永野修身海軍大將
(開戦當時軍令部総長)





 戰はざれば亡國、
 戰ふもまた亡國であれば、
 戰はずしての亡國は
 身も心も民族永遠の亡國である。

 戰つて死中に活を見出し
 護國の精神に徹するならば、
 たとい戰ひ勝たずとも、
 護國に徹した日本精神さえ殘せば、
 我らの子孫は必ずや再起、
 三起するであろう」

 戰前の見直しが、多くの若手歴史學研究者の間で図られるやうになりましたが、どうしても拭ふ事が出來ないのが日本陸軍により戰爭へ突つ走つてしまつたといふことではないでせうか。


 「帝國海軍は乗り氣ではなく、陸軍の暴走によつて開戦に至つてしまつた」


 これが通説となり、その評價や戰爭責任を一身に背負つてしまつた感があります。


 しかし、私は決してそうではないと確信してゐます。


 その證明となる言葉が、永野修身軍令部総長による冒頭の言靈であります。


 この言靈には、當時の日本の置かれた状況がはつきりと見えてきます。


 もはや、白人植民地諸國による東亜細亜日本への壓力は、その限界を超えてゐたのです。


 日本自身も彼等に追い詰められ、亡國を考へざるを得ぬ状況であり、日本が提唱した大東亞共榮圈の理想も風前の灯といふ状況下で在つたのです。


 私は、先日お亡くなりになられた東條英機首相のお孫さんである東條由布子さんのお話を聞く機會があり、その時に日本の大東亞戰争の開戦は已むを得ない状況下での決斷であり、現在の歴史學者の主張こそ、東京裁判史観に完全に洗脳された下で、日本弱體化政策の爲の政治的欺瞞によつて構築されたものと確信したのです。


 あの大東亞戰争開戦を、惡と斷じて居る人達こそ、もう一度歴史的眞實に向き合つて欲しいと願つてゐます。


 今、微かな希望の光が見えつつあると言つても、未だそれは風前の灯ともいへる状況下にあります。


 永野修身大將の


「戰はずしての亡國は身も心も民族永遠の亡國である」


といふ言葉が、戦後六十年以上に亙る日本の現實であつたのです。


 私たちの祖先である御英靈の皆様は、


「戰つて死中に活を求め、護國の精神に徹され」


たのでした。


 我ら子孫は、私を含めてそれを冒涜してゐたやうの思へてなりません。


 今こそ、私達は覺醒して再起して、御英靈の皆様のお志であつた「八紘爲宇」の精神の原點に立ち戻らなければならないと思ひます。