双・恋 ~4(下)~





 途中までの詠唱は完璧であり、間違いはなかったが肝心要の部分にミスがあった。

「あの、タチアナ?」

「……失敗しました」

 ええ。言われなくても、見ればわかります。

 微風はおろか、無風ですから。

 本人は気がついていないのだろう。呪が間違っている。私たちが使っているのは魔術であり、魔法ではない。特に呪術を使う者たちにとってこの定義は成功に大きく左右してくるのだ。

 再び同じことをしようとしている少女の手の上に手を置き、それを止めた。

「アキ、さん?」

「途中の詠唱は間違ってない。けれど最後の発動言霊が違うわ、タチアナ」

「オペレーション・マジックが?」

「ええ。最後はアリエッタ・マジック。微風魔術よ、魔法ではないわ」

「……――!」

 気がついたのだろうか。

 はじけたように目を大きく開け、それからうなずいて、笑った。今度は上手くいきそうだ。

「吾は、雪颪舞い降り、花信風すり抜け、吹花擘柳と囁き息を成す――微風魔術!」

 合わせた指先の上――中指の数センチ上に小さな風の渦が出来上がる。本当に小さすぎて微風にもならないが、まずは成功と言えるだろう。

「気を抜かずに、そのまま手を開いて風を空中に保つのよ。大きくさせず、小さくさせず、そのままの状態で構わないから空気中に溶け込ませないように慎重に」

「……」

 難しい言葉だとはわかっているけれど、元々教師ではないからこういうやり方は我慢してもらうしかない。何よりタチアナは懸命に私の言葉を理解しようとして、空気中に微風もどきを霧散させないように頑張っていた。

「いいわ。今度は少し形を大きくするけれど慎重にね」

「はい」

「イメージして。その小さな渦が頬を撫でる春風になることを」

 風などの目には見えないものをイメージさせることはとても難しい、簡単ではない。だが子供は創造性が柔軟であるために大人よりも対応が早い。タチアナも鈍くさいとはいえ、充分に発揮できた。

 小さな渦はシルクのように一枚ずつ外側へ広がっていく。空気に溶け込むことはない、ただ優しく拡がっていくに過ぎない。滑らかな風が広がりきると、まあ悪くない微風を保っていた。

「上手い、上手い」

 純粋に褒めてあげるとタチアナは本当に嬉しそうに笑う。たかが微風の魔術にこんな笑みを浮かべられるのは子供の特権だろう。

 私が指をパチン、と鳴らすと肩透かしを食らったようにタチアナの魔術は消滅する。

「なんで?」

「内緒。さあ、先生のところへ見せに行ってきなさい。要領は今と同じだから」

「……うん」

 自分にも魔術が使えたことが嬉しかったのだろう、タチアナは駆け出してアツナの下へ行く。その背を見ながら、私はため息を漏らしてしまう。

 タチアナはあれ以上の魔術を使うことができない。

 想像ではなく事実である。

 魔術量は人によって違う。この大きさこそがより強い魔術を使いこなせるかどうかになってくるのだが、彼女の許容量は小さ過ぎる。せいぜい、微弱系しか使えないだろう。本人にとって良いことなのか、悪いことなのかはわからないけれど。

 そこへいくと、先ほどの糞生意気なガキ――イービルの許容量は程ほどに大きかった。良き師と高い志さえあれば、それなりの魔術師になれるほどである。

 私ほどじゃないけどね。

 なんて、ガキ相手に張り合ってみても仕方ない。

 そして思い出してみると、彼も結構大きかった。タチアナをグラスと例えるならば、あいつは……なんだろう? 文使いを出したときしか魔術を使ってなかったから量の大きさがよく測れなかった、けれ、ど……――ああ!

 唐突に思い出す。

 ジェイは文使いを呼び出すときに詠唱していなかった。自分がそうであるからよく忘れてしまうのだが、文使いも呼び出すとき発動言霊が必要だ、本来ならば。だが、ジェイは口にしていなかった。その事実から考え付くことはたった一つ。

 ご同類、だ。

 ジェイもまた自分に対して創造魔術をかけているのだ。

 創造魔術はかなり高位魔術で、発動言霊を口にしなくても魔術を使える便利な代物だ。私もかけている、自分に。思っただけで全てが魔術に変換されるので、これ以上の便利なものはないだろう。今朝の動作も、昨日の余興もすべて創造魔術だからこそできる技なのだが――失態だった。

 これを使える人間はおろか、この魔術の存在を知っている人間はほとんど限られているため平気で使ってみせたが同類が近くにいるのなら控えるべきだった。沸き起こる後悔の念。

「アキ。どうしたの?」

 項垂れているといつの間にか授業を終えたアツナが立っている。

 授業がいつ終わったのか気がつかなかった。

「あれ、授業、終わったの?」

「うん。タチアナが最後だったんだけど?」

「ああ、そうか。あの子、量が小さいから仕方ないね」

「あ、やっぱりそうなんだ。なんか、本人は一生懸命なんだけど、中々発動できないからもしかしたらって思ってたけど。アキが言うなら、そうなんだね」

「今日は発動言霊、間違えていたからできなかっただけだけど、たぶんあの子、ファイント系しか使えない」

「微風とか、微炎とか?」

「うん。不便か、幸福かと思うのは本人の進路にもよるけれど。逆に、まことに残念ながらあの糞生意気なガキ、イービルだっけ? 奴のほうは、中位魔術から相性がよければ高位魔術まで使えるようになるわ。奴の進路にもよるけれど、魔術を使わないような職につくのだったら魔術省に申し出て、禁術をかけてもらうことをすすめておく」

「了解。で、用があったから来たんでしょ?」

 おお、そうでした。

 子供の魔術力を見るためにここに来たわけではなかった。そうそう、本題は……チラリとアツナを見るともうすでに怒っていますが?

