私の肩こり解消法
誰にでも有効かどうかは判らないが、私の肩こり解消法を本日は無料で
(当然ですね)公開します。
私は自慢ではないですが、高校生時代から肩こりに悩み、オヤジに肩を
たたいてもらっていました。実家にあるマッサージチェアーは、そのころ
親父が私のために買ってくれたものです。
大学院生時代には、あまりにひどい肩こりで食事もできなくなり、2週間
お粥か雑炊しか食べられませんでした。
医者に行ったら、鉄板のように硬くなった肩に注射されました。
普通の方法では注射針が入りません。注射針が折れた事を覚えています。
さて、前置きが随分長くなりました。ここ2年くらい実践している私の
肩こり解消法を公開します。
この方法は道具もお金も不要です。試して効果があれば是非続けてください。
効果はその場で判ります。
この方法保は入浴時に行ないます。
浴槽に入る前には掛け湯は鎌いませんが、石鹸で身体、手を洗わない事。
浴槽で肩まで湯につかりながら、鎖骨の上を肩から首に向かって、反対側の
手の人差し指、中指の腹で強く押さえながら引くようにマッサージします。
このとき痛みや痺れを感じたら30~40回繰り返します。
同様に反対側もマッサージします。
次に肩口と脇のしたを揉むようにマッサージして下さい。そして腕から
手首へと揉み下ります。
それが済んだら、肘から手首に向かって反対の手で挟むようにして
指先まで滑らすようにマッサージします。
指一本ずつ反対の手の親指と人差し指でそらせるように指の付け根から
指先へと進めます。
両手とも済んだら、腕を浴槽の中で伸ばしながら、指一本ずつ、指先に反対の
手を添えてそらせます。痛い位かちょうどいいと思います。
その次にはこめかみ、耳の前後を指の腹でマッサージします。
耳の後ろから首筋へと撫で降ろします。顎から首筋へも同様に撫で下ろし、
最後に首全体も上から下へ指の腹で撫で下ろします。
これで上半身の作業は終了です。
もう一度、鎖骨の上を撫でて見て下さい。最初より痛みがなくなってはいませんか。
効果は保証しませんが、1週間はつづけてみては如何でしょう。
私は好くなくともこの方法で肩こりを和らげています。
ソマリア沖への海上自衛隊派遣--いつか来た道
アフリカ・ソマリア沖の海賊行為から民間船舶を守るという目的で
海上自衛艦2隻か派遣される事となった。
海賊から民間船舶を守るのが目的であると言われれば、正当なものとして、
世間に受け入れられる部分が多いものと考えられる。
しかし、日本の近現代史を、ほんの少し遡って検討する必要がありはしないか。
明治維新以降、日本は中国大陸に多くの民間人を送り込んだ。いや自主的
に渡航、移住したのかも知れない。
これら居留民の生命、財産を守るという大義名分のもと軍隊を中国大陸に
派遣したのは紛れもない事実である。
日本の国益を守るための生命線という呼称、あるいは利益線が主張され、
軍隊の派遣、駐留が正当化された。
防衛上の必要を強調することは、その無限拡大をもたらすこととなり、
その後の柳条湖事件以来の中国戦争の勃発、第二次世界大戦への
拡大の歴史を、われわれの苦い記憶として、保有しているのではなかったか。
海賊行為は、忌むべき犯罪行為であることは論をまたない。
しかし、遠くはなれた海外で、実際に何が起き、何がなされるか。
これを注視し続けなければ、またしても苦い歴史が繰り返されるおそれは
ありはしないだろうか。
軍隊は、無限に拡大する要素を常に孕んでいる。
そして、軍事最前線での行動は、遠くはなれた本営の指揮に必ずしも
服するものでないのは、中国古典いらい、明白な事実である。
つねに派遣部隊からの報告と監視をつづけることから始めなければなるまい。
【図南の翼】 十二国記のすすめ
私のルームに愛読書として掲載している、小野不由美さんの十二国記
をお読みになった方も多いと思うが、ここであらためて多くの政治家や、
政治に興味のあるかたに、是非一読をお勧めする。
今日の【図南の翼】は、12歳の少女珠晶が国の荒廃を憂えて、生命の
危険を顧みず、王位につくべく苦難の旅をする物語である。
ひもじい、怖い、辛いなんて、愚痴を言って人を妬む暇があれば、自分が
周囲のひとを引き連れて行動する。その大切さがいまの厭世感に覆われた
日本の社会情勢にも必要なのではないかと思ってしまうのである。
