双・恋 ~2(上)~




 昨日の今日で言うのもなんなんだが?

 ま、連日でパーティーに来ている私たちもどうかと思うけれど。今日は上流貴族の夜会なわけでできる限り出ておいたほうがいいものだ。というわけで、アツナのコネで私も参加することになったのだけれども、何であいつもいるわけ?

 昨日は少し良い服を着ているだけだったからすぐには判断をつけられなかったけれど、今日はちゃんと夜会服に身を包んでいるからわかる。坊っちゃんだ。貴族だ。主側だ。

 それもどういうわけだか、二人いる。

 分裂してる!

 片手をひらひら、手を振っているほうが昨日声をかけてきた男だろう。愛想の良い、みんなを虜にするような笑みが向けられる。

 はい、一気に周囲の嫉妬を買いました。

 私たちは飲み物も持たずにバルコニーに出る。出なければならなかった。

「ありえない!」

「本当に、吃驚だね」

「あれも貴族ってことだよね? アツナ、本当に知り合いじゃないの?」

「知り合いではない、としか言えない。四家の人たちとは会うことも少ないし、五家の人たちの兄弟全部の顔は把握できないし」

 それは、わかっている。奴らの中には家から出るのを極端に嫌う者もいるわけで全員の顔を把握できるはずがない。

 だが今日は五家主催の集まりだ。

 本来、私みたいな下級貴族は出入りを許されていない。これもひとえにアツナのお蔭なのだが、私のように例外でない限り彼は五家に何らかの関わりがある有力者というわけなのだ。

「本当に知らないの?」

「くどい」

 笑うアツナに納得した素振りで頷く。

 でも本当にあいつら何者? いや、そもそも、なんで私たちに声をかけてきたわけ? 今だって明らかにモテている。それに昨日はわからなかったけれど、若いよね。

 いいとこ、20歳くらいでしょ。

 8歳近くも年上の女に声をかけて何かいいことでもあるのか?

 いつの間にかバルコニーの縁に肘をつき、会場に背を向けた形で考え事をしていた私を現実に引き戻したのは袖を引っ張る小さな反応だった。

「アキ」

 声も小さくて、一瞬、なんだかわからなくて気の抜けた表情をしてしまったことを後悔する。

「随分と、幼い表情もできるのですね」

 

うぉい!

 

吃驚した。同じ顔が二つ、そこにあるからではなく、なんでこいつがここにいるのか咄嗟に思いつかなくて驚いたのだ。

「昨日は手酷く振られてしまいましたけれど、会場内にいるときは声をかけても、いいでしょう?」

 物腰は柔らかくて、誰もが目を奪われるほどの微笑を浮かべていても、目が怒っています。根に持つタイプか!

 アツナに目をやると、さらに驚きは続く。

 ほんのり、頬が赤くないか?

 彼女の視線の先を探ると、男の後方隣に立っている同じ造形の男が眼に入った。

 ああ。私ってば察しが良い。少しだけ考えて、私は女の顔をする。

「……昨日の失礼を詫びます」

「いいえ、お気になさらずに」

「そういえば、わたくしたち、自己紹介もせずにお言葉を交わしていたのですね」

 恥じらい、でも余裕を伺わせる口ぶりに男は簡単に乗ってくれた。やばい、こいつの目的も理解できちゃった。

「わたしはジェイとお呼びください。こちらは不肖の弟、ケイです」

 兄がJで弟がKか。変な名前。

 ジェイの視線は私というよりアツナに向けられており、ちょっとムカつく。けれど、アツナは可愛いのだから仕方がないか。

 思い直して、私たちも自己紹介する。

「わたくしはアキと申します」

「……わたくしはアツナです」

「アキ様とアツナ様ですね」

 ジェイの声にアツナは静かに頷いた。

 ぎゃあぁぁぁあああぁぁぁ!

