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公認会計士・FP×ライフオーガナイザーの視点から
お金と時間に振り回されない人生に変える♪
お金と時間の専門家 こと です
はじめましてのかたへ→★自己紹介★
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マイストーリーを書いていきます。
宜しければ、お付き合いください
==これまで==
■マイストーリー①親の影響は強い...幼少期
■マイストーリー④お金がないことの現実を痛感した高校時代 →イマココ
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高校一年の秋に、
文系選択と
なぜか
会計士を目指すことが決定した私
華の女子高生
都内の女子校に通っていて、
楽しいこといっぱいあるはず♪
・・・
なのですが、
ここも親の経済格差を痛感する日々。
都内にある女子校
帰りは、ちょっと繁華街に寄って
なんてことをしている子もいましたが、
私とはまったく違う世界。
数回だけ
同級生と遊びに行きましたが、
買い物は見ているだけ。
(だって電車代とお昼代しかないんだもん・・・)
お昼も購買やコンビニなんて
もったいなくて行けない。
お腹がすいてもお弁当と水筒でガマン、ガマン・・・
いつも
お金があったらなぁ~
みんなと一緒にお買い物とかしたいなぁ~
そんな想いを抱く日々。
それと同時に
私は大人になったら絶対にお金に不自由しない生活をするぞ!!
そんな想いも強くしていきました。
実はこの想いを強くする要因が、もう一つありました。
高校3年の夏、
父が47歳で帰らぬ人となりました。
直前の1年くらいは
会社も休職し、家で静養したり、入院したりを繰り返す日々。
私も学校が終わると寄り道もせずに帰宅し、家の手伝いをする毎日。
母親も働きに出始めましたが、長らく専業主婦をしていた母を雇ってくれる先を見つけるのは、大変だったようです。
お給料も決して高くなく、食費の足しになる程度。
家計を回していくほどのお給料はもらえません。
仕事から帰ってきたら、父親の病院にお見舞いに行ったり、私たちの食事の支度をしたり。
それでも
父が亡くなるまで、私たちの前で涙を流すことはありませんでした。
父が亡くなってからも、悲しみに暮れながらも、残された家族は生活していかなければなりません。
高額の治療費はかからなくなったものの、休職ではなく、退職になったことにより、会社や社会保険からの支給はないため、定期的な収入がない日々になります。
母親がパートに出ても、父親がフルタイムで働いて得ていたほどのお給料はもらえません。
頑張って働いても、月10万円程度。
高校生の私と弟がバイトをしても、わずか。
遺族年金はありますが、子供が18歳まで。
父が亡くなって半年後には、私の遺族年金は終了。
これが、現実でした。
この現実はとても苦しいものでした。
たぶん、私が認識している以上に、母は苦しかったはずです。
でも
大学に入って、公認会計士を目指す中
何回か落ちても、諦めずにやり切れたのは
この苦しさを知っていたから。
会計士という資格がとれれば、生きていくくらいの収入は得られるはず。
もう二度とあの想いはしたくない!
と言う気持ちが強かった。
またこの経験があったからこそ、
私は結婚して、子供を産んでも
仕事を辞める
という選択は考えもしませんでした。
身体が元気で働ける状態にあり、
仕事をし続ければ、
仮に夫が働けなくなっても家族は守れる!
でも仕事を辞めてしまうと
どうしても給与レベルは下がってしまい、
いざという時に困ってしまう。
自分の子供に同じ想いはさせたくない。
就活生対象のアンケートで、
専業主婦希望の人が多い
という統計を見たことがあります。
皆が皆、
病気になったりするわけではありません。
でも、
誰でも病気になって働けなくなる可能性はある
そんなことも考えて
将来の選択や備えをしてほしいなぁと思います。
ちょっと高校時代から話がずれてしまいました・・・
この続きは次回に
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ここまでお読みくださり、ありがとうございました♡
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