーチェの馬」は、
寒風吹きすさぶなか荷馬車を黙々とひき続け、汗で毛が濡れた大きな馬の
ロングショット、
矩形で切り取られた木枠の窓の外で吹き続ける圧倒的力感の砂塵、
この風の中、家の外の井戸から二つの木おけ一杯の重い水を
毎日細い腕で運び続ける娘の姿、
そして来る日も来る日も食卓に出される2個の茹でたジャガイモ等、
ごく普通の日常を延々とモノクロの映像で追い続ける本作は、
卓越した“前衛映画”と言えよう。
主な登場人物は農家の主人とその娘そして大きな“ニーチェ”の馬で、
蒸留酒を分けてもらいに来た“哲学者”と馬車に乗り集団押しかけてきた
映像の殆どは朝起きてから寝るまで、外界に砂嵐が吹きすさぶに質素な家で
質素に暮らす二人の姿を、殆どセリフなしで追い続ける。
タラ・ベーラ監督は語る。
「ただただ人生の一つの瞬間というのを皆様に見せたい.」
「人生は労働であり、生き残るため、自分を守りための労働である。
生きるということは闘っているということ」
「日々人生というものは短くなっていく、人生は弱まっている」
映画作家を原始的な仕事と捉えるタル・ベーラ監督は
自分で制作する作品からフェイクまがいものを排して、
リアリティを追求し、現実の再現に拘泥する。
さらにタラ・ベーラ監督は語る。
「自分の描く人々というのは惨めな環境に置かれている貧しい人々で
あったりするけれど、何故かと言えば、スクリーンではそういう人間の尊厳を
充分に見せていないと感じたからです。
人はそれぞれ全員が尊厳というものを持っているけれど、
世界中でそれぞれが少しずつ、
毎日毎日滅ぼされていくと感じている。」
自分の意思を貫いてこのような作品を制作した監督の
勇気を強く感じる。
「喪失」(GONE)
ロンドンから西に約170km離れた、
古代ローマ時代の温泉浴場の遺跡が街の象徴であり、
現在も温泉が湧き、歴史を感じる観光都市バース。
大西洋を望み活気ある港湾都市ブリストルや
なだらかな丘陵地帯の静かな町ミッドサマー・ノートンとは
それぞれ20km程度の距離にあるこのバースで娘と暮らす
モー・ヘイダーの2012年の著作で、
この年に東野圭吾の「容疑者Xの献身」と共にノミネートされた
エドガー賞で長編最優秀長編賞を受賞した作品がこの「喪失」(GONE)。
母親を強引に車から蹴落とし、後部座席に乗っていた少女と共に
車を強奪する強引な幼児誘拐事件からスタートし、
連続して発生する類似の幼児誘拐事件の捜査の過程で明らかにされる
この事件の真の意味を読者に徐々に提示していく本作では、
ブリストルの重大犯罪捜査隊のジャック・キャフェリー警部の心の苦悩と
地元エイボン・アンド・サマセット警察潜水捜索隊隊長巡査部長
フリー・マーリーの自らの感性だけを信じて単独で突っ走る豪胆な捜査を
対比させて進行させ、同時に子供を誘拐された両親たちの生き様から
“人間”の本性を捉え読者に開示していく。
結末から逆算して読者をハラハラドキドキさせ、
巧みに読者を追い込んだこの不安感を一挙に解消させてくれるような
正統派のストーリー展開を持つ本作で重要な舞台となるのが、
セパーン川の河口から石炭を運搬するためにかつて使われて、
今では干上がり黒い有害ヘドロが堆積したテムズ・アンド・セパーン運河
の2マイルにわたり森と農地の地下深くを通るサバートントンネル。
新婚旅行の地としても有名なコッツウォールズの南端にも位置するこの地域で
発生した事件を軸に、英国の階級制度、家族制度を横糸として構成された
本作は、大都市ロンドンではなくウェールズにも近いイングランド西部の景色と
文化の香り高いエンターテインメント小説として仕上げられている。
「キリマンジャロの雪」(Les neiges du Kilimandjaro)
題材としたヘミングウェイの短編小説「キリマンジャロの雪」と同じ題名を持つ
フランス映画「キリマンジャロの雪」は、「白く輝く山」と呼ばれるキリマンジャロに
通じる、美しく輝く人の心が作品の主題であった。
不況で、人員整理の嵐に翻弄されるマルセイユの港湾労働者達。
公正を期すために抽選で解雇者を決める抽選会で、
組合の幹部であるミシェル(ジャン=ピエール・ダルッサン)は、
本来入れる必要の無い自分の名前を書いたカードも抽選箱に
入れ、そのカードを引き当てたことで失業者となる。
失業者となったことを妻マリ=クレール(アリアンヌ・アスカリッド)に
告げることに男とし忸怩たる思いを抱いていたミシェルは、
告白したときに自分を「英雄」とたたえてくれた妻のやさしい笑顔に安堵する。
ミシェルとマリ=クレールの結婚30周年を祝う家族や友人たちが
集まったパーティーで孫たち、子供たち、兄弟たちが歌ってくれた歌が
アダモと通じるハスキーな歌声のパスカル・ダネルがヒットさせたシャンソン
「キリマンジャロの雪」。
“キリマンジャロの雪のように真っ白い雪の毛布にくるまれて
静かに眠りなさい“との意味は、ある種の達観であり、
穏やかな心で生きることの応援である。
結婚30周年を記念して子供たち兄弟たちから贈られた大金、
そしてタンザニア行きの航空券が、ミシェルとマリ=クレールの家に
突然侵入してきた強盗により全て奪われてしまうことからこの物語は
ドラマティックに展開していく。
筋書きの読めない展開の結末を勝手に想像していた観るものは、
物語が進むにつれ、ものの見方の多様性を深く感じるとともに、
“罪”を赦し、思いやりの心を持って他者と接する人の態度に
心を豊かにされ、そして感動の結末に安堵する。
「サン・ジャックへの道」のジャン=ピエール・ダルッサンや
味のあるフランスの名優を配した、マルセイユ出身の
ロベール・ゲディギャン監督の手による
強い意思を感じる2011年のフランス映画
パスカル・ダネルの「キリマンジャロの雪」