 ちょっと本当に恋する乙女って可愛い。可愛すぎる。一瞬、アツナを抱きしめてあげたい感情に襲われたがグッと我慢して、私は二人の兄弟たちを見た。

「お二人は双子なのですね」

「ええ」

 まだ一言も喋らない弟に目線を向け、彼に尋ねる。

「お兄様はどのようなお方なのですか?」

「……」

 沈黙。

 やばい、こいつ、コミュニケーションを取る気、まったくないのか?

「えっと……知り合ったばかりの人にこんなこと聞かれるのは不愉快でしたか?」

 とりあえず当たり障りのないことを口にすると重々しく口が開かれた。

「……とても尊敬できる人です」

 同じ声だが、彼からは柔らかさよりも実直さが伺ってとれた。まさしく好青年という感じだ。チラッとジェイを見るとどこか愛しそうにケイを見ている。

 ああ、人種としてジェイは私よりか。

 ようするに弟大好きってこと。私の場合は家族じゃなくて親友だけどね。

 私は小さく笑って、アツナを紹介する。

「尊敬はいいことですわ。互いに尊敬してこそ、関係は続くものですから。わたくしもアツナの素直なところ、優しいところ、何よりも身分に関係なく接してくれる公平さを尊敬していますの」

「身分……アキ様とアツナ様は同じ階級ではないのですか?」

「ええ、違いますよ。わたくしはタナミアの人間です。身分ならば本来このようなところへ足を運ばせてはもらえない下級貴族ですから」

「そうですか。しかし身分など関係なく、アキ様は上品なお方だと思います。もちろん、アツナ様も」

 貴族にしては珍しい直球型だ。ただアツナは鈍いところもあるのでこのほうがわかりやすくて助かる。

 まだ二人きりにするわけにもいかず、攻めあぐねているとジェイの目だけが会場を見た。

 なるほど、一曲踊ろうというのか。いいでしょ、その提案、乗りましょう。

双・恋 ~1~




 煌びやかなドレス、噎せ返る化粧と香水の匂い、女たちの嘲笑と羨望、男たちの牽制と自慢。夜会なんて誰が主催してもだいたい一緒。豪華な食事と、つまらないダンス、それから退屈な噂話をしてから自分に見合った男と出会う。

『まあ、あの、メルヴィン家の方ですか』

『あら、リハルド家の方?』

 まあ、とか。あら、とか。一体何に対して言っているのか、私にはわからなかった。そもそもわかりたくもない。

 だいたい、私も言われる側だし。

『ああ、噂の、タナミア家のご次女様ですの?』

『あら、じゃあ、こちらがプレジト家のご次女様ですの?』

 私を中傷する台詞はいつだって、私と一緒にいる友人も傷つける。だから嫌なんだ。それに私にはもう夜会にでる意味なんて、存在していない。

 例によっていつも通り、噂されることも人目につくことも嫌い、私とアツナはテラスへ出る。片手にはノンアルコールを忘れない。

 飲み物をテラスの縁に置き、景色を背に、中を客観的に見ながら交わす会話は実にくだらないことばかり。でも今日は違う。

「最近、なかなか会えなかったけれど、何かあったの?」

 切り込んできたアツナの言葉に僅かに考える。最近なんて言われるとどれくらい会っていなかったのか思いつかない。最後に会ったのはいつだったっけ?