 なぜ?

「何か、怒ってない?」

「あら。わかる?」

 ええ、ものすごく。

 でもなんで? なんで?

「怒られる理由がわからない?」

 ここはうなずくしかなさそう。実際なんで怒っているのか皆目見当もつかないのだし。

「残念だわ。アキって時々すごく抜けてるよね」

 ここは否定して、アツナのほうが天然だと主張したいところだが、たぶん場を読んでおくとあまり賢い選択ではないだろう。

 だから黙っておくことにした。

「私のところに文が届いたの」

「へ、え」

「文使いを交換していなかったから彼の文使いできたのだけれど、すごくかっこよかった。彼らしい、文使いだったわ」

「は、あ」

「鷹を目の前で見るのって初めてだから、ちょっと感動しちゃった」

「そ、お?」

「うん。それで、虎ちゃんはもう彼の下に帰ったのかな?」

 虎ちゃん?

 なんだ?

 首を傾けて、さながらタチアナのような仕種をしてみるが、たぶん私じゃ可愛くないだろう。だけどそんなことはどうでもよくて、アツナの言っている意味がわからない。

 虎なんて、見てないけれど?

「とぼけているわけじゃ、ないみたいね。あ、あれが虎だと思わなかったってことかな。彼も、初めての人は虎じゃなくて猫だと思うって言ってたし。手乗り猫って言えばわかるかな」

 ぎゃぁぁぁああぁぁああああああ!

 ばれてる。

 めちゃくちゃ、ばれてる!

「私だって、アキが一生懸命画策してくれるのは嬉しいけれど、別に、デートの手はずを取ってもらわなきゃならないような女の子じゃ、ないんだよ?」

「すみません」

「まあ、彼から言われなかったら私も知らなかったけれど」

 彼から言われなかったら?

