ツインサーファー@勉強×学問×知的生産×ブロガー×脳科学×全脳教育研究×アメブロ塾×ネットショップ

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雑多な書評や勉強メモや日記のブログです。フォロー大歓迎です。公務員試験合格する参考書・元管理人。Amazonアソシエイト参加中!ネットショップになっています。ぜひお買い物もお楽しみください。気楽な読み物を提供しています。

フジテレビのCMがACジャパンばかりになってしまって、思ったことなんですけど、そうなってしまっても構わないという気持ちになってきましたね。広告もそうなんだけど、基本的に、CMは、商学的には、商品を社会に認知させて、効率的に社会を動かすという狙いもあるけれども、会社法的には、原始株主に配当を出すために(広告費用を上回る利益を上げるため)民間の広告を出稿しているわけです。要するに、「資本主義」を表していたわけです。この会社を使ってくれとか、この商品を使ってくれとかいうのは、大企業・中小企業・個人ともに、誰かから指示を出してもいいわけだし、別にCMはなくても、いいわけですよね。今、フジテレビは、不動産業とかで、利益を出していて、広告出稿は、地方局と違って、依存度は大きくないようなんです。今、テレビから変わらないと、社会は変わらないですよね。あるラジオで、出演者の女性が「金じゃない」と今の仕事を表現していたけど、別のやり方を模索してもいいかもしれませんよね。株式の配当や利益は、国庫に返納して、国を経由して、日本国民みんなに再分配してもいいですよね。問題は、「原始株主にある」というのが、私の大学院時代からの商法研究の問題意識です。株式制度は、「胡椒(こしょう)貿易」の頃に思いつかれた制度で、航海をするにあたって、安全に無事航海を終えて戻ってくるかどうかがわからないので、出資者(株式を発行)を募って、安全に戻ってきたら、利益を株主(出資者)で分配するという頃の遺物で、中央省庁が何でも、決める現代社会には、ふさわしくない古い制度です。「この会社、将来ばかでかい会社になるぞ」と中央省庁側は、わかって会社を民間で作っているわけです。そういう風に、ストーリーが、もうわかっている会社の原始株主を誰にするかも、中央省庁側が決めているわけで、そういう、うまくいくかわからない「胡椒貿易」の頃のやり方を現代社会にあてはめても、うまく行くわけないです。そういうひずみが「子ども食堂」みたいに晩飯代も出せない、家庭を生み出してしまっているわけです。テレビ局などのメディアは、いわゆる普通の民間企業とは違う任務を負っている会社だし、違う形態を模索してもいいと思うんですよね。そういう違う形態を模索すべきなのは、医師(医療法人)とかもそうだし、民間企業全体に波及してもいいですよね。体系的なシステム変更が求められているかもしれませんよね。フジテレビみたいな会社にも、必ず原始株主みたいな奴がいるんですよね。そういう人に配当を出すために、フジテレビは、ホテルのフランチャイズ経営や不動産業などにも、進出しているわけです。テレビ局は、公益性が高い会社です。「株式会社制度」とは馴染みにくい組織です。それは、医療法人とかも同じではないでしょうか。その動きは「子ども食堂」が必要な社会になってしまった、民間企業・個人事業主にも波及していくのではないでしょうか。日本は、資源がない国ですから、株式会社の配当や利益を国庫に入れて、国民に再分配してもいい国ではないでしょうか。しかも、日本は単一民族の国(沖縄の琉球民族や北海道のアイヌ民族を除く)ですから、そういうことをやっても馴染む国だと思います。アメリカみたいに白人や黒人やヒスパニックなど、民族が多様だと、そういうのは馴染まないシステムだと思います。全国民が加入する国民皆保険なんかでは、それが表現されています。それの「株式会社版」だと思えばいいでしょう。フジテレビやソニーみたいな法外な金持ちになる原始株主を社会に輩出してもしょうがないですよね。

 

 

