双・恋 ~2(下)~
ジェイが恭しく手を差し出す。
「アキ様、一曲お相手をしてもらえないでしょうか」
「もちろん。昨日の無礼はこれで帳消しにして頂けるのでしょうね」
たぶん驚いたのは同時だったと思う。
ケイの目も、アツナの目も、驚きと戸惑いと不安と、それでもそれ以上の喜びを帯びていた。彼らもまた私たちに倣うようにして会場へ戻ってきたのだから。
曲目は今の私たちにぴったりの円舞曲。ゆったりしたテンポなので会話をするには丁度良い。
腰に回された手がなんだかむず痒い気もしたが、私は不思議なオッドアイを見ながら昨晩のことを尋ねた。
「どうしてはっきりアツナが目当てだって言ってくれなかったの?」
まるで嫉妬でもしている口調だが別に妬いているわけではない。そもそも彼が恋人というわけではないのでここには他意が存在していないのだ。純粋に、言葉通りの意味しか取らないでほしい。
左右色の違う瞳が、私をからかうように深みを増した。
「言う暇がなかっただけだ。さっさと追い払ったのはキミだろ」
口調が違う。
つまり私は丁寧に話をする相手ではないと判断したわけか。いいでしょう、その挑戦受けてたった。
「あら。いきなりあんな出現されれば誰だって警戒するわ。特に私たちみたいな淑女は、ね」
最後のところを特に強調しておくとジェイが小さく、くくっ、と笑った。厭味に笑うその姿でさえ好意的に見られているんだろうな、周囲には。腹が立つ。
思いっきり足でも踏みつけてやろうか、そんな考えが過ぎるとジェイは静かな声を耳元で囁かせる。
「足を踏むのは止めてくれよ」
がぁああぁぁああぁあ!
見透かされている。
なんかとてつもなくムカつく。だってジェイはやっぱり笑っているだけなんだから。
もう無視を決め込んで、黙ってジェイを観察していると何だか急に恥ずかしくなってきた。方や五家と関わりのある有力貴族のそれもこれだけかっこいい青年。相手を務めているのが行き遅れている女なんてジェイの格を下げるだけではないだろうか?
分を弁えていない行為だった。
後はひたすら早く曲が終わるのを祈るばかりだ。
でも先ほどまで威勢の良かった私が急に黙ってしまったのでジェイは心配そうに、優しい目を向けてくれた。何だか恋人を見るような目が、気持ち悪い。
「何?」
あ、可愛くない聞き方だ。
私の声にホッとしたような表情を浮かべ、彼は「なんでもない」と笑う。なんだか私のほうが子供みたいじゃない?
そうしてようやく曲が終わると周りには彼と踊りたがる淑女のみなさんが群がってきたのだ。次はわたしと、いいえわたくしと、なんて声を聞いていると彼はやんわりと断っている。
「彼女のお相手を頼まれていますので」
は?
誰に頼まれたのよ。もしかして私に頼まれたとか言うつもりじゃないでしょうね?
「いいのよ。お気になさらずに、みなさまと踊ってあげて」
私の返答がたいそう、淑女のみなさまの背中を押したのか、結局ジェイはその後、何曲か踊らなければならない結果になった。いい気味だ。
たかが一曲踊った程度で疲れたわけではないが、私はそのまま壁の花になる。たぶんダンスで疲れたのではなくパーティーに疲れたのだと思う。
そういえばここしばらくは夜会に来てもアツナとテラスに入り浸るだけで中にいる機会なんてほとんどなかったものだ。何しに来ているのかと問われれば、なんだろう、と答えるしかないくらい夜会に来る理由が曖昧になっていた。お目当ての子がいるわけでもないし、ただ厭味を言われるだけなのに。
アツナにだって昼間、会えばいいのだ。もっとも彼女は昼間、お仕事をしているわけで、無職の私とは違う。
やっぱり結婚したほうが、いいのだろうか。
キラキラ光が舞い降りるのを見ていると少しだけ持て余している感情に身を任せて、魔術を使いたくなる。本当はすごく、いけないことなのだが。ばれなければ、いいでしょ?