「誰に聞いたの?」

「ケイ君。昨日、帰ってから文使いが手紙持ってきて、たぶん明日辺り友達経由でデートのお誘いが来るかもしれないが嫌なら断ってください、だって」

 双子はだてじゃなかったか。

 ジェイの根回しを弟のケイはよく理解しているってことね。ということは、今頃、ジェイもケイに怒られているころかしら。

 それを考えればアツナに怒られたことも少しだけ、我慢できるかな。

「で、なんて答えたの、アツナは」

「うん……なんだか、良い子なんだけど……」

 言いよどむ原因を私は知っている。

 知っているからこそ、アツナには幸せになってほしかったし、あいつのことが未だに許せなくて憎い。彼女が許していなかったら、だぶん、八つ裂きにしているところだ。



双・恋 ~4(上)~





 暖かい日差しの中、子供たちは室内ではなく庭で授業を受けていた。宙に舞っている文字を拾い読みすれば、微風の魔術を教えていることぐらいすぐにわかった。

「アキ。ただ今、授業中でございます」

 やんわり私を拒否するアツナだが生徒たちはどうやら歓迎してくれたらしい。

「アキ、久しぶりだな」

「アキ、元気してたか?」

 等から始まる男の子たちの挨拶から、

「アキさん、お久しぶりです」

「アキさん、一緒に先生の授業受けていかれるのでしょ?」

 と言った女の子たちのお誘いも受ける。文句なしで可愛い子たちだ。だいぶ昔である自分の頃を考えるとこんな感じではなかったのが思い出せた。

「いいかな?」

 一応先生に許可を求めると彼女は、仕方ないな、と頷く。

 なんだかんだと言っても生徒にも私にも甘いのが、ちょろい。

「……それじゃあ、アキも来たことだし、もう一回、微風の魔術のおさらいをします……――その後は一人ずつここで実践発表よ」

 おお、中々言うようになった。

 少なくとも魔術の実践発表なんて前のアツナはやりたがらなかったのだから。余程の心境の変化があったということか。

 黙ってアツナの説明を聞く生徒たちは真剣そのものだ。

「……風というのは大気の水平方向の流れのことを言います。強さによって様々な風魔術がありますが、今回は一番弱い、微風を学んでいきましょう」

 夜会のときのアツナからすればとても真剣で、ボーっとしていないけれど、やっぱり簡単なものを難しく考えるところ辺りは彼女そのものなんだよね。

 風の定義が、大気の水平方向の流れ、だなんて知らなかった。

 アツナの説明を聞きながら一人、笑みがこぼれる。

「――と、いうわけで、実践です。二人一組のペアになって。出来上がったペアから先生に見せに来てね」

 ばらばらとペアになった少年少女たちは笑いながら魔術の練習を始めていた。何となく羨ましいような、懐かしいような曖昧な感情を持ちながら私は彼らを眺めている。

「アキ。アキはいつ頃から魔術の訓練を始めた?」

 空中に散らばっている文字を回収しながらアツナは聞く。その問いに答えが返ってこないことを知っていながら。

 過去に何度、この問いが繰り返されたか。正直覚えていない。

 アツナにも聞かれている。教師にも聞かれた。家族にだって、聞かれた問いかけだ。だけど誰一人として回答を知っている者はいない。答えたことがないからだ。

 決まって適当に言葉を濁す。

「アツナはいつだっけ?」

 今日も同じように逃げ道を作るとアツナはわかっているから、苦笑している。

「……十一のときよ。学園に入るために訓練させられた」

 誰にだって苦い思い出の一つや二つ、存在しているだろう。アツナにとってこれがその一つであった。

 学園に入学を果たすためにはいくつかの重要事項がある。

 一つ、入学者は十二を越えていなければならない。

 一つ、入学者は十八を越えていてはいけない。

 一つ、入学者は良家の者でなければならない。

 一つ、入学者は魔術を使えなければならない。

 等、実はまだまだあって内容も様々だ。

そうまでして入学をしなければならないなんて私は思わないけれど、この学園を卒業したということは後々まで有利に働く。いわばステータスなんだ。例えばお見合いの席でも学園を卒業しているというだけで、未だに職もなく結婚できない女性に対して悪くない印象を持たせてくれる。

 私としてはどうでもいいけれど。

「入学試験、覚えてる?」

 アツナが生徒たちの動向を伺いながら聞いた。

 これには答えられる。実際、私以外にも知っている人間がいるわけだし。

「――私は、水魔術だった」

「そうなんだ? 私は風魔術だったの」

 ああ。

 だから彼らにも風魔術を教えているのか。思い出深い魔術ってことだろ。別に悪くない選択だ。思い出の魔術って言うのは意外と教える側も教えやすかったりするのだから。

 不意に、自分が初めて使った魔術が何だったのか考えてしまう。

 火ではない。

 風や水でもなかった。

 ええっと、何だっけ?

 頭を数回交互に傾けながら思い出したのは雨だった。そうか、雨だ。

「どうしたの?」

 私の不思議な行動に疑問を投げかけた彼女に、私は笑う。

「初めて使った魔術について思い出していただけ」

「へえ? 何?」

「うん? つまらないものだよ」

「うん、何?」

「……光」

「ひかり?」

「そう。その日は雨だったの。それで可愛がっていたお花が光合成できないと思って、光を出してあげたの。たぶん、それが初めての魔術」

「光魔術?」

「ああ、いや。陽光魔術だと思う」

 光魔術は単純に周囲を照らすもの。

 一方、陽光魔術は小さな太陽を作り出すようなものだ。難易度で言えば、相当高いのは言わなくてもわかるだろう。

「……いくつのとき?」

「ん? えっと……秘密。でも思っているよりもずっと若くないよ」

 アツナの表情からは私が超天才児といっているような感じがしたので否定だけは口にしておく。世の中には三歳で魔術を使える子もいる、彼らのような子を天才というのだ。

 私は違う。

 少なくとも三歳で魔術を使いこなせたわけじゃない。

 和やかな雰囲気を漂わせている私たちにある生徒は近づき、アツナに声をかけた。

「先生。僕、もう、できるから採点してよ」

 うん、生意気。

 こういう子の鼻っぱしをへし折ってやりたいと思うのは私が大人気ない証拠なのかしら?

 一人きりで来た少年を二人で見る。二人で練習していたはずなのに、なぜ、一人なんだ? 疑問は彼がすぐに答えてくれた。

「タチアナはまだ出来てない」

「あら。二人でいらっしゃい。イービルがタチアナに教えてあげれば採点してあげられるわよ」

 アツナのもっともな意見にイービルは顔を顰めた。

 つい、と視線を私に向けてきたのだ。

「アキ。どうせ暇なんでしょ? 僕の代わりにタチアナに教えてきてよ」

 なんだ、このガキ!