行政書士の参考書と行政書士試験六法が、昨日、届いたわけですけど、やはり写真記憶がいいですよね。あまり、テキストとかにメモを書き込まない方がいいですよね。テキストや六法を、何回も、黙読でも、音読でもいいので、読むことですよね。まさに、そんなに記憶力がない僕がやる「7回読み勉強法」ですよね。あと、司法書士試験なんかと比べると、量が少ないですよね。この程度のレベルの試験を受かっただけで、民事法務なんて、やれないですよね。あと、六法なんかも、やった成果を形に残す勉強として、テキストとかで引いた条文には、青鉛筆でチェックマークを入れて、過去問集をやってて引いた条文には、赤鉛筆でチェックマークを入れて、勉強すべきですよね。私が、買った行政書士試験六法は、過去に出た判例や過去問題も、条文の後に、収載されており、大変、便利なものです。自分で集約する手間を省いてくれています。やっぱり、六法も、黙読と音読で、テキストや過去問集と併用しながら、何回も読むべきだと思います。行政書士の基本書なんかも、端的ですごくわかりやすいですよね。まったく、その通りという記述とまとめ方ですよね。私は、約15年前に、TAC行政書士講座の2人の実務家の先生の生講義を1年間に渡って、聴講したんですけど、やっぱり独学のほうがいいですね。講義を聴くと、挫折しがちですよね。LECの行政書士のテキストも行政書士試験六法も、内容を多少の理解をしながらの「7回読み勉強法」を実行し、内容を「想起する」ことが大事ですよね。「確か、こういうようなことが書いてあった」という感じで・・・。私は、TAC行政書士講座を約15年前に、ある校舎で、2人の実務家の生講義を聴講しているので、それはできるはずである。行政書士試験六法は、引かないでも、受かれるかもしれないけど、実務に出たときのために、条文には、馴染んでおく必要がありますよね。早稲田経営出版の『行政書士試験六法』は、条文・判例・過去問が条文ごとに集約されているので、想起する勉強には、ぴったりですよね。勉強や記憶とは「想起すること」であると肝に命じるべきである。

 

 

 

 

中小企業診断士試験は、試験科目が、経済学部・経営学部出身の私としては、興味深く、もう一度、学問や自分の疑問点の整理や確定的な知識を得ながら、勉強するのに最適な構成で、10年計画とかで受かりに行く計画を持っても面白いと今日の散歩(ウォーキング)中に、思いました。資格試験の勉強をやると、生活に張りが出ることがわかりました。別に、それで食っていこうとしなくても、目標がある人生で、脳からも良い成分が出るような気がするのである。行政書士試験との相性も悪くないと思うし、中小企業診断士試験は、業務独占資格はないものの、取得しても悪くないと思うのである。私は、プログラマーをやっていたので、ExcelVBAやAccessVBAの実務経験があり、中小企業者のコンピューター化にも、興味を持っていたのです。資格試験は、このアメブロの前の記事で、「行政書士・司法書士を目指すというのも正気の沙汰じゃない」という記事を書いたのですが、趣味で受験勉強をやるならいいじゃないですか。それで、目が輝くならいいじゃないですか。中小企業診断士試験は、専門学校の講座を聴いたことはないですけど、約7年前の合格目標の専門学校の参考書と問題集はそろえており、本気で受かりに行きたい年に問題集と過去問題集と「中小企業経営・中小企業政策」の参考書と『中小企業白書』だけ買い直せば、過去問題集は、10年分やれることになる。行政書士の試験勉強を再開してから、生活に潤いが出ました。別に実務はやるつもりはないけど、勉強のために、確定的な知識を得るために、自分の疑問点を整理するために、行政書士試験や中小企業診断士試験をやるならいいじゃないですか。最低でも、ブログを書くネタにはなりますし、疑問点をブログで整理したりなどすれば、面白いと思います。簿記1級なんかも、取得してみたいですね。簿記1級を持ってたら、税理士や公認会計士なんかも、一目置いてくるでしょうね。私は、大学教授とかではないので、資格試験みたいなものに引っ掛けて、勉強を継続していくしか方法がないのです。手持ちのTACの総まとめのポケットブックをさらっと読んでみましたけど、そんなにわからないところはないですね。勉強、許されるようになったのも、つい最近(50歳になってから)のことかもしれません。

