1989年6月、北京で「天安門事件」が起きた。人類史に残る、中国での〝民主化運動〟だった。だが、中国では、今もタブー視されている。日本にいた中国人学生達は、クチコミで情報を得て、推移を見守った。ネットのない時代の、大事件だった。当時の様子を、拙著で書いた。  

 

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 「最近、学生達、落ち着かないわね。どうしたのかしら?」

「きっと、あれよ。北京の」

「学生デモ?」

「そう、天安門広場に100万人集まったらしいわ」

「すごい数ね。学生だけじゃないんでしょ?」

「今は、党員や労働者が先頭になってるようね。今度の日曜に、留学生もデモをするんだって!」(中略)

 

     天安門広場の学生達の要求は、新聞の自由化、民主政治、三権分立や人民選挙による指導者の選出などらしい。彼らは、石膏作りの〝民主の女神〟像を掲げ、〝絶食闘争(ハンガーストライキ)〟で闘い、米国公民権運動の愛唱歌、「勝利は我らに」を歌っているという。

 〝毛沢東の子ら〟が、そのような価値観で100万人規模のデモを行ったことに、公太郎は驚嘆した。そして、中国は、果たして共産主義の国なのか、との疑念に囚われた。                  (『国よ何処へ‐平成の日本語学校物語‐』 第3章‐5)

 

           

 6月に入って、北京出身の女子学生が号泣しているのを、男子学生がなだめていた。聞けば、彼女の北京の友人が、戦車の下敷きになって死んだのだという。6月4日に、天安門広場の学生達に、〝人民の軍隊〟が無差別に銃を乱射し、戦車が死体を踏みつぶして進撃したらしい。そして、実力者・鄧小平が、「中国では、100万人と言えども、小さな数だ」と、言ったことが伝えられた。   (同書 第3章‐6)               

 

 9月末に、秋期修了クラスの卒業式が行なわれた。卒業生は全員が中国人で、女性教師の何人かは和服姿で参加した。古畑校長が卒業生達に証書を手渡し、祝辞を述べた。そして、卒業生代表の宋志強が謝辞を述べた。彼は、来日前は映画俳優で、6月の「天安門事件」の頃は、学生のリーダー的存在だった。

 学校や教師への感謝を日本語で述べた後、突然、中国語で話し始めた。学生達に切々と何かを訴え、教卓を拳で叩き、「民主烈士、永垂不朽(民主主義のために亡くなった人は、永久に生きる)!」と結んだ。両眼から涙が滴り落ち、学生の間からも嗚咽の声が漏れた。               (同書 第3章‐9)                                                    

                  

 

 関連リンク: 六四天安門事件 - Wikipedia 

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