 一瞬にして私の怒りを買った彼はまさに天才だ。ただし、魔術の腕前ではなく私の怒りを買う天才。

「あの、アキ。ごめん。タチアナに教えてあげてくれる?」

「あ?」

 アツナまでそんなこと言うのは珍しい。こういうときはいつも怒っていたのに。

 視線を相方がいなくなった少女へ向けると、納得した。ふわふわの髪の毛と愛嬌のある顔、だけど何よりも、第一印象で鈍くさそうと思えてしまったのだ。

「タチアナ?」

 声をかけると少女は恥ずかしそうに笑って、うなずいた。

 仕種は申し分なく可愛らしい。

「私はアキ。よろしく」

「……タチアナ、です」

 頬を赤く染めて言った少女はたぶん印象通りの子だろう。

「微風の魔術、苦手?」

 一回。二回。三回、目を瞬かせてから視線が右に一度、左に一度動いて、正面の私を捕らえる。それからやや下に向いて、首を振った。

 本当にトロそうな子。こういう子には風魔術は合わないんだよね。

「呪は覚えてる?」

 再び同じ動作を繰り返すが今度は首を縦に下ろした。

 なるほど、呪自体は覚えているが出すことはできないのか。

 周囲には両手を合わせて呪を繰り返す同世代の少年少女たちがいる。それに倣うようにして彼女も両手を、パン、と大きな音を立てて合わせるが何となく無意味感が漂う。

「吾は、雪颪舞い降り、花信風すり抜け、吹花擘柳と囁き息を成す――微風魔法!」

双・恋 ~3(下)~





 魔術が使えたからといって幸せになれるとは限らない。

「お姉様が本当に羨ましいです」

「無職なのに?」

 ハルには聞こえないくらい小さな声で言う。

「え?」

「いや、なんでもない。それより、ご飯を食べるときくらい離れてくれない?」

「ああ、はい」

 ようやく離れたと思っても、ハルは私の隣に座る。

 どうしてこんなに懐かれちゃったのか、本当に不思議で堪らない。周囲を見れば、もうみんな食事は終わっているらしく、食器は私たちの分しか置かれていなかった。

「父たちは?」

「父上は仕事です。母上は何とかさんのお茶会に行くためにドレスを新調しに出掛けました。一番上の兄上と姉上は子供を連れて帰られました、これは昨日のことですけれど。あともう二人の兄上たちはお仕事です。姉上は自室にいらっしゃると思います。あと、不肖の弟はもう学園に行きました。何でも調べ物があるとか、どうとかで」

 歩くスケジュール管理帳だな。

 みんなの予定をくまなく説明してくれたハルに拍手を送りたいところだ。たぶん伸び悩んでいる魔術や勉学に力を注ぐのではなく、こういったことを伸ばしていったほうがこの子のためになるんじゃないかと思う。本人が望んでいないのならば仕方がないけれど。

 出された朝食を口に運びながら、さらに、ハルの今日の予定を頭に入れておく。

「今日は午後までみっちり授業です。16時には帰ってこられると思うので、魔術の訓練はその後にお願いします」

「え、今日も帰ってから訓練するの?」

「はい。一回でも休んでしまったらダメだって先生も言っていました」

「でもたまには息抜きとか」

「息抜きは学園でします。だから、お姉様、よろしくお願いします」

 待て待て。学園ではちゃんと勉強を教わってこいよ。

 当然の突っ込みさえ、このお頭の足りない妹には無駄な助言でしかないのだろう。

 私は小さなため息をこぼし続けた。

「お姉様、ため息は幸せを逃しますよ?」

 ええ、もう充分、逃げているわ。

 苦笑いをしながら不意に視線を外へ移すと小さい猫が手招きをして手摺りの縁に座っていた。

 ガタ、と音を立てて窓を開けると手乗り猫は、なー、と甘えた声で鳴いた。

「え、もう帰ってきたの?」

「なー」

「早いな。もしかして返事、物凄い勢いで待ってたってこと?」

 猫は首に巻かれている手紙を取るように催促してくる。

「はいはい」

 私は素直に従って、手紙を読み解こうとしたが、ここにはペンがない。それにハルもいることだし、一旦、部屋に戻ったほうがよさそうだ。

「ハル。私、急用ができたから部屋に戻るわ。今日もお勉強頑張ってきなさい」

「え。お姉様!」

「ああ、はいはい。頑張っていってらっしゃい」

 泣きそうな声をしたハルを慰めるのは簡単なことだ。

 その額に一つだけ唇を落としてあげるとすぐに元気になる。家族としての、挨拶である。

 私は急いで部屋へ戻った。後から付いてくる手乗り猫のことなど気にも留めず、部屋の扉を閉めたときはさすがに猫も怒ったのか、遠慮することなく扉に爪を立てやがった。

「ああ、ごめん」

 急いで開けて、下のほうへ視線をずらすとメイドたちが叫び声をあげそうな感じに爪跡がついていた。これはさすがに可哀想なので魔術で直してようやく落ち着く。

 テーブルに手紙を置き、羽ペンでサインをすると浮かび上がってきたのはやはりというべきか、簡潔な内容である。

 わかった。当日はアツナを連れて来ることを忘れるなよ。

 もう、名前さえ省かれていた。

 これは手紙じゃない。メモだ。メモ書きだ!

 返事と、文句を言うために白紙を取り出しペンを走らせる。

 ジェイへ。

 ちょっと、失礼じゃない? 何、このメモ! こんなことなら別に、

 それから、ふと、書いている手を止めてしまった。

 私、何をやっているのだろう。馬鹿みたいだ。別に恋人同士の手紙のやり取りではないのだからこの程度のメモ書きくらいで丁度良いはずなのに。それに、曲がりなりにも彼は上位の人間だ。

