NO.2399 羽犬塚~旧黒木間を結んでいた、旧矢部線廃線跡探訪(後編、旧筑後福島~旧黒木間編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 前回NO.2398より、福岡県筑後市の羽犬塚駅から、八女市の黒木駅までを結んでおりました、旧国鉄矢部線廃線跡探訪の話題をご紹介しておりますが、前編(NO.2398)では羽犬塚駅から旧筑後福島駅間の廃線跡の現状に関しましてご紹介しておりました。

 

 前回もご紹介しましたように、この旧矢部線は、開業が終戦直後の昭和20年12月でありまして、開業まではまさに突貫であったとの事であります。元々は、戦前から計画された路線でもありまして、既に路盤は戦時中までは完成しておりました。そして9月の終戦直後から工事が再開されまして、昭和20年12月に太平洋戦争が終結してからわずか3か月で開業しておりまして、日本の鉄道路線では終戦後初めて開通した記念すべき路線でもありました。

 

 開業後は、貨物営業も行いながら運行されておりましたが、駅自体も一部の駅で駅舎を持たずにホームのみと言った駅が多く、行き違い設備も旧筑後福島駅と旧山内駅で設けられただけであったとの事でもありましたし、末期には後述の時刻からもわかりますように1運用でこなす事ができた事から行き違い設備の必要さえない運用でもあったようでもありました。

 

 そして、昭和56年に第一次特定地方交通線として廃止が承認されまして、昭和60年の3月末の運行をもちまして矢部線は廃止されまして、廃止後は旧筑後福島駅・旧黒木駅が公園として整備されましたが、それ以外が駅は撤去されましたし、路盤もほとんどが道路化されまして、八女市山内地区までを「バルビゾンの道」と称されております。

 

 実際に、以下画像が昭和57年改正の時刻でありますが、この頃でも6往復しか存在しておらず、これら路線の使用車両には旧唐津運転区のキハ40系気動車などが末期に使用されておりました。尚、現在も旧矢部線に使用されていた経歴があります車両が現在の唐津車両センターに存在しておりまして、中には機関非改造車も見られております。

 

 (羽犬塚→黒木)

 

 (黒木→羽犬塚)

 

 そんな廃止後の現状ではありますが、先述のように現在は道路化されている区間が多いですが、元々駅自体もホームしかなかった駅もありまして、そう言った所ではかつての駅としての面影は見られなくなっております。実際に、画像の旧蒲原駅も、現在はJA関係の施設が見られますが、ここに駅があったという面影は見られません。

 

 一方、最も大きかった駅でもあります筑後福島駅に関しましては、鉄道記念公園が設けられております。ここには遮断機や線路のモニュメントがありまして、かつてこの地に駅があった事を偲ばせておりますし、道路側の「バルビゾンの道」では藤の花の長い道の姿も見られております。

 

 

 さて、今回後編では、ここから終端駅でもあります旧黒木駅までの廃線跡探訪を皆様にご紹介してまいります。尚、道路内撮影に関しましては、いずれも停車して撮影を行っております。

 

 

 旧筑後福島駅からは引き続き廃線跡を整備しました「バルビゾンの道」を東へと進んでまいります。そして、国道3号線ともクロスする所にやってまいりますが、画像の撮影位置付近に旧今古賀駅があったそうでありまして、画像の手前側までホームがあったそうでしたが、それでも駅舎のない無人駅であったそうでもあります。

 

 ちなみに、この駅の近くには八女人形会館など伝統工芸の工業団地がありまして、八女人形など伝統工芸の中心地となっております。ここまでは旧今古賀駅から歩いて数分ほどではありましたが、利用されていた方はいらっしゃったのか気になる所ではあります・・・。

 

 旧今古賀駅からは1.2キロ、画像の団地がある所にありましたのが旧上妻駅であります。旧上妻駅は、当初は駅舎も存在していたそうでしたが、後に駅舎は撤去されまして、末期は待合室と団地側に片面ホームのみの駅でもありました。旧ホームも、画像の柵が設けられている所に設けられていたそうでしたが、現在は団地の敷地と化している事もありましてかつての面影はあまり見られなくなってしまっております。

 

 (旧黒木方)

 

 

 旧上妻駅から1.3キロ、旧山内駅があった所にやってまいりました。この旧山内駅は、駅舎も設けられておりましたし、行き違い設備や貨物ホームも設けられていたなど広い駅であったそうでもあります。しかし、規模の縮小に伴いまして末期は駅舎なしの待合室のみの片面ホームに改まっておりまして、非常に寂しい姿であった事が伺わせております。

 

 旧山内駅のホームは、以下画像の車が止まっている所にあったそうです。また、旧駅跡には上の画像のように公民館も建設されておりまして、残念ながら面影は見られなくなっておりまして、時の変化が伺える所でもあります。

 

 そして旧山内駅から黒木方面の所にあります山内交差点までが「バルビゾンの道」と呼ばれる区間となっております。本当に、この姿を見ましても普通の一般道やん!と言う印象さえも感じさせられますが、ここにかつては列車が走っていた名残も見られなくなっている事もわかるのではないかとも思います。

 

 

 さて、上山内交差点を過ぎますと、しばらくは県道52号線となりました廃線跡を通って行きます。そして、途中以下画像からは廃線跡としての姿を見る事ができるようになってまいります。実際に、画像の所からその下の画像の所にかけまして廃線跡が続いておりまして、トンネルも見られておりましたが、残念ながらこれらは通行する事はできなくなっておりまして、私も前後の部分のみの画像を収めるに至っておりました・・・。

 

 (北川内側)~画像奥に築堤が見られます

 