 

「経済学・経済政策」→経済学の勉強ができることになる。

「財務・会計」→簿記・会計学の勉強ができることになる。

「企業経営理論」→経営学の勉強ができることになる。

「運営管理」→実務のオペレーションの勉強ができることになる。

「経営法務」→法律の勉強ができることになる。

「経営情報システム」→コンピューターの勉強ができることになる。

「中小企業経営・中小企業政策」→政策やデーターの勉強ができることになる。

 

 

 

 

 

 

 

私は、資格試験予備校とかで聴きたい、法律の立体的な理解をX(ツイッター)で書いてくれているユーザーさんがいたので、アメブロでメモしておきたいと思います。「根抵当権抹消請求って、必殺技みたいでかっこよすぎない?さらにその技、繰り出せるのが抵当権設定者、物上保証人、第三取得者って、ご褒美かよって」とツイートしていました。こういう法律の立体的な活き活きとした理解って、実務経験があったりするからできるものなのだろうか。まあ、根抵当抹消請求って、それくらいの範囲でできないと、根抵当が付いている土地の実質的所有者は意味がないことになりますよね。もっと大きな指導原理で言うと、民法の担保物権は、民法でも、取引の静的安全(民法の指導原理)ではなく、取引の動的安全(商法の指導原理)を重視しているとも言えるかもしれません。土地取引の流動性を高めている条文構成とも言えるかもしれません。一方、抵当権の場合は、抵当権消滅請求ができるのは、売買等により取得した第三者に限られている。根抵当との、この違いは何なのだろうか。そこまではちょっと見えないですね。用語の理解が足りないのか・・・。こういうのが試験段階から見えないと、行政書士試験は受かる資格はないと思いますね。私は、法律の実務経験はないので、こういうコメントを足がかりに他にも、そういうビビットな理解を援用して行くしかありません。こういう活き活きとした立体的な理解のさせ方は、どの資格試験予備校の講師も展開してくれていないのが残念なところです。私の大学受験の浪人時代の代ゼミの英語の師匠が、「質問はしないで、自分で考えたり、自分で調べるほうが、調べ方もわかって勉強になるのです。」と言っていたけど、この疑問に関しても、自分で考えてもいい話だとは思う。抵当権には、物上保証人も第三取得者も存在しようがなく、抵当権設定者しか存在しようがないということだろうか。条文をよく読んでみよう。Google検索すると、抵当権にも物上保証人は存在しますね。第三取得者も存在します。ということは、本当にリアルに、その不動産を取得した人でないと、抵当権は消せない(抵当権抹消請求)ということかな。法律の勉強でも、わからないことは、条文やテキストや用語辞典より、Google検索かもしれません。Google検索で、調べた内容のほうが、生き生きとした法律の知識が得られます。抵当権は、本権たる所有権を持っている人しか、消す(抵当権抹消請求権)ことができないということかな。物上保証人や第三取得者なんかも、その土地の所有権を持つようにならなければ、抵当権を消すことができないということかな。あるいは、物上保証人や第三取得者は、所有権を持つ人と交渉とか説得して、抵当権を消すようにお願いするということかな。でも、そう考えてしまうと、抵当権が付いている不動産というのは、転々と流通しにくくなりますよね。抵当権付いてる土地でも、買いたいという人はいるでしょうからね。抵当権(制限物権)が付いている土地を購入して、所有権を持ってから消せ(抵当権抹消請求権)ということですかね。そう考えてしまうと、抵当権は、根抵当より、使いにくい制限「物権」になってしまいますよね。