 書いていた手紙にそっと息を吹きかけると文字は全て飛んで消えた。

 了解しました。ただ、アツナにはこれから連絡をつけるので変更になった場合はまた手紙を書きます。

 これでいい。

 今度はストロベリーの香りさえつけることなく、私は猫に手紙を託した。

「よろしくね」

 わかったのか、わかっていないのか。なー、と鳴いた動物は急いで主人の下へ駆けて行った。

 その小さな生き物を見送り、私は町へと繰り出す。時刻は10時前。今から向かえば昼前には学校には着くはずだ。問題ない。

 いつもの鞄を手にして、私は出掛けることにした。

「お嬢様。どちらへお出かけですか」

 門扉で尋ねたのは執事。彼がここにいるということはハルも出掛けた証である。

「アツナのところに」

「お帰りは?」

「ごめん、わからない。適当にご飯もしてくるから、大丈夫」

「わかりました。お気をつけて行ってらっしゃいませ」

「うん、行ってきます」

 彼が私に馬車の必要性を聞かないのは当たり前のことだ。

 アツナの職場に行くのに馬車を使ったら怒られる、もちろん彼女に。それにあそこの子供たちは変に、好奇心が旺盛だ。前に一度馬で行ったら、馬が怖がったのを覚えている。

 思い出し笑いもそこそこに歩いているとお店のおじさんが声をかけてくる。

「アキちゃん。今日も元気だね。アツナさんのところに行くのかい?」

「うん、そう。おじさんも…――は、元気なさそうだね」

「わかるかい?」

「そりゃ」

 それだけ盛大に足に包帯を巻いていれば気がつかないほうがどうかしている。

「……母ちゃんと喧嘩しちまってね」

「そう。仲が良いのね」

 照れ笑いをしているおじさんに苦笑が漏れてしまう。ここの夫婦は喧嘩が絶えないけれど本当に仲が良いのだ。おそらく怪我をさせてしまった奥さんのほうは今頃居た堪れない気持ちでいっぱいだろう。

 捲れかかっている包帯を指差しながら言う。

「自分で巻いたの?」

「わかるかい?」

 まあね。

 私はしゃがみこんで包帯をはずし始めた。

「アキちゃん、スカートが!」

 うん、地面とお友達になってるわね。でも別に気にすることじゃない。

「……なんだ、見た目ほど悪くないじゃん。大げさにしすぎると奥さんに嫌われるよ」

 包帯を全て取り払った私が言うとおじさんは慌てて自分の足を見た。

 そこには確かにあったはずの傷跡がうっすらと瘡蓋で残っているだけ。包帯で蒸れていたせいなのか痒みも伴っていたが、全快とはいかないがほとんど治りかけていた。

「あれ? おかしいな、さっきまでは確かにぐじょぐじょしてたんだけどな」

 その表現は間違っていない。

 実際、私が見たときもすごかったけれど、ね? 後ろで隠れてこちらを気にしている奥さんを見れば、手を貸してあげたくなるでしょ。

 回復魔術を使ったわけではなく、回復補助魔術を使ったのだ。所謂、自然治癒力の強化だからすぐに完治するわけではない。

「ガーゼが血を吸い取ってくれたから傷跡がはっきりわかるようになったんじゃない? ちゃんと洗ってガーゼつけた?」

「ああ……そう言われると、怪しいな」

「だろうね」

 取り外した包帯を手渡し、私は先を急ぐからと別れた。

 たぶんあの白い布はもう必要ない。奥さんの顔も苦痛に歪むことはないだろう。仲悪くないのだから、放っておいてもすぐに仲直りできることもわかりきっている。

 私は後ろで砂埃塗れになっているスカートを気にしながら足を進めた。

「アキちゃん、お出掛けかい?」

「アキちゃん。アツナさんのところに行くのかい?」

 この界隈でも私って超有名人。未だに無職であるせいかもしれない。

 みんな気前もよく、働き者だし、優しい。許可さえでれば私を雇ってくれるだろうけれど、今の私には彼らの声に答える力がないのだ。絶対に迷惑がかかることはわかりきっていた。だから現状に甘んじるしかない。

 歩みを進めていけばプレジト家の領内に入っている。

 そしてプレジト家領の人たちも私を知っているのだ。

「おお、アキちゃん。久しぶりだな」

「お嬢様に会いに来たのか?」

「相変わらずの暇人か」

 みんなずけずけと言いたい放題だけど、彼らのことを嫌いではない私は気にすることもなく笑って頷くだけである。

「アツナ、もう学校でしょ?」

「ああ」

 ここの人たちも優しい。働かない私を侮蔑したりすることはない。

 私は簡単な礼だけを口にして、アツナがいる学校へと向かった。

 自分たちが卒業した学園とは似ても似つかないほど小さい学校は貰い手のつかなかった空き家をプレジト家が買い取って、幼い子供たちを教えている。無論、無償ではないが、それでも破格の安さで有名だ。

 いや――安さで有名ではなく、丁寧な教え方と子供たちへの対応で名が知れ渡っているのだ。少なくともここへ通っている生徒は誰一人として嫌々来ている者はいない。

 私は学園、好きじゃなかった――嫌いでもなかったけれど。

 門の前で学校を見ていると私に気がついた生徒たちが声を上げて迎え入れてくれた。

双・恋 ~3(上)~




 朝は苦手。もちろん嫌いではないけれど、起きるのが苦痛だ。

 私は眠い目を擦って、ボーっとしている頭で魔術を繰り出す。櫛が勝手に髪を梳いて結わいてくれる。カーテンも自動で開かれて、今日着る洋服だって丁寧に自分で出てきてくれた。こういうとき、魔術は本当に便利だと思う。

