
国際結婚でつまづいている
長女気質な女性の伴走者、
夫婦間コミュニケーション・コーチ
木村グロースようこです。
前回から2回に渡り、
鳥取の田舎町出身である私が
国際結婚⇒離婚⇒再婚を経て、
ドイツの首都ベルリンに移住するまでの
道のりを振り返ります。
勢いで結婚した私達ふたりですが、
日本でゼロから生活の基盤を作る、
という現実が待っていました。
就活に関して全くの初心者だった私は、
ロシアの極悪インターネット環境(笑)を
なんとか使って、
神戸の中古車輸出業者にエントリー。
帰国の翌日、面接に出向き、
幸運なことに即採用!
結果から言うと、
神戸で暮らしたのは3か月。
その後、
東京に引っ越すことになります。
ロシア人夫は日本語がまだまだだったため、
できる仕事といえばレストランの皿洗い。
そんなとき、
ロシア人コミュニティーのつてで
東京の個人企業のバイトを紹介されます。
私も、中古車輸出業者での仕事が
本当に合わなかった💦
なので、
やはりロシア人の知り合いを通じて
東京の海産物仲介会社に転職。
私以外全員ロシア人の会社で、
総務として働くことになりました。
離婚に至るまでには、
本当に色々なプロセスがありましたが、
ここでは簡単に‥
振り返ると、一番大きな原因は
二人家族を自分が
養わなくてはならない
という責任感から、
何を本当に望むのか、
自分はどうしたいのかを
考えることなしに、
相手を最優先させていたこと。
彼は私のことを
本当に愛してくれていましたが、
日本に帰って3年が経つ頃、
私の方に笑顔が消えていました。
今の私は幸せではない。
それを自覚したことが
決定的だったと思います。
今の夫に出会ったのは、そんな時期です。
共通の友人に
『絶対に気があうから』と
紹介されました。
その時すでに、日本暮らし10年だった夫。
当時は元奥さんと別居中でした。
お互い、
パートナーとのコミュニケーションが
うまくいかなかったことが大きな原因で、
辛い時期を過ごしてきた同士。
価値観、家族について、生き方、etc...
ほんとうに色々なことについて語り合う中で、
この人と一緒に
新しい人生を生きていきたい
という強い想いが、
二人の間に生まれました。
離婚というのは結婚よりも、
100倍くらいエネルギーを消耗します。
離婚に向けて動いてる頃、
待っていたように発症した帯状疱疹や、
顔中の酷い吹き出物に悩まされました💦
今考えると、
自分の願いを抑えつけていた
それまでのストレスからの
サインだったのかなと思います。
元夫に日本の永住権が出たタイミングで、別居。
その後、正式に離婚手続きをしました。
この人だ!という確信はあったものの、
結婚については、まあ近いうちに、
と考えていました。
そんな2011年3月11日、
東日本大震災が起こります。
そして、
福島第一原子力発電所事故。
いつか子供が欲しいと思っていたこと。
彼が、20年近く離れていたベルリンで、
両親と一緒に過ごす時間を
持ちたいと望んでいたこと。
こういった理由から、
二人でドイツに移住することを決めました。
そこで色々と調べた結果、
ドイツ国内で国際結婚をする場合、
正式な書類を翻訳したり
アポスティーユを取ったりと、
手続きが煩雑、かつお金がかかる。
そこで私達はまず、
日本の役所で婚姻届けを提出。
友人数名と一緒にお祝いの夕食会をして、
めでたく再婚夫婦となりました。
3月に結婚と移住を決めてから
7か月後の10月、
夫にとっては本帰国、
私はドイツ移住、という
大きな一歩を踏み出したのです。
さて次回の記事では、
ドイツ語ゼロから
ドイツ企業で就職するまで
について振り返ってみたいと思います。
読んでくださってありがとうございます
それではまた次回!