※10月8日、滋賀県長浜市にて4年ぶりに開催された「長浜きもの大園遊会」にて。
いつもお誘いくださる「み」姉さま、そしてこの日「はじめまして」だった、東海地区の「女装子」さんと。
2022年、令和4年の日々もいよいよ最終日になりました。
過去2年に渉って「帰省自粛」だったみなせさんも、今年は実家から「帰ってきてイイYO!」wなどとお達しをいただきましてね。
何と、3年ぶりに実家のある呉市に帰省する運びとなりました。
昨日30日(金)は3年ぶりの帰省に備えておみやげやら、帰省期間中「男装(!)」するためのメンズの服を憂鬱な気持ちで引っ張り出していたりしました。
…そもそもね、帰省しなかった3年間で、髪の長さやら色やら耳たぶのピアスホールやらで、「男とは程遠い」外見に変に磨きがかかってしまいました。
また、「蘖の会」やら「ゆるカフェ」やら、「元JW界隈」の活動もこの3年間で飛躍的に拡大しました。
加えて常々、「身バレ上等!」とがっつり顔出ししてブログ書いていましたのでね…。
地元の現役信者間で「みなせ兄弟」の悪評は、それこそ「重なり加わって天に達し」ているのでは…と思います。
そんな色々と香ばしい3年分のネタ背負って現役の母親と妹(10数年ぶりに再会)するわけで、こりゃぁ無傷ではいられんじゃろうて…と、今からかなり腹くくっていたりしますw
さて、SNSとゆーものを始めた2006年以来、T's Love(「ギョーカイ」専門の老舗SNS)、およびmixiから引き継いできた、大みそか恒例のごあいさつとなりました。
※ところどころ挿入されている写真は、「2022年の想い出」として、本文とは関係なくお楽しみくださいませ。
「先」に進んだ2022年
清水の舞台で書かれる「今年の漢字」ではありませんが、毎年大みそかには、わたしみなせも1年の自分自身を、漢字一文字で振り返ることにしています。
わたし、みなせくみこにとっての2022年は「先」の1年でした。
2020年:コロナ騒動を「超」えて
2021年:超えた先でご縁をいただいて、さらに「進」んで…
…そして2022年、「先」。
京都観光ガイドとして、春と秋には昨年以上にお客さまからのご依頼をいただき、「つながりを紡ぐみやこ時間」を過ごしていただきました。
4月、京都大原にて
特に今年より「ガイド料」を明確に設定させていただき、「仕事」としての体系を整え、「先」へ進めることができました。
元JWつながりのみなさま。
「ギョーカイ」つながりのみなさま。
一般のみなさま…。
京都の美しい景色の中で共に時を過ごし、つながりと想い出を紡ぐことができました。
「来てよかった」以上に「会えて良かった」
「また行きたい」以上に「また会いたい」
そう感じていただける「みやこ時間」を紡ぐべく、新たな一年も励んで参ります。
9月、信州にて
もうひとつ大きなことは、京都に移転したちょうど20年目の節目の10月30日に「広島蘖の会」を開催できたことでしょう。
コロナ騒動を「超」えて「進」んだ「先」に、また「京都蘖の会」の「先」にあったものは、現役JW時代を過ごし、現在も愛憎渦巻く広島の地で開催した「広島蘖の会」でした。
お申込みくださった地元の方2名、そして「地元スタッフ」としてご協力くださった3名の方々との時間と「つながり」は、わたしにとって「人生の宝もの」、「重要なターニングポイント」といえます。
現在はまだ首都圏中心の「元JWネットワーク」。
広島を中心とした中四国地域は「空白地帯」に等しい。
都会では考えられないほどに人間関係が濃く、自他の「境界線」すらあってないもののような、「足を洗い」辛い風土の中で、JWはじめいわゆる「カルト」の信条がひとたび入りさえすれば、想像をはるかに超えて根付きやすく、また想像をはるかに超えて強烈に人を縛り付ける。
自分の感覚、自分の信念に正直であって良いのだ。
それを素直に表わして良いのだ。
一歩も二歩も踏み出してよいのだ。
…それを発信することは言うまでもなく、自分自身に「許す」ことさえ簡単ではない文化なのだ。
そんな広島の地で「蘖の会」を開催できたこと。
過去4年半に渉り開催してきた、「京都蘖の会」を一歩「先」へ勧められたこと。
それは間違いなく2022年の大きな出来事でした。
残酷な「自由」の先を見る
その「蘖の会」参加者の方からいただいた言葉。
「(蘖の会含む)オフ会がすべての解決とは思わない」…。
まったくその通りで、2022年は(リアル、オンライン共)特に「オフ会」を始めとした元JWコミュニティの「先」にあるものごとに目を向けさせられ、時に厳しい現実を思い知らされた日々でもありました。
2022年中に各地で開催された大規模なオフ会や、いくつかのオンライングループに参加させていただき、その表と裏の様々な人間模様をも目の当たりにして参りました。