 ズボラな私にぴったりだ。

 と、そこへやってきたのは控えめな音。

 コンコン。

 聞き覚えがあるけれど、久しく耳にしていなかった音だ。

 私は軽く人差し指を振り、窓を開ける。飛び込んできたのは昨日別れた私の鳥。

「ピピピ」

 可愛らしい声で囀り、サイドテーブルへと降り立った。

「お帰りなさい」

 随分と早い帰宅ではあったが自分の鳥が帰ってきたのだから純粋に嬉しい。いや、もしかすると手紙が送られてきたことに対して、喜んでいるのかもしれない。

 小鳥の餌を取り出して、二粒、目の前に置いてあげると小さいそれは愛らしい声でつつき始めた。単純に見ているだけでも良かったけれど、一応、役割を果たしてもらわなければならない。

 鳥の足に括られていた小さ過ぎる手紙のリボンを外すと簡単に元のサイズへと戻る。手紙には柑橘系の香りが添えられており、優しい匂いが私を包む。

 丸めてあった手紙を丁寧に開くと白紙が飛び込んだ。

 テーブルの上に常備されている羽ペンで手紙の右隅にサインをすると、文字が浮かび上がってきた。

アキへ。

 いつなら予定が合うか、早急に知らせてくれ。

 ジェイより。

 明瞭簡潔で素晴らしいけれど、私への配慮の欠片も伺えない。まあ、ここで私への愛のメッセージなんて寒い言葉が綴られていたらそれはそれで困るけれど、文頭に挨拶ぐらい書いてくれても罰は当たらないと思う。

 手紙をそのままに、私は返事を書くために引き出しから白紙を取り出した。

 私の場合、会える日は限られていない。今日会いたいと望まれれば今日会えるわけだし、明日と言われても、明後日と提案されても、まったく問題はないのだが、ここでは私の予定を聞いているわけではないので困る。

 アツナは日中、仕事をしている。町の子供たちに勉強を教える――ほとんど彼女の身分ではボランティアのような事柄ではあったけれど――立派な仕事だ。

 彼女と会うための日にちを聞かれているのはわかったが、これを私が答えるのは相当無理があるよな?

 白紙を目の前に、やや目を瞑って、考える。

 水曜日の授業は午前中のみであったことを思い出した。

 ジェイへ。

 水曜日、お昼を一緒にしませんか? 待ち合わせ場所はカフェ・ベリーでお願い。

 アキより。

 相手もかなり礼儀の欠けた手紙を送ってきたのだから私もそれに倣う。本来なら倣っていい立場ではないのだけれども、こちらだけ畏まっても馬鹿馬鹿しいので。

 私は手紙に軽く魔術をかけた。

 開けたときに苺の香りがするように細工したのだ。もちろん手紙の内容にかけて、苺にしたわけだ。

 私の小鳥につけられていた魔法のリボンで首に手紙をくくりつけると、手乗り猫は小さく鳴いて外へと飛び出していった。

「ああ。あの子も可愛かったのに」

 残念そうな声を出すと私の文使いが怒ったように、ピピ、と鳴いていた。

「ごめん。ごめん。おまえも可愛くて大好きだよ」

 笑いながら謝罪を口にして文使いを元の形へと戻す。

 軽く振った指先から流れた光に包まれた小鳥はそのまま美しい銀色の置物へと変化した。コト、と小さな音がして固まった置物こそ紛れもない文使いの本来の姿である。

 ベッドサイドに置かれた文使いを残し、私は部屋を後にした。

 いや、正確には後にしようとしたのだが、私が扉手を開こうとするよりも先にノックの音が響いた。音は三回。それだけで誰かはすぐに理解できる。

「――……ハル、か」

 少しだけため息交じりで呟いて、私は笑って扉を開ける。

 立っていた美少女が満面の笑みで抱きついてきた。

「お姉様、おはようございます」

「ぐぇ」

 抱きつくというより突撃と表現したほうが正しい挨拶は毎度のことながら苦しい。もうそろそろこの手の挨拶は卒業してほしいところだ。

 いつまでも離れようとしない妹の肩を少しだけ押してみる。

「ちょっと離れなさい」

「嫌です」

「こんなに接近していたら挨拶もままならないわよ」

「ん。でも、お姉様のお肉、気持ち良いから」

 おい!

 ナチュラルに失礼な妹だな。まあ、確かに、この世界中のありとあらゆる女から嫉妬されるほど綺麗で可愛い妹と比べれば私の身体は……いかん、いかん。この子を基準に物事を考えると普通にへこむ。

 愛くるしい瞳が悪気を帯びずに私を見つめている。

「お姉様、大好き」

 私の腰に腕を回して、腹に顔をウリウリとこすり付けている妹は普通ではないと思う。思うのだけれども、仕方がないのかもしれない。彼女はまだ13歳だ。家族の愛情を欲しがってもおかしくはない年頃なのだ。

 貴族とは実に孤独である。

 私の父親と、実の母親の関係は実に奇妙。なんたって、母はどこかの貴族の奴隷になる予定だったらしいし、今だって……普通の人ではない。もちろん祖父母や親戚たちは賛成しなかった。一つでも上へ押し上がりたい彼らにとって結婚とは手段である。そして周囲に望まれなかった結婚は母の失踪によって、終止符を打たれた。

 その後再婚を繰り返し、今では男4人女4人と子供には恵まれた。

 もちろん度重なる結婚でいつしか家族は親愛の情では繋がらなくなっていた。しかし私に言わせれば、親愛はないけれどある程度の信頼は切れていないのだからそれでいいと思う。そして現在最も愛情に飢えているのが末弟ではなく、このチビ姫なのだ。

