当ブログでは、前編・後編と2回にわたりまして、8620形58654号+50系700番台客車+DE10形ディーゼル機関車によります「SL鬼滅の刃」の、福岡県筑後市の羽犬塚駅・近くの山の井踏切で撮影しました話題を皆様にご紹介しました。
画像からもわかりますように、撮影日の11月3日には多くの方々が足を運んでおりまして、それだけこの「無限列車」の関心度が高い事が伺わせておりました。実際に、停車ホームの羽犬塚駅2番ホームでは「三密」の姿が見られておりまして、それだけ多くの方々が足を運んでいた事が伺わせていたようでした(もちろん、マスクは皆様着用されていたようです)。
そんな今回撮影駅でもあります羽犬塚駅は、上の画像2からもわかりますように2面3線の駅となっておりまして、1番ホームが鹿児島線大牟田・熊本方面、3番ホームが鹿児島線久留米・博多方面、そして停車しました2番ホームが待避線としてや、基本的に折り返しのために使用されておりまして、2面3線のホームは全て使用されている事が伺わせております。
しかし、かつては羽犬塚駅では0番ホームも存在しておりまして、ここには矢部線と呼ばれる路線が旧黒木駅まで存在しておりました。実際に、以下画像が時刻表でありますが、かつては6往復9駅が存在しておりました。
(昭和58年時刻表より)
この路線に使用されておりました気動車であります。画像の旧唐津運転区(現・唐津車両センター)に所属しますキハ40系(キハ47形)気動車などの気動車が、メインの唐津線や、昭和62年に廃止されました旧佐賀線を経まして、昭和60年に廃止されましたこの旧矢部線までも運行エリアとして運行されて使用されておりました。ちなみに、唐津車両センター所属の画像2両はエンジン未更新でもありますが、このようなオリジナルの車両も旧矢部線を運行されておりました。
(キハ47 128)
(キハ47 1127)
さて、今回から次回にかけましてご紹介しますのは、今回の訪問におきまして旧矢部線の廃線跡探訪を「SL鬼滅の刃」の撮影の間に旧黒木駅まで撮影を行いましたので、皆様にご紹介してまいります。尚、道路内撮影に関しましては、いずれも停車して撮影を行っております(一部今回同行した助手席に座っておりました妻が走行時に撮影した画像もあります)。
この旧矢部線は、開業が終戦直後の昭和20年12月でありまして、開業まではまさに突貫であったとの事であります。元々は、戦前から計画された路線でもありまして、既に路盤は戦時中までは完成しておりました。そして9月の終戦直後から工事が再開されまして、昭和20年12月に太平洋戦争が終結してからわずか3か月で開業しておりまして、日本の鉄道路線では終戦後初めて開通した記念すべき路線でもありました。
開業後は、貨物営業も行いながら運行されておりましたが、駅自体も一部の駅で駅舎を持たずにホームのみと言った駅が多く、行き違い設備も旧筑後福島駅と旧山内駅で設けられただけであったとの事でもありましたし、末期には上の本数からもわかりますように1運用でこなす事ができた事から行き違い設備の必要さえない運用でもあったようでもありました。
そして、昭和56年に第一次特定地方交通線として廃止が承認されまして、昭和60年の3月末の運行をもちまして矢部線は廃止されまして、廃止後は旧筑後福島駅・旧黒木駅が公園として整備されましたが、それ以外が駅は撤去されましたし、路盤もほとんどが道路化されまして、八女市山内地区までを「バルビゾンの道」と称されております。
さて、ここからは廃線跡区間をたどってまいります。羽犬塚駅を過ぎまして、現在九州新幹線の高架橋となっております部分が、旧矢部線の線路があった所でもありまして、旧矢部線と分かれる所まで活用しております。
そして、カーブとなっている部分からが旧矢部線の廃線跡区間となります。旧矢部線は、鹿児島線と分かれますと、その下の画像でもわかりますように大きくカーブしまして、国道209号線方面へと進んでまいります。
国道209号線と交わる所の交差点(野町北交差点)であります。かつて国道209号線と旧矢部線は立体交差の形となっておりまして、国道209号線が高い所を走っておりましたが、改良工事を行いまして画像のように交わる形に改まっております。尚、この交差点から先の所に旧花宗駅があったそうですが、その面影は全く見られなくなっておりました。