 

 

 

 

 

 

行政書士試験に、約10年計画くらいで受かりに行こうかと思っている。LEC時代の司法試験のカリスマ講師の伊藤真(現在は伊藤塾)は、「合格目標を来年にすると、合格は再来年になる」と言っていましたが、10年くらい勉強して、ちょっと学問づく、というか、しっかり腰を据えて、根本から勉強していってもいいと思うんですよね。私は、法律の大学院に約3年間在籍していたのですが、他の学問分野の科目を聴講することのほうが、多かったのです。試験勉強を視野に入れてやると、勉強や学問も、よく身に付くし、実務の民事法務にも、耐えられるレベルの試験勉強をして、合格したいのです。資格試験の勉強を1年中、四六時中やろうというわけではありません。資格試験の勉強は、目も輝くし、目標設定にもなるし、私は、大学教授とかの職にはないので、こっそり勉強目標のターゲットにしつつ、法律や法学の勉強をしてもいいと思うのです。試験勉強みたいな「強制的なきっかけ」は、学問のためにも、法律をよく身に付けるためにも、良いことだと思うのです。もちろん、その間に、実務の本などを見てみるのも十分いいと思います。ホームページやブログを準備しておくのもいいと思います。判例百選(憲法・行政法・民法・会社法)なんかも、学生時代以来、再読してみたいと思っています。学問やってる大学教授なんかでも、裏の勉強じゃないですが、こっそりやってる勉強というのが、ある人がいると思うんですよね。だから、僕は大学教授とかではないので、それを堂々とやるということになります。私は、法学の大学教授になっていたら、「公務員」とか「行政書士」を研究対象の1つにしたかったというのもあって、行政書士試験の勉強や実務家を目指すというのも、悪いことではないと思っています。私は、大学教授にはしてもらえなかったので、ブログとか資格試験で、こっそり研究や勉強を続けようと思っています。できれば、経済学も、公務員試験の問題の解説レジュメをnoteブログで販売するという形式で、勉強を続けたいと思っています。

 

 

 

 

 

ひまつぶしに、行政書士試験の試験勉強をやっているのですが、1冊の本だけでやっていると、スランプになることがわかりました。やはり、過去問とその解説だけからなる、LECの『肢別過去問題集』からやっていると、何が何だかわからず、かえって、スランプになるのです。やはりわからないことは、基本書に戻っての体系的な理解を確認するとか、六法にチェックを入れるとかの作業的な勉強を入れないと駄目だと思いました。「満足感」を得たり、「やった成果を形に残す」などの勉強がないと、スランプになることがわかりました。このスランプは、逆に勉強になりました。『行政書士試験六法』(早稲田経営出版)は、1月下旬の発売なので、LECの基本テキストと並んでのアマゾンでの入手は、2月に入ってからにしようと思っています。「わからな過ぎる」というのも、スランプの原因となるというのは、当たり前のようで、新発見でした。新たな2冊の本が入手できるまで、勉強は中止です。しかし、行政書士試験程度の行政法や民法の知識がないのでは、行政官などの専門家とも話はできないと思っています。

 

 

 

 

 

 

