双・恋 ~4(下)~





 途中までの詠唱は完璧であり、間違いはなかったが肝心要の部分にミスがあった。

「あの、タチアナ?」

「……失敗しました」

 ええ。言われなくても、見ればわかります。

 微風はおろか、無風ですから。

 本人は気がついていないのだろう。呪が間違っている。私たちが使っているのは魔術であり、魔法ではない。特に呪術を使う者たちにとってこの定義は成功に大きく左右してくるのだ。

 再び同じことをしようとしている少女の手の上に手を置き、それを止めた。

「アキ、さん?」

「途中の詠唱は間違ってない。けれど最後の発動言霊が違うわ、タチアナ」

「オペレーション・マジックが?」

「ええ。最後はアリエッタ・マジック。微風魔術よ、魔法ではないわ」

「……――!」

 気がついたのだろうか。

 はじけたように目を大きく開け、それからうなずいて、笑った。今度は上手くいきそうだ。

「吾は、雪颪舞い降り、花信風すり抜け、吹花擘柳と囁き息を成す――微風魔術!」

 合わせた指先の上――中指の数センチ上に小さな風の渦が出来上がる。本当に小さすぎて微風にもならないが、まずは成功と言えるだろう。

「気を抜かずに、そのまま手を開いて風を空中に保つのよ。大きくさせず、小さくさせず、そのままの状態で構わないから空気中に溶け込ませないように慎重に」

「……」

 難しい言葉だとはわかっているけれど、元々教師ではないからこういうやり方は我慢してもらうしかない。何よりタチアナは懸命に私の言葉を理解しようとして、空気中に微風もどきを霧散させないように頑張っていた。

「いいわ。今度は少し形を大きくするけれど慎重にね」

「はい」

「イメージして。その小さな渦が頬を撫でる春風になることを」

 風などの目には見えないものをイメージさせることはとても難しい、簡単ではない。だが子供は創造性が柔軟であるために大人よりも対応が早い。タチアナも鈍くさいとはいえ、充分に発揮できた。

 小さな渦はシルクのように一枚ずつ外側へ広がっていく。空気に溶け込むことはない、ただ優しく拡がっていくに過ぎない。滑らかな風が広がりきると、まあ悪くない微風を保っていた。

「上手い、上手い」

 純粋に褒めてあげるとタチアナは本当に嬉しそうに笑う。たかが微風の魔術にこんな笑みを浮かべられるのは子供の特権だろう。

 私が指をパチン、と鳴らすと肩透かしを食らったようにタチアナの魔術は消滅する。

「なんで?」

「内緒。さあ、先生のところへ見せに行ってきなさい。要領は今と同じだから」

「……うん」

 自分にも魔術が使えたことが嬉しかったのだろう、タチアナは駆け出してアツナの下へ行く。その背を見ながら、私はため息を漏らしてしまう。

 タチアナはあれ以上の魔術を使うことができない。

 想像ではなく事実である。

 魔術量は人によって違う。この大きさこそがより強い魔術を使いこなせるかどうかになってくるのだが、彼女の許容量は小さ過ぎる。せいぜい、微弱系しか使えないだろう。本人にとって良いことなのか、悪いことなのかはわからないけれど。

 そこへいくと、先ほどの糞生意気なガキ――イービルの許容量は程ほどに大きかった。良き師と高い志さえあれば、それなりの魔術師になれるほどである。

 私ほどじゃないけどね。

 なんて、ガキ相手に張り合ってみても仕方ない。

 そして思い出してみると、彼も結構大きかった。タチアナをグラスと例えるならば、あいつは……なんだろう? 文使いを出したときしか魔術を使ってなかったから量の大きさがよく測れなかった、けれ、ど……――ああ!

