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メマツヨイグサ


北米原産で19世紀に日本に帰化したとされる

マツヨイグサの仲間達。


春頃から隣の草原でスクスクと背を伸ばし、

いまでは群生するハルジオン達より大きく育ち、

厄介者だと思っていた雑草に、今月中旬から

可愛らしい黄色い花が咲き始め、

この雑草がメマツヨイグサであったことが判った。


1日花であるが、中黄色で華麗な花だけでなく

その種子は二重結合を三つ持つ不飽和脂肪酸のγリノレン酸を

多く含む月見草オイルの原料ともなる、

雑草でありながら味のあるメマツヨイグサ。

このメマツヨイグサの開花のメカニズムは温度かあるいは

光の強度か?暑さでなかなか長持ちしない切り花に変わりに

玄関の花瓶に生けられたこのメマツヨイグサが

野性味にあふれた花を咲かせている。




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『永遠の僕たち』(Restless)

車の正面衝突事故で両親を亡くし、自身も病院で3ヶ月の昏睡状態の間に、

数分間の臨死体験を持つ高校生イーノック。

全く縁もゆかりもない他人の葬儀場でイーノックが出会った、進化論のダーウインを

崇拝し、野鳥に造詣が深く、笑顔が素晴らしい少女アナベル。

臨死体験から蘇生したイーノックだけが見える、第二次世界大戦中に

敵艦に体当たりをして戦死した日本人特攻隊員のヒロシ。


古くはマイ・プライベート・アイダホやドラッグストア・カウボーイを制作した

ガス・ヴァン・サント監督の2008年のミルクに続く、2011年の作品

永遠の僕たち』(Restless)では「生」と「死」の目に見える境界、

そして目には見えない精神的境界を若い少年と少女の、自由で

ストレートで清冽な心の動きを通して描いている。


「夕陽が沈むと、死ぬと思いこんでいる鳥がいるの。

 だから、朝、目を覚ますと、嬉しくて美しい声で鳴くのよ」


自分の運命を知りながら、あたかも他人事のように元気に振るまい続ける

アナベルの存在そして、特攻隊員ヒロシが出撃の直前に記し、

投函されることのなかった、和紙に縦書きで達筆な日本語で書かれた

恋人への遺書の言葉が、両親の突然の死による心の痛手から立ち直れず、

人生に無感覚となり「死」を友として、他者に対する態度に容赦が無くなっていた

イーノックに「生きること」、「愛すること」をもう一度自覚させていく。


Restless

帝国主義日本の時代の特攻隊員、ガンに犯された体、

志半ばで命を絶たれた若者の精神はその若者を知る人々の心の

中で休むことなく生き続ける。



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ゴモラ(Gomorrah)


創世記第13章で「ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を

おかしていた」と記されているソドム。

ゴモラに対しては詳細な言及は無いが、ソドム王国、ゴモラ王国共に

自らが犯した罪により神の手で完璧に滅ばされたとして、

聖書では“悪”の代名詞のようにとりあげられている。


このゴモラをそのまま題名として、ローマ生まれのマッテオ・ガローネ監督が

2008年に制作した「ゴモラ」は、イタリア四大マフィアの一派で、

ナポリを拠点として裏社会を牛耳っているに“カモッラ”の非合法活動、

情け容赦の無い組織の対決を、感情を排したカオスの連続として描き、

組織の一員と化し、心を忘れた人の“罪”をストレートに映像化し、

観客に提示している。


本作の原作は作家のロベルト・サビアーノの著作「死都ゴモラ」。

その突然の死の原因についていて色々な臆測が流れ、いまだその死が謎に

包まれている伊丹十三監督が「ミンボーの女」を制作・公開した直後

暴力団員に襲撃され大怪我を負わされたのと同様に、

ロベルト・サビアーノ自身は、大怪我を負わされはしなかったが、

“カモッラ”による有害な産業廃棄物不法投棄で莫大な利益を得る

その生々しい姿をはじめ、本作で活写したその組織犯罪の描写を

原因として、市民から賞賛される一方“カモッラ”から脅迫され、

イタリア政府の意向による警察の身辺警護を受けていた。


ブラジルのファベーラ、メキシコのスラムと同じようにマフィアが牛耳っている

ナポリのスラム化した集合住宅では結婚式が行われ、庶民が日々生きている

表の世界と併行して、麻薬の売買がそして縄張り争いに端を発する殺し合いが

日常茶飯事となっている。

このような環境の一番の被害者は子供達であり、年少の頃から“ヤクザ”に憧れ、

身を染め、そして自らの人生を破滅させていく。


銃、ドラッグ、そして有害廃棄物と人間が作りだした“物”がカネを生み出し、

カネそして“物”が人間を支配する。


母を助ける少年、腕に自信がある仕立屋それら魅力ある人物の個性を

殺してしまう“暴力”をマッテオ・ガローネ監督は淡々と

あたかもドキュメントのように映像化している。



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