「一ヶ月前よ、最後に会ったの」

 私の視線を勘ぐったのか、私の思考を読んだのかわからないけれど、アツナの声に私は短く返事をした。それからこの一ヶ月間のことを思い出す。

「お兄様とお姉様の子供のお相手を少々。本当にムカつくガキだった。それから末妹の勉強を見ながら、溜まっていた本を読み漁っていたわ」

「そう。アキらしいわね」

「そうかしら? そうね……そう。ああ、でも、そう考えると、私らしくないことが一つ」

「何?」

 興味津々の目は大きくて、キラキラ輝いている。文句なしで可愛い。これが自分と同い年かと思うと若干、がっかりだ。もちろん良い意味で。

 私は持ってきたグラスに光を透けさせる。

 気泡が輝く。

「お見合い、したの」

「……」



「……?」

「……」

 やけに長い沈黙。アツナなら大声を上げて驚くかと思ったんだけど。

伺うようにして隣を見れば、顎が外れるんじゃないかと思うくらいでっかい口を開けている女の子がいた。

「……驚きすぎ」

 からかうように言えば、彼女の怒号が届く。

「驚くよ! だって、え、なんで! お見合いなんてしないと思ってた。ううん、絶対しないって信じてた! だって」

「待って、待って。いつ、私がお見合いは絶対にしないなんて言った?」

「……そりゃあ、言ってないよ?」

「でしょ?」

「うん。でも、アキ、信じてたじゃん!」

 何を、を聞かなくても質問の意味は充分に理解できる。

 確かに信じていた。

 運命の出会い、なんて意味のないことを。

 私の小指の先には赤い糸で結ばれた相手がいる。その人と結ばれるために私は今まで結婚せずにいた。これってすごくロマンチックに聞こえるよ?

 でも気がつけば28歳を超えていて、貰い手を探すことすら危ういのが現状。

隣にいる親友だってまだ誕生日がきていないだけで同い年なのだからそれなりの年齢。ただしこっちはまだ救いがある。アツナは可愛いし、位も我が家より上。その気になれば身分を手に入れたい男共がたくさん群がってくる。そんな輩は私が許さないけれど、私より現状は明るそう。

 とにかく我が父君と母君も焦ってきたんだと思う。

 いくら学園を主席で卒業したといっても、このままでは行き遅れ云々ではなくなってしまう。とういわけで、お見合いさせられた。

「なんで、なんで!」

 アツナ的には絶対に納得がいかないようだ。

 まあ、置いていかれるとかそういう感情から考えを口にしているわけではないことがわかっているだけいいが、これが普通の友人ならば怒られているだろう。彼女の言い方は行き遅れを推奨するようにも聞こえてくるから。

 苦笑いをしながら、私は飲み物を口にする。

 ピーチの香りが弾けた。

「う」

 小さいうめき声を聞いた瞬間、アツナが笑う。

「ピーチなのね?」

 私は首を縦に振る。

 ピーチ自体は嫌いじゃない。もちろん気泡入りのジュースも好き。ただし、ピーチ味のジュースはなんだか好きになれない。きっと甘い感じが、私と相性が悪いのだろう。

輝く月光にグラスを透かせる。

 薄い黄色がかった液体がみるみるうちに濃い黄色へと変化した。それから自分のドレスの裾部分に少しだけあしらっている赤の花模様を映す。

 色はオレンジへと変わった。

「オレンジソーダ?」

「ん」

 満足して口にするとアツナは小さく笑っている。

 笑う理由はわかりきっていた。私ってば、本当に成長しないわけで、昔からオレンジジュースが好きなのだ。機嫌が悪いときでさえ、オレンジジュースを飲んでいると落ち着いてくる。もう精神安定剤みたいなものなのかも。

