双・恋 ~4(上)~





 暖かい日差しの中、子供たちは室内ではなく庭で授業を受けていた。宙に舞っている文字を拾い読みすれば、微風の魔術を教えていることぐらいすぐにわかった。

「アキ。ただ今、授業中でございます」

 やんわり私を拒否するアツナだが生徒たちはどうやら歓迎してくれたらしい。

「アキ、久しぶりだな」

「アキ、元気してたか?」

 等から始まる男の子たちの挨拶から、

「アキさん、お久しぶりです」

「アキさん、一緒に先生の授業受けていかれるのでしょ?」

 と言った女の子たちのお誘いも受ける。文句なしで可愛い子たちだ。だいぶ昔である自分の頃を考えるとこんな感じではなかったのが思い出せた。

「いいかな?」

 一応先生に許可を求めると彼女は、仕方ないな、と頷く。

 なんだかんだと言っても生徒にも私にも甘いのが、ちょろい。

「……それじゃあ、アキも来たことだし、もう一回、微風の魔術のおさらいをします……――その後は一人ずつここで実践発表よ」

 おお、中々言うようになった。

 少なくとも魔術の実践発表なんて前のアツナはやりたがらなかったのだから。余程の心境の変化があったということか。

 黙ってアツナの説明を聞く生徒たちは真剣そのものだ。

「……風というのは大気の水平方向の流れのことを言います。強さによって様々な風魔術がありますが、今回は一番弱い、微風を学んでいきましょう」

 夜会のときのアツナからすればとても真剣で、ボーっとしていないけれど、やっぱり簡単なものを難しく考えるところ辺りは彼女そのものなんだよね。

 風の定義が、大気の水平方向の流れ、だなんて知らなかった。

 アツナの説明を聞きながら一人、笑みがこぼれる。

「――と、いうわけで、実践です。二人一組のペアになって。出来上がったペアから先生に見せに来てね」

 ばらばらとペアになった少年少女たちは笑いながら魔術の練習を始めていた。何となく羨ましいような、懐かしいような曖昧な感情を持ちながら私は彼らを眺めている。

「アキ。アキはいつ頃から魔術の訓練を始めた?」

 空中に散らばっている文字を回収しながらアツナは聞く。その問いに答えが返ってこないことを知っていながら。

 過去に何度、この問いが繰り返されたか。正直覚えていない。

 アツナにも聞かれている。教師にも聞かれた。家族にだって、聞かれた問いかけだ。だけど誰一人として回答を知っている者はいない。答えたことがないからだ。

 決まって適当に言葉を濁す。

「アツナはいつだっけ?」

 今日も同じように逃げ道を作るとアツナはわかっているから、苦笑している。

「……十一のときよ。学園に入るために訓練させられた」

 誰にだって苦い思い出の一つや二つ、存在しているだろう。アツナにとってこれがその一つであった。

 学園に入学を果たすためにはいくつかの重要事項がある。

 一つ、入学者は十二を越えていなければならない。

 一つ、入学者は十八を越えていてはいけない。

 一つ、入学者は良家の者でなければならない。

 一つ、入学者は魔術を使えなければならない。

 等、実はまだまだあって内容も様々だ。

そうまでして入学をしなければならないなんて私は思わないけれど、この学園を卒業したということは後々まで有利に働く。いわばステータスなんだ。例えばお見合いの席でも学園を卒業しているというだけで、未だに職もなく結婚できない女性に対して悪くない印象を持たせてくれる。

 私としてはどうでもいいけれど。

「入学試験、覚えてる?」

 アツナが生徒たちの動向を伺いながら聞いた。

 これには答えられる。実際、私以外にも知っている人間がいるわけだし。

「――私は、水魔術だった」

「そうなんだ? 私は風魔術だったの」

 ああ。

 だから彼らにも風魔術を教えているのか。思い出深い魔術ってことだろ。別に悪くない選択だ。思い出の魔術って言うのは意外と教える側も教えやすかったりするのだから。

 不意に、自分が初めて使った魔術が何だったのか考えてしまう。

 火ではない。

 風や水でもなかった。

 ええっと、何だっけ?

 頭を数回交互に傾けながら思い出したのは雨だった。そうか、雨だ。

「どうしたの?」

 私の不思議な行動に疑問を投げかけた彼女に、私は笑う。

「初めて使った魔術について思い出していただけ」

「へえ? 何?」

「うん? つまらないものだよ」

「うん、何?」

「……光」

「ひかり?」

「そう。その日は雨だったの。それで可愛がっていたお花が光合成できないと思って、光を出してあげたの。たぶん、それが初めての魔術」

「光魔術?」

「ああ、いや。陽光魔術だと思う」

 光魔術は単純に周囲を照らすもの。

 一方、陽光魔術は小さな太陽を作り出すようなものだ。難易度で言えば、相当高いのは言わなくてもわかるだろう。

「……いくつのとき?」

「ん? えっと……秘密。でも思っているよりもずっと若くないよ」

 アツナの表情からは私が超天才児といっているような感じがしたので否定だけは口にしておく。世の中には三歳で魔術を使える子もいる、彼らのような子を天才というのだ。

 私は違う。

 少なくとも三歳で魔術を使いこなせたわけじゃない。

 和やかな雰囲気を漂わせている私たちにある生徒は近づき、アツナに声をかけた。

「先生。僕、もう、できるから採点してよ」

 うん、生意気。

 こういう子の鼻っぱしをへし折ってやりたいと思うのは私が大人気ない証拠なのかしら?

 一人きりで来た少年を二人で見る。二人で練習していたはずなのに、なぜ、一人なんだ? 疑問は彼がすぐに答えてくれた。

「タチアナはまだ出来てない」

「あら。二人でいらっしゃい。イービルがタチアナに教えてあげれば採点してあげられるわよ」

 アツナのもっともな意見にイービルは顔を顰めた。

 つい、と視線を私に向けてきたのだ。

「アキ。どうせ暇なんでしょ? 僕の代わりにタチアナに教えてきてよ」

 なんだ、このガキ!

 一瞬にして私の怒りを買った彼はまさに天才だ。ただし、魔術の腕前ではなく私の怒りを買う天才。

「あの、アキ。ごめん。タチアナに教えてあげてくれる?」

「あ?」

 アツナまでそんなこと言うのは珍しい。こういうときはいつも怒っていたのに。

 視線を相方がいなくなった少女へ向けると、納得した。ふわふわの髪の毛と愛嬌のある顔、だけど何よりも、第一印象で鈍くさそうと思えてしまったのだ。

「タチアナ?」

 声をかけると少女は恥ずかしそうに笑って、うなずいた。

 仕種は申し分なく可愛らしい。

「私はアキ。よろしく」

「……タチアナ、です」

 頬を赤く染めて言った少女はたぶん印象通りの子だろう。

「微風の魔術、苦手?」

 一回。二回。三回、目を瞬かせてから視線が右に一度、左に一度動いて、正面の私を捕らえる。それからやや下に向いて、首を振った。

 本当にトロそうな子。こういう子には風魔術は合わないんだよね。

「呪は覚えてる?」

 再び同じ動作を繰り返すが今度は首を縦に下ろした。

 なるほど、呪自体は覚えているが出すことはできないのか。

 周囲には両手を合わせて呪を繰り返す同世代の少年少女たちがいる。それに倣うようにして彼女も両手を、パン、と大きな音を立てて合わせるが何となく無意味感が漂う。

「吾は、雪颪舞い降り、花信風すり抜け、吹花擘柳と囁き息を成す――微風魔法!」