なぜ今、mixi2(ミクシィ2)みたいなサービスが認められたのかを考えている。2ちゃんねる(現在5ちゃんねるとなっているが、昔みたいな面白さはなく、実質的に機能していない)とX(Twitter)とInstagram(インスタグラム)を足して、3で割ったような匿名でできるアカウント付きのSNSである。mixi2は、半匿名ではあるし、うまく使えば、日本人の教養を高めたり、知力を高めたり、議論などで前頭前野を鍛えたりするのに有用なツールであるとは思う。反対意見を言ったり、書くことが脳を鍛えるというのです。2ちゃんねるが、全盛だった頃は、テレビもそれを煽って、社会全体が、精神医学的に、非常に危険な状態だったと思います。電車に乗っていると、2人ほど、車内で気が狂っている若い人(→統合失調症で、精神科で、早急に服薬の必要がある人)を見ました。私は、四六時中、電車に乗っているわけではないですから、相当な人が、軽重問わず、そういう統合失調症になっていたと思われます。2ちゃんねるは、文章を書かないので、あまり脳を鍛えないと思うのです。mixi2は、149.3文字までという短文投稿型のSNSなので、言いたいことを短文でまとめる必要があり、これも頭をよく使うと思います。しかも、mixi2が認められたのは、18歳以降の人なので、それらの人の脳を鍛えるということなんだろうと思います。アカウント付きなので、かつての2ちゃんねる(2ch)みたいな精神的に病気する危険性は少なくなっているのではないかと思ってもいます。サービス開始1ヶ月で、真摯に議論をしようという風潮が、醸成されるか、されないかの分岐点というところじゃないでしょうか。議論が噛み合わないカキコミが連続してあるだけなので、早くも、飽きられている可能性もあります。相互フォローじゃないと、フォロワーも増やせません。思い切って、人が少ない「過疎の」コミュニティに書き込んだほうが、継続して、アクセス数を得られる可能性があります。2万人もいるコミュニティだと、カキコミが超速で下に流れて行ってしまって、他の人の目に触れないで下に落ちて行ってしまうのです。運営者側からすると、データー蓄積の意図もあるんだろうと思われます。メディアや商品開発のマーケティングなどにも、使われる可能性があります。今、流行の生成AIなんかも、インターネットで提示された膨大なデーターで、作られているのは間違いありません。アマゾンの生成AIだって、たくさんの人が書いたレビューを元に生成されているのですから・・・。インターネットによる発信や情報の受領というのは、時代の必須のツールになっていて、テレビもそれに対応したものに変わったと思っています。mixi2は、2ちゃんねるは、テキスト数はほぼ無制限だったものの、テキスト文字数に制限(149.3文字)があります。こんなに短くては、議論をできなさそうですが、ブログへのリンクを貼ることができます。「叩く」のではなくて、議論が正確にできるようになれば、mixi2は、純国産のSNSですから、日本人の脳の発達のためにも、大変貢献できると思われます。mixi2は、生き残る人と生き残らない人が、はっきりとわかれるSNSかもしれません。mixi2が、サービス開始1ヶ月目で、早くも流行るか、流行らないかの分岐点に立っているのは間違いありません。なぜ今、mixi2みたいなものが認められたのか?を日本史的思考で考えると、江戸時代末期の「ええじゃないか運動」みたいなことの可能性があります。それで、自由に書こうとするやつを良くも、悪くも、把握しようとしているのかもしれません。

 

 