 今のお母様も子供の面倒を熱心にするタイプではないからね。

 末妹の頭を軽く撫でてあげると、ようやく彼女も離れてくれた。

「お姉様、今日は何を教えてくれますか?」

 無職である私の仕事は目下、この妹の勉強相手である。要領の悪い彼女は中々賢くならないので教え甲斐があって涙が出てくる。

 私たちは朝食を取るためにダイニングへ向かう。

 その間も彼女のマシンガントークが止まることはない。

「昨日はどなたの夜会に行かれたのですか?」

「……伯の夜会よ」

「え。伯爵の夜会ですか。いいなあ、羨ましいです」

 ここで言う伯はたった一人しか思い当たらないので私たちの会話は問題なく成り立っている。

「我が家で五家主催の夜会にも顔を出しているのってお姉様だけですよね。あたしも大きくなれば出られますか?」

「どうかな」

 友人によると思う。

 私個人だったらやっぱり出られないのだから。

「きっと主席で卒業できれば出られますよね!」

 それは、たぶん、あなたじゃ無理――とは、一応、姉のよしみで言わないでおいた。

「あたしいっぱい勉強します」

「今も頑張ってるものね」

「はい。やっぱりお姉様だけです、わかってくれるのは」

 みんな理解はしていると思う。言わないだけで、ね。

「もっと、もっと勉強すればあたしも詠唱破棄できますか?」

「詠唱、破棄、ね」

 できれば便利だけど、そこまで力を入れることではないと思う。

「あたしもお姉様みたいにかっこよく魔術を使いたいです」

 これも、たぶん、あなたじゃ無理――とは、言わなかった。

 魔に対する抵抗力は持って生まれた才であり、こればかりはどうすることもできない。そして我が母君、つまり失踪した彼女は、類稀なる能力を――持っていたわけではない。

 極々平凡で、父君にいたってはないに等しいほどである。

 では、なぜ、私だけが?

 そんなの、知らない。

 どうでもいい。もしかしたら私は二人の子供ではないかもしれない、等と思ったこともあったがそれは大いに間違っていることを知っている。だから、結果として、わからないとしか言い様がない。


双・恋 ~2(下)~



 ジェイが恭しく手を差し出す。

「アキ様、一曲お相手をしてもらえないでしょうか」

「もちろん。昨日の無礼はこれで帳消しにして頂けるのでしょうね」

 たぶん驚いたのは同時だったと思う。

 ケイの目も、アツナの目も、驚きと戸惑いと不安と、それでもそれ以上の喜びを帯びていた。彼らもまた私たちに倣うようにして会場へ戻ってきたのだから。

 曲目は今の私たちにぴったりの円舞曲。ゆったりしたテンポなので会話をするには丁度良い。

 腰に回された手がなんだかむず痒い気もしたが、私は不思議なオッドアイを見ながら昨晩のことを尋ねた。

「どうしてはっきりアツナが目当てだって言ってくれなかったの?」

 まるで嫉妬でもしている口調だが別に妬いているわけではない。そもそも彼が恋人というわけではないのでここには他意が存在していないのだ。純粋に、言葉通りの意味しか取らないでほしい。

 左右色の違う瞳が、私をからかうように深みを増した。

「言う暇がなかっただけだ。さっさと追い払ったのはキミだろ」

 口調が違う。

 つまり私は丁寧に話をする相手ではないと判断したわけか。いいでしょう、その挑戦受けてたった。

「あら。いきなりあんな出現されれば誰だって警戒するわ。特に私たちみたいな淑女は、ね」

 最後のところを特に強調しておくとジェイが小さく、くくっ、と笑った。厭味に笑うその姿でさえ好意的に見られているんだろうな、周囲には。腹が立つ。

 思いっきり足でも踏みつけてやろうか、そんな考えが過ぎるとジェイは静かな声を耳元で囁かせる。

「足を踏むのは止めてくれよ」

 がぁああぁぁああぁあ!

 見透かされている。

 なんかとてつもなくムカつく。だってジェイはやっぱり笑っているだけなんだから。

 もう無視を決め込んで、黙ってジェイを観察していると何だか急に恥ずかしくなってきた。方や五家と関わりのある有力貴族のそれもこれだけかっこいい青年。相手を務めているのが行き遅れている女なんてジェイの格を下げるだけではないだろうか?

 分を弁えていない行為だった。

 後はひたすら早く曲が終わるのを祈るばかりだ。

 でも先ほどまで威勢の良かった私が急に黙ってしまったのでジェイは心配そうに、優しい目を向けてくれた。何だか恋人を見るような目が、気持ち悪い。

「何?」

 あ、可愛くない聞き方だ。

 私の声にホッとしたような表情を浮かべ、彼は「なんでもない」と笑う。なんだか私のほうが子供みたいじゃない?

 そうしてようやく曲が終わると周りには彼と踊りたがる淑女のみなさんが群がってきたのだ。次はわたしと、いいえわたくしと、なんて声を聞いていると彼はやんわりと断っている。

「彼女のお相手を頼まれていますので」

 は?