 僅かを残してグラスを置くと、隣ではアツナもジュースを変えていた。が、見たこともない色を写し取っている。

「何味、それ」

 恐る恐る尋ねると、口にしたアツナの表情が見事に歪んだ。

「まずい!」

「だろうね。ちょっと、貸して」

 彼女から受け取ったジュースは原形色を留めていない。真っ黒だ。

 黒から色を創造するのは以外に難しいと思われるけれど、一色から成り立った黒でなければ、実は簡単だ。こうやって色を抜いてやるといいのだから。

 夜空に透かし、ジュースの黒を空へと返す。

 色の抜けたところに夜会の光を差し込んで気泡を作る。浮かび上がってきた綺麗な泡に目に付いた女性のドレスを透かすと色は瞬く間に淡い緑へと変わった。

「何味?」

「飲んでみて」

 何の疑いもなく口にするアツナ。それを当然だと思っている私。

 これが私たちの関係だ。

「あ、メロンソーダ!」

「当たり」

 綻ぶ笑顔が可愛くて、私も自然と笑みがこぼれた。

 兄弟、姉妹たちはそれなりに私を尊敬してこそくれるが安らぎをくれたことがない。もっとも最近じゃ苛立ちばかりを与えられるわけなんだが。

 会場から聞こえるため息の数。

 そろそろパーティーも終わりに近づいてきたみたいだ。

「帰る?」

「帰りますか」

 私とアツナはグラスをそのままに、こっそり会場を後にする。今日は中流貴族の集まりだっただけに結構豪勢だった。

 本来、私は出られる位ではないのだが、ここはアツナに感謝である。

 入り口でキョロキョロと贔屓にしている御者を探していると向こうも気がついたのか、素早く来てくれた。

「ありがとう」

「いつもありがとう、それから、ごめんね」

 単純な謝辞は私。

 アツナはいつだって謝罪も口にしていた。ま、確かに、私たちを待っているのだから謝っても罰は当たらないかもしれないけれど、素直さを母親のお腹の中に忘れてきた私にはできない行為なのだ。

 快適とは言い難い馬車へ乗り込もうとしたとき、押し留めたのは見知らぬ男性だった。

「誰?」

 視線はそのままアツナのほうに移行するが彼女も首を振る。

「知らない」

 私も知らなかった。

 それなりの頻度で夜会に参加している私とアツナは、それなりに夜会に参加している貴族たちの顔を知っている。ただし使いの人間までを知っているわけではないのだが、再び彼を見て、考えた。

 こんなに綺麗な顔立ちをしている使いの人、貴族のお嬢様方の噂にならないはず、ないのだが?

 髪は艶のある黒、瞳は左右で虹彩色が違い、整った顔立ちと切れの長い瞳が上品さも醸し出していた。身なりだって、使いの人間にしては、良い。いや――良すぎるくらいだ。

 瞬間、弾けたように私は持っていた扇子で口元を隠した。

 アツナもそれに倣う。

「わたくしたちの噂を聞いたこと、ございませんか?」

「申し訳ございません」

 男は顔だけでなく、声も綺麗だ。

 ちょっと気を抜くと聞き惚れてしまいそうで、私は慌てて言葉を繋いだ。

「そうですか。では、次に来られるときはお声をかけないほうが宜しいですよ」

 要するに声をかけるなって言いたいのだが、敵もさる者ながら簡単には手をひいてはくれない。

「わかりました。次は気をつけますので、今日、この時だけは許してはくれませんでしょうか」

 胡散臭い。

 単純に思ったことではあったが、この次に紡ぐ言葉は注意しなければならない。なぜなら家の名誉もかかってくるからだ。貴族とは、そういうもの。

私はチラリ、アツナを見た。

 アツナは僅かに首を振り、目では帰路につくことを望んでいた。

 叶えましょう。

「朝はお好きでしょうか」

 唐突な問いかけに男が何かを探っているようだ。大いに探ってくれ。

貴族の坊っちゃんたちは大抵これで朝のデートをしましょうね、って受け取ってくれるのだ。そうでなくても、今日は返事できませんが後日また会いましょう、って考えてくれるわけ。もうずっと昔から思っていた事柄だけど、貴族ってどうやら面と向かい合ったときは遠まわしな表現のほうが好みらしい。

 というわけで、見ず知らずの男にもそれをプレゼントする。

「……ええ、嫌いではありません」

 かかってくれてありがとう。

「そう。良かったわ」

 だから優しく笑ってあげる。

「では、あなたにとっての太陽と出会えることをお祈りしています」

 簡単に言えば、私たちはあなたの太陽じゃないからさっさとどこかへ行きなさい、ってことなのだが驚いたのはこの後である。

「……嫌いではない、と言いました。だから取り分けて好きであるわけでもないのです。それに太陽と月は対になるものでしょう。貴女方が月ならば、太陽はどなたですか?」

 ヤバイ、これは。

 場慣れしていない貴族の坊っちゃんが言う台詞ではない。こいつ、相当、場数をこなしてきている。

 私は扇子で目元まで隠すようにして次の言葉を口にした。

「そうですか。しかし月と陽は相容れないものです。あなたはただ、夜の闇で目に付いた月を欲しがっただけにすぎません。朝になればその思いも冷めることでしょう。ですから、どうぞ」

 手を放せ。

 帰らせろ。

 どっか行け。

 これでわかっただろう。自信満々でいたにも関わらず、男はより強く手を取って、言った。

「ならば、月が輝きを失わないようにわたしが永久の暗闇を確保いたしましょう」

 ぎゃあぁぁぁああぁぁあぁぁあああああ!