 唐突に思い出す。

 ジェイは文使いを呼び出すときに詠唱していなかった。自分がそうであるからよく忘れてしまうのだが、文使いも呼び出すとき発動言霊が必要だ、本来ならば。だが、ジェイは口にしていなかった。その事実から考え付くことはたった一つ。

 ご同類、だ。

 ジェイもまた自分に対して創造魔術をかけているのだ。

 創造魔術はかなり高位魔術で、発動言霊を口にしなくても魔術を使える便利な代物だ。私もかけている、自分に。思っただけで全てが魔術に変換されるので、これ以上の便利なものはないだろう。今朝の動作も、昨日の余興もすべて創造魔術だからこそできる技なのだが――失態だった。

 これを使える人間はおろか、この魔術の存在を知っている人間はほとんど限られているため平気で使ってみせたが同類が近くにいるのなら控えるべきだった。沸き起こる後悔の念。

「アキ。どうしたの?」

 項垂れているといつの間にか授業を終えたアツナが立っている。

 授業がいつ終わったのか気がつかなかった。

「あれ、授業、終わったの?」

「うん。タチアナが最後だったんだけど?」

「ああ、そうか。あの子、量が小さいから仕方ないね」

「あ、やっぱりそうなんだ。なんか、本人は一生懸命なんだけど、中々発動できないからもしかしたらって思ってたけど。アキが言うなら、そうなんだね」

「今日は発動言霊、間違えていたからできなかっただけだけど、たぶんあの子、ファイント系しか使えない」

「微風とか、微炎とか?」

「うん。不便か、幸福かと思うのは本人の進路にもよるけれど。逆に、まことに残念ながらあの糞生意気なガキ、イービルだっけ? 奴のほうは、中位魔術から相性がよければ高位魔術まで使えるようになるわ。奴の進路にもよるけれど、魔術を使わないような職につくのだったら魔術省に申し出て、禁術をかけてもらうことをすすめておく」

「了解。で、用があったから来たんでしょ?」

 おお、そうでした。

 子供の魔術力を見るためにここに来たわけではなかった。そうそう、本題は……チラリとアツナを見るともうすでに怒っていますが?

 なぜ?

「何か、怒ってない?」

「あら。わかる?」

 ええ、ものすごく。

 でもなんで? なんで?

「怒られる理由がわからない?」

 ここはうなずくしかなさそう。実際なんで怒っているのか皆目見当もつかないのだし。

「残念だわ。アキって時々すごく抜けてるよね」

 ここは否定して、アツナのほうが天然だと主張したいところだが、たぶん場を読んでおくとあまり賢い選択ではないだろう。

 だから黙っておくことにした。

「私のところに文が届いたの」

「へ、え」

「文使いを交換していなかったから彼の文使いできたのだけれど、すごくかっこよかった。彼らしい、文使いだったわ」

「は、あ」

「鷹を目の前で見るのって初めてだから、ちょっと感動しちゃった」

「そ、お?」

「うん。それで、虎ちゃんはもう彼の下に帰ったのかな?」

 虎ちゃん?

 なんだ?

 首を傾けて、さながらタチアナのような仕種をしてみるが、たぶん私じゃ可愛くないだろう。だけどそんなことはどうでもよくて、アツナの言っている意味がわからない。

 虎なんて、見てないけれど?

「とぼけているわけじゃ、ないみたいね。あ、あれが虎だと思わなかったってことかな。彼も、初めての人は虎じゃなくて猫だと思うって言ってたし。手乗り猫って言えばわかるかな」

 ぎゃぁぁぁああぁぁああああああ!

 ばれてる。

 めちゃくちゃ、ばれてる!

「私だって、アキが一生懸命画策してくれるのは嬉しいけれど、別に、デートの手はずを取ってもらわなきゃならないような女の子じゃ、ないんだよ?」

「すみません」

「まあ、彼から言われなかったら私も知らなかったけれど」

 彼から言われなかったら?

「誰に聞いたの?」

「ケイ君。昨日、帰ってから文使いが手紙持ってきて、たぶん明日辺り友達経由でデートのお誘いが来るかもしれないが嫌なら断ってください、だって」

 双子はだてじゃなかったか。

 ジェイの根回しを弟のケイはよく理解しているってことね。ということは、今頃、ジェイもケイに怒られているころかしら。

 それを考えればアツナに怒られたことも少しだけ、我慢できるかな。

「で、なんて答えたの、アツナは」

「うん……なんだか、良い子なんだけど……」

 言いよどむ原因を私は知っている。

 知っているからこそ、アツナには幸せになってほしかったし、あいつのことが未だに許せなくて憎い。彼女が許していなかったら、だぶん、八つ裂きにしているところだ。