NO.3008 3月23日に運行終了しました「SL人吉」の、平成21年運行当初の姿 in 熊本駅 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 3月23日、熊本~鳥栖間で運行されてきました8620形蒸気機関車58654号+50系700番台客車の「SL人吉」が運行最終日を迎えまして、58654号は誕生してからは101年4ヶ月、JR九州として復活してからは36年、台枠新製を行いましてからは15年で再び引退する運びとなりました。

 

 この専用機58654号は大正11年に日立製作所で落成しておりまして、新製配置は浦上機関区(今の浦上駅付近に存在?)でありまして、長崎線に使用されておりましたが、一旦名古屋機関区に転属、その後九州に再び戻りまして、若松→吉松→鹿児島→豊後森→鳥栖と各機関区を転々と転属しまして、鳥栖機関区で戦争を乗り越えまして戦後西唐津機関区に転属、西唐津機関区では唐津線でお召し列車の専用機にも任命されまして、一度廃車されるまでは実質一番長い15年間配属されておりました。


 その後、若松→そして人吉で肥薩・湯前線の列車として使用された後に昭和50年に廃車、一度廃車後は肥薩線矢岳駅にありますSL展示館で保存されておりました。

 

 (令和4年訪問時撮影)~その下の画像は58654号が保存されていたスペース

 

 

 JRになりまして1年後の昭和63年、阿蘇地区の観光振興を目的に「SLあそBOY」として復活を果たしまして、豊肥線の熊本~宮地間を運行されておりましたが、「SLあそBOY」時代は、難関と言われました立野駅付近のスイッチバック区間など勾配が高い区間を連日運行されていた事もありまして、台枠がずれた事などによる老朽化なども重なりまして、平成17年に結局一度リタイヤと言った結果になっておりました。

 


 けれども、平成21年の再復活に際しましては、台枠の新製などを行った事もありまして、再び復活の経緯に至りまして、勾配が少ない肥薩線(川線)に活躍の場を移しまして、「SL人吉」として熊本~人吉間で運行されておりました。

 

 

 しかし、令和2年の「熊本豪雨」で肥薩線が非常に大きな被害を受けまして、以降は冒頭述べましたように鹿児島線の熊本~鳥栖間に運行区間を移しまして運行されてきておりましたが、再び老朽化や部品の調達ができにくくなった事などもありまして、3月23日に運行最終日(熊本~博多間)に至っております。

 

 

 私自身も、1月に団体臨時列車として八代→熊本間に乗車した際に最初で最後の乗車を果たしておりました。車内撮影までは以前後述のように当初行っておりましたが、実際の乗車はこの時が最初で最後でありました。この時点では既に引退が発表されていた時でもありましたし、普段は運行しない熊本駅以南での特別運行でもありましたので、こうした貴重な時に乗車する事ができてよかったと思っております(詳しくはNO.2988他参照)。

 

 (車内)

 

 (熊本駅到着後)

 

 

 さて、今回ここからご紹介しますのは、今から15年前、台枠新製を行いまして「SL人吉」として再復活を果たした際に熊本駅におきまして撮影しておりました模様を皆様にご紹介してまいります(撮影日・平成21年6月)