まったく何気ないひと言からの、思いがけないトラブル。
ほんの数秒前には考えもしなかった「別れ」と、その現実を受け容れざるを得ない出来事。
(自分自身を含め)信頼していたと思っていた人が、実はそうでなかった等々…。
自由は、時として残酷なほどに厳しい顔を見せる。
たとえばかつて「ギョーカイ」でも、昨年末いっしょに除夜の鐘まで聞いて「あけましておめでとう、今年もよろしく」と言っていた相手が今は存在していない、もしくは存在していたとしても、再び会うことが叶わない…という事態を味わってきた。
同様に、同じ元JWだからと言って、同じ二世だからと言って、いい人ばかり、気が合う人ばかり、信頼できる人ばかりとは限らない。
たとえそうであっても、「いつまでも仲良し」でいられるとは限らない。
経験上、その確率は想像をはるかに超えて高いのが現実。
こと元JW界隈の交流は、共感(むしろ共鳴)する部分が多く、またJW独特の距離の近さがあるため、ひとたび「ボタンのかけ違い」が起こると、「可愛さ余って憎さ百倍」ではありませんが、それまで近かった分だけ今度は「絶縁」状態…と、両極端に振れて、双方のダメージも普段以上に大きい。
人間関係の摩擦は無くても、「不慮の事故」や「不治の病」に突如として見舞われることだって有る。
すでに「ギョーカイ」において、先輩世代の「お兄さま、お姉さま」方、時に「妹」たちの訃報(自殺も少なくない)に幾度となく触れ、現実を嫌というほど思い知らされていたとしても、決して「慣れる」ことはありません。
時には、元通り「エホバの幸福な民」の仮面を被って、何も考えずにお花畑で幸せごっこを演じていた方が遥かに楽なのかも…とさえ思う時もあります。
11月、大徳寺方丈(国宝)保存修理現場特別公開にて。
「着物にヘルメット」とか、まずありえないコーデ(笑)
思いがけずつながるのもご縁であれば、望まずして離れるのもまたご縁。
いわゆる「宗教二世」世代も、また「ギョーカイ」等でご一緒させていただく方々も、中年、壮年、また老年の域へと入りました。
わたしみなせを含め、この交流の「先」にある、望む望まぬ関わらずいずれ訪れる「現実」に、今まで以上に目を向けさせることになった一年だと感じております。
…それでも「つながり」の力を、つながってくださる「その人自身」を信じていたい。
何はともあれ、かつてご一緒くださり、この一年で鬼籍に入られた「同志」には、こころより哀悼の意と冥福を祈ります。
「宗教二世」の流れへの距離感
7月のあの事件をきっかけに、社会的にも大々的に注目されるようになった「宗教二世」問題。
わたしみなせもそのひとりであり、事実上彼らを対象に、過去4年半に渉り「世話人」として「京都蘖の会」を開催してきた身にも、やはり「自分ごと」としてさまざまに考えを巡らせ、試行錯誤する日々でした。
(実際、仕事上の恩師からも「今こそ立ち上がりなさい!!」などと強烈にハッパをかけられた)
一度などは、とある方から紹介をいただいた「最先鋒」とも言うべき活動家の方と、「仕組み」を作るべく 連携しようとしたところが、わずか数日で辞退…というか、数年に一度レベルのガチギレをした上、椅子蹴っ飛ばすかのようにして退場…などとゆー、お笑いネタにもならない結果になりました。
改めて書くのもバカバカしく、何より現在でも相当に腹立たしいので、興味のある方はこちら をご覧くださいませ。
…とはいえ、昨今の流れ、こと厚労省により新たに策定された 「虐待対応ガイドライン」 を見るに。
「わたしたちを見て、わたしたちの声を聴いて!」
「わたしたちがどれだけ苦しんだか、どれだけ悲しみや怒りを抱いているか知って!!」
(言い方は大変に悪いですが)ある意味「主語を大きく」して周囲を巻き込んで振り回さんばかりの勢いで社会に訴え、かつ親世代の「一世」たちを見境なく憎悪し、排除…いえ、復讐せんばかりの勢いで発信する…。
実際、それだけの熱量とパワーがあったからこそ、各宗教組織、社会、地方行政、国政の分厚い壁を「突破」したことは事実であり、また「活動家」たちが今日に至るまで積み重ね、作り出したその結果には素直に敬意を表します。
11月、鷹峯源光庵にて
実際、この「ガチギレ事件」の後、わたしみなせは各方面からお叱りをいただき、自己の不明と未熟を改めて思い知らされた日々でありました。
自分も当事者のひとりであり、自分に近しい人たちも参加している、つなげてくれている。
それだけでなく大手マスコミの記者さんとか、どっかの大学教授さんとかも注目してくれている…。
そんな「甘言」に乗せられて調子こいて、よく見もせず、よく聞きもせず、よく考えもせず、勝手に話に乗っかって、勝手にガチギレしてしまった。
修業が足りない。
…現在となっては、ただそのひと言のみです。
こと人間関係においては、「時の要素」というものがけっこう大きいということに、これまで事ある毎に気づかされていました。