 馬鹿だ、こいつ。

 もう止めだ、やめ。こいつ遠まわしに言っても全然聞かない上に、あっさりプロポーズの言葉も口にしてきやがった。場数こなしてきているどころじゃない。

こいつ、遊び人だ!

 ペシ、と小さい音を立てて私は男の手を払いのける。

「遊びの女なら他所で探しなさい」

 もう遠まわしには言わない。私がさっさと馬車に乗り込むとアツナも続いた。そして御者に合図を出すと馬車は走り出した。

 憐れな男を残したまま。

双・恋 ~0~



運命なんてどこにでも存在している。

気がつかないだけで、きっとすぐ傍に。

なんて、嘘。まったくの偽りだわ。

そもそも運命なんて、ありえないものだらけ。信じるだけムダ。


だって、運命を信じていて、気がつけば私は行き遅れ。

こんなの予定外だわ。もう、待ってるだけの恋をするつもりはないの!



今回のお話は恋愛ではありません。

ちょっと、書きたい気分になったので書き始めたものなので、恋愛小説以外が好きでない方はお避け下さい。

よろしくお願いします。

読んだ後に、苦情を言われても困ります。


ここに恋愛以外なので、Not恋愛が好きでない方は読まないでください!


と、書きましたからね!!

それでも良いという方だけ、下からどうぞ。










『 花よりも、なお ~3~ 』(Not恋愛)




 紫陽花の章


 橘夕帆が生まれたのはここ、東京ではない。山間部の、とても閉鎖的な地域で彼女は産声をあげた。

 調書を取るさいに語られた言葉が事実だったのか、あるいは違うのか。今はそれを確かめる術はないが、それでも彼女の言葉を信じるのであれば、橘夕帆は四人兄弟の三番目に生まれていた。

 橘の祖先は商売に長けており、一代で名を馳せた・・・・・・らしい。らしい、とつくにはそれなりの理由があるが、その一番の理由は、彼らが世俗を嫌い、世間と自分たちを隔離した行為の結果が大きい。

 山を一つ買い取ることくらいなんてことのない祖先だったけれども、彼らは世俗を嫌いながらも人を嫌っていたわけではなかった。それゆえにそこに住む人々を受け入れ、他所から来る人々を招き入れた。そして、そのせいで、彼らは他者から金持ちゆえの迫害を受けることとなったのはもう少し先の話だと言う。

 とにかく、橘夕帆の祖先はそれなり人生を謳歌していたのだ。

 では、なぜ、彼女のような人間が生まれたのか?

 微苦笑は実に妖艶で、悪びれている様子など微塵もない。

「・・・爺様の土地に住む人々は爺様が病床に着いた時、変貌いたしました・・・羨ましかったのか、それとも妬ましかったのか。婆様に土地を明け渡すように迫り、私たち一族を追い出そうとしたのです。もちろん普通の方ならそれに賛同するはずもないですが、人をすぐに信用してしまう世間知らずな婆様は誰に相談することもなく、彼らの書面にサインをしてしまったのです」

 一文無しとなった彼らに村の人間は冷たく、やがて橘の人間は悟ったという。人を信用することに何の価値もないことに。

「野に放り出された時、私は3歳、夏帆は1歳でした。そして爺様は私に言いました――」


 ――呪うのではなく、復讐を誓ってくれ――


 と。

「3歳の子供にそんな誓いを願うなど、酷な話ですよね」

 口元を隠しながらクスクスと笑う仕草は貴族を思わせる。

 上品でいながら、少しもお爺様の言葉を冗談と受取っていないような、そんな雰囲気を漂わせていれば、焦れたのは裁判官の一人だった。

「それのどこが事件なのですか」

 確かに、と思わざるをえない。

 しかしそれさえ彼女は黙殺した。

「爺様を失った婆様はすぐに体調を壊し、儚くなりました。そして残った私と夏帆は過酷な日々を背負わされました」

 橘夕帆と、夏帆?