50歳から、何の行政書士の実務経験も、営業経験もなく、行政書士を目指すというのも正気の沙汰じゃないと思っています。インターネットとつなげるなら面白いと思いますが、ある実務家は「ホームページはアイテムとしてはいい」という程度の評価でした。行政書士は、自分でもできる手続きをお金を取って、代行する仕事です。自分の時間を消耗する代わりに、お金をもらう仕事です。遺産分割協議書の作り方も知らないで、いきなり開業は、いくらなんでも苦しいのではないかと思います。まあ、書類の作り方なんて、アマゾンで検索すれば、いくらでも、ハウトゥー本は出てきます。しかし、それで調べてまで、行政書士の仕事なんてしたくはないというのが、私の正直な感想です。その行政書士の合格体験みたいなものを売りに、アフィリエイト収入みたいなもので、お金を稼げないかと思っています。あと、資格試験は絶好のひまつぶしだし、自己啓発ではあると思っています。私の本職はWeb系のプログラマーなので、そういう経験と行政書士資格をつなげられたら、面白いとは思いますが、現状のGoogle検索エンジンや業務知識を得るのに大変な労力が必要となります。では、司法書士を目指すというのは、それよりも、さらに、エキセントリックなチャレンジだと思います。司法書士試験は、受験生も最盛期から半減し、当局は、受験地も大幅に減らしました。当局が、司法書士を冷遇する現れだと解釈しています。司法書士は、合格しても、仕事がなくて、すぐ廃業する人もいるようです。行政書士も司法書士も、基本的には「他人のシマを荒らして仕事をもらう」というゼロサムの世界の話だと思います。要するに、営業の力が必要なわけです。そういう労力を割くエネルギーはありますか。コンビニとかの開業とかとは違うのです。私は、行政書士も司法書士も、合格しても、開業する予定はありません。その合格体験を売りにして、アフィリエイト収入などを得られれば・・・と思っています。こういう風になっちゃうのも、中央省庁が図書券やタクシー券狙いで作ってくる、資格試験予備校のせいだと思っています。行政書士とか司法書士なんて目指して、どうすんの?と私は言いたい。単に、勉強の1つとして、生涯教育の一環として、やってみたいというなら賛成できなくはないですね。しかし、勉強で人生は楽しめますでしょうかね。何か、日本の悪いマニュアル(「人生を楽しめないマニュアル」)が表出しているような気がするんですよね。会社勤めの組織勤めではなくて、「1人で仕事していきたい」という人もいると思うんですよね。そういう人に、アフィリエイトみたいなもので、仕事やお金を稼ぐ機会を作ってやるというのは、すごくいいことだと思うんですよね。日本は、夢がないですよね。夢が資格試験合格では、ちょっと違うと思うんですよね。

 

 

やはり資格の誘惑に負けて、行政書士試験の資格本を1冊、アマゾンで注文してしまいました。去年の12月末に発売されたばかりのLECの最新年度の肢別過去問集を注文してみました。やはり法学を学部と大学院に専攻していたこともあり、大学で勉強したとは言えない恥ずかしい知識レベルで、確定的な知識が欲しいというのと、本であれば、1万円程度の出費の3冊程度(過去問・基本テキスト・六法)の本の購入で、勉強できるし、約15年前にTACの行政書士講座を2人の専任講師の授業を、ある校舎で、聴講して、法改正は相当あったのでしょうが、思考力は変わっていないと思うのでテキストや板書やプリントは使えると思ったからです。資格試験は、絶好のひまつぶしですし、生きる希望になります。目も輝きます。ブログやX(ツイッター)のネタにもなります。開業するかは合格してから考えればいいじゃないですか。しかし、SEOを駆使したサイトは、合格前から作り始めておいてもいいかもしれません(3年前から作っているブログを援用することにしたので、もうWebサイトは作り始めています)。行政書士試験の勉強を再開しても、Webプログラマーの経験を活かしたインターネットでの起業はあきらめてはいません。何よりも、勉強は欠かさないことが大事です。ネットで安価とはいえ、専門学校を利用するから、挫折するというのも、合理的な勉強法の1つとしてはあると思います。「講義を聴かなきゃ」ということでスランプになるのです。本で勉強すればいいのです。大学受験なんかも、最近は、うまくまとまった本が出版されていて、本だけで勉強が完結するようになっています。講師の生講義を聴きに行く必要は無いのです。資格でも、その流れは波及している可能性があります。本で自分で法律や法学の辞書などで調べながら、自分で納得・理解できるように勉強していけばいいのです。講義を聴いちゃうとスランプにもなるし、講義を聴いただけで満足してしまいがちです。肢別の過去問集を1冊目として注文したのは、もうインプットは大学以来やってるし、約15年前のTAC行政書士講座でも、さんざんやり、アウトプットから入るのが良いと思ったからです。その本だけで法律や法学の辞典や辞書を駆使しつつ、理解・暗記できれば、アウトプットから入るという最上の勉強法となります。肢別の過去問集(LEC東京リーガルマインド)のあとは、六法(早稲田経営出版)を購入し、最後にインプット用のテキスト(LEC東京リーガルマインド)を買おうと思っています。1000ページあるらしい、インプット用のテキスト(LEC東京リーガルマインド)が、どれくらい使えるかがポイントだと思います。それだけの量(広さ・深さ)で合格できるのかとも思います。この3冊体制と、相当な法改正はあったでしょうが、約15年前に聴いたTAC行政書士講座の講義メモ付きテキストやレジュメやプリントも使っていこうと思っています。思考力は変わってないと思うからです。憲法なんて、何も変わっていないと思われます。試験場での直前は、その3冊を記憶を確認する素材にしようと思っています。行政書士は、民事法務をやれるのも大きいし、1万種類の書類を扱えると言われています。行政書士は起業のオプションの1つとして、考えればいいだけの話です。今は、ブログの勉強日記などアウトプット先も事欠きません。勉強は欠かしちゃ駄目です。勉強は、コスパ100%の遊びであるという資格王の格言もあります。公務員に興味があるんだったら、行政書士って、いいですよね。行政にも詳しくなるしね。日本は「緻密な隙の無い行政」というのが売りの1つなので、許可行政が、はりめぐらされていて、何をするにも、行政の許可が必要になってるんです。そこに、行政書士のつけこむスキがあるわけです。行政の許可の専門家が「行政書士」なわけです。商売をやる人は、行政の許可が必要になることが多いわけです。