また、その「時の要素」に気づき、使いこなすためにはけっこう人生経験を要するものなのだということも、これまた事ある毎に思い知らされてきました。
…そうして考えれば、現在の「宗教二世」の流れにおいて、みなせは「お呼びでない」ということだけは確かなようです。
此処でも、やはり「先」です。
たとえば3か月後、半年後、1年後、3年後、5年後、10年後…。
つまり、「先」の日々において、いわゆる「宗教二世」を巡る社会の目は、そして周囲の「二世」たちとその熱量はどのように変化してゆくのか。
そして、わたしみなせ自身はその時どのような距離感、どのような位置づけでいるのか…。
例えば、持ち上げられたらその分だけ「落とされる」ことが、世間一般ではしばしば起こる。
これだけマスコミに大々的に、また国会ばかりか省庁にまで取り上げられたのですからね。
持ち上げられたその高さが大きい分だけ、ひとたび落とされた時のダメージは大きいものです。
いつか一度は強烈なしっぺ返しを喰らうのでないか…。
そんなことも恐れています。
ましてや、「一世は社会から締め出されて当然」などと言うような、未熟な感情論が中心にいるのであればなおさら…。
かつて10数年前、いわゆる"GID"(性同一性障害)の人々が手を組んで社会や行政に働きかけてゆこうとゆーNPO団体が立ち上がったのですが、数か月経たないうちに内ゲバだらけになって、そこの公式HPはいつ見ても「公開内ゲバ」状態。
でも当事者たちは誰も気づかず毎日バトルを繰り広げて…などとゆー、大変にみっともないことがありました。
火種となり、かつバトルの中心人物だったのがいわゆる「ホルボケ」(女性ホルモン喰い過ぎてノーミソが逝ってしまった同業者を指す蔑称)。
実際日々垂れ流されるそいつの言動は、男女の別などとうに通り越して支離滅裂。
相手する側も大変だろうな…と、変に同情してしまいました。
けっこうマスコミへの露出もある方だっただけに、当時は駆け出しの「小娘」だったみなせも傍で見ていてずいぶん情けなく感じたのを思い出します。
(言うまでもなく、そのNPO団体は崩壊しました)
そんな恐れが杞憂であるくらいに、大晦日にこんなたわごとを垂れ流しているみなせが正真正銘のアホンダラボケカスであることを完膚なきまでに証明するほどに。
現在第一線に立っていらっしゃる活動家の方々が、聡明で先見の明に長けていらっしゃることを、冗談も悪意も抜きにして真摯に祈ります。
11月、東寺塔頭「観智院」にて
深く、広く「根」を張り広げる
…そんな「みなせのアホ」自身に話を戻しましょうか。
いずれにせよ、この2022年はさまざまな意味で「先」を見せつけられ、酸いも甘いも味わった日々でした。
またそれゆえに、未熟な自身を改めて思い知らされ、省みる日々でもありました。
昨年、今年とかなりの比率を占めていた「元JW界隈」の交流も、ひとつ目の曲がり角に来ているようです。
新たな一年は「根っこを張り伸ばす一年」になってゆきそうです。
時代の流れ、社会の流れ、何より自分自身を俯瞰しつつ、知識や経験を深め、磨き、熟成してゆく日々。
一世・二世、元・現役、JW・他宗等々はじめとした「カテゴリ」の向こうにある「その人自身」とこころをこめて接してゆきたい…という信念は決して曲げない。
「宗教二世」の呼称を盾に、ましてや「社会の後押し」を盾に、「一世が一世である」というだけで攻撃され、排除が目論まれるようなことは決して許さない 。
「京都(広島)蘖の会」始めとした元JWの方々とのかかわりは、観光ガイドと並んで、わたしみなせのライフワークです。
「みなせくみこ」とその経験、積み重ねてきたものがいちばん活きる機会、場所、人々とのつながりを大切に守る。
…そうして、時を得るまで、自身の「根っこ」を深く広く張り広げる日々を送って参ります。
このコミュニティでもてはやされたり有名にならなくても、
少数でもしっかりと信頼し合える人たちと穏やかに過ごす方が幸せではないでしょうか。
蘖の会のように。
ある方からいただいたこの言葉を支えに、いただくご縁を大切に、新たな一年の日々を静かに送りたいと思います。
「広島蘖の会」前日の10月29日、広島市内にて
わたしが、わたしらしくいること。
わたしのことを好きでいてくださる、大切な友人たちとつながっていること。
…それが、わたしの人生の宝もの。
ひとりひとりとのご縁、
日々の「つながり」。
それが、わたし「みなせくみこ」を作り、また支えてくれています。
オンラインでもリアルでも、
出会ってくださった方、つながっていてくださる方ひとりひとりに、こころからの「ありがとう」と「大好き」を…。
今年一年、ありがとうございました。
新たな一年も、どうぞよろしくお願いいたします。
こころをこめて…
みなせくみこ