 上の画像の反対側が、旧北川内駅へとなります。この区間に関しましても、上の画像から高い位置であったようでありましたが、道路化されました現在、そのような姿は見られなくなっておりました。

 

 

 そして、旧北川内駅があった所にやってまいりました。この旧北川内駅に関しましても、片面ホーム・待合室のみの寂しい駅であったようでありましたが、現在この場所には消防格納庫や駐在所・公衆トイレも設けられております。ちなみに、ホームはその下の画像の柵があった所にあたりますが、よくみますとホームの面影も見られているのもわかります。

 

 (柵がある部分にホームがあったようです)

 

 (羽犬塚方)

 

 また、消防格納庫や駐在所以外にも、春の山公園や八女市の施設もありまして、この地自体が上陽地区の中心地となっている事が伺わせております。実際に、そう言った所に駅が設けられていた訳ではありましたが、列車の利用客もそう多くはなかったのかな?と思う所でもあります。

 

 (春の山公園)

 

 (八女市社会福祉協議会上陽支所)

 

 

 これら上陽地区の中心地でありました旧北川内駅を経まして、終着駅になります旧黒木駅へと進みます。この区間は、恐らく旧北川内駅から再び築堤をのぼって行くようになりまして、旧北川内トンネルへと至る事にもなっていたようでもあります。ちなみに、この上陽側には湧水が流れておりまして、蛍の幼虫を育てているそうであります。

 

 

 さすがに奥へ進む事ができませんので、旧北川内トンネルの黒木側へと回ってまいりまして、ちょうどあります橋の所から北川内トンネルを望みつつ収めておりました。よく見ますとわかりますように、途中から舗装してありましたが、奥の方には草に覆われておりまして、まさに廃線跡としての姿を見る事ができておりました。

 

 (アップ)

 

 その反対側の旧黒木方であります。この姿からも普通の農道みたいな印象ですが、ここにかつては列車が走っていたとは信じられない所ではありましたでしょうか。

 

 

 その廃線跡の道路を通ってみました。この道幅を見ましてもここに線路があった事が伺わせております。それにしても、これまでご紹介しました同じ道路化となった所でも、この区間に関しましてはまさにかつての名残が見られる部分であると言ってもいいかとも思います。

 

 (別の位置より)

 

 この道路は、その先にあります旧中原トンネルの手前まで続いておりますが、今回こちら側では画像の県道70号線と交わる所で一旦分かれまして、県道70号線を回って黒木側へと向かいました。

 

 

 そして、中島トンネルの黒木側へやってまいりました。現在この旧中島トンネルではお酒の貯蔵庫となっておりまして、数年間貯蔵しましてから表に出すようにしているそうであります。

 

 

 その旧中島トンネルから旧黒木駅へと進んでまいります。こちらも廃線を活用しました1車線の道路となっておりまして、途中には県道70号線と並行する区間も存在しております。本当に、旧中島トンネルを過ぎましたら黒木地区に近くなってまいりますので、いよいよ終端も近くなって来ている事も伺わせております。

 

 (県道70号線と並行しています)

 

 (黒木地区に近くなってきている事がわかります)

 

 

 こうして、旧黒木駅へとやってまいりました。ここには、現在は黒木体育センターが設けられている事もありまして広い駐車場が設けられておりますが、この近くに旧黒木駅が存在しておりました。尚、黒木町の中心部はその南側にあたっておりまして、旧駅からは徒歩10分ほど歩いた場所にもあたります。

 

 (駅名標(駅板))

 

 旧黒木駅は、廃止末期時には片面ホームでありまして、道路側にホームが設けられておりました。また、その道路側には駅舎も設けられておりましたが、廃止後駅がありました場所にはC11形蒸気機関車(C11 61号機)が保存されておりまして、かつての旧駅時代の名残をこう言った場所で残されております。

 

 このC11 61号機は、画像からもわかりますように昭和10年に八戸機関区に新製配置、そして昭和18年に早岐機関区(現・佐世保車両センター)に転属しまして、佐世保線や松浦線(現・松浦鉄道)で活躍したのち、昭和20年の矢部線開通を機に熊本機関区(現・熊本車両センター)に転属しまして、以来29年に渡りまして活躍する姿が見られておりました。そして、平成21年に現在地に保存しておりまして、かつての矢部線の存在を後世に語り継がせております。

 

 (経歴)

 

 (諸元表)

 

 

 この旧黒木駅前には、現在も「駅前まんじゅう」と称します饅頭店が存在しております。私達も、ここで饅頭と肉まんを購入しておりましたが、すごくおいしかったです。それにしても、この「駅前まんじゅう」に足を運ばれる方がこの時ひっきりなしにいらっしゃっておりまして、それほど人気の饅頭店である事がわかったほどでした。

 

 

 この旧黒木駅より先には、黒木稲荷神社の鳥居が、そして藤の木も見られております。ちなみに、国道442号線側には「黒木の大藤」も見られておりまして、この黒木町は冒頭の八女市とともに藤の木が見られる場所である事が伺わせております。

 

 

 前回・今回と2回にわたって矢部線の廃線跡探訪を皆様にご紹介しましたが、「矢部」からもわかりますように、実際の矢部町は南東に約20キロ先にあたる所でもあります。本来は、この地まで鉄道を敷設する予定ではなかったかと思われますが、そこまで開通する事ができなかった事は正直残念ではなかったかと思います。それでも、この黒木まででも6往復しか末期は運行されていなかった事を思いますと仕方がない所ではなかったかと思いますし、廃線跡もほとんどが道路化されている・駅の姿も見られなくなった所もある事を思う所は残念ではありますが、今回の記事でかつて存在していた事を存じていただければと思っております。