 

 

 
 

 

やることがなくて、資格試験(行政書士・司法書士)の誘惑に駆られるんですけど、きっぱりやめるべきだと思いました。資格試験は、私は大学と大学院で法学を専攻していたこともあり、正確な知識を入れるために勉強したいところでもあるんですが、そういう学問のための資格試験もやめるべきだと思いました。加えて、資格試験(行政書士・司法書士)は、合格後の営業がその資格で食ってくためには必要であり、どこかの事務所で修行させてもらう修行期間も必要なはずです。いきなり開業もできなくはないでしょうけど、素人の行政書士と玄人の行政書士では、勝ち目はないと思います。そういう資格試験の勉強は、格好のひまつぶしではあります。目標がある人生で、生活も活き活きするとは思います。しかし、やめるべきです。人生を楽しめなくさせる最右翼の所業かもしれません。今は、知的生産に注力すべきです。我慢も必要です。勉強は何歳になっても、脳に良いことであると東北大学・加齢医学研究所教授の川島隆太教授は言っていますが、今は、やるべきじゃないと思います。20歳代とかならいいですけど、今は、mixi2・noteブログ・アメブロなどの知的生産に注力すべきだと思います。資格試験(行政書士・司法書士)は、やりたい。しかし、我慢です。今は、我慢です。日本は、特に、資格試験の錯覚と幻想で、受験勉強や資格で食べていくとかの錯覚と幻想で、人生を棒に振っている人が多い国ではないかと推測しています。やっぱり基本に立ち返るべきだと思います。今のサラリーマン生活は、お金を稼ぐ、しっかりとした手段なのではないか、1人でも起業するチャンスがあるのではないかなど、経験を積みながら、探りを入れるべきだと思います。日本国憲法のある判例の考え方ではないですけど、「必要性と許容性」で、資格試験やサラリーマン生活や資格で食っていく生活や1人で起業するなどの選択肢をしっかりと吟味することが大事ではないかと思います。私が、学生時代に出会った中高年の人は、1人で起業している人が多く、「経験を積まなきゃ」と、みなさんおっしゃっていましたよね。Web系のプログラマーをやっていた私は、インターネットは、起業するチャンスが多く、やりたいのにやれない、歯がゆさがあります。今は、我慢です。東北大学の加齢医学研究所の川島隆太教授は、脳トレソフトの教授語録で「我慢は前頭前野を力強く鍛えます」と言っていますし・・・。起業という前頭前野が必要な創造力が必要なことを、我慢することにより、鍛えているんだと思うこともできます。