 誰に頼まれたのよ。もしかして私に頼まれたとか言うつもりじゃないでしょうね?

「いいのよ。お気になさらずに、みなさまと踊ってあげて」

 私の返答がたいそう、淑女のみなさまの背中を押したのか、結局ジェイはその後、何曲か踊らなければならない結果になった。いい気味だ。

 たかが一曲踊った程度で疲れたわけではないが、私はそのまま壁の花になる。たぶんダンスで疲れたのではなくパーティーに疲れたのだと思う。

 そういえばここしばらくは夜会に来てもアツナとテラスに入り浸るだけで中にいる機会なんてほとんどなかったものだ。何しに来ているのかと問われれば、なんだろう、と答えるしかないくらい夜会に来る理由が曖昧になっていた。お目当ての子がいるわけでもないし、ただ厭味を言われるだけなのに。

 アツナにだって昼間、会えばいいのだ。もっとも彼女は昼間、お仕事をしているわけで、無職の私とは違う。

 やっぱり結婚したほうが、いいのだろうか。

 キラキラ光が舞い降りるのを見ていると少しだけ持て余している感情に身を任せて、魔術を使いたくなる。本当はすごく、いけないことなのだが。ばれなければ、いいでしょ?

 術もなく、杖だって、魔術を使っている素振りだって見せないまま、私はボーっとしていた。

 周囲の壁に突如として浮かび上がってきたのは色とりどりの魚たち。一瞬にして会場は水底へと趣を変えた。天井よりもさらに上から振り降りてきた光が魚たちを輝かせる。ぐるぐる優雅に泳いでいた魚がいつの間にか赤い一匹だけになり、人々の目が彼女だけに注がれる。

 飛び跳ねる!

 視線がさらに上へと上がった瞬間、天上の光が赤い魚を美しい鳥へと変化させる。水の中にいたはずなのに、今は空だ。赤い鳥が自由に飛びまわり、床は緑生い茂る大地と変化を遂げている。

 誰もが驚く景色の中、昼の明かりは夜の月へとなった。

 ところどころで光る星の輝き、さらに一際大きく煌く月明かり。そして赤い鳥が燃え上がる。不死鳥は繁栄の象徴で縁起が良い。大きな翼を羽ばたかせ、月に恋焦がれていく姿を見ているとあちらこちらからため息がこぼれていた。

 その頃になって、ようやく、やりすぎたことに気がつくわけだ。

 一瞬、ふわりと景色が消えて、すぐにもとの会場に戻ると何かの余興だと思った人々から盛大な拍手が沸きあがった。困惑している主催者はただ拍手を甘受するしかない。

 近づいてきたのはアツナだ。

「アキ」

 短く私の名前を呼ぶ。怒っていないが呆れている証拠でもある。

「ごめん」

 これには素直に謝るしかない。

 一応やりすぎたことに対しては悪いと思っているのだから。

「疲れてる? 帰ろうか?」

 心配そうなアツナの提案に、私も頷いた。なんだか、今日は気分が乗らないみたい。いや、乗りすぎているのだろうか。よくわからない。

 私たちは会場を後にする。

「あの」

 呼び止められたのはもちろんアツナのほうだ。

「また、会えるでしょうか」

 誠実な問いかけにアツナが困っている。だけど私にしてみれば、兄とは違い、ケイのほうは良い男だと思える。何よりも直感がそう告げていた。

 いいんじゃない、と促すとアツナは眉根を少しだけ寄せて答えてみせる。

「まだ知り合ったばかりですから、友人も一緒でよければ」

 あれ?

 私も道連れ? いや、もしかしたら違う子かもしれないしね。こう見えてアツナは知り合い多いのだし。私とは違うから。

 欠伸を噛み殺しているとケイが頷いたのが見えた。

「もちろんです。では……また」

「はい……また」

 天然同士の会話を聞きながら、この子たち手紙の届け先聞きあっているのかしら、なんて当然の疑問を浮かべていたが今日は気疲れしているみたいで突っ込む気にもなれない。

「アキ様」

 そうして今度は私が同じ声で呼び止められた。ただし声の主は違う。

 振り返ると明らかに二人には見えない怒気マークを額に貼り付けている笑顔の男がいる。忘れていたけど、彼、根に持つタイプだったっけ。

 少しだけうんざりしたけれど、大人の笑みで答えてあげる。

「また今度、お会いしてもらえますよね」

 うん。清々しいほどこちらの意見は無視するみたいで、疑問でもないわよ。

 やや考えて。ま、結局、隣の天然ちゃんのためにも会わなければならないのだから私は「喜んで」と頷くことにした。

 右手の人差し指をクルリと回すと何もいなかった空間に鳥が現れる。白くて小さい、文鳥のような子。

「手紙はこの子に」

 手渡せば必ず届けてくれる。

「では、わたしの方からも」

 彼が手の平を開くと猫がいた。手乗り猫。なんかとても可愛くて、彼らしくなくて少し笑ってしまう。

「文はこいつに渡してくれればいい」

 私から文を渡すことなんてきっとないけれど、こうして私たちは互いの文使いを交換した。

 後になってから知ったのだけれども、彼の手乗り猫、実は虎だったらしい。ま、虎だってネコ科の動物なんだから根本は変わらないけれど。