 確かに3歳の少女と、1歳の弟にとって過酷な日々であったことは確かだと思う。だけど、そこには父親や母親、四人兄弟であるならば残りの兄弟も存在していておかしくはないはずだ。

 だが、彼女は彼らのことを口にしない。

 まるで避けているかのように。

「・・・家族はどうしたのですか・・・」

 同じことを思っていたのだろう。

 裁判官の問い掛けに彼女は首を傾げる。可愛らしく、可愛らしく、可愛らしく。


「だから、残った私と夏帆は過酷な日々を背負わされたと言いましたでしょ」


 一瞬だけ、気がつくまでに時間がかかってしまったけれども、彼女の言いたいことを理解した時、悪寒が走りぬけた。

 彼女にとって――橘夕帆にとって、弟の橘夏帆以外は家族ではない。

 目の前の女性は、残った、と言う。それはどういう意味にでもとりようのある言葉だ。
「・・・まさか、家族を殺したのですか?」

 当然の疑問に彼女は微笑む。

「3歳の幼女に、大人が殺せますか? それは少し、偶像が過ぎませんか?」

 そう、だ。

 その時、橘夕帆はまだ3歳。いくら人殺しであったとしても、この年齢で人を殺すと考えるには無理がありすぎる。

 裁判官の一人が口を閉じれば、彼女は鼻で彼らを笑う。

「そうやって物事を自分の目線から考えるからいつまで経っても真実がわからないのですよ」

「・・・どういう意味だ?」

「3歳が人を殺す最良の歳でなければ、いったいいくつが正解なのですか? いったいいつから人は殺意を抱くと思っているのですか? あなたたちはすべての人間が生まれた瞬間から永遠に善良だと思っているのですか?」


 ――バカも休み休み言った方がいい。


 確かに彼女はそう言った。

 確かに、それについては幾分、賛同してしまうけれども。それでも3歳で人を殺すのはやはり無理だと思う。だけど同時にいくつが正解なのか・・・わからない。

 困惑しながらも橘夕帆の真意を考えていれば、彼女は手のひらを上に視線を天へと向けた。まるで室内なのに雨が降ってきたのかと錯覚してしまう仕草。

「・・・あの日、柔らかな雨が私と夏帆を慰めてくれました・・・」

 儚い瞳は苦しみと悲しみを訴えている。

 一度、ゆっくりと閉じられた目には涙さえ見えそうなほどの潤みを感じた、が。


「ふふふ・・・ふふふ・・・あはははははははは!」


 高らかに笑い声をあげる。

「何がおかしいのですか」

 裁判長の声に悪魔は笑った。

「これ以上ないほど可笑しいですわ。目を閉じれば思い出す――人生最初の殺人は兄だったのですから!」

 俄かにざわめくが、彼女は気にも留めない。

「殺人者はカインではなく、アベルだったのです!」

今回のお話は恋愛ではありません。

ちょっと、書きたい気分になったので書き始めたものなので、恋愛小説以外が好きでない方はお避け下さい。

よろしくお願いします。

読んだ後に、苦情を言われても困ります。


ここに恋愛以外なので、Not恋愛が好きでない方は読まないでください!


と、書きましたからね!!

それでも良いという方だけ、下からどうぞ。












『 花よりも、なお ~2~ 』 (Not恋愛)



 たとえば彼女が絶世の美女であったならば、もしくは見た目からも想像できるほどの悪女であるならば、同情する人間がいたかどうかは不明だ。ただ幸いにも彼女の容姿は良く言えば愛らしく、控え目に言っても幼い。そのおかげで同情を禁じ得ずにはいられないだろう。

 弁護士としての私の狙いはそこにある。

 同情してもらい、そして精神異常を訴え、あわよくば――もちろん、被害者側の親族にしてみれば酷なことを言っているのは理解している。私とて、これが正しいことなのかと聞かれれば耳をふさぎたくなる。それでも仕事として依頼されている以上、避けがたい事実でもあった。