術もなく、杖だって、魔術を使っている素振りだって見せないまま、私はボーっとしていた。
周囲の壁に突如として浮かび上がってきたのは色とりどりの魚たち。一瞬にして会場は水底へと趣を変えた。天井よりもさらに上から振り降りてきた光が魚たちを輝かせる。ぐるぐる優雅に泳いでいた魚がいつの間にか赤い一匹だけになり、人々の目が彼女だけに注がれる。
飛び跳ねる!
視線がさらに上へと上がった瞬間、天上の光が赤い魚を美しい鳥へと変化させる。水の中にいたはずなのに、今は空だ。赤い鳥が自由に飛びまわり、床は緑生い茂る大地と変化を遂げている。
誰もが驚く景色の中、昼の明かりは夜の月へとなった。
ところどころで光る星の輝き、さらに一際大きく煌く月明かり。そして赤い鳥が燃え上がる。不死鳥は繁栄の象徴で縁起が良い。大きな翼を羽ばたかせ、月に恋焦がれていく姿を見ているとあちらこちらからため息がこぼれていた。
その頃になって、ようやく、やりすぎたことに気がつくわけだ。
一瞬、ふわりと景色が消えて、すぐにもとの会場に戻ると何かの余興だと思った人々から盛大な拍手が沸きあがった。困惑している主催者はただ拍手を甘受するしかない。
近づいてきたのはアツナだ。
「アキ」
短く私の名前を呼ぶ。怒っていないが呆れている証拠でもある。
「ごめん」
これには素直に謝るしかない。
一応やりすぎたことに対しては悪いと思っているのだから。
「疲れてる? 帰ろうか?」
心配そうなアツナの提案に、私も頷いた。なんだか、今日は気分が乗らないみたい。いや、乗りすぎているのだろうか。よくわからない。
私たちは会場を後にする。
「あの」
呼び止められたのはもちろんアツナのほうだ。
「また、会えるでしょうか」
誠実な問いかけにアツナが困っている。だけど私にしてみれば、兄とは違い、ケイのほうは良い男だと思える。何よりも直感がそう告げていた。
いいんじゃない、と促すとアツナは眉根を少しだけ寄せて答えてみせる。
「まだ知り合ったばかりですから、友人も一緒でよければ」
あれ?
私も道連れ? いや、もしかしたら違う子かもしれないしね。こう見えてアツナは知り合い多いのだし。私とは違うから。
欠伸を噛み殺しているとケイが頷いたのが見えた。
「もちろんです。では……また」
「はい……また」
天然同士の会話を聞きながら、この子たち手紙の届け先聞きあっているのかしら、なんて当然の疑問を浮かべていたが今日は気疲れしているみたいで突っ込む気にもなれない。
「アキ様」
そうして今度は私が同じ声で呼び止められた。ただし声の主は違う。
振り返ると明らかに二人には見えない怒気マークを額に貼り付けている笑顔の男がいる。忘れていたけど、彼、根に持つタイプだったっけ。
少しだけうんざりしたけれど、大人の笑みで答えてあげる。
「また今度、お会いしてもらえますよね」
うん。清々しいほどこちらの意見は無視するみたいで、疑問でもないわよ。
やや考えて。ま、結局、隣の天然ちゃんのためにも会わなければならないのだから私は「喜んで」と頷くことにした。
右手の人差し指をクルリと回すと何もいなかった空間に鳥が現れる。白くて小さい、文鳥のような子。
「手紙はこの子に」
手渡せば必ず届けてくれる。
「では、わたしの方からも」
彼が手の平を開くと猫がいた。手乗り猫。なんかとても可愛くて、彼らしくなくて少し笑ってしまう。
「文はこいつに渡してくれればいい」
私から文を渡すことなんてきっとないけれど、こうして私たちは互いの文使いを交換した。
後になってから知ったのだけれども、彼の手乗り猫、実は虎だったらしい。ま、虎だってネコ科の動物なんだから根本は変わらないけれど。