政界に人材がいないならば、野にも人材がいないという訳ではあるまい。
いまこそ、蓋世の才気あふれる人材の世に出る機会であろう。
十二国記、図南の翼の中の好きな文章を記す。
-背は泰山の如く、翼は垂天の雲の如し。
羽ばたいて旋風を起こし、弧を描いて飛翔する。
雲気を絶ち、青天を負い、そして後に南を図る。
大始業を企てることを図南の翼を張ると言う。
他人に頼りきって、自己の保身を図る、陣笠政治家は、さっさと退場し、
真に国を憂うる政治家の登場が俟たれる。
政治団体、政党の資金源
どうも西松建設の献金問題で、一知半解のマスコミに扇動されて
世間が騒ぎすぎているように見受けられる。
根本にかえって、政治団体、政党の資金源を考えてみよう。
当然ながら政治団体、政党は製品、商品を製作、販売している
わけではなく、いわゆる事業活動し呼べるものは、機関紙、ポスター、
党首、代表等のキャクターグッズを売るといったものぐらいであろう。
サービスの対価といえるようなものも殆どない。
その収入の大部分、あるいはほとんどは、外部からの寄付によるものである。
政党には、国会議員の数に応じて政党助成金が支給されているが、これとても
自らの事業による収入では無い。
企業には資本金を基準とする政治献金の限度額があるが、個人献金は
ほとんど無限大まで認められる。
政治団体は、不特定多数の献金者から広く資金を集めて、その政治活動に
使用するのを本来の目的としている。
効率的に資金を集め、無駄な出費を避けるため、多くの要員をかかえることは
ありえない。
お金を集める事は政治資金規正法もこれを認容しているのであり、集金方法が
たとえ個人や、他の政治団体を経由していようとも、経由されている個人、
政治団体が了承しているならば、献金を違法とする根拠は無い。
献金をすることにより対価、利得を得ようと考える事事態、夫自然な事では
あるまい。
献金したことにより不正な利益を要求し、供与した場合にはじめて贈収賄事件
として問題となるばかりである。
無償の愛が存在するとしても、無償の献金などというものは絵空事であろう。
アメリカの大統領選でも多額の献金を集めなければ選挙活動が継続できない
といった現実を我々は昨年、報道によりいやというほど知っているではないか。
その献金がどういう献金者の目的、意図にもとづくものかは、いまさら論ずる
間でもあるまい。
問題は、結社の自由を錦の御旗に政治団体の乱立を許し、政治献金に
歯止めをかけられない政治資金規正法にある。
法にしたがって外見上、個人、企業の任意の献金の形がとられていれば、
受け取る政治団体がその出自を詮索することを望むのは、百年河清を
待つが如きものである。
それにしても、よく研究もせず、さもわれこそは正義なりとして恥じる事のない
報道の姿勢には大いなる嫌悪を感じる。
風評か伝聞か。政府高官の謎。
新聞、テレビで小沢一郎議員の秘書の政治資金規正法違反容疑
について、政府高官なるものの発言が耳目を集めている。
通常、政府関係者はテレビの画面を通じて、あるいはちゃんと発言者
が判るように発言している。
今回のように匿名のまま報道されるのは異常な事態である。
この政府高官はいったい、いつ、いかなる状況で、誰にたいして発言
下のであろうか。
これを報道したすべてのマスコミが直接見聞したものだとすると、
奇異な感じ師を払拭できない。
オフレコを前提としての談話ならば、報道側に信義違反があったのであろうし、
匿名を条件に話したとすれば、いやしくも政府高官ともあろうものが
私事ではなく公のことを話す態度としては如何なものであろうか。
マスコミがこれをさも当然のこととしているのにも、納得がいかない。
政治に携わるものは自己の責任において堂々と発言すべきであるし、
マスコミも自らの業界内の慣行かもしれないが、やたらとニュースソース
の秘匿をすべきものではあるまい。
もし、この政府高官に直接取材することなく、他の報道を引用したのであれば
恥ずべき伝聞報道ということになりはしないか。
責任ある立場の人間が、匿名で発言するとき、国民に良い影響を及ぼした
例は残念ながら皆無といえよう。
付和雷同型の行動が、全ての分野、全てのひとに及んでいる状況は
なんだかきな臭い思いがする。
自分で見聞きし、自分で考える習慣を付けておかなければ、取り返しのつかない
状況に陥る事となる。
定額給付金に礼を言うな。
