フジテレビのCMがACジャパンばかりになってしまって、思ったことなんですけど、そうなってしまっても構わないという気持ちになってきましたね。広告もそうなんだけど、基本的に、CMは、商学的には、商品を社会に認知させて、効率的に社会を動かすという狙いもあるけれども、会社法的には、原始株主に配当を出すために(広告費用を上回る利益を上げるため)民間の広告を出稿しているわけです。要するに、「資本主義」を表していたわけです。この会社を使ってくれとか、この商品を使ってくれとかいうのは、大企業・中小企業・個人ともに、誰かから指示を出してもいいわけだし、別にCMはなくても、いいわけですよね。今、フジテレビは、不動産業とかで、利益を出していて、広告出稿は、地方局と違って、依存度は大きくないようなんです。今、テレビから変わらないと、社会は変わらないですよね。あるラジオで、出演者の女性が「金じゃない」と今の仕事を表現していたけど、別のやり方を模索してもいいかもしれませんよね。株式の配当や利益は、国庫に返納して、国を経由して、日本国民みんなに再分配してもいいですよね。問題は、「原始株主にある」というのが、私の大学院時代からの商法研究の問題意識です。株式制度は、「胡椒(こしょう)貿易」の頃に思いつかれた制度で、航海をするにあたって、安全に無事航海を終えて戻ってくるかどうかがわからないので、出資者(株式を発行)を募って、安全に戻ってきたら、利益を株主(出資者)で分配するという頃の遺物で、中央省庁が何でも、決める現代社会には、ふさわしくない古い制度です。「この会社、将来ばかでかい会社になるぞ」と中央省庁側は、わかって会社を民間で作っているわけです。そういう風に、ストーリーが、もうわかっている会社の原始株主を誰にするかも、中央省庁側が決めているわけで、そういう、うまくいくかわからない「胡椒貿易」の頃のやり方を現代社会にあてはめても、うまく行くわけないです。そういうひずみが「子ども食堂」みたいに晩飯代も出せない、家庭を生み出してしまっているわけです。テレビ局などのメディアは、いわゆる普通の民間企業とは違う任務を負っている会社だし、違う形態を模索してもいいと思うんですよね。そういう違う形態を模索すべきなのは、医師(医療法人)とかもそうだし、民間企業全体に波及してもいいですよね。体系的なシステム変更が求められているかもしれませんよね。フジテレビみたいな会社にも、必ず原始株主みたいな奴がいるんですよね。そういう人に配当を出すために、フジテレビは、ホテルのフランチャイズ経営や不動産業などにも、進出しているわけです。テレビ局は、公益性が高い会社です。「株式会社制度」とは馴染みにくい組織です。それは、医療法人とかも同じではないでしょうか。その動きは「子ども食堂」が必要な社会になってしまった、民間企業・個人事業主にも波及していくのではないでしょうか。日本は、資源がない国ですから、株式会社の配当や利益を国庫に入れて、国民に再分配してもいい国ではないでしょうか。しかも、日本は単一民族の国(沖縄の琉球民族や北海道のアイヌ民族を除く)ですから、そういうことをやっても馴染む国だと思います。アメリカみたいに白人や黒人やヒスパニックなど、民族が多様だと、そういうのは馴染まないシステムだと思います。全国民が加入する国民皆保険なんかでは、それが表現されています。それの「株式会社版」だと思えばいいでしょう。フジテレビやソニーみたいな法外な金持ちになる原始株主を社会に輩出してもしょうがないですよね。