みなさん、こんばんは!
おはようございます、こんにちは☀️
今日は、栃木県下野市に鎮座する「下野薬師寺(しもつけやくしじ)」をみなさんにご紹介したいと思います🖋️

✳️下野薬師寺(しもつけやくしじ)✳️

創建は「天武天皇」白鳳8年(680年)。
皇后(後の持統天皇)がご病気になられたため、「薬師瑠璃光如来」のご威徳をもって、病気平療を祈念するために勅願により建立されました。
✳️錦魚葉椿(きんぎょはつばき)

「祚蓮上人」が下野国のこの地を選び、伽藍配置の図式を奉上したと伝えられています。
✳️山門✳️

同時期に建てられた奈良の「薬師寺」と区別するため、下野国の薬師寺は「下野薬師寺」と呼ばれています。
✳️本堂✳️

暦応2年(1339年)足利尊氏により、寺名が「安國寺」に改称。
✳️撫で仏 薬師如来✳️

平成29年(2017年)「本堂・山門・庫裏・本尊」並びに「諸仏菩薩」の修理(平成の大修理)を機に、平成30年(2018年)寺名を「下野薬師寺」に戻しました。(寺名復古)
✳️本堂内✳️
①
③
④

⑤

明治35年(1902年)台風のため「本堂」が倒壊。
3年程かけて使える古材を活用して再建されたのが現在の「本堂」です。
✳️本堂「天井の雲龍図」✳️

「下野薬師寺」が東国仏教文化の中心として、特に隆盛をほこるようになったのは、天平宝字5年(761年)に「鑑真和上」によって「戒壇院」が建てられてからです。
✳️薬師如来立像✳️

・奈良の「東大寺」。
・筑紫の「観世音寺」。
それに「下野薬師寺」を合わせて「日本三戒壇」といわれています。
✳️創建時の礎石✳️
①

東山道足柄以東板東10カ国の僧侶となる者は、全てこの「下野薬師寺」で修行し、授戒をしなければならない定めになっていました。
②
✳️摩尼車✳️

元亀2年(1570年)小田原の城主「北条氏政・氏直」父子が下野国に出陣し、「小山」・「薬師寺」・「結城」付近に陳をしき、下妻の「多賀谷氏」の城を攻めましたが結城の援護に破られ、「薬師寺」に退却して「安國寺」に入りました。
✳️十三重塔✳️

時おりしも大風雪であったため、飢えと寒さに耐えられず近くの民家に火をかけて暖をとりました。
✳️本坊✳️

その火が「安國寺」に燃え移り、七堂伽藍をはじめ全ての建物が焼失したと伝えられています。
✳️寺宝「薬師如来」と「十二神将」✳️

本尊「薬師如来」と「十二神将」。
室町期の作・秘仏。
「平成の大修理」の際に傷んでいたところを補修し、補色しました。

本尊のご開帳は「33年に1度」となっています。
✳️閣浮提金の釈迦誕生像✳️

鑑真大和上将来の「閣浮提金の釈迦誕生像」と伝えられています。
5月4日(休日)に行われる降誕会(花まつり)で公開されます。
今日はこの辺で!
次回も引き続き「下野薬師寺」をみなさんにご紹介したいと思っているのでお楽しみに♪

では、また👋
いやさか~✨