双・恋 ~3(上)~




 朝は苦手。もちろん嫌いではないけれど、起きるのが苦痛だ。

 私は眠い目を擦って、ボーっとしている頭で魔術を繰り出す。櫛が勝手に髪を梳いて結わいてくれる。カーテンも自動で開かれて、今日着る洋服だって丁寧に自分で出てきてくれた。こういうとき、魔術は本当に便利だと思う。

 ズボラな私にぴったりだ。

 と、そこへやってきたのは控えめな音。

 コンコン。

 聞き覚えがあるけれど、久しく耳にしていなかった音だ。

 私は軽く人差し指を振り、窓を開ける。飛び込んできたのは昨日別れた私の鳥。

「ピピピ」

 可愛らしい声で囀り、サイドテーブルへと降り立った。

「お帰りなさい」

 随分と早い帰宅ではあったが自分の鳥が帰ってきたのだから純粋に嬉しい。いや、もしかすると手紙が送られてきたことに対して、喜んでいるのかもしれない。

 小鳥の餌を取り出して、二粒、目の前に置いてあげると小さいそれは愛らしい声でつつき始めた。単純に見ているだけでも良かったけれど、一応、役割を果たしてもらわなければならない。

 鳥の足に括られていた小さ過ぎる手紙のリボンを外すと簡単に元のサイズへと戻る。手紙には柑橘系の香りが添えられており、優しい匂いが私を包む。

 丸めてあった手紙を丁寧に開くと白紙が飛び込んだ。

 テーブルの上に常備されている羽ペンで手紙の右隅にサインをすると、文字が浮かび上がってきた。

アキへ。

 いつなら予定が合うか、早急に知らせてくれ。

 ジェイより。

 明瞭簡潔で素晴らしいけれど、私への配慮の欠片も伺えない。まあ、ここで私への愛のメッセージなんて寒い言葉が綴られていたらそれはそれで困るけれど、文頭に挨拶ぐらい書いてくれても罰は当たらないと思う。

 手紙をそのままに、私は返事を書くために引き出しから白紙を取り出した。

 私の場合、会える日は限られていない。今日会いたいと望まれれば今日会えるわけだし、明日と言われても、明後日と提案されても、まったく問題はないのだが、ここでは私の予定を聞いているわけではないので困る。

 アツナは日中、仕事をしている。町の子供たちに勉強を教える――ほとんど彼女の身分ではボランティアのような事柄ではあったけれど――立派な仕事だ。

 彼女と会うための日にちを聞かれているのはわかったが、これを私が答えるのは相当無理があるよな?

 白紙を目の前に、やや目を瞑って、考える。

 水曜日の授業は午前中のみであったことを思い出した。

 ジェイへ。

 水曜日、お昼を一緒にしませんか? 待ち合わせ場所はカフェ・ベリーでお願い。

 アキより。

 相手もかなり礼儀の欠けた手紙を送ってきたのだから私もそれに倣う。本来なら倣っていい立場ではないのだけれども、こちらだけ畏まっても馬鹿馬鹿しいので。

 私は手紙に軽く魔術をかけた。

 開けたときに苺の香りがするように細工したのだ。もちろん手紙の内容にかけて、苺にしたわけだ。

 私の小鳥につけられていた魔法のリボンで首に手紙をくくりつけると、手乗り猫は小さく鳴いて外へと飛び出していった。

「ああ。あの子も可愛かったのに」

 残念そうな声を出すと私の文使いが怒ったように、ピピ、と鳴いていた。

「ごめん。ごめん。おまえも可愛くて大好きだよ」

 笑いながら謝罪を口にして文使いを元の形へと戻す。

 軽く振った指先から流れた光に包まれた小鳥はそのまま美しい銀色の置物へと変化した。コト、と小さな音がして固まった置物こそ紛れもない文使いの本来の姿である。

 ベッドサイドに置かれた文使いを残し、私は部屋を後にした。

 いや、正確には後にしようとしたのだが、私が扉手を開こうとするよりも先にノックの音が響いた。音は三回。それだけで誰かはすぐに理解できる。

「――……ハル、か」

 少しだけため息交じりで呟いて、私は笑って扉を開ける。

 立っていた美少女が満面の笑みで抱きついてきた。

「お姉様、おはようございます」

「ぐぇ」

 抱きつくというより突撃と表現したほうが正しい挨拶は毎度のことながら苦しい。もうそろそろこの手の挨拶は卒業してほしいところだ。

 いつまでも離れようとしない妹の肩を少しだけ押してみる。

「ちょっと離れなさい」

「嫌です」

「こんなに接近していたら挨拶もままならないわよ」

「ん。でも、お姉様のお肉、気持ち良いから」

 おい!