定額給付金の支給が本決まりとなり、受取が始まった。
給付金という名前ではあるが、本来国民の納めた税金を原資とする
ものに給付金という名称は、お上からの下賜金であるかの如き響きが
どうにも気に入らない。
地方自治体によってはプレミアム付きの商品券を発行するようであるが、
このプレミアム分も地方の税収をその原資とするものであれば、
商品券を一律に配賦しない限り不平等のそしりを受ける可能性がある。
多額のプレミアム付き商品券を買えば、当然プレミアムの額も大きく
なるのは論を待たない。
富裕層にのみ有利な方法とならない工夫はどうなっているのであろうか。
税収不足を嘆く地方自治体は、ほかにやることがあるのでは無いか。
定額給付金関連で最も懐が潤うのは、地方公務員出は無いのか。
臨時の仕事であるからと言って、残業をして、労働基準法通りの
残業手当を得ることがテキルのであるから。
民間では、残業どころか、雇用すら維持できない状況にあるのに対し、
失業の心配のない公務員た゜けが良い思いをしていると思うと、なんだか
すっきりしない。
給付金を受け取るにあたって、役所、公務員にお礼をいうのは止めにしませんか。
われわれの税金を一部とりもどすにすぎないのですから。
またしても竜頭蛇尾の結果を招くか東京地検。マスコミよ熟慮せよ。
政治資金規正法違反か、贈収賄かは知らないが、東京地検の民主党
小沢一郎周辺への捜査が、さも重大事のように報道されている。
現在の政治資金規制法にしたがえば、企業献金が禁止されていれば、
当然企業、あるいは同業団体が政治団体を結成し、企業からの資金を
いったん集約し、政党、他の政治団体に寄付することは、むしろ当然
の事である。
そうでなければ、いったい政治団体はどうやって資金を集めることができると
言うのであろうか。
そして献金は、純粋に支援するためだけだと考える能天気な人間が、
正義を振りかざすマスコミ以外に存在するのであろうか。
いっそのこと企業も個人も自由に献金できるように、政治資金規正法を
改定し、同時に全ての献金を、文字通り1円の寄付から、献金者の指名
、職業、所属団体とともに報告、公開すれば良い。
ことが政治に韓関するゆえに、個人情報とは言えまい。嫌ならば献金
しなければいいのであるから、公開されての不都合は、不正な利得を
目的とする献金が、あからさまになる事ぐらいであろう。
政党助成金という税金からの分配を受け、なお献金を欲しがるさもしい政党
がこの国を動かしていることをわすれてはなるまい。
近時の東京地検特捜部が、大上段に振りかぶった事件の結末は、
ライブドア堀江氏の事件などで明らかなように、当初、鬼が出るか蛇がでるか
のような大騒ぎであったにしては、軽微な犯罪でしか処断されていない。
振り上げた拳をどう下ろすのか、注目である。
それにしても、相変わらず取調室という密室での出来事が、当然のように
マスコミ報道されていることに、当のマスコミは何ら危惧の念を抱かないので
あろうか。
法学部出身者なら全てが知っている筈の、無罪の推定という言葉が実に
虚しく思える。
これで裁判員制度ははたして機能するのであろうか。
議会制民主主義について考える
小泉純一郎元首相の定額給付金財源特例法案に対する意見表明につき、
自民党幹部は当初、衆議院での議決に賛成したのだから、再度の議決で
反対もしくは棄権、欠席するのはおかしいと述べていたが、この言葉は
議会制民主主義を根本から否定する暴言である。
衆議院で可決しても参議院で、別の観点からさらなる質疑応答を重ね、
修正が加えられることは、本来憲法が予定しているものであろう。
荘でなければ二院制をとる根拠がなくなるものである。
衆議院で見落されていた問題点、不都合を参議院で議論し、その結果参議院で
否決され衆議院で再度議論される場合には、最初の衆議院の議論だけでは
なく参議院での議論の結果や、その際の論点の再検討を行ない、あらためて
議決するのが本来の役割である。
当初の議決と異なる議決になることは何ら問題となるものではなかろう。
したがって、最初の議決に賛成したから必ず再度の議決でも賛成しなければ
ならないとするのは、二院制の機能を否定し、憲法の趣旨を否定するものに
ほかならない。
最初の議決で2/3を超える多数によって可決されれば、どうせ参議院で
否決されても、再度衆議院で可決できるからといって参議院に議案を
