LUISA : ルイーサ
毎朝目覚ましがわりに起こしてくれる子猫が突然昇天し、
定年まであと数日だった墓地の管理の職を突然失い、
長年務めた大女優のメイドの仕事も殆ど同時期に失う。
貯金もなく収入もなく、愛猫を埋葬することもできず、
電気も止められてしまう日々。
日常的に脳裏に蘇るのは二人とも既にこの世にいない
夫と長女と共に3人が楽しそうに笑いあっていた
かつての思い出。
暗く希望の無い状況で始まるこの作品、
監督が「大雑把、即興的」と言う言葉の通り、
いつのまにか、
ラテン民族が移住したスペイン語圏のブエノスアイレス
ならではの“悲惨な状態”を開き直った“滑稽”さとして
表現する“楽天的な”コメディとして仕上げてられていた。
この作品を見終わった後の形容のしようがない感情は、
この映画が生まれたきっかけが、ロシオ・アスアガが大賞を
獲得したメトロビア(地下鉄会社)主催の地下鉄を舞台にした
長編脚本コンクールの作品だったとの事を知った途端に氷解した。
生きていくために主人公ルイーサが地下鉄の社内、駅構内で繰り広げる
生真面目で必死な行動は、見ている者に笑いをもたらし、
渥美清が真面目に演じれば演じるほど滑稽さが滲み出てきたように
レオノール・マンソの卓越した演技力が光っていた。
エスペランサ(希望)の言葉がこの物語の土台となっている、
2008年のスペイン・アルゼンチン合同作品。
シャリンバイ
朝鮮半島南部、中国南部、タイ、ベトナムそして日本では
東北以南で生育している常緑樹シャリンバイ。
頑健な常緑低木であり、季節により赤紫、薄緑、深緑と色を変える
肉厚の葉、名前の由来ともなっている梅の花に似た薄紅色または
白色の花、そして秋に赤紫色に色付く球状の丸く小さな実と、
四季を通して見る者を楽しませてくれるシャリンバイが花開く季節と
なってきた。
シャリンバイの学名はRhaphiolepis indica var. umbellata。
Umbellateは散形(さんけい)花序の意味であり、その名の通り、
五弁の花が放射状に花開いており、その葉や枝も自転車のスポークの
ように放射状に広がっていることがシャリンバイの名の由来のようである。
花が終わると、バラ科の実に共通した形の草色の実をつけ、
秋が深まるとこの実がボルドー色に染まるシャリンバイ、
地味で目立たないが見る度に何か変化している
楽しい常緑低木である。
『海辺の家』(Life as A House)
アメリカの国技“野球”。
数々のドラマを生み出している野球の世界を舞台に、
2000年代初頭、貧乏球団であるが故に、高額な年俸の
選手を雇うことはままならず、年俸はそれほど高くないがユニークな
特徴を持つ選手達を集め、独自の統計的手法・理論で、
金持ち球団を打ち負かす常勝チームを作り上げていった
オークランド・アスレチックスのビリー・ビーンGMをモデルにした、
2011年の映画『マネーボール』(Moneyball)。
見る者を勇気づけ、これからの歩みに背中を押してくれる本作を
プロデュースしたマイケル・デ・ルカが2001年に製作した
『海辺の家』(Life as A House)は人生の終わりに、これまでの
“負け犬”のような生活から訣別し、愛するわが子に男としての
生き方を自分の背中で実践して見せた父親の物語である。
ある事件をきっかけに、ケヴィン・クライン演じる主人公ジョージは、
再婚した妻の住む豪邸でティーンエイジャーに成長した一人息子サムと
眼下に太平洋を見渡せる崖の縁にたつジョージのあばらやで
夏休みを過ごすことを提案する。
人生に対する希望は皆無で、刹那的にその日を生きているサム。
最初は父のぼろ家に住むことに拒絶反応を示していたが、
ジョージが少年の頃に経験した憎悪に満ちた父親の無慈悲な行動を
自分の子供サムに対してだけは繰り返したくないとの思いが徐々に
サムの閉ざされた心を開くようになる。
悲惨な状況でもどこかユーモアのセンスを秘めているケヴィン・クラインの演技、
心に秘めた過去を持つ女性の心理を100%スクリーンの上に投影できる
クリスティン・スコット・トーマスを離婚した妻に配した本作は、
朝日に、夕陽に輝く太平洋を随所に取り込んだ映像が美しい
人間に対する思いやりの心が込められたハリウッド映画であった。
「私は自分を“家”と思ってきた、
住む家が私自身、
小さな粗末な家でも私の家ならそれでいい。
私は今の私でいいのだ。
私は自分の人生を生き、
自分の家を建てた」
完成まで28年かかった自分の家。