 できればこんな依頼は受けたくなかった。

 貧乏事務所のつらいところである。

 ふと、目線を彼女に向けると橘夕帆は黙ったまま供述を聞いていた。ここに間違いは存在しているはずもなく、ある意味、通過儀礼のようなもの。資料をめくりながら耳だけをそちらに残して、目で文章を追っている時だった。

「――最初の被害者、佐東勇一郎の胸を一突き――」

 想像したくない現実を突きつけられた気分だ。

 人が、人を殺すときの残酷さを目の当たりにした、まさにその時。

「――いいえ」

 澄んだ声が耳に届く。

「いいえ、その供述には間違いがあります」

 ギョッとしたのは一人二人ではない。私とて驚いて耳を疑い、目を疑った。だけど彼女はそんな周囲の反応など気にもしない。

「・・・間違い、ですか」

 裁判長の言葉に彼女はうなずく。

「はい。私は嘘偽りなく真実を語ると宣誓いたしました。ですから、正直に言います。その供述は間違っています、と」

 ざわめきがよりいっそう濃くなってきたとき、大声が上がる。

「異議あり! これは被告人が意図的に裁判を遅らせる意味を持っており、何の確証もありません!」

「異議を認め――」

 ます、とまで続かなかったのは裁判長が彼女を見たからであった。

 愛らしく、まるで天使か妖精か。それほどまでに可愛らしい少女の顔が一瞬にして歪む。悪意を込めて、薄く閉じかけた瞳は純心の欠片さえ残してはおらず、まさに悪魔、そのもののよう。唇は開いてはいなかったけれども、両端は大きく持ちあげられ、天使の微塵もなくなった。


 そして上品に、不気味に、笑った。


「うふふ・・・本当によろしいのですか。何一つ解決しないまま、犯人が刑期を迎えて逃げてしまっても」

「・・・どういうことだ」

「だって、そうでしょう。私が刑期を満たせば、あなたたちは一生捕まえられなくなる。私は、今しか喋る気がないのだから」

「・・・」

「レッドラム事件」

 戦慄が走った。

 少なからず新聞やテレビニュースを目にしたことのある人であれば知らないものはいないだろう。3年前まで頻繁に起こっていた事件である。ただし、犯人が捕まったという報道はない。いまだ、未解決の

ままの事件である。

 彼女が何を言おうとしているのか、わからなかった。

 けれども私にとって良いことではなさそうだ。

 異議を申し立てるのは私のほうらしく、口を開こうとした瞬間、出遅れたことを悟る。

「――犯人、まだ捕まっていませんよね。例えば、そう・・・その犯人が目の前にいたとしたら、どうしますか」

 抑揚のない声なのに楽しそうに聞こえる。ともすれば、みんなをおちょくっているようにも。

 検察官の顔色がどんどん怒気を帯びていき、赤くなる。これはいよいよもってまずいと思った時だ。

「父、母、トマト、キツツキ、しんぶんし・・・あとは何を書いたかしら」

 一体何を言っているのか?

 私には皆目見当もつかなかったけれども、ある人の顔色は一気に蒼ざめた。

「なんで、なんで!」

 彼女がニッコリほほ笑む。

「最後は、レベルって書きましたよね」


 ガターーーーーーーン!


 大きな音はイスが倒れたせい。そして立ちあがったのは彼の隣にいる、補佐。

「あらあら、随分な驚き方ですのね。そんなに犯人が現場のことを覚えていることが不思議ですか。それとも、犯人が自らの所業を口にしていることのほうが不思議なのでしょうか」

 あどけない天使のようだと思った自分が怖い。

 この人のどこが被害者だと思ったのだろう。

 この人は間違いなく加害者だ。それも過去、類を見ないほどの人を殺してきた最悪の――殺人犯。

「さあ、花物語を始めましょう。レッドラム事件など、ただの章節でしかないのです。そう、これがプロローグ。そして物語の一章は私の初めての人殺しです」