送らなくてもという論理すら成り立つ危険きわまりない暴言なのである。
衆議院、参議院ともにその任期中に成立した法案であっても、施行後に
欠陥が発見され、あるいはより良い方法が見つかれば、たとえ任期中でも
法改正を行なうことは、議会が当然に果たすべき任務であろう。
これらをも、当初の議案に対する態度を徹底するというならば、議会の
役割とは一体何であろうか。
議会の自殺行為であり、議会制民主主義の否定である。
郵政民営化を決定した議会の構成は、いま現在、衆議院、参議院の
現役議員ではなかったのか。
自家撞着、實にその場しのぎの無定見な議員が幹部を占めている
自民党に明日はあるのであろうか。
昭和維新の歌によせて
誰もが右翼が街宣車で流すのを聞いたことがあると思われる昭和維新の歌を
平成の世に換骨脱退して、平成維新の歌を、戯れに書いてみた。
軍国主義的な色彩を覗けば、昭和維新の歌には、それなりの長所が感じられる
からである。
できるだけ変更を加えず加工してみたので、笑ってすませて頂きたい。
平成維新の歌
泪羅の淵に波騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛ぶ
混濁の世に我立てば義憤に燃えて血潮涌く
閣僚上に傲れども 国を憂うる誠なし
企業は富を誇れども 社員を思う心なし
ああ官栄え国亡ぶ 盲たる民世に踊る
治乱興亡夢に似て 世は一局の碁なりけり
平成維新の春の空 正義に結ぶ丈夫が
国を憂いて立つからは丈夫の歌なからめや
天の怒りか地の声か そもただならぬ響きあり
民永劫の眠りより 醒めよ日本の朝ぼらけ
見よ九天の雲は垂れ 四海の水は雄叫びて
革新の機到りぬと 吹くや日本の夕嵐
ああうらぶれし天地の迷いの道を人はゆく
栄華を誇る塵の世に 誰が高楼の眺めぞや
功名何ぞ夢の跡 消えざるものはただ誠
人生意気に感じては 成否を誰かあげつらう
やめよ離騒の一悲曲 悲歌慷慨の日は去りぬ
民の一票今こそは 廓清の血に踊るかな
朝令暮改は政治家の厳に慎むべき行為である。
君子は豹変すとも言うので、過ちを訂正するのを躊躇すべきでないのも
事実であるが、自分の言行に責任を持つ事は、もっと重要である。
ことに政党はその政策を国民に問うのが、よって立つ基盤であろう。
郵政民営化の是非を争点に行なわれた選挙によって選出された議員
が、その推進を目指した政党に属する限り、最低限、次の選挙までは
その立場を変えることは変節漢とのそしりをまぬかれまい。
ことに選挙の洗礼を受ける事なくその座についた総理大臣は、選挙
当時の党の方針に縛られると解すべきである。
政党の総裁、代表者の任期、選出時期にも改良の余地があろう。
アメリカ合衆国では、行政の長たる大統領は、上下院とは独立した
選挙により選出される。その際、大統領に事故あるときの備えとして
事前に副大統領候補も指名され、国民の審判を受ける。
翻って、議院内閣制のわが国では、行政の長たる総理大臣は、
国会議員の中から、議院の指名に基づいて選出される。
したがって、議会の多数を占める政党、政党連合から選出されるのである。
その候補となるのは、政党の総裁ということになる。
この総裁の任期が、多くの場合総裁が衆議院議員から選出されるにも
拘わらず、衆議院議員の任期とは無関係である。
もちろん、衆議院には解散の可能性があるが、少なくとも議院の任期中
には総裁が変更しないよう、任期を定めるべきでは無いか。
衆議院議員選挙の一定期間前に総裁、総裁が欠けた場合の後継者を
特定し、政策を立案し、選挙で民意を問うというのが正しい運営ではないだ
ろうか。
任期途中の解散の場合には、解散から選挙までの間に総裁を選出し、
次の議会の任期中は変更しない方法をとればよかろう。
朝令暮改が頻繫に行なわれれば、総理大臣の言葉、政党の政策が
狼少年の言葉のように、国民の信頼をえることは出来ない。
道路特定財源の一般財源化の中身も実質的には、従来と何ら変わって
いない。小手先の変化を大仰に成果のように喧伝する態度は、将来の
消費税の増税への理解を得るための論理への疑惑をも増加させよう。
福祉財源とする目的税化といっても、その他の分野に巧妙に転化されて
しまうという疑心暗鬼を払拭する方法はあるまい。
すでに自民党政治は狼少年にたいするがごとく、信頼を得ていないという
前提を持つべきである。