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 「SL人吉」は、平成21年4月25日に運行を開始、熊本~人吉間を一日1往復運行を行っておりました。当時の熊本駅構内では、平成21年3月14日以前はその日をもって廃止されました、寝台特急「はやぶさ」の惜別に関します吊りポスターやパネルが見られておりましたが・・・
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 廃止されました3月14日以降は、画像のように「SL人吉」の吊りポスターやパネルに変更されておりまして、駅をあげて「SL人吉」の運行を祝っている姿が見られておりました。
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 ちなみに、この吊りポスターは当時熊本駅構内の色々な所に見られておりましたが、画像のように乗場案内までも表示されておりまして、正直細々した部分も見られていたのが特徴でもありました。
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 ここからは、「SL人吉」発車前後の模様をご紹介しますが、まずご紹介しますのは、「SL人吉」の乗車ホームでありました0番A・Bホームにありました自動販売機です。当時このホームにで2台見る事ができておりましたが、やはりSLが発着するホームらしさがよく出ていたのではないでしょうか。何と言いましても、黒の模様に58654号がうまくマッチしていた事もわかります。
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 ここからは熊本駅の入線シーンです。入線時にはカメラを構えた方がいらっしゃいましたが、中にはこのシーンを家族で見守る方もいらっしゃいました。ちなみに、現在は子供たちももう成人になっている年頃でもありましょうから、この15年の長さも感じさせられる所でもありましょうか。

 

 

 この後、0番Aホームに「SL人吉」編成が入線してきました。0番Aホームは行き止まりホームでもありましたので、推進運転で熊本車両センターから回送してきておりまして、いわゆるバックした状態での入線となっておりました。

 

 (推進運転のため、中央部に係員の姿が見られるのがわかります)

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 50系700番台客車がホームに入りましたら、今度は先頭になる58654号が入る事になります。この時は機関士の方も顔を出して後ろを見ておりまして、係員からの無線とともに目視で確認しながら入線していた事がわかるのではないかと思います。

 

 こうして、編成全体が0番Aホームに入りまして、熊本車両センターからの推進回送は終わるに至りました。こうした連携があっていたからこそ、この後の熊本駅発車へと至っていた事もわかります。
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 ここからは発車までの姿をご紹介してまいります。まずは「SL人吉」のヘッドマークです。よく見ましても、再復活を果たしてまだ時も浅い事もありまして、ヘッドマーク自体もまだきれいな姿が見られていた事がわかります。
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 (全体)

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 画像は機関室です。私自身も「あそBOY」以来4年ぶりに見る事ができていた機関室でしたが、一時は復活不可能とさえ言われていただけに、よく復活してきたなと思ってしまう所でもありましたでしょうか。特に細長いボイラー、色々なツマミ類がある部分は、この機関室でしか見れない・味わえない部分でもありましょうか。

 

 こちらは炭水車の部分です。画像のように、石炭も山積み、水も恐らくは多く積まれていたのではないかと思われます。こうした石炭を火室に運ぶのは機関助手の役目でもありますので、正直大変さも伺えるのではないでしょうか。
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 ここからは「SL人吉」の専用客車をご紹介します。この車は50系700番台客車と言う事で、ベースはいわゆる「レッドトレイン」と呼ばれた客車で、もちろん種車も赤色でした。さらに、シートもボックスシート、ドア際がロングシートのいわゆる「セミクロスシート」の車両でもありました。


 昭和63年、SL「あそBOY」運行開始に伴いまして、オハフ50形2両(39(→701)・40(→702))、オハ50形1両(75(→701))の計3両が改造されまして、従来の50系客車が所属しなかった熊本に籍を置きまして(従来は直方・大分)、この時から58654号の専用客車として活躍されていました。また車内・車体はアメリカン調に変化しまして、冷房も取り付けられておりました。

 

 (平成13年「かんざき菜の花号」時撮影)


 しかし、平成17年にSL「あそBOY」が不調により運行休止、それによりしばらくはDE10形ディーゼル機関車によります、ディーゼル「あそBOY」として使用されましたが、やはり不人気であった事や、後に「あそ1962」の登場によりまして、この車両も保留車になっておりました。


 けれども、58654号の復活によりまして、専用客車も再び「SL人吉」として復活、それに伴い、50系700番台客車も再改造されております。

 