(信号待ち時に撮影)
旧花宗駅があった場所からさらに東へと進んでまいります。この区間では、画像のように2車線となっておりまして、ここに鉄道が走っていたという面影も全く見られておりませんでした。
(停車して撮影)
さらに、九州自動車道をくくります。現在は道路化されておりますのでわかりにくいですが、かつては鉄道が存在していた訳ですので、面影が見られなくなっているのが時の流れを感じさせられます。
(停車して撮影)
九州自動車道をくぐりましてから約700メートル、画像の古びた建物がある場所に旧鵜池(うのいけ)駅が存在しておりまして、1面1線のホームがかつては存在しておりました。しかし、面影がありますのはその古い建物の果物を売ります直売所でありまして、それ以外の所では全く面影は見られなくなっておりました。
(旧駅付近にあります直売所)
旧鴨池駅から約1.2キロ、画像のJA施設がある所に旧蒲原(かまはら)駅が設けられておりました。この駅に関しましても、駅舎のない無人駅であったそうでもありまして、駅構造は単式ホーム1面1線の一部に待合場所としてベンチと屋根があるのみであったそうでありまして、まさに寂しい姿であった事が伺わせております。しかし、現在は先述のようにJAふくおか八女の施設が設けられておりまして、出荷施設なども支店裏に設けられております。
(走行時に助手席の妻が撮影)
(この付近に旧ホームがあったようです)
(JAふくおか八女の支店・出荷施設)
旧蒲原駅から廃線跡を活用しました「バルビゾンの道」を東へ進みますと、八女市福島地区におきまして藤の花のトンネルがみられます。このトンネルは、全長約510メートルにも及ぶトンネルでありまして、福島地区の名所の一つとされております。
(案内板)
この藤の花があるトンネルに沿う所にありますのが画像の鉄道記念公園でありまして、この案内板にもありますように、この鉄道記念公園がある場所にかつての筑後福島駅が設けられておりました。それにしても、藤の花の姿があった事もありまして見にくい部分がある事に関しましてはご了承いただきたいですが、矢部線の歩みには戦後すぐの昭和20年9月から突貫工事が始まっておりまして、12月には開業に至っているとの事でありまして、相当な作業員を要しまして開業に至る事ができた事が伺わせております。
(他の画像を含め見にくい事はご了承ください)
(昭和20年9月から突貫工事が始まっている事が記載されております)
(そして昭和60年3月に廃止された事も記載されております)
旧筑後福島駅は、恐らくは画像中央に駅舎が設けられていたようでありまして、矢部線を代表する駅でもあったようでもあります。実際に、最盛期には2面3線のホーム配置でもあったそうでもありまして、まさに中心駅としての姿が伺わせておりました。
ここには、かつての駅があった事を伺わせるように遮断機が設けられておりましたし、モニュメントとしてレールも残されておりました。こう言う所がかつて駅であった事を伺わせる所ではなかったかと思います。
(モニュメントとしてレールもあります)
画像が羽犬塚方にあたる部分であります。かつては画像右側の部分にかつてのホームも見られておりましたが、後にホームも撤去されておりまして名残は見られなくなっております。それにしても、かつて最盛期には2面3線のホーム配置があった事が伺わせるように、旧駅の広さがこの姿からも感じさせられる所ではないかとも思います。
この交通公園では、画像のように子供さんが遊ばれる姿が見られておりました。しかし、この子供たちもかつてここに鉄道が走っていた事はまだ知らないでしょうから、今後何らかの形で語り継いでいく事になるのでは?とも思います。
今回は、前編として羽犬塚駅から旧筑後福島駅間の廃線跡探訪をご紹介しましたが、やはりそのほとんどが道路化されておりますので、名残が見られなくなってしまっている事が伺わせております。しかも、駅によりましてはかつてのホームも駅舎がないシンプルな形の所もあった所も見られておりますので、廃止後には名残も見られなくなってしまっている事も仕方がないのではないかと思う所でもありましょうか。次回後編では、かつてのトンネル跡も見られております旧黒木駅までの廃線跡区間の探訪をご紹介する予定でありますので、次回後編もご覧いただければと思います。