 ナチュラルに失礼な妹だな。まあ、確かに、この世界中のありとあらゆる女から嫉妬されるほど綺麗で可愛い妹と比べれば私の身体は……いかん、いかん。この子を基準に物事を考えると普通にへこむ。

 愛くるしい瞳が悪気を帯びずに私を見つめている。

「お姉様、大好き」

 私の腰に腕を回して、腹に顔をウリウリとこすり付けている妹は普通ではないと思う。思うのだけれども、仕方がないのかもしれない。彼女はまだ13歳だ。家族の愛情を欲しがってもおかしくはない年頃なのだ。

 貴族とは実に孤独である。

 私の父親と、実の母親の関係は実に奇妙。なんたって、母はどこかの貴族の奴隷になる予定だったらしいし、今だって……普通の人ではない。もちろん祖父母や親戚たちは賛成しなかった。一つでも上へ押し上がりたい彼らにとって結婚とは手段である。そして周囲に望まれなかった結婚は母の失踪によって、終止符を打たれた。

 その後再婚を繰り返し、今では男4人女4人と子供には恵まれた。

 もちろん度重なる結婚でいつしか家族は親愛の情では繋がらなくなっていた。しかし私に言わせれば、親愛はないけれどある程度の信頼は切れていないのだからそれでいいと思う。そして現在最も愛情に飢えているのが末弟ではなく、このチビ姫なのだ。

 今のお母様も子供の面倒を熱心にするタイプではないからね。

 末妹の頭を軽く撫でてあげると、ようやく彼女も離れてくれた。

「お姉様、今日は何を教えてくれますか?」

 無職である私の仕事は目下、この妹の勉強相手である。要領の悪い彼女は中々賢くならないので教え甲斐があって涙が出てくる。

 私たちは朝食を取るためにダイニングへ向かう。

 その間も彼女のマシンガントークが止まることはない。

「昨日はどなたの夜会に行かれたのですか?」

「……伯の夜会よ」

「え。伯爵の夜会ですか。いいなあ、羨ましいです」

 ここで言う伯はたった一人しか思い当たらないので私たちの会話は問題なく成り立っている。

「我が家で五家主催の夜会にも顔を出しているのってお姉様だけですよね。あたしも大きくなれば出られますか?」

「どうかな」

 友人によると思う。

 私個人だったらやっぱり出られないのだから。

「きっと主席で卒業できれば出られますよね!」

 それは、たぶん、あなたじゃ無理――とは、一応、姉のよしみで言わないでおいた。

「あたしいっぱい勉強します」

「今も頑張ってるものね」

「はい。やっぱりお姉様だけです、わかってくれるのは」

 みんな理解はしていると思う。言わないだけで、ね。

「もっと、もっと勉強すればあたしも詠唱破棄できますか?」

「詠唱、破棄、ね」

 できれば便利だけど、そこまで力を入れることではないと思う。

「あたしもお姉様みたいにかっこよく魔術を使いたいです」

 これも、たぶん、あなたじゃ無理――とは、言わなかった。

 魔に対する抵抗力は持って生まれた才であり、こればかりはどうすることもできない。そして我が母君、つまり失踪した彼女は、類稀なる能力を――持っていたわけではない。

 極々平凡で、父君にいたってはないに等しいほどである。

 では、なぜ、私だけが?

 そんなの、知らない。

 どうでもいい。もしかしたら私は二人の子供ではないかもしれない、等と思ったこともあったがそれは大いに間違っていることを知っている。だから、結果として、わからないとしか言い様がない。