 【車体画像はいずれも平成26年人吉駅にて撮影】

 (1号車・オハフ50 701(←オハフ50 39))
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 (2号車・オハ50 701(←オハ50 75))~折戸
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 (3号車・オハフ50 702(←オハフ50 40))
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 (黒の車体に「SL人吉」と書かれたプレート)
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 (「人」が多く書かれた模様)
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 こちらは車内画像です。この時は、「SL人吉」の乗車券は持っておりませんでしたが、この後別の方面へ行く事になっていたためその乗車券を持っていましたが、当時の車掌さんの計らいもありまして収める事ができておりました(もちろん入場券でしたら車内立ち入りはできません)車内は大正時代風の車内に大きく変化しておりまして、種車時代の印象は全く見られないのがわかります。

 

 (1号車、茶色の布シート)

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 (2号車、緑色の布シート)
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 この他にも、人吉までの行程が書かれました地図であります沿線観光図でありまして。ここでは本来の運行区間でもあります肥薩線を中心とした観光図が見られておりました。
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 また、地元特産品が並べられたコーナーもあります簡易ビュッフェ、
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SLの模型が飾られましたコーナー、
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 さらに、鉄道関係の書籍が置かれたSL文庫も置かれておりました。特にこの時一番置かれておりましたのが、最上段の真ん中から左側に置かれた西村京太郎氏の「トラベルミステリー」が一番目を引きました。
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 (その他の本)~「鉄道歳時記」などが見られます

 

 そして、極め付けが展望車です。上の画像にありますSL「あそBOY」時代は、後部の下部分はボディの一部でありましたが、今回からは全面ガラス張りになっておりまして、展望にも変化が見られていた事がわかるのではないでしょうか。
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 車内撮影後、当時の2番ホームに移動しまして、「SL人吉」全体の姿を収めました。この当時は九州新幹線の工事が行われていた事もありまして、全体の姿を収めるとなりますとその2番ホームで収める事ができておりました。正直架線柱や標識も見られてはいまして詳しくは収める事はできませんでしたが、それでも機関車を含め4両全体が見られていたのは良かったでしょうか

 

 58654号の動輪と連結棒であります。この時下の部分を収める事ができておりましたが、この大きな車輪、そして赤の連結棒によって動いていた訳ではありますが、この大きなものがあってこそ堂々としている印象さえも感じさせられる所ではありましたでしょうか。

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 この後、再び0番Aホームに移動しまして発車時刻の9時41分を迎えました。発車する時には「ポ~!」と言う汽笛音、その前の蒸気の「シュッシュッ・・・」の音と、見ていてやはり興奮する所ではありましたでしょうか。
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 こうして、「SL人吉」人吉行きは人吉駅へ向けて発って行きました。この所要時間は約2時間半に及びますが、八代駅から肥薩線に入りまして球磨川の姿を乗客の方も楽しまれていたのではないかと思います。
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 【当時の運行ダイヤ】

 熊本(9:41)~新八代(10:26)~八代(10:32)~人吉(12:13) 

 人吉(14:39)~八代(16:29)~新八代(16:40)~熊本(17:21)

 

 

 尚、この後0番Aホームにはキハ58系気動車で運行されておりました、「あそBOY」の後継列車でもありました「あそ1962」が入ってきまして、阿蘇駅・宮地駅へと発って行きました。この列車も、平成23年の「あそぼーい!」運行開始前まで運行されておりましたが、数年間の保留車として在籍した上で、小倉総合車両センターで解体されております。

 

 

 今回は、平成21年に運行を開始しておりました「SL人吉」の運行当初の姿をご紹介しましたが、正直その姿が懐かしい所でもあります。やはり熊本駅も高架化されていない頃の15年前である事も言えるのではないかと思いますが、その15年後に「SL人吉」の58654号は引退に至る訳でもありますので、台枠は新製していたとしましてもそれほど老朽化も進んでいたのかなと思ってならない所ではあります。とにかく今回の引退は残念ではありますが、今回ご紹介しましたように懐かしい姿を思い出しつつ、この「SL人吉」専用機の8620型蒸気機関車58654号には101年もの長い間お疲